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ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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貧困や所得格差問題の矮小化に定評のある世代間格差という対立軸

シルバーデモクラシーに敗れた大阪都構想に、それでも私は希望の灯を見たい

70代以上が「宣戦布告」・・大阪都構想投票結果で感じたこと | 水野文也

大阪の老人強すぎ、大阪都構想は高齢者の反対票で否決へ : 市況かぶ全力2階建

「大阪都構想」で反対多数だったのは70代だけ!?人口が多い一部世代の意見が優先される選挙制度の欠陥が明らかに!

大阪都構想、20代、30代、40代、50代、60代が賛成多数
70歳以上が反対多数 → 結果「反対」


大阪都構想の是非を問う住民投票ではこの手の、既得権益を持つ老人のせいで改革が阻止された、みたいな言説が数多見られた。しかしこの説はどうもおかしい。
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大阪市市政 年齢別推計人口

この資料によると大阪市の有権者数は以下の通り。

20代 166,003
30代 191,840
40代 204,443
50代 151,183
60代 174,474
70代 165,746
80代~ 117,549

確かに日本全体でみると老人の方が多いわけで、それによって下の世代が損をするシステムが構築されることはあるだろう。しかしながら大阪市の有権者数に限っては20代~40代は562,286人、50代以上は608,952人と、若年と中年~老年の有権者数は拮抗している。さらに都構想に賛成が多かったとされる20代~60代と反対が多かったとされる70代以降の有権者数を比較すると、887943 vs 283295で比べると前者の方が断然人数が多くなる。にもかかわらずこういう結果が出たわけで、それを老人のせいというのは余りにも無理がある。

そもそも都構想は世代間で特別有利・不利が出るような内容を持ったものでもなければ世代間格差を是正するか否かを争ったものでもない。つまり少なくともこの住民投票は仮に老人の有権者数が圧倒的に多かったとしても元々若者VS老人などという対立軸が生まれるようなものではない。

若年層の投票率が低いのはいつも通りだったが、もし都構想が明らかに「特別若者が不利になるような内容を持ったもの」であれば流石に普段投票に行かない若者達も投票に行ったはずだ。要するに、シルバーデモクラシーなどと言っている者達は一見若者の味方をしているようでいて、実は都構想に反対の意思を投じた若者や投票に行かなかった若者達をバカにしているわけだ。

賛成派の人の中には、今都構想が実施されなければ若者はその分のツケを未来に払わなければならない、一方老人はそれをする必要がないから反対した、都構想に反対した若者達はそれに気付くことができなかっただけだ、みたいなことを言う人もいるだろう。だがそれを言うなら、反対派も同じように都構想を実施することによってさらに大きなツケを未来に払わなければならなくなる、と思って票を投じた人も多いはずだろうからその主張は余り意味は無い。

それはともかく、ここで作り出されたこの対立構造では圧倒的多数を誇る側による少数派への弾圧みたいな話になっているが、普段そのようにシステム的に不利な状況に置かれた者達は、「現実を受け入れろ」だとか「現状に適応できない者は滅ぶべし」などと言ってさらなる追い討ちをかけられることも多い。しかしこの問題で「少数派」にそういう物言いをする人間はまず見られない。

そういうことを鑑みると、実はこういう対立を煽っているような者達こそが普段は別の場所でそういう言葉を使って少数派などシステム的に不利な状況に置かれた者に攻撃を加えているのではないか、という余計な憶測もしてしまう。

そもそも世代間格差は時代の移り変わりを俯瞰的に見るのに役立ちはするものの、それ自体は大した問題とは言えないだろう。問題なのは貧困や所得格差だ。

リーマンショック世代・ロスジェネ世代に希望はあるのか - SYNODOS

過去の日本においては学校を卒業するタイミングで不況を経験した世代は、その後何年にもわたって、ほかの世代に比べて雇用が不安定で年収も低かったことが知られている。

例えば世代間格差と言えばこういう問題もあるが、これが問題なのも世代間に格差があることではなく、そこに貧困や所得格差という問題が生じやすく、一端そうなったら抜け出すのが難しくなるからだろう。

よって、世代間格差というわりとどうでもいいものが問題視されるなら、貧困や所得格差という問題は尚更問題視されなければならないことになる(逆に言えば貧困や所得格差が問題でないとするなら世代間格差は問題としての根拠を失い、尚更どうでもいい問題ということになる)。

しかし今回世代間格差を問題にした人達がそれを問題視しているかといえばそれはちょっと考えにくい。実際、老人と生活保護、或いは貧乏人をセットにして叩いている者も多かった。

大阪都構想、老人と貧乏人の反対のせいで否決された ... - Togetterまとめ

そしてありもしない対立軸が生み出され、一方の派閥によって無駄づかいがなされようとしているかのように煽り立てられる一方、こういう現存する財政の無駄遣いは看過されたりする。

坂東真紅郎
‏@sinkurou

橋下は税金を投入して「生活保護Gメン」なんてものを導入して受給者のプライバシーを縛ってきたんだから(しかも不正受給者なんて全然見つけられなかった)、受給者にはもっと恨まれて当然なんですがね。
https://twitter.com/sinkurou/status/600201947082166272


これが良い例として、世代間格差という対立軸は貧困や所得格差の問題を隠したり矮小化したりするためのツールとして用いられることが非常に多い。

そんなわけで、今回のこのこじつけに限らず、この手の対立が煽り立てられているのを見ればそういう目的があってのことなんだな、くらいに見ておけばよいのではないかと思った。

 ***

因みに例のグラフ、明らかに賛成派の方が面積が大きいと指摘している人がいて、確かにそう見えるので実際にグラフを切り貼りして形を整えてみるとやはり賛成派の面積の方が大きかった(青が賛成、赤が反対)。

tokousou.png

何だこれ、おい。
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資本主義を駆動させるための錯覚格差×怠惰な努力解釈

格差社会って - はてな匿名ダイアリー - はてラボ

よく言うけど、何も努力してない人と努力して自分のポジションを勝ち取った人が同じ地位になきゃいけないっておかしくないですかね。

結果を努力で計測するためには、まずその努力という共通項を導き出すために、全ての人間が同じ能力と同じ環境を持ち合わせて生まれくるという状況を作り出さなければならない。しかしそれだけではまだ努力解釈の妥当性が担保されるには不十分だ。それに加え、全ての者が同じ努力をした時、それらが全て同じ地位を獲得できる可能性が用意されていなければならない。つまり競合や制限という要素が完全に排除されていなければならない。即ちユートピアだ。

よく努力解釈と平等思想は相反するベクトルのものであるかのように考えられ勝ちだが、実際のところ努力解釈とはこのような究極の平等に依存しなければ成り立たないものなのだ。
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しかし当たり前だがそんなユートピアは存在しない。だからこそこの世の不公平を正し、少しでもより努力が結果に反映されるような、或いは皆に同じ努力をさせるようなユートピア社会を作ろうとしたのが共産主義だった。

一方自由市場が生み出す、工夫(努力)して上手くやりさえすれば誰でも地位を向上させるチャンスはあるはず、というようなユートピア的錯覚に牽引されて力を獲得してきたのが資本主義だ。そのような錯覚が人々に活動のための動機を与え、それによって経済が活性化することで自ずと生活もよくなっていくだろうと期待されたわけだ。

だが実際は金持ちの子は金持ち、貧乏人の子は貧乏人、医者の子は医者、政治家の子は政治家、芸能人の子は芸能人、サラリーマンの子はサラリーマン、非正規の子は非正規というように、まるで中世のような地位の固定化が顕著になってきている。そういう状況がある以上、努力すれば地位が向上するはずだなどという甘い考え(資本主義を駆動させるユートピア的錯覚)を抱くのは難しいだろう。

それだけではない。例えば非正規で車の部品の製造に携わっていたとする。しかしそこで幾ら努力して部品を早く上手く作ったところで、それによって給料が上がるわけではない。むしろ一個辺りの単価がどんどん下がっていくだけでしかない。それ以前に、そもそも車が売れなければ幾ら作っても無駄なだけだ。もちろんそんな技能を幾ら磨いたところで地位が向上することも一切ない。そこはただひたすら消耗していくだけの場所なのだ。つまり資本主義だと言いながら、そういう場所には資本主義的インセンティブが一切ない。

かといってそういう場所にいる人間が他でもっとましなポジションを獲得できるという希望を抱けるような状況でもないだろう。

つまり所得だけでなく、資本主義のメカニズムそのものにも格差が生じている。資本主義を駆動させるための――努力すれば地位も向上するはずというような――錯覚を多くの者が抱けなくなってきている。それが問題となって表われてきているわけだ。そしてそれは資本主義を回すエンジンの欠陥問題なのだから、資本主義的立場を取るならば尚更真摯に向き合わなければならない。

その問題を「個人の努力の問題」に矮小化してしまうのは余りにも無思慮だろう。そもそも結果を努力で測れないことは少しでも努力について考えれば直ぐに分かるはずのことだ。つまり努力解釈的観点から見ると、努力解釈が存在できるのは考える努力をしない者がいるおかげであると言える。

もちろん実際は、努力解釈の欠陥について考えをめぐらす必要が全くない人生を送って来た人間がある程度いるからこそそういう説が存在し続けているだけの話なのだが。

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後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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