ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

REAPER:あらゆるプラグインをモーフィング可能にするVmorph

このJSプラグインは凄い。何が凄いって、これを使えばありとあらゆるプラグインでモーフィングすることが可能になってしまう。

Vmorph tutorial from Bernstraw on Vimeo.


↓プラグイン入手先
http://stash.reaper.fm/v/7063/Vmorph

↓REAPERフォーラムの関連スレッド
http://forum.cockos.com/showthread.php?t=67977

動画を見れば大体使い方は分かると思うが、ところどころ躓いたりしたので、以下覚書的に使用の手順をまとめておくことにする。

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REAPERV4.15での変更点を幾つか紹介

v4.15 Released - Cockos Confederated Forums

v4.15での変更内容の全容は上記のページに記されている。今回はその中から幾つかの変更点をピックアップして紹介。

▼MCP/TCP関連
  • 複数のトラック上をスウィープして横断することで、各トラックのrecarm/mute/soloを一斉にオン・オフできるようになった。
    swee_mixerp.gif

▼トラック・マネージャ関連
  • 同じくトラック・マネージャ画面でも、スウィープして一斉にrecarm/mute/soloをオン・オフすることができるようになった。他にも、各トラックのTCP/MCPの表示・非表示、各トラックのコントロール・ロック、FXのバイパス、FIPM(トラック・レーンでのアイテム自由配置機能)のオン・オフでも同様のことができる。

    ↓上がFIPMオンで、下がオフの状態。
    FIPM.png   sweep_tm.gif

  • トラック・マネージャからトラックの色を変更できるようになった。
    t-managerr_color.png

    尚、トラック・ネーム欄だけの色を変えるか、トラック全体の色を変えるかの設定は以下より変更可能。
    Options -> Preferences -> Appearance -> Track control panels -> Tint track panel backgrounds

  • トラック・ナンバーをダブルクリックすると、そのトラックに画面がスクロールされるようになった。

  • MIDI欄をダブルクリックすることで、そのトラックのMIDI Editorを開いたり閉じたりすることができるようになった。

  • メニューやdeleteキーで、選択トラックを削除することができるようになった。

  • FX欄を右クリックから、其々のトラックのFXを個別の窓で開くことができるようになった。
    t-managerr_FX.png

  • ヘッダーを右クリックから、コラムの表示をオン・オフできるようになった。t-managerr_header.png

▼検索フィルター関連
  • 検索フィルターで“OR”“NOT”(大文字でのみ機能)コマンドが使えるようになった。

▼メモリ関連
  • メモリ消費が大きくなると警告が出るオプションの追加。
    Options -> Preferences -> General の一番下の方にある Warn when REAPER's memory use reaches から警告がでるメモリ使用量の設定ができる。

▼レンダリング・ダイアログ関連
  • レンダリングせずにレンダリング・ダイアログを閉じても、変更した設定が保存されるようになった。

▼フリーズ関連
  • FXブラウザから、Freeze Track -> Freeze track to stereo/mono, up to last selected FX でフリーズした際に、選択した後のプラグインの効果も適応されてしまうバグが修正された。

▼トラック・テンプレート関連
  • エンベロープを保存できるようになった…らしけどやり方が分からない。

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次期バージョンのアップデート候補には、ローカライゼーションに関する項目がちょこちょこ含まれているようだが、もしかして日本語環境特有のあのバグが改善される日が近づいているのだろうか。

再生時は問題ないのに、書き出すと音割れする問題

REAPER上で普通に再生している時は問題ないのに、書き出すと音割れしている、ということがあるとしたら、その原因はこれかもしれない。
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下の画像は、REAPERでサイドチェインを行ったりする場合にに用いるParameter Modulation画面(有料版にのみ付属)。見ると分かるが、入力が0dBを超えている。



こういう状態でwavに書き出すと、再生時には問題がなくとも、書き出し後のファイルで音割れが起こってしまう(再生時に音割れが起こらないのは、Track mixing bit depthがデフォルトだと64bit floatだから?)。こういった現象は、他にもJSプラグインを挿した場合などにも起こり易い。もちろん、他のプラグインでも内部で0dBを超えてしまえば同じことが起こるだろう。

ミキサー上では0dBを超えていなくても起ってしまうということ、そして再生時には問題がない、というのがこの現象の特徴で、それがちょっとした罠になってしまっている。

例えば、何も考えずにアイテムをノーマライズし、EQを挿してブーストし、さらにその後にJSプラグインを挿したりすると、そこで0dBを超えてしまう可能性が出てくる。コンプなどでメイクアップした後にプラグインを挿す場合などにも注意が必要だ。

対策としては以下のようなものが考えられる。

  • 安易にノーマライズしない。もしノーマライズした場合、もしくは元々アイテムの音量が大きい場合は、アイテム・ヴォリュームである程度入力ゲインを下げる。


  • コンプでリダクションした際に行うメイクアップ・ゲインは、(FreeGなどを使って)出来る限りスロットの最後の方で行う。

  • JSプラグインやモジュレーション機能を使う場合は、必ず入/出力が0dBを超えていないか確認する。

これらに気をつけていれば、この罠を避けることができるだろう。

REAPER4用テーマCloudySky_v1.4

REAPER4用テーマCloudySkyをアップデート。
CloudySky_v1.4

REAPERv4.15になってトラック・マネージャ周りが大幅に改善されたようなので、テーマもそれに合わせてそれらに関わる部分、及びその他幾つかの部分の色をアップデート。なので今回はイメージの変更はなしで、テーマ・エディタで変更できる以下の色を変更しただけ。

media item background(odd tracks/even tracks)
window list background
window list grid lines
window list selection inactive bg
windwo edit backgroud
Tab control background in windows
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具体的には以下のように変わった。

  • 未選択トラック上のアイテム・ネームの背景色を白から灰色に変更(これによって、色が共有されているメディア・エクスプローラー上でのアイテム背景色も変更される)。
    item_name_c0.png

    item_name_c.png

  • トラック・マネージャやプロジェクト・ベイ、FXブラウザのバックグランドの色を変更。
    project_bay_c0.png

    project_bay_c.png

    尚、Default_4.0-kaiはデフォルト・テーマに準じて色を変更した。

努力解釈は平等思想なくして成立しない

一般的に、「努力」と「平等」というフレーズは、間逆のベクトルを持つものであるかのようにイメージされているのではないか。だが、実態はそうではない。むしろ努力の程度の計測、及び結果に対する努力解釈は、平等思想なくして成立し得ないものであると言える。
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其々の人間は全く異なった資質と環境を持って生まれ、全く異なった組み合わせによって生じる固有の経験を積み重ねながら生活している。つまり前提条件が全く異なっている。そうである以上、同じ尺度で其々の努力具合を測ることはできない。もちろん、何らかの規格に乗せて仮にそれを計測することはできる。例えばあるものを沢山作った者ほど努力したとみなすとか、あるものを沢山売りつけた者ほど努力したとみなすとか、或いは競技でより良い結果を残した者ほど努力したとみなすとか。明らかに力の差がある場合は、ハンデなどを作って埋め合わせをした上でそれを測ることもできるだろう。

しかしながら、そこで測られた努力具合は、所詮その規格内でしか通用しない仮想的なものでしかない。それで実際に其々の努力具合を正しく計測できるわけではない。ある規格に照らし合わせて見た時、一見大した努力をしていないように見えても、それはその者にとっては命を削るほど大きな苦しみが伴ったものであるかもしれないし、一見とてつもない努力をしているように見えても、その者にとってそれはそれほど大きな消耗――努力もまた消耗品である。人間が無限に修復可能な永久機関でない限り――を伴ってはいないかもしれない。実際のところ、その者が尽くしうる努力をどれ程尽くしたか、ということは誰にも分からない。その当人にさえ。

その、前提条件が異なっているが故に絶対に同列に並べて測ることのできないはずのものを、何らかの規格、或いは真理化された自らの感覚という物差しに当てはめ、平等に測ろうという試みの結果生み出されるのが努力の多寡という見方だ。つまり、努力の絶対的分量を測ろうとする行為は、それ自体が平等主義の実践に他ならない。

さらに言うと、「上手く行かないのは努力が足りないからだ/努力したからこそ上手く行ったのだ」というようなよくある努力解釈が真であるためには、その前提として、努力さえ怠らなければ上手く行くユートピア――努力に基づく平等世界――が既に成立していなければならない。即ち、努力解釈をすることは必然的に、ここには(一部例外を除いて)既に努力に基づくユートピアが成立している(そしてあなたはその例外ではない。だから努力が足りない)、ということを主張しているに等しい。

つまり、全く異なった条件を持つ者をある特定の規格に平等に押し込もうとする平等主義でしか努力の程度は測れないし、「努力したから/努力が足りなかったから」という結果に対する努力解釈もまた、努力に基づく平等世界というユートピア思想が根底になければ成立しない。

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「努力」に重きを置くとする人間が他の誰かを平等主義的である、と言って批判する場面はよく見かける。だがそこで取り扱われているのは、平等の意味ではなくイメージの方だろう。そしてその衝突は、努力か平等かではなく、異なった規格を携えた平等主義同士の競合の結果生じている軋轢であると見た方が妥当だろう。このことは、相手に「平等主義者」というレッテルを貼り付けることで特定の規格を伴った平等主義を押し通す、という政治手法が存在していることを意味する。

そもそも、初めから平等でないし平等にすべきでもないなら、「不公平だ」という批判は正当性を持ち得ない。すべての人間を何らかの規格に平等に押し込むという前提がなければ、公平/不公平という概念すら成立しないだろう。そしてこの公平/不公平という概念を主張の正しさの根拠として用いない人間は滅多にいない。それは即ち、それだけ平等主義に取り付かれている人間が多いということだろう。実際、それを完全に捨てきることが出来る人間はそうはいまい。結局のところ、――例えば税の問題がそうであるように――現代社会における社会的闘争の多くは、どのような規格に基づく平等主義を推し進めるべきか、という平等主義の規格の違いを巡って行われているものなのではないか。

いずれにせよ、努力の程度が測られる時、そして結果が努力によって解釈される時、その裏には必ず平等主義が存在している。それだけは間違いない。

ReverberateLEをTrue-Stereo化する

――別に大したアイデアではないが。

有料版のReverberateLEはTrue-Stereo(stereo in, stereo out――以下、T-Sと略す)として使うこともできるようだが、フリー版のReverberateLEはmono in, stereo out(以下、M-Sと略す)のみ。今回はそれをT-S化して使用する方法を紹介してみる。
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  • まずReverberateLEを読み込ませたトラックを二つ作り、其々にSamplicityなどでダウンロードしたT-S用のインパルス・レスポンス・ファイルを読み込ませる。そしてその後にFreeG Monoなどのプラグインを挿してモノ化する。

    M7_Clear-Hall.png

  • ReverberateLEに左用のIRファイルを読み込ませたトラックは左に、右用のIRファイルを読み込ませたトラックは右にパンを振り切らせる。

  • 後は其々のトラックに音声を送って鳴らせばよいだけ。音像が偏ってしまう場合は、フェーダーで音量調整を行ったり、或いはJS:Delay/time_adjustment(REAPER付属)などでタイミング調整を行った方がよいこともある。

    ↓JS:Delay/time_adjustment
    M7_Clear-Hall_time-ad.png

これをいちいち設定するのは面倒だが、二つのトラックを選択してトラックテンプレートにして保存しておくと直ぐに呼び出すことができる。で、実際に鳴らしてみたのが以下のファイル。

reverbrate_M-S.mp3

reverbrate_T-S.mp3
どうも左側に音像が傾くので、左用のトラックのタイミングを480spls遅らせ、音量も少しだけ下げている)。

この例だとちょっと分かり難いかもしれないが、T-SはM-Sよりクリアで、横に広がりが出る。しかしその分奥行きは減る。M-SはT-Sと比べて音が中央に集まってくぐもり勝ちになるが、その代わり奥行きが得られる。

このように、必ずしもT-Sの方が優れているというわけではない。だが少なくとも、其々でかなり違った効果が得られることは確かだ。例えばリバーブをこれだけで済ますならM-Sの方が良いかもしれない。しかし、奥行きを他のディレイやリバーブで作る場合、或いはとにかくクリアさを重視したい場合はT-Sの方が良い結果が得られるだろう。

因みに、リングモジュレータをそれと分からないくらい軽い設定にしてリバーブの後に挿すと、原音と分離して聞きやすくなる。ここでもそれを行っている。

尚、Crev-01でも試してみたが、レイテンシの大きさのせいか二つ同時に使うと音が途切れてしまって実用的ではなかった。

演技と本気と社会不適応

金正日の死を悲しむ北朝鮮人民の動画が外人に大人気。 コメント欄が2chより酷い件

確かに滑稽ではあるが、これを恰も他人事であるかのように言うのは間違いだろう。
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余りにありふれすぎていてもはや違和感を感じなくなってしまっているかもしれないが、冷静に考えてみると、店員の強制スマイルや独特の挨拶もかなり異様なものがある。アレを普段の日常生活で行っていれば、それもまたかなり異様なものになるだろう。学校や会社や同好の集まり内で行われる儀式や風習も、そこでは当たり前であっても、外から見れば奇妙なものでしかない。体育会系独特のノリにしても、面接における「意識の高い学生」の振る舞いにしても、道徳的便所掃除にしても同じこと。お辞儀だって外国の人間からすればやはり滑稽なものとして映っていることだろう。

それらは全て外から見ると異様で滑稽なものでしかないが、その中に入るとそれらは普通であるどころか、むしろそのように振る舞うことができなければ社会不適応者として取り扱われるものに変貌する。そして北朝鮮におけるその振る舞いの一つが、あの「嘆き」だったというだけのことだろう。

逆に言えば、常に前向きで向上心を持ち、趨勢側から求められる無理難題にも文句を言わず、絶対に諦めずに明るくハキハキと従い続ける姿が日本における一般的「嘆き」だったりするわけだ。

つまり、少なくとも各々の社会における適応者は、形態の違いこそあれあの「嘆き」と同じことを普段から行っている。そしてそれが演技なのか本気なのか(自意識の在り様)は、周りからすれば、或いは自分自身からしても、どうでもよいことだ。ただそこで相応しいとされる振る舞いが出来なければ不適応者としてみなされ、排除される。それだけのことだ。それは北朝鮮であろうとどこであろうと同じことだろう。そして自意識はその状態に対し、演技だとか本気だとかの解釈を下しているだけに過ぎない。だからそこに焦点を当てたところで、それはただの解釈合戦にしかならないだろう。

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因みに「嘆き方」に関しては、金日成時代から定番の、大きく振り上げたこぶしを地面に叩き付けて悔しがるというオーソドックスな型も中々漫画チックで良いと思うが、今回は、死去数日前に将軍様がスーパーを視察なさった際にご使用なされたエスカレータにすがり付いて泣く、というのが中々新味があって良かった。

REAPERの隠しゲーム

GuitarAmpModeling.com . View topic - Reaper's Hidden Games

どうやらREAPERには隠しゲームがあったらしい。

  • ゲームの出し方は、「Help」→「About REAPER」→「Credit」と辿っていき、そこでShiftを押しながらダブルクリック※1
    reaper_game0.png

  • するとゲームの選択画面に移る。遊べるゲームは『Nibbles』と『Blocks』の二種類。キー「1」と「2」でゲームが選択できる。
    reaper_game1.png

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「他人のせいにするな」「甘えるな」という自己言及ワードへの依存〜幻想でしかなかった成長物語

“現代型うつ”にどう向きあうか - NHK クローズアップ現代

今、これまでの概念では捉えきれない「うつ病」が増加している。不眠に悩む、職場で激しく落ち込むといった「うつ」の症状を示す一方で、自分を責めるのではなく上司のせいにする、休職中にも関わらず旅行には出かける…。いわゆる”現代型うつ”だ。20〜30代の若者を中心に増え続けているとされ、従来の治療法が効きにくいことから医療現場は混乱している。さらに企業では休職者が増え、経営を圧迫。中には「怠け」と判断し、解雇したところ裁判で訴えられるケースも出ている。現代型うつに翻弄される医療現場と企業の実態に加え、最新の治療法も取材、対応策を考える。

この番組を見たが、典型的な他者啓発系プロパガンダ番組だった。
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番組のあらましはこうだ。20〜30代の若者を中心に、従来型とは違う“現代型うつ”が増えているとされる。発症の切欠の多くは職場での上司からの叱責だとされているが、実際に上司側に確かめてみると、それほど大した叱責はしていないということが多い。つまり、本当は自分の心の弱さに病気の原因があるのに、傷つくのが嫌で、他人のせいにして自己正当化していただけだったのだ。そしてそういった他罰的傾向を持つのが“現代型うつ”の特長なのだという。

番組に登場する医者はこのような状況を受けて、今の若い世代は親に甘やかされて育てられてきたため、ちょっとした叱責や批判でも大きく傷ついてしまう弱い心を持つようになってしまったのではないか、と言う。大人は何か問題があると、先ずは自分に原因があるのではないか、と内省してみるもの。一方、子供はまず他人を責めようとする傾向がある。つまり、すぐに他人のせいにしてしまうのは、精神が子供のまま体だけ大人になってしまったが故のものなのではないかと。

そして実際に一人の“現代型うつ”の患者A(この人物だけモザイクなしで顔出し。実際には名前も紹介されていたが、もしかしたら仮名だったかもしれない)が、カウンセリングに通う様子が紹介される。カウンセリングでは、医者と患者との対面方式以外に、“現代型うつ”の患者が集まって行われるミーティング形式のものがある。仲間同士だと相手からの批判も受け入れ易くなるという。

そんなある日、患者Aが無断でミーティングを欠席する。医者がそれについて問い正して見ると、連絡はしたが上手く伝わっていなかったと言う。医者はそれを受けて、それが君に悪いところだと指摘する。それを切欠として、彼はミーティングで、自分がうつになったのは上司のせいではなく、自分自身の心の弱さに原因がある、と発言するようになった。時にはきつく叱ってやらねばならないとスタジオの医者は言う。そして彼は今復職に向けて動き出している。彼もまた、成長への階段を一歩上り始めたのだ。めでたしめでたし。――とまあこんあ感じだった。

▼(1)「他人のせいにするな」「甘えるな」という自己言及

しかし、この番組の内容は明らかにおかしい。

というのも、ここで問題視されていたのは、問題が起きたらまず他人を責めようとする内省の無さだったのではないか。ところがこの番組が暗に示していたのは、精神科医の治療が上手く行かないのは患者のせいだ、部下が上司の思い通りにならないのは部下が甘えているからだ、経営が上手く行かないのは社員の精神が未熟だからだ、うつになるような弱い心を持つ者が悪いのであり、その者を傷つけた側に責任はない、というような、問題の当事者の片方を一方的に責め立てるような内容だ。

そこで描かれていたのは、企業・上司、そして組織や集団の趨勢に上手く順応することが出来ている「成熟した強い心を持った者達」の自己正当化ストーリーでしかない。そしてそちら側には全く内省は求められない一方、それに相対する「弱い心を持つ」とされる側にはひたすら内省が求められる。

つまりこの番組は、「他人のせいにすること」を未熟な精神を持つ者の悪癖とし、“現代型うつ”なる枠組みをその癖の象徴として晒し上げておきながら、その実それ自体が正に「何の内省も無く他人のせいにすること」そのもので構成されている。即ち、彼らが定義するところの未熟な精神を持つ者の在り様を、自らがそのまま体現するに至ってしまっている。

――結局のところ、他人に向けて「他人のせいにするな」と言うことは、それ自体が他人のせいにする行為となるため、自己言及にしかならない。

そしてこのことは「甘えるな」にも言える。

例えばこのケースでは、部下は上司の思い通りになって当たり前、叱責に耐えて当たり前、という前提で話が進められている。だが、いくら同じ国で生まれ育っても、其々は感覚も動機も目的も異なり、さらには育ってきた文化も時代も異なる。それらが衝突し合ったり噛み合わなかったりするのは当前のことだろう。そういった必然的な衝突や利害の不一致から生じる支障に対し憤ってみても、それは自らの甘い見立てが裏切られたことへの怒りの表明でしかない。

確かに、まだ終身雇用制度が一般的であった時代にはそんなやり方でも通用したのかもしれない。しかしもはやそんなものは殆ど残っていない。今や下っ端の従業員は使い捨ての調整弁でしかないということは子供でも知っている。となればそちら側からしても、企業や上司はもはや単なる一時的な取引相手でしかないわけで、そのような立場にいる者達にそれ以上のことを期待するのは間違いだろう(当人がやりがいを感じている仕事では無理も通ったりするわけだが)。

取引相手に「甘えるな」と言うことが如何に的外れな主張であるかは説明するまでもない。そしてそういった流れを積極的に推し進めてきたのは当の企業側だったはずだ。御恩を無くしておきながら奉公だけを受け取ろうとしているのなら、それほど甘い考えはない。

さらに言えば、そもそも駄目だ駄目だと言っているその者は、圧倒的な買い手市場である労働市場において、自分達が選び抜いた者なのではないのか。どんなに工夫してみても関係が上手く築けないのなら、その時はそのような人材を選んでしまった自分達の目が節穴であったことを責めるのが筋だろう。そして成果主義的に言えば、そのような状況を作り上げてしまった以上、それはその上司や経営者が無能だったということになる。

要するに、「甘えるな」は、思い通りに動いて当然であるはずの者が思い通りに動かない、そんなのおかしい、というような、自らの見立ての甘さへの憤りを他者に向けて発する単なる「逆ギレ」でしかなく、やはりこれもまた自己言及にしかならない。そもそも、ただ自分が上司・経営者という立場にいるというだけで、何故他人が自分の思い通りに動いてくれるなどと思ってしまうのか。まずその認識が甘すぎる。

中には「怠け」と判断し、解雇したところ裁判で訴えられるケースも出ている。

これもまたそうだ。裁判に訴えるという行為は、社会システム上認められた当然の権利だろう。尚且つ、組織に対して個人が裁判を起こすということは、組織に属する側の者よりも遥かに多くの気力・体力を必要とする。財力と言う面でも大きなハンデを背負って戦わねばならない。とてもじゃないが、怠け者に出来る行為ではない。一方、組織に属する側はそれらの面で有利に戦えると同時に、それもまた業務の一環でもある。自らに非が無いのであれば、粛々とその仕事をこなせばよいだけだろう。その業務のわずらわしさ故にルール上認められた他人の行為にまでケチをつけようとするなら、それこそ怠け心の極みなのではないか。

▼(2)為すべきは他罰的であることを克服することではない

この番組のもう一つの誤りは、他罰的であることを克服することが復職への第一歩であるかのように説いていたことだ。

だが、他罰的でない人間なんて一体どこにいるのか。学校でもネットでも会社でも地域社会でもコミューンでも、どこに行っても他罰的な人間で溢れ返っているのではないか。そしてその大半は問題なく生活を送っている。事実、多くの社会的成功者が、この「他罰的な未熟さ」を体現している番組内容に溜飲を下げたのではないか。それに乗っかって見も知らない他者を非難していたのではないか。

松本サリン冤罪の河野義行さん「死刑は反対。サリンカーを作った元信者と友人になり温泉旅行に行く」 : 【2ch】コピペ情報局


河野氏のような人物は、数百万、或いは数千万に一人しかいないだろう。普通の人間はどんなに頑張っても彼のように他罰的であることを克服できない。つまり、他罰的であることは別に珍しいことでもなんでもなく、むしろそれは多くの者が持っている一般的傾向なのだ。

では、番組で紹介されていたタイプの人達とそうでない人達は何が違うのか。一言で言えばそれは社会的なポジションの違いであり、処世術の上手さの違いだろう。

例えば番組に出ていた患者が上司というポジションを獲得していて、そこで他罰的な資質を発揮し、無茶な命令や叱責によって部下の体調を壊したとしても、それは未熟な行為だとは言われなかっただろう。要は誰もが持つその他罰性をどこに向けるか、ということでしかない。社会的に自分より優位なポジションにいる者に他罰性を向ければ、それは未熟な者の振る舞いとして非難されるが、逆に自分より不利な位置にいる者にそれを向ければ、それは厳格さを湛えた大人の振る舞いということになる。

よって、彼が復職に向けてなさなければならないのは処世術を身に付けることであり、他罰的傾向を克服することなどではない。現に、社会的に優位なポジションを獲得した者はそれを克服するどころか、より安全にそれを発揮することが可能になるため、益々その性質を強めてゆく傾向があるのは疑いようのない事実だろう。

▼(3)他人を見下して生き残ろう

そもそも、言葉や態度で本当に深刻なダメージを与えるためには、その対象自身の協力が必須となる。何故なら、その対象がそれをまともに受け止めてくれなければ幾らそのような攻撃を加えようとも、それは表層に留まってそれ以上深い部分にまで届かないからだ。

よって、その者がその攻撃によって生活の維持に支障をきたす程のダメージを受けているということは、その者がその攻撃を真に受けているということを意味する。つまり、うつになるような人間は基本的に、幾ら口では他人のせいにしていても、内面的には他人の批判や叱責をまともに受け止めすぎてしまう傾向を持っている。

逆に言えば、周りからの批判を真に受けないからこそ多くの者は病まずにいられる。そしてそれは即ち相手を見下しているということでもある。――見下しているのではなく、行為への批判と人格批判の切り分けができているだけ、と思う人もいるかもしれない。だが、それができている者から叱責は生じない。叱責は結局のところ人格批判であり、故に見下しでしかそれによるダメージを回避できない。

処世術の上手い人達は、自分より優位な立場にいる者から他罰性を向けられた時、表面では申し訳なさそうにしながら、内面ではそれを真に受けず、見下している。そしてそこで溜まった鬱憤を立場の弱い者に向けて晴らすことでバランスを取る。それを意識で認識しているか否かはまた別として。現代社会で生き残るためにはそのような技術が必要なのだ(ex.相手の親身になって物事を考えていたら電話でのセールなどできない。ある種の見下しがないと自分自身が病んでしまう)。

▼(4)二分間憎悪の革を被った「成熟した大人」のための癒し系番組

にしても、時折現れるこの手の番組は一体何なのか。一つの見方としては二分間憎悪的なものとして解釈することができるだろう。

二分間憎悪 - Wikipedia

二分間憎悪(にふんかんぞうお、Two Minutes Hate)とは、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に登場する架空の行事。作中の専制国家オセアニアの党員たちは毎日仕事を中断してホールに集まり、大きなテレスクリーンの前で、党と人民の敵(特にエマニュエル・ゴールドスタインとその一味ら)が登場する映像を見せられ、画面上の敵の姿や敵の思想に対してありったけの憎悪を見せなければならない。この「日課」が二分間憎悪である。

『1984年』とは違い、強制ではなく一人一人が自発的に党の幹部であるかのように振舞うことでそれが成り立っている、という違いはあれど。事実、番組放送中に「うつ」でYahoo!リアルタイム検索を行うと、見事なまでに上記のような光景が繰り広げられていた。

だが、そういった攻撃性は副次的に生じているだけであって、実はこの手の番組の正体が何なのかと言えば、それは「成熟した大人」を自認する人々をターゲットとした癒し系番組なのだと思う。

 ***

多くの精神論がそうであるように、この番組でもまた、傷つくのを避けることが悪いことであるかのような前提でもって話が進められていた。しかも例によって、それが求められるのは問題の当事者の片方にだけだ。

しかしながら、傷つくことを避けてきたが故に生活に支障をきたすようなダメージを受けてしまった、だからこれからは生活に支障をきたさないためにそれを避けるべきではない、というのは全く意味不明だ。もし本当に傷つくことを最大限回避してきたのにもかかわらず大きなダメージを受けてしまったのなら、それを全くしなければ今度はそれ以上に大きなダメージを受けることになるだけだろう。

では、この馬鹿げた論理は一体どこから生まれ出てきたのか。そして何故一方にだけ傷つくことが求められ、もう一方には求められないのか。

それらの正しさの一端を支えているのは、傷つけば傷つくほど強くなれる、というある種の信仰なのではないか。つまり、自分が会社での生活を問題なく送ることができ、人の上に立つようなポジションを獲得することができたのは自分が強いからであり、そしてその強さはそれだけ自分が沢山傷ついたことを証明している。そして自分は既に責任分傷ついたから、もうそれ以上傷つく必要はない。他方、心が弱い者達はまだ責任分傷ついていないが故に弱いのであって、だからもっと沢山傷つかなければならない。――このような平等主義がそういった主張の正しさを支えているのではないか。

だがそこで実際に証明されているのは、一方は生活に支障をきたすほどの大きなダメージを受けたが、もう一方はそれほど大きなダメージを受けることはなかった、という事実だけだ。そして仮に「心の強い者」が傷つくことによって強くなったのが事実だと仮定しても、人間は平等に出来ていない以上、他の者もまたそのような資質を持っているとは限らない。また、仮に誰かが多く傷ついたとしても、その者が自分はこれだけ傷ついたのだからお前らももっと傷つけ、というならそれもまた間違いだろう。それは単なる悪平等でしかない。そもそも、社会的競合から生じる強弱の問題は常に相対的なものであるから、絶対的な尺度で強さを測ろうとすること自体が誤りだ。

さて、ここで問題。原因はともかく、一方に精神的に傷つき易い者達がいて(番組では彼らの心の弱さを認めている)、もう一方には傷つくことを避けなかったが故に強くなったと言う者達がいる。そして後者は前者との関係に負担を感じている。この条件を踏まえた上で、上手くその問題は解決するためにはどうしたらよいか。答えは簡単。後者をもっと沢山傷つけ、傷つき易い者達との関係がもたらす負担にも耐えられるほど強くしてやればよい。

そう、もし彼らの言うことが真であるなら、むしろ傷つけば傷つくほど強くなる「心の強い者達」をもっと沢山傷つけることが最も合理的な問題の解決方法なのだ(FF2のセルフ・アタックを思い出そう。しかし自分達が強くなればなるほど敵も強くなるという相対性の罠が…)。

ところが実際にはそれは行われない。それどころか、何故か全く逆のことが推奨されている。つまりそれは、傷ついたからこそ強くなった、という表向きの主張を自ら暗に否定していることになる。自らの主張するそれが事実だと信じるなら、自分自身をもっと沢山傷つけてやればよいわけだから。つまりそこで主張されていたことは、偽の論理による偽の主張であったということだ。

ではこの番組が本当に言いたいことは何なのか。それは、自分達はもう沢山傷ついたのだからこれ以上傷つきたくない、ということなのではないか。そしてその正しさを担保するために、まだ傷つき方が足りない者達こそもっと傷つくべきだ、というような苦痛の平等主義が生まれる。

要するに、傷つくことを避けることが問題であるかのように言っている人間も結局傷つきたくはないのだ。そして「成熟した大人」を自認する者達、或いは「成熟見習い」に、「あなたはもう十分傷ついたはず。だからもう今以上に傷つかなくてもいいのよ」というメッセージを送るのがこの手の番組に託された本当の役割なのではないか。

つまり、スタジオの医者は「心の弱い者達」は優しい母親に過保護に育てられたことと社会の厳しさとのギャップに苦しんでいる、などと言っていたが、実はこの番組自体が、優しい母親代わりとなって「成熟した大人達」を慰めてくれる癒し系番組としての性質を持っている。

強い心を持つと自認する者達は、「僕だって傷ついているんだ。もうこれ以上傷つきたくない」ということを口にすることが出来ない。だからこそ、このような優しい母親代わりとなる癒し系番組が必要になる。そしてその母親の「あなたはもうこれ以上傷つかなくてもいいのよ」から「奴らこそ傷つくべき」という他罰性が生まれ、それが二分間憎悪の体を為すというわけだ。

▼(5)幻想でしかなかった成長物語

それはともかく、「成熟した大人」を称する者が他者を批判する時に、「他人のせいにするな」「甘えるな」という自己言及まるだしの出来損ないテンプレに頼らざるを得ないというのは、幾らなんでもふがいなさ過ぎるのではないか。他罰的であることを克服することが復職への第一歩、もそう。処世術上の振る舞いではなく、本当に自罰的になってしまえば直ぐにダウンしてしまうだけだろう。確かにそれだと相手を傷つけることはできるかもしれないが、益々「企業では休職者が増え、経営を圧迫」するだけだろう。

要するに、「成熟した大人」を自称する者達が繰り広げる主張がいちいち稚拙なのだ。それが何を示すかと言えば、結局人々が頭に思い描く「成熟した大人」やそれに至る成長物語というのは幻想でしかなかったということだろう。

そのことは、「他人のせいにするな」「甘えるな」という自己言及型テンプレがいつまでもいっぱしの批判の論拠として一般で通用し続けていることでも証明されている。何故なら、子供がやがて「思慮深い大人」になるのが普通で、そうならないのは少数派だとしたら、このような出来損ないのテンプレはとうの昔に淘汰されているはずだからだ。そうならないのは、年齢的な大人に含まれる「思慮深い大人」の割合が少数派であることを意味する。

以前、労働はマクガフィンであると言ったことがあったが、「成熟した大人」もまたマクガフィンの一つなのではないか。重要なのはあくまで成長物語とそれを牽引する「成熟した大人」という入れ物であり、その中身(内容)はどうでもよいという。むしろその中身が判明してしまうと、その魔法は失われてしまう。そしてその箱の中に入っていたものの一つがこの番組だったのだろう。

REAPER上において、一トラックだけでM/S処理を行う方法

従来からある一般的な方法でM/S処理を行おうとすれば、最低でも二つのトラックが必要だった。しかしこのビデオの投稿者であるReno.thestraws氏が編み出した方法を用いれば、それがたった一つのトラックで出来てしまう。



ただし、この方法を利用するためには彼が作った自作のJSプラグイン・コードが必要になる。以下、そのことも含め、この動画で紹介されている方法を文章にしてまとめてみる。

尚、この自作プラグインのコードを利用するためにはReaScriptが必要になるのだが、自分の環境の場合、何故かv0.999を使っていた時にはあったはずのそれが見つからないので、ここではそれがない場合を想定して話を進める。
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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。
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