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ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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コンプ余裕でした

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グラミー賞と伊藤政則としがらみと

グラミー賞:日本人同時受賞 松本さん、独特の色気/内田さん、世界的評価(毎日jp)

日本人がグラミー賞を受賞したというニュースを聞いて、ふと伊藤政則氏のことを思い出した。
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彼がDJを務めるとあるラジオ番組での話だが、かつて喜多郎氏がグラミー賞を受賞した時、テレビからグラミー賞についての取材があり、彼はその取材を受けたのだそうだ。彼が言うには、グラミー賞で誰が受賞するのかということは、業界の様々なコネしがらみや思惑によって決まっているようなところがあるので、余りそれを真に受け過ぎるのも考え物だ、というようなことをひとしきり話した後、最後に「まあ世界的に有名な賞だから、日本人がそれを受賞するというのは喜ばしいことなんじゃないでしょうか」と閉めのセリフを吐いたら、そこだけ切り取られて使われた、ということだった。

実際自分もその放送を見た。たしか、安藤優子アナウンサー時代の『ニュースJAPAN』だったと思う。珍しく彼がテレビに出てきたと思ったら直ぐさま引っ込み、なんだか妙に短い中途半端なVTRだったなあ、と思っていたのだが、そういうことがあったのかと。テレビ番組というのはそうやって作られているものなのかと。そんな風に思ったものだ。

 ***

まあテレビ側からすれば、グラミー賞はこんなにも権威ある素晴らしい賞なんですよ、それを日本人が受賞するなんて素晴らしいですね!…というような構図を予め思い描き、それを具体化するためのパーツを得るためにインタビューを取りに行ったのだろうけど、そこで取れたのがあれなわけだから。伊藤氏の空気読めなさっぷりときたら…。考えただけで笑える。おい、これどうすんだよ…、せっかく日本人がグラミー賞を取ったというのに、グラミー賞は業界の様々なしがらみや思惑によって決まっているので余り真に受けない方がよいのだそうです、みたいなことニュースで流せるかよ。かといってもう別の評論家にインタビュー取りに行く時間なんてもうないし、ああ、政則使えねー、マジ使えねー、――みたいな修羅場があったんだろうなあ、と。そしてその状況を打開するための苦肉の策があの編集だったのだろう。

これは逆に言えば、テレビ側が予め思い描いている構図やストーリーを上手く読み取り、それに都合の良いコメントをしてくれる人間が、テレビ御用達の評論家やコメンテーターになっていくということでもあるだろう。評論家にとってテレビから取材が来るというのは、芸能人で言えば『さんま御殿』に出演するようなものだ。そこで使える人間と使えない人間のふるいわけがなされる。だとすれば、テレビに出てくる評論家やコメンテーター達がのきなみ「世間の常識」にシッポを振る幇間芸人ばかりであることにも得心がいく。

 ***

B'z : 伊藤政則×B'z、貴重なFM番組をネットで公開 / BARKS ニュース

とはいえ、もしあの時グラミー賞を受賞していたのが、彼と少なからずつながりのあるB'zだったら、伊藤氏は果たしてあんなことを言えただろうか?答えは恐らくノーだろう。少なくとも、もうすこし慮った発言をしたはずだ。しかし、それはグラミー賞におけるしがらみや思惑と一体何が違うのだろうか?大相撲の八百長のように、実際に携帯で申し合わせたりするのとは全く違う次元のものではあるだろうが、結局のところその両者は同じ性質を基盤として成り立っているものなのではないか。

つまり、人間はコネやしがらみや社会的趨勢との思惑の一致によって、それらに支えられることによって初めて社会的地位を確立することが可能となるのではないか。「本当に公平な人間には友人はいない」とはよく言ったもので、本当にしがらみから逃れようとしたら、恐らく世捨て人にでもなるしかないだろう。しかしそうやって獲得した「本当の公平さ」は、コネやしがらみの無さ、そして世間の思惑との不一致によって、周りからは不公平さとして認識されるだろう。であるならば、そのような公平さというのは一体何の価値があるのだろう?



※1 因みに、今回自分はテレビでグラミー賞のニュースを見ていないので、そこでそれがどのように報じられたのかは分からないが、『ニュースJAPAN』と同じフジサンケイグループの産経ニュースでは、伊藤氏の言うような業界の思惑について言及する記事が掲載されている。

グラミー賞日本人受賞ラッシュの裏に“オトナの事情”(MSN産経ニュース)

織田裕二in世界陸上、他

・織田裕二が初めて世界陸上のキャスターを務めた時は、もの凄い違和感と「何でまた織田裕二?」という強い疑問を感じたものだが、今や完全に世界陸上中継の顔として定着してしまった感がある。慣れって恐ろしいなあ。

・それにしても、この人は何ど後姿を見せれば気が済むんだ。

・多分、自分が「俺は後ろのトラックの方が気になって仕方がないぞ」という姿勢を見せることで見ている者を盛り上げようという、彼独特の演出法の一つなんだろうけど。どうもこの人は、何か普通ではない何かをしなければならないという強迫観念に囚われ過ぎているような気がする。

・それが例の(前回大会までの)異様なハイテンションだったり、「地球に生まれて良かった~」という名言を生み出したわけだが。

・全然知らなかったけど、織田裕二が後姿を見せまくり、ボルトが驚異的な記録を出して盛り上がっている裏で、山本高広がひっそりと『TBS「壁を壊そう!炎の240時間マラソン」』に挑戦していたらしい。

・そういや世界陸上が始まる前になんか彼が走っているシーンをチラッと見たような気がするが、まさかこんな壮絶な企画が行われていたとは。

・しかしこれは余りに露骨過ぎるだろう。だって、これって要するに(当人が快く思っていなかったらしい)織田裕二のモノマネに対する贖罪と禊みたいなもんでしょ。これをやり遂げたなら許してやる、みたいな。

・いや、実際織田裕二当人がどう思っているかは分からないが、山本高広の立場上、嫌でもそういう意味として捉えざるをえないだろう。当然TBSだってそういうことを分かっていてこの企画を組んだはずだ。

・しかも二人で600キロを走るって。幾らなんでも走らせすぎなんじゃないか。もはやスポーツというよりは苦行の域だ。間寛平みたいにマラソンをライフワークとしている人ならともかく。

・まあ芸能人としては仕事が貰えるのはいいことだし、これで思う存分織田裕二のモノマネが出来ると考えれば安いものなのかもしれないが、ちょっと薄気味悪さを感じるさせるよ、この企画は。

・後にこの企画に関するドキュメントが放送されるらしい。勿論見ないけど。

・そもそも、誰かにマラソンのような試練を与え、それに一生懸命取り組んでいる姿を見せて感動させようとするようなもの自体に自分は余りいい印象を抱かない。要するにそれは自己(実は他者)啓発なわけで。地獄の研修とか、オウムの修行とかと用いている手法は同じ。

・そしてそこで生み出された「一生懸命さ」は、何らかの主張の根拠とされたり、「あんなに頑張っている者が居るのにお前はなんだ!」という暴力の正当性を担保するものとして利用される。

・そうなったらそこでセットにして用いられていた思想や目的、摂理性に対する批判は中々難しいものになる。何故かって、それを批判すれば、それとセットとして提供された「頑張りによる成長物語」や「感動体験(希望)」を獲得した者は、自分が獲得したその感覚までもが否定されたように感じるだろうから。

・自分の感覚や、自分が信じている「(成長)物語」や「希望」を否定されば、そりゃ怒るわな。だからそれを信じている人はそれを肯定しようとして必死になるわけだが、それを肯定するには、それの前提となっている思想や目的、摂理性自体もまた同時に肯定しなければならない。逆に言えば、その思想や目的、摂理性を否定すれば、「物語」や「希望」をも否定してしまうことになる。つまりその者の逆鱗に触れずにその主張を批判するのは難しい。

・そうやって一度個人の感覚や経験という裏づけによって固定化されてしまった思想や目的、摂理性は、自分自身でも簡単には覆すことは出来ないだろう。

・まあそういった「物語」や「希望」を自分だけのものとして留めておいてくれれば別にかまわないのだが、人間のサガとして、どうしてもそれが同じ社会に住む他の者全てに共通するものであるかのように思いたくなり(というかそういう前提がないと自分のそれを中々信じきれない)、外部へと拡張しようとし始める。要するに布教だ。

・で、こういった自己啓発的精神論を布教しようとすれば、必然的にジコセキニン論みたいなものを生み出さずにはいられなくなるという。それがどのような暴力性を持っているかはもはや言うまでも無いだろう。

・まあその内容がなんであれ、この手の手法は視点が『ポピュラス』なんだよな。誰かに試練を与え、それを乗り越えて達成すべき真の目的や進むべき真の道筋、そしてその前提となる摂理性を示しているお前は神にでもなったつもりか、という。

「マスゴミ」VS「ネトゴミ」は不毛

マスコミを一括りにしてマスゴミと言うのなら、ネットを一括りにしてネトゴミと言われても仕方がない。しかも、大手・古参メディアの駄目なところばかりをかき集めたものとネットの駄目なところばかりをかき集めたものを比べてみた時、どう考えてもネトゴミの方がマスゴミよりも分が悪い。

サァ~ムラァイ・ジャパン

WBC優勝「多くの国民に大きな勇気と感動」 首相(日経ネット)

 麻生太郎首相は24日午後、野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での日本の連覇について「世界最強豪チームを次々に破っての堂々たる優勝は多くの国民に大きな勇気と感動を与えてくれた。今回の戦いを通して我が国の底力を再確認した。お疲れさま、そして、本当にありがとう」とのコメントを発表した。

「ワールド」と銘打っている割には参加チームはたったの16チームだけで、競技発祥の地であり開催国でもあるアメリカですら余り注目もされていないローカル・スポーツの祭典とはいえ、最後まで勝ち残っても結局4チームとしか対戦することがなく、同じチームと5回も戦うことになるという非常に不可解な方式が採用されているとはいえ、或いは公務員バッシングが大好きな国民の期待を背負って戦うチームの愛称が何故か「サムライ・ジャパン」であるという面妖さがあるとはいえ、やっぱり元野球ファンとしては気になってしまうわけで。でまあ、金も職も友人も気力も希望も「生まれてきて良かった」という思いも無いものの、時間だけは余っている自分は結局殆どの試合を見てしまった。馬鹿馬鹿しいと思いながらも。
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それにしても決勝戦は非常にストレスの溜まる展開だった。しかし普通なら優勝が決定すると同時にそのストレスは喜びや爽快感へと変換されるものなのだろうが、何故か今回は優勝しても全くカタルシスが得られず、それどころか試合中に発生した不安感と疲労感だけが図々しく居残り続け、本当に嫌な気分だ。これは一体なんなんだ。その上優勝した選手やそれを実況している解説者やアナウンサー、或いはその結果を受けて喜びを表す人々のはしゃぎっぷりを見れば見るほど、自分は彼らとは違う世界の人間なんだという疎外感をひしひしと感じ、益々鬱になる。挙句の果てに、吐息を聞くだけでも虫唾がはしるダディまでもが「良かったな」などと馴れ馴れしく話しかけて来て余計に不快感が増す。なんだか日本が勝っても負けても非常に気分が悪い。少なくともこの優勝で「大きな勇気と感動を」受け取ることが出来なかった自分は、首相が認識するところの「国民」の内の一人には含まれていないんだろうな、と思った。

因みに今大会で一番印象に残ったのは、岩隈選手のオフィシャルサイトにある日記が余りに乙女っぽくて驚いたこと。ピッチングで炎上させることはなかったが、なんとなく「くまひぃさ」と呼びたくなる。

ジャックが来たりて「これしか方法がないんだ」と宣告す

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テレビで『24』のシーズンVIが放映され始めた。しかし何故このタイミングなんだろう。まだシーズンVIIは公開されていないはずなのに。大抵、新しいシリーズのDVDレンタル開始に併せて前のシーズンが放映され始めるんだけど。
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それはともかく、『24』程刺激的で、見終わった後に何も残らない物語も中々無いだろう。シリーズの内の幾つかを見たけど、結局覚えているのは、基本的にどんでん返し的な落ち着きの無い展開が状態化していたということと、とにかくジャック・バウアーが凶悪極まりなかったということだけ。それがひたすら繰り返され続けた結果、段々とジャック・バウアーが暴走すること自体が主目的であるかの様になってゆき、もはや彼は大儀を口にして暴れ回る(13日の金曜日の)ジェイソンのような存在になってしまっている。核爆弾も化学兵器もそれを使おうとするテロリスト達も、すべては彼の暴走をアシストするための役割を果たしているだけに過ぎないだろう。

しかしあの物語のでは、そんな彼の一切の原則を無視した無茶苦茶な行動や選択が全て「仕方がなかったこと」、つまりある程度正解であったことになってしまう。ちょうど『Xファイル』に於けるモルダー捜査官の奇天烈な推理が、その物語の中では大抵的中しているのと同じように。もしかしたらこの物語は、国家の安全を大儀として為される行為であれば、どんな原則も覆して構わないのだという、アメリカ流の文化的「教育」の一環であり、それを大儀として行われる暴力の(「それが仕方が無いこと」であるという)言い訳を、予め人々の脳裏に植え付けて馴染ませておくという役割を担っているのではないのか、とさえ思えてくる。

とはいえ、自身の望む秩序の形を整えるために、その個人的欲望を「公の利益」と言い換え、人工的に形成された暴力環境をまるで自然環境であるかのように摩り替えてそれを「仕方が無いこと」とした上で、「これしか方法がない」と言ってその暴力を肯定したり、何らかの原則を覆してしまおうとするようなことは、現実に於いて誰もが常にやっていることだろう。そういう意味では、誰の中にもジャックは存在していると言える。

ただし、個々人の持つジャックは『24』の劇中で登場するジャックほどの実行力は持っていない。現実に於いて、孤立した個人は常に弱者。だから、個人の内側に潜むジャックが幾らその個人を突き動かし、その者の持つ能力を最大限に引き出したところで、劇中に於けるジャックのような活躍は望めない。だがジャックはやはりジャック。その本質からして、何が何でもその本懐を遂げようとする。そのため其々の個人に潜むジャックはお互いに共鳴し合い、それによって其々の個人が持つ力を集約させ、己の欲求を遂行するために必要な実行力を作り出そうとする。その結果、其々はその内に秘められたジャックの引力に突き動かされ、まとまりを作り、実行力を兼ね備えた人工的環境としてのジャックが作り出される。

そうやって作り出された「リアル・ジャック」は、その出自こそ個人ではあるが、それはもはや個人ではなく、統一された一つのアイデンティティを持っているわけでもない。だから、「リアル・ジャック」と一貫性のある対話をしようとしても無駄だ。そしてまた、「リアル・ジャック」は実態を持たないが故に無敵である。幾ら「リアル・ジャック」の強固な装甲に傷をつけたとしても、その装甲は個人の集合体で出来ているため、その傷は直ぐに代わりの個人によって修復されるし、そもそもその装甲の内側にあるのは空洞でしかない。どのような攻撃も、彼には決して届かないのだ。それ故、稀に自暴自棄になって彼に特攻を仕掛ける人間もいなくはないが、殆どの人間は、如何にしてその「リアル・ジャック」の持つ力を自身にとって上手く利用するか、ということに心血を注ぐことになる。そのために己の持つジャックを通して「リアル・ジャック」をコントロールしようとする。或いはその動きを読んで、先回りして有利な方へと移動しようとする。また逆に、其々は「リアル・ジャック」の脅威から逃れようとすることで、彼にコントロールされる。そういった彼との関わり方によって、『現実』という劇中に於ける其々の個人の人生が決定されていく。

いづれにせよ、彼自身は個人でなくとも、その出自は不特定多数の個人であるため、彼が生み出す結果としての責任は、全て其々無作為の個人が担わなければならない。彼による暴力も、彼に対する暴力も。そして、幾ら彼と親友や恋人としての関係を結んでいても、彼は「個人」にとって他者でしかないため、彼の気まぐれによっては、一気に奈落の底へと突き落とされかねない。何故なら彼はジャックなのだから。

だが『24』に於ける物語と同じく、『現実』の社会に於いても、その秩序はそんな彼の力によって守られていることは確かだ。そしてそうであるが故に、其々の個人は常に「リアル・ジャック」によって蹂躙される可能性もまた引き受けなければならない。彼の望む秩序のために、誰かが犠牲にならなければならない。

そして今日もまた、個人を超越し、状況として形成された「リアル・ジャック」が誰かの下へと訪れ、「これしか方法が無いんだ!」と言って「公の利益」のために犠牲になることを宣告する。その宣告を受けた者は、もはや何もなす術は無い。

 ***

そういや以前、カロリーメイトのテレビCMで、任務をこなすためにジャック・バウアーが日本にやってくるというシチュエーションのものが放映されていたことがあった。アレを見て、「そんな危険な奴を日本に上陸させるなよ!」と思ったのは自分だけではないだろう。まあ、奴が一度上陸することを決意すれば、他の誰が幾らそれを阻止しようとしたところで、何が何でも上陸してくるんだけどね。

ちょっと素敵

理不尽な要求・逆恨みの暴力…「キレる市民」が自治体職員へ(読売新聞)

 各地の自治体で近年、一部住民からの理不尽な要求や逆恨みによる暴力行為が相次いでいることが、読売新聞の調査で分かった。

この前「みのもんたの朝ズバッ!」でこの記事が取り上げられていたのだが、例によってみのもんた氏が「どうですか!コレ」と、いつもの様に怒り屋担当のコメンテーター達に怒りだしの合図を送ったら、その時のコメンテーターだった池上彰氏が、「読売新聞は今こういったモラルに関するキャンペーンを張っているんですよ」と言ってそれをサラリと受け流していたのがちょっと素敵だった。
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そういや同じ日に違う話題で、また同じ様にみの氏が「どうですか、こんな大事な時期にこんな下らない話題ばかり!」と話を振ると、それを受けた池上氏が、「まあそんな話題ばかりを選んで紹介しているってのもありますけどね…」と言ってサラッと突っ込み返しをしていたのも見事だった。

NHKから独立してメディアで活躍している人にはロクなのがいないという印象があるけど、この人はもしかしたらその常識を覆す存在になるかも。前にも違う番組で、「治安がどんどん悪くなってきているかのように思うのはメディアによって作り出された印象によるものであり、実際はそうでもない」といった類のことを話し、不安を煽り過ぎることに対する警鐘を鳴らすようなこともしていたし、やたらと感情を煽り立てるような方向へ話を持って行ったりもしない様な感じだし。

とはいえ、メディアで活躍しそこで生活の糧を得続けるためには、やはりそれなりの処世術※1が必要になってくるわけで、その処世術を上手く身につけすぎて、結局は先人達が築いた道の後追いをするだけの結果に終わってしまうという可能性もあるけど。



※1 例えば、メディアでの活躍を生活の糧としている人達の多くは、多数派となるであろう潜在的期待に沿った形での情報の送り出し方をしたり、都合の悪い現実をモラルや精神の問題に収斂することで、情報の受け手に有りもしない希望(処方箋)や勧善懲悪的カタルシスを齎し、それによって人々に支持されることで仕事を獲得するといった流れが一般的になっている。個人がメディアを利用して生活の糧を得ようとすれば、単に知識の質や量、人当たりの良さという条件を持っているだけでは難しく、こういった技術を駆使しなければそれを持続するのは中々難しい。そしてメディアでの成功者は、大抵その技術を自然に身につけ、無意識に行っている。しかしそれ故、世間の趨勢と自身の感覚に大きなズレが生じるようになると、それに従ってその者のメディアでの活躍の場もまた狭まっていくことになる。

なんか怖い

テレビのチャンネルを回していると、
二択のクイズの様なものをやっていた。
ちょっと気になったので、
消していた音量をあげてみた。

問題は、出演している三遊亭楽太郎氏が持っている
意外な肩書きは何かというもの。

Aがアメリカ海軍後援会の会員で、
Bが中国雑技団の名誉会員、だったと思う。
(はっきり覚えてないので少し誤りがあるかも)

そして、答えはAの海軍後援会の会員。
なんでも、会員になると軍の関連施設に入ることが許されたり、
そこで安くでお酒を飲むことが出来る(税金がかからない為)
など色々な特権があるのだそうな。

その話を聞いて、横にいた同じ笑点のメンバー?が
「大したことありませんよ」と笑いながら茶化したり、
進行役の人が「(安くでお酒を飲めるという説明に対して)
全然後援してないじゃないですか」とコメントして、
笑いを取る方向に持っていこうとしていた。

ところが、落語家である筈の楽太郎氏は、
その反応に対して笑いを取りに行こうとするどころか、
むしろムッとした様子で、愛想笑い一つないマジ顔で
「世界の平和はアメリカが守っているということを
(みんな)もっと知らなければならない」
という様なコメントを返していた。

なんかちょっと怖くなった。
そんな人だっけ?この人。

いや、自分は笑点でたまに見かけたことがある程度で、
余りこの人のことは知らないけど、
もっとおどけた感じの柔らかい人かと思っていたので。

それが急にキレそうになって、
アメリカ軍の偉大さを啓蒙する様な発言を
しだしたのでちょっとびっくりした。

この人のパーソナリティを勘違いしていた自分としては、
よくB級ホラーで、誰かがある場所に行って帰ってくると、
まるで別人の様になっていた、なんて話があるが、
それを彷彿とさせるものを感じた。

軍の関連施設でなにか洗脳でもされたんじゃないかって。
まあ、元々そういう人だっただけなんだろうけど。

しかも、横にいる人が如何にも愛想が良さそうな笑顔で
茶化し続けるのに対し、それを受けて
今から何か真剣勝負にでも挑みそうな態度と表情を
みせる楽太郎氏との対比がなんともスリリング
(こういうのをバロックというんじゃないだろうか)。

お互い同意の上でじゃれ合っていた筈なのに、
突然、片方が本気のパンチを返そうとしたというか。


それにしても、予定調和から外れることが
殆ど無いテレビに於いて、
突然現れる筈の無い本気の人が現れると
異様な雰囲気になるなあ。

まあ、そんな予定調和が無い方が現実なんだけども。
 

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プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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