ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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自己愛とナルシズムに支えられる人間の存在価値×状況分断による不可視性

未来に行われる行為の是非を価値の測りに掛け始めると何も言えなくなるし、何もできなくなる。予め何らかの価値が担保されている発言や行為などというのは、ごく一部に限られているからだ。つまりそこではそれが、予め価値が担保されたものだけの特権になる。そして無価値なものは必要ない、そんなものは他人に迷惑が掛かるだけだ、という一般道徳に従って何もしないでいれば、その人間の価値は無価値のまま固定されることになり、その存在意義自体もまた社会的に否定されることになる。
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そもそも、「人間」を商品として“人間の外から”それを見た場合、「人間」の価値を担保するものは何も無い。よって価値を主軸とする一般道徳からすると、やはり価値を持たない「人間」はさっさと滅んだ方が良いということになる。もちろん「人間としての私」にとっては「人間(自己)」の価値はあるかもしれない。しかしそれは正に人間社会一般において忌み嫌われている自己愛そのものであり、世間の常識に従ってその自己愛を否定するならば、結局「人間」は存在すべきではないということになる。つまり、「人間」の存在意義を無条件に肯定する「神」を持たずに「人間」の存在を肯定する者は、それだけ強い自己愛を保有しているということになる。

 ▼(1)社会という名の鏡~自己の社会的評価確認というナルシズム

だがこの「自己愛」を、一般的にはそれと同等のものとして用いられている「ナルシズム」に置き換えてみると、また別の見方が出てくる。

ナルシズムというのは単なる自己愛とは違う。それはむしろ、何らかの限定的な条件の元でしか己を肯定することが出来ない状態と言った方が適切だろう。例えば髪型を気にしてしょっちゅう鏡を覗き込んでいる人がいたりするが、あれは自分の髪型が少しでも乱れればそれによって自身の価値もまた低下するのではないか、という不安に駆られ、何度も髪型を確認しているわけだ。もっと極端な、鏡に映った自分の姿に見とれるようなタイプにしてもその根本は同じこと。それは、その者の存在意義を支えている容姿を度々確認し、それによって己の存在意義を確認せねばならないような切迫した不安感を持っているが故のものだろう。だが自身の存在意義を容姿になど依存していなければ、そもそもそんなことをする必要はなくなる。

実際、己の存在意義について容姿に最も大きな比重を置いているタイプの人間は余りいないだろう。大抵の人間は、社会/世間という鏡に映った己の姿、即ち社会的評価に存在意義の大部分を依存している(髪型を気にするのも、本来はこちらの理由からだろう)。私は社会の役に立っている、私は社会に認められている、私は皆から好かれている、だから私は存在してよい、というように。だからこそ、多くの人間は世間の評価を気にせずにはいられない。つまり、社会的評価を気にせずにはいられなくなり、不安になってそれを確認するその行為こそが、鏡を覗き込む行為そのものなわけだ。そして社会的評価を得ることを目的とした動きは、ナルシズムに端を発する動きだと言ってよいだろう。そう考えた時、現代日本人の殆どは四六時中鏡を覗き込み、その鏡に映った己の姿に左右されていると言っても過言ではない。

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社会から否定されてなお、己の存在を誇り続けることができる人間はそう滅多にはいまい。また日本において、「人間」の存在意義を無条件に肯定する「神」を信仰している者もそう多くはないだろう。そうである以上、必然的に存在意義が持つナルシズムへの依存度はそれだけ大きくなる。よって自己を肯定するにせよ否定するにせよ、大抵はナルシズム・モデルによってそれがなされている。

とはいえ、「行為の是非を価値の測りに掛けると何も言えなくなるし、何もできなくなる」わけで、なんにせよ、まずは火種となる無価値な動きが必要だ。無価値なものは存在すべきではない、それは他人に迷惑になるだけだ、という一般道徳を打ち崩すことができる程度の、無条件の自己愛が。その自己愛が無ければ、価値は、存在意義は生まれ得ない。

 ▼(2)自己愛とナルシズムの躍動としての就活

つまるところ、多くの日本人の存在意義は、無価値な自己を肯定することで価値の火種を作る自己愛と、その動きに対する社会的評価の確認とそれへの依存であるところのナルシズムによって支えられている。そうである以上、それらに端を発する動きというのは珍しいどころか、むしろ非常に一般的なものであると言える。この社会は自己愛とナルシズムで溢れている。

とりわけ就職活動などは正に自己愛とナルシズムの試練と言ってよいだろう。その時点では無価値なはずの自身の動きがいずれ価値に転化されると無根拠に信じ込むと同時に、鏡(社会)に映し出された自己と他者との比較に打ち勝って己を肯定し続ける。そしてその自己肯定が尽きるまでに何とかして新たなる依存先である何かしらの組織/集団に自身の価値を認めさせる。それが就職活動だ。つまり、世間一般で称揚されている就活とは、自己愛とナルシズムの躍動に他ならない。

 ▼(3)「異常/正常」による状況分断の不可視性

ところが、自己愛とナルシズムの躍動という内容を持つ就活がそうやって称揚される一方、「ナルシズム」や「自己愛」という表現の方はすこぶる評判が悪い。それどころか、大抵は悪しきものの代名詞(レッテル)として用いられる。尚且つそれは、恰も一部のおかしな人間のみが保有している特殊なものであるかのようにして取り扱われる。そして自己愛/ナルシズム批判は、それそのものが対象より優である自己を確認するためのナルシズムに利用される。

しかしながら前述したように、自己愛やナルシズムは誰も保有しているものだ。よってそれを問題化するなら、其々がどのような自己愛やナルシズムによって支えられ、生活を送っているか、ということが問われなければならない。またナルシズムというのは、外部に鏡となるものがなければ成立せず、一個人の内部だけでは生まれ得ない。つまり、「ナルシズムという状況」は個人と社会的環境(それを取り囲む不特定多数の個々人)とのコラボレーションによって形成されている以上、その「状況」からある特定個人や特定行為という一部分だけを切り取ってそこだけを調べてみても、確かなことは分からない。もし本当にそれを調べようとするのなら、それらがお互いにどのように繋がり合ってそのような状況を作り出しているか、ということを見なければならない。つまりそれを調べるためには、一方の側を見るだけでは駄目で、双方の側が観察されねばならない。そしてこれは別に自己愛やナルシズムだけに限ったことではなく、他の様々な事柄にも言えることだろう。

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だが実際にはそれがなされることは滅多に無い。大抵はその状況に、社会的・印象的趨勢が作り出した「異常/正常」という名の線引きがなされ、それによって分断された部分としての「異常者/異常行為」だけが観察され、研究される。例えばDSM分類などは、予めその線引きによって「異常/正常」で分断した上で、その分類が行われている。だが、もし人間を型によって分類するのならば、あらゆる人間の特徴を網羅し、分類しなければならないだろう。そもそも、そこで確認される「異常性という状況」は、「正常者」との繋がりによって初めて形成されているものである可能性だってあるわけだ。つまりそこで分類から漏れた「正常者」は「異常性という状況」の一部である可能性がある。だが、「異常/正常」モデルに頼って観察している限り、その内容は決して観察されることはない。そして結局それは、「自己愛」や「ナルシズム」と同じように、内容ではなく、良し悪しのイメージを伴ったレッテルとしての部分だけが剥ぎ取られ、単なる貶めやナルシズムのための道具として用いられてしまう。そしてそのようなレッテルを貼り付けられた人間が存在意義をナルシズム・モデルに比重を置いた形で獲得していた場合、その者は己の存在を否定しなければならなくなる。

要するに、「異常/正常」の線引きによって分断された「状況」の片鱗であるところの「異常者/異常行為」は、視姦のごとく観察・研究され続けてきた歴史がある一方、その線引きによって分断されたもう一方の側である「正常」が持つ内容は、未だに詳しく観察されたことも研究されたこともないという現状がある。そしてそうであるが故に、人々はそのような観察対象となることを恐れ、「普通」という名の聖域に逃げ込もうとする。そして上手くそこに逃げ込むことができた人間の多くは、一方的観察者として振舞う。そういった「異常/正常」による状況分断の不可視性という問題がある。所々でその都度形成される、そういった「正常(普通)」という名を持つ聖域は、この世界に残された最後のフロンティアなのかもしれない。
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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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