ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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資本主義リアリズムとしてのCM

ファミコン世代が日本の大衆文化をダメにしている - ボンタイ - はてなブログ

トヨタのあのCMに関してその原因をファミコン世代に求めるのは無理があるのではないか。というのも、アクアのCM曲は最初ニコ動の初音ミク楽曲『千本桜』のピアノ・バージョンだったわけだから(それが何パターンか放映された)。



その後FF、モンハン、ドラクエと付け足されていったが、FFはやはり『千本桜』と同じようにニコ動ピアニストまらしぃ氏の演奏であり、モンハンとドラクエは1982年生まれの柿本賢作氏の作品である。

西沢学園のアダマウロCMが良い例だが、社会的地位を獲得し決定権を握った者が自身の趣向をCMに反映させるのは昔からよくあることだ。だからあのCMを見た時は、いよいよニコ動画世代がそういう決定権を持つ時代になったのか、と思ったものだ。
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しかしこの記事が興味深いのはむしろその思想部分である。

 バブル世代やシラケ世代はゲームで遊ぶこと以上に、アウトドアを楽しんだ。合コンのハイキング・バージョンの「合ハイ」やポパイなどの雑誌に煽られてサーフィンをするためにはるばる鎌倉に行ったり、「私をスキーに連れてって」や「ロマンスの神様」に流されてスキー場で遊んだり、子育てをするようになったら今度は家族をキャンプ場に連れて行くオートキャンプブームに没頭した。(中略)

 いずれにせよ、グローバルスタンダードの文化だった。アウトドアブランドの大半は海外のものだし、遊び方もハリウッド映画や外タレの広告モデルが手本になった。日本でカッコいいと評価された車は世界で売れた。お金持ちなら外車を買ってアウトドアに繰り出した。



 そのくせファミコン世代はというと、正直言ってヤンキー系じゃないとアウトドアをそもそもしていないし、ヤンキー文化にグローバルスタンダードも合ったものではないことは言わずもがなだ。引きこもってファミコンをやってばかりのダメ人間でも時が経てば中年になり、文化的程度を伴わないままに車を買う側になれば、ああいう表現のCMが横行するのだ。(中略)

アメリカも、ヨーロッパも、韓国すらも、このように車をいかに素晴らしい映像表現で映すか、と言う点では同じ映像の水準がある。カメラワークとか、ストーリーとか、自動車の描写とか、BGMやナレーションや字幕の入れ方とか、そういうものに共通する質がある。それから「映画風の画質」も欠かせない。

 良い車のCMには、カッコ良く走っている様子だけでなく、これを買えばこんなに素敵な暮らしができますよ、というふうな良いライフスタイルの提示が備わっている。モデルの格好とか、風景とか、子芝居とかをみればわかるように、文化的程度の底上げを喚起するような演出が行われている。



 日本の車CMだけが、2000年代半ば以降こうした表現をかなぐり捨てている。つまり、北朝鮮以外のマトモな国では当たり前な文化的程度の維持や成長のための機能を放棄してしまっているのだ。ファイナルファンタジー、マリオ、低燃費少女ハイジ、ドラえもんなどと、幼児性を抱えたまま中年になった人間にウケそうなサブカルのひねり出したような低俗表現が横行している。こんなことをやっている国は日本しかないのだ。



 ファミコン世代は日本をガラパゴス化し、落ちぶれさせている諸悪の根源である。



 ▼資本主義社会におけるファンタジー・チェンジ

バブル期が一番貧乏だった自分からするとそれらは全く異世界のファンタジーのお話でしかなかったが、筆者が例にあげるような「これを買えばこんなに素敵な暮らしができますよ、というふうな良いライフスタイルの提示が備わっている」CMで溢れている時代は確かにあった。

もちろん、それもまた幻想である。商品を買ったところで幸せで無い者が幸せになったり社会的地位の低い者が地位を得たりモテない者がモテモテになったりアクティブでない者がアクティブになったりするわけではないからだ。

しかし機能や事実を売っているだけだと経済は回らない。

ポジティブ・アレルギー 嘘が経済を回し、自己責任がそれを止める

効果の無い健康食品が結構なお金を動かしていたりするように、資本主義には常にそのような錯覚をさせるファンタジーが必要なのだ(DTMerが使いもしない、即ち実用性のないプラグインを沢山買ってしまうのも、これを買えば何か良い曲が作れるんじゃないか、よいミックスができるようになるんじゃないか、というような幻想に突き動かされているからだろう。もちろん中には単なるコレクターもいるだろうが)。

だがバブル崩壊後、筆者が提示したようなライフスタイルは多くの人々にとってもはや受け入れがたい悪い意味でのファンタジーでしかなくなってしまった(ヤンキースタイルにDQNという別称が付けられたように、多くの人々からキモいと思われるようになった)。その結果、例えば人々は自動車の購入を費用対効果でしか見れなくなってしまった。そうしてみると、自動車の購入は商売で必要だったり田舎や郊外に住んでいたりしない限り決して良い選択とは言えない。

そこに自己責任理論の定着が追い討ちを掛けた。自己責任の洗礼を受けた者達からすると、自動車の購入で得られるステータスは費用対効果の計算ができない馬鹿のすること、というネガティブなものでしかなくなってしまったのだ。

とにかく社会情勢が変化した――成長を期待して様々な場に競争が持ち込まれた一方それはトーナメント化し、一番重要な競争原理が働き難い環境ばかりが形作られた。その結果、貧乏人はどんどん増え、運よく正社員になれても長時間のサービス残業で仕事が終われば帰って寝るだけ。恋愛をしない人や子供を生まない人もどんどん増えていった。もはやバブル世代のように明るい未来なんて信じることはできない。

そのような状況を生きている者達からすれば、何の悩みも無さそうな家族が新車を買ってキャンプに出かけウキャウキャしているCMは目障り以外の何ものでもないだろう。それでは販促として逆効果だ。

しかし企業はそういう人達にも商品を購入してもらわなければならない。その結果、初音ミクやFF、モンハン、ドラクエという、現実的な痛みから逃れるためのファンタジーをモチーフとしたCMが生み出されたと考えれば中々合理的である(ドラえもんはむしろ旧態依然とした成熟路線だから嫌われた)。要するにこれは新規開拓の一手法だったわけだ。実際アクアの売り上げは悪くない。少なくともCMを販促のためのものとして考えるならあれは失敗ではなかったはずだ。

仮にあれらの要素をCMに用いることが「幼稚」だとするなら、成熟より儲けを取ったわけだ。一方で儲けより成熟を取るという選択肢もあっただろう。だがそれは個人的な趣味趣向や思想に固執する余りに身動きが取れなくなり儲けの機会を逃すことでもあり、少なくとも資本主義社会の経済人としては未熟ということになるだろう。

また、氏はあれらをファミコン世代のためのものと言うが、宮崎勉事件の時代を経験したその世代だけではまずああいうCMは作れなかったはずだ。そういう意味では、あのトヨタのCMは宮崎事件のスティグマから解き放たれたニコ動世代ならではのものだと自分は思っている。

『千本桜』が使われていることを知った時など、自分は「え、それ大丈夫?アンチも多いのに。というかブランドが安っぽくならないか?」と思ったが、よく考えてみると、そもそも殆どの人間はそれを単なるピアノ独奏曲としてしか聞いていないのだ。それに出自を知らない者がそれを知ったとして、大抵は「ほう、そういうものもあるのか」としか思わないだろう。要するにそういうことなのだ。

いずれにせよ、このようにCMというのはその時代や人に合わせて売る夢を変えていくものなのだ。


  ▼資本主義リアリズムとしてのCM

しかし氏のCMに対する見方は全く違う。氏にとってCMとは単に企業イメージや知名度を高めるためのものではない。販促のためのものでもない。氏にとってのそれは人々にライフスタイルの改善を促すものである。そして社会をグローバルスタンダード化するためのものである。そこでは資本主義が成功し、更なる成長へと邁進している様、そしてそこで活き活きと生活をしている人々の姿が描かれねばならない。それによって未熟な者達をグローバル社会を力強く生き抜くスタイリッシュな経済人として目覚めさせ、「現実」へと導かねばならない。

CMは時代や人々に合わせて変わっていくものではない。グローバルスタンダードに合わせて人々を指導し、変えていくものである。――そういう強いこだわりがここでは見られる。そしてそれに寄与しないCMや大衆文化、世代は駆逐されねばならないのだ。

こういった先鋭的な考えがエリート層からではなく大衆側から生まれてくるのは何とも資本主義的・民主主義的であると思う。そしてやはりその先にもまたディストピアが待っていることを予感させるのである。

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まあ実際は単に嫌いなものを攻撃するための口実を無理矢理作ったら結果としてそういう思想が出来上がっていたというだけの話かもしれないが。とはいえそういう咄嗟の嘘がいつの間にか真になってしまったりするのもまた現実なわけで。
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ありがたいモノから忌まわしいモノへ

トヨタのドラえもんのCM※1を見た。CMとしての一般人気は高いようだが、しかしアレを見て車に良いイメージを抱くことが出来る人間は一体どれほどいるのだろうか。というのも、あそこで一貫して描かれているのは、車を持ってないとこんな惨めな思いをするよ、ということだ。
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しかし、免許取るにしてもそこそこの金と時間が必要になるし(教習所の教官は何故あんなに性質が悪いのか)、車を買ったら買ったでまた、駐車場費やら車検やら保険やら燃料費やらその他もろもろの維持費が必要になってくる。昔なら年齢と共に給料も上がったかもしれないが、今はむしろ下がることを覚悟しなければならない時代。クビだっていつ切られてもおかしくない。どうしてもそれが必要な何らかの理由があるならともかく、そういう状況にある人間がローンを組んで新車を買うなんてのは、余り賢い選択とは言えない。そんなことをしてしまったら、それこそそのせいで本当に惨めな思いをしなければならない可能性が増すだけだろう。そしてあのCMが将来安泰な富裕層に向けて作られているとも思えない。

これはつまり、車は欲しがるモノから脅されて買わされるモノになった、ということを意味している。もちろん今でも車を好きな人はいるだろう。だが、誰もが憧れるありがたいモノの象徴であったはずの車が、今では、持っていないとバカにされ、持っていると生活が苦しくなる忌まわしいモノとしての性質を帯び始めてきたのは確かだろう。

そしてこういった、ありがたいモノから忌まわしいモノへ、という流れは、いずれ人間の命そのものにまで波及していくことになるのではないか。

大抵の人間は凡人であり、自分もまたそうであるとするなら、近い将来、「この世に生まれてきた奇跡」が、こんな不運はない、というネガティブな意味として解釈されるのが普通になる時代がやってきてもおかしくはない。



※1 おそらくこの後には、車を買ったら彼女はできるは宝くじは当たるは出世するはでもうウハウハですパートが用意されているのだろう。しかし、のび太が車を買ったら、それをいいことにジャイアンにアッシーとして散々こき使われ(燃料費はお前もちな、心の友よ)、その挙句、ジャイアンがどうしても必要だと言うからしぶしぶ車を貸したら、オシャカになって返って来てドラえもんに泣きつく、というのが『ドラえもん』の王道パターンのはずだ。どうせ『ドラえもん』を使うなら、そこまで忠実に描いて欲しいものだ。

それ、本当に「いいこと」なの?

「やっぱ年賀状大変だなあ」 
「だから貰うと嬉しいんでしょ?」
「いいこと言うね」

――<日本郵政の年賀状CM、「贈る(小栗さん)」篇より>――

他人の苦痛に価値を感じたり、それを有難がったりする文化を持つ国ならではのCMだよなあ、これ。

CMギャラリー|郵便年賀.jp

ウシさん、ニワトリさん、ニンゲンさん

前々から違和感を感じていたんだけど、
アルバイト情報誌なんかのコマーシャルを見ていたら、
その中に登場する、彼ら彼女らは、
やたらと楽しそうに働いていたりするんだよね。
そんで「はたらくを楽しもう」
なんてキャッチフレーズが流されたりする。

そりゃまあ楽しくバイトしている人もいるだろうし、
学生が小遣い稼ぎでやっているのならいいんだけど、
バイト先で虐められたり、
それで生計を立てている人達にとっては、
すごく辛いことの筈なんだよね。

そういう状態から抜け出したくても抜け出せない人。
将来の生活の見通しが立たない人。
いつ奈落の底に落ちてもおかしくない、
体力と精神のチキンレースを続けている人。
実際そういう人達がどんどん増えてきている。

だけど、コマーシャルの中でアルバイトをしている彼らは、
まるで楽園にでもいるかの様に清々しい顔をしている。
この上ない充実感を得ているかの様に見える。

それを見てふと思った。
ああ、彼らは「ウシさん」「ニワトリさん」なんだと。

 ***

「ウシさん」「ニワトリさん」が何を指すかと言えば、よく牛肉や玉子等の商品にキャラクターとして用いられている、自分達が殺害され人間の餌にされているのにも拘らず、何故か微笑んでいたり、舌なめずりして人間に愛想を振りまいているアレです。

例えば、正社員として働いている人は、決して一方的な関係ではなく、お互いが利害を分け合い、持続可能な道筋を探したり、それを維持したり、蓄えたりして、未来の生活に備えている。
しかし、アルバイトの場合、お互いの利害のバランスは偏っていて相互性は乏しく、一方的に資本家から搾取され、使い捨てにされているだけに過ぎない。
お先真っ暗である(ひきこもりよりましだけど…)。

当然、本当なら牛や鶏が自ら望んで人間に殺されている筈がないのと同じで、多くのアルバイト従業員も、本当に望んでそこで働いている訳ではない。
何か特殊な理由がある人意外は、出来ることなら、企業と利害を分け合うような状態を手に入れ、先が見えない現状からオサラバしたいと思っているに違いない。
しかしながら、一旦そこに落ち込むと抜け出すのは容易ではない。
そんな現状を楽しんでいる人間が一体どれ位居るだろう。
あんまり居ないと思う。

ところが、そんな現実に反して、コマーシャルに登場する彼らは、「ニワトリさん」のように微笑み、「ウシさん」の様に舌なめずりする。キャッチフレーズにしてみても、もう少し現実に即したものにしようとすれば、

「搾取されるのを楽しもう」 とか、
「使い捨てにされるのを嫌がってはいけない(by小泉純一郎)」

とかにするべきなんだけど、それがキャッチフレーズであるが故に、そうはならない。

つまり、キャッチフレーズが現実を表すものではないのと同じ様に、「ウシさん」や「ニワトリさん」が牛や鶏ではないのと同じく、あの手のアルバイト情報誌のコマーシャルに出てくる彼らは、人間ではなく、あくまで「ニンゲンさん」なのだ。

なんて、どうでもいいことが思い浮かんだりした。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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