ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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無慈悲な行進

昔作ったピアノソロの曲。
音源は定番のEQUINOX。

mujihi.mp3(2分51秒)

今聴くとペダルの扱いで幾つか気になる箇所があるのだけど、
この頃はSSW系(OEM)のシーケンサを使っていたので
midiファイルしか残っておらず、Museで編集することが
出来ないのがもどかしい。

しかも、フリー版REAPERのmidiエディタではペダル情報
なんて扱えないし、dominoで編集しようかとも思ったが、
domino側から信号を送って鳴らしてみた所、
何故かペダル情報を上手く読み込んでくれないし。

ということで、結局気になる箇所は
やむを得ず放置したままに。


それはともかく、やはりEQUINOXは良いです。
昔買ったシンセ(XP-50)より遥かにピアノらしい音がする。
音色だけでなく、強弱の表情、ベロシティに対する
反応の仕方、すべてに於いてこちらの方がずっと上。

この曲で派手な強音が殆ど無いのは、自分の持っている
シンセではちょっとベロシティ値が大きくなると
直ぐに汚い音になってしまうという欠点があるからです。

そのお陰で、なるべく大きなベロシティを
使わないような癖まで付いてしまった。
全く罪作りな。

いずれにせよ、EQUINOXには以前に一度難癖
つけたこともありますが、これ程完成度の高いフォントが
ただで提供されていることに改めて感謝。

まあ、(REAPERのmidiエディタでいうところの)
オクターブ6に於けるG#の倍音がちょっと煩過ぎるけどね。

…ってまたケチつけかい!

 ***

ちなみに、今回からBox.netを利用し始めました。
これで「1ファイル500kbまで」というFC2の壁を越える
長い曲を展示することが出来るようになったわけです。

といっても、長い曲を作る気力なんてないですが。
どうも、FC2基準に合わせて50秒以内の曲しか
作れない体になってしまったような。
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集団という主体は存在しない

「集団の利益」を声高に唱える
ことほど胡散臭いことはない。

何故なら、集団なんて主体は存在しないからだ。

だから当然、集団が利益を得ることなんてあり得ない。
利益を得る時は、必ず個々人としてそれを得る。

それ故、誰かが「集団の利益」を唱えて何らかの
方向へ誘導しようとしても、それは結局

「この提案が通れば自分は今以上に利益(感情的満足)
を獲得することが出来ると思うし、それによって同じように
今以上に利益を獲得することが出来る人がいるんじゃないの?
だから、こういう風にしようよ」

という個人から個人への呼びかけでしかなく、つまるところ、
「集団の利益」の「集団」とは、あくまでその提案をした
人とその提案が実現することによってその恩恵に預かる
ことが出来るであろう個々人のことでしかない。

そして「集団の利益」とは、その特定の個々人の
利害が一時的に一致した状態に他ならない。

しかし、人々の目的は必ず競合するし、
人間も他の生物と同じ様に限られた取り分を分け合って、
或いは、奪い合って生活を維持しているというような
側面が強いので、全ての者にとって有益な提案など
そうそうあるものではない。

一時は利害が一致した者同士であっても、その先ずっと
それが一致し続けるという保障はどこにもない。

だから、必ず対立が起こる。
個人と個人の思いがぶつかり合う。

そして、個人が集まり集団となり、その思惑が
ぶつかり合うことで、到底一個人の力では太刀打ち出来ない
程大きな力をもった何かウネリのようなものを生み出す。

それは一見すると、何か統一的な意思をもった
生き物のようにも見える。

しかし、実際はそれ自体に統一的な意思や意図はなく、
あるのは集団の中に身を置いた個々人の意思や意図だけだ。
それがぶつかり合うことでそう見えているだけであり、
そのウネリは純粋なエネルギーでしかない。
つまり、それ自体が主体になることはない。

だから、その対立は常に
「個人の利益 VS 個人の利益」という形で発生する。
「集団の利益 VS 個人の利益」なんて対立構図は
存在するはずもないのだ。


存在するのは、集団の生み出す力を上手く利用して
大きな利益を得る個人と、それが下手で少ししか利益を
得ることが出来ない個人だけだ。

 ***

しかし、実際には議論の背景に「集団の利益 VS 個人の利益」
という対立構造を描きだし、自身が「集団の利益」側を
演じることでその主張の正しさを補おうというような
演出方法が取られることが往々にしてある。

これは、提案の中身よりも、日本に於いて何かしら
「個人」よりも重要であるかのような印象を抱かせる
「集団」という言葉のイメージを利用して自身という
「個人」への利益誘導を試みる政治手法であり、
お世辞にも褒められたものではない。

そもそも、本来意思も意図も持たないはずの
「集団」の意見を一個人が代弁しているかのような
物言いをするのが先ず奇妙だ。

だから、本当に「集団の利益」という大儀を抱えて
何らかの主張をなすのならば、

・その集団とは具体的にどういう主体(個々人)なのか。
・その主体は何故利益を得るべきなのか。
・その主張が通れば、その主体がどういう経緯で以って
 どのような形で利益を得ることが出来るのか。
・その主張は一時(対処療法)的なものか、抜本的なものか。
 一時的なものなら、抜本的な問題はどうするのか。
・短期的な視点だけでなく、長期的にみても有益か。
・(人々の利害は必ず対立する為)それによって
 割を食う人々に対してどういう配慮をするか。
 (利益の共有という枠組みから排除された人間は、
 枠組みに残って恩恵を受け続ける人間に敬意を払う
 論理的理由を失った状態で存在し続ける)

ということをちゃんと提示した上でそれを主張すべきだろう。

またそれを受け取る側も、イメージで判断するのではなく、
「その提示された情報や論理は適切で現実に即したものか」
ということこそ検討すべきだろう。

そういう具体的なことを提示せず、
取り敢えず「集団の利益」の為という大儀だけ掲げて
自身の主張をごり押ししようとしたり、
「集団の利益 VS 個人の利益」というありもしない演出を
しかけることで、個人の権利を制限し義務を課すことで
集団(つまるところ自身)に貢献させるべきだという論法は、
--------------------------------------------
集団? :「俺だよ俺、"集団"だよ!」

個人1 :「えっ?誰ですって?」

集団? :「今"集団"が大変なことになってるんだよ」
     「犯罪の凶悪化とかバカ親の増殖とかニートとか」
     「だから、どうしても個人の権利を
     制限しなきゃいけないんだ」

個人1 :「何のことを言っているんですか?」

集団? :「だから"集団"の為に個人の権利を制限して義務を
     課すことで"集団"に貢献させなきゃ大変なんだって」

個人1 :「だから、どちらさんですか?」

集団? :「"集団"だって言ってるじゃん」
     「ゴチャゴチャ言わずに早く貢献しろよ」

個人1 :「"集団さん"なんて知りません!」

集団? :「てめ~"集団"の利益を踏みにじるつもりか!」
     「ぜってー後悔させてやるからな、覚えとけよ!」
     「ガチャッ!!」

個人1 :「ッーッーッー」
     「…」

個人2 :「おい、誰からの電話だったんだ?」

個人1 :「"集団さん"ですって」

個人2 :「"集団"って誰だよ」

個人1 :「…さあ」
--------------------------------------------
みたいなものでしかない。
 

ふと思った

人間なんてコウノトリに滅ぼされたらいいのに。
 

DTMの気になる商品

お馴染み、All About「DTM・デジタルレコーディング」
「SONAR Home Studio 6」を紹介する記事が掲載されています。

記事によると、
「SONAR HOME STUDIO 4」から強化された点として
・フリーズ機能
・VST/VSTiにネイティブ対応
・Sonitus:fx EQを全トラックに装備
・ソフトシンセとしてTTS-1が付属(「4」はVSC)
・Project5に搭載されている幾つかのプラグインが付属
等が挙げられています。
(但し、機能比較をみるとDreamStationが付属しなくなる
などマイナス要素もある)

そして、実売価格は15,000円。これは安い。

TTS-1(=HyperCanvas)を単独で買っても、20,000円近く
(現在のサウンドハウス価格で18,800円)しますから、
それだけみてもかなりお買い得なんじゃないでしょうか。
HyperCanvasを単独で買った人はさぞかし
悔しい思いをしていることでしょう。

そして、気になるのは「SONAR Home Studio 6 XL」
(実売20,000円前後)の方。

こちらにはさらに「Boost 11 Peak Limiter」という
プラグインとD-Pro LEなるプレイバックサンプラーが付属し、
その専用ライブラリとして「Garritan Pocket Orchestra」
がついてくるということなのですが…。

「Garritan Pocket Orchestra」(よくGPOと略される)
といえば、三万円程度で販売されている
オーケストラ音源の入門的な位置づけの商品。

まさか、それがそのまま使えるという訳はないと
思うのですが、これは本家の抜粋版なのでしょうか。
それとも、マルチティンバー的な使い方が出来ないとか?
いまいちその辺りがはっきりしない。

まあ、どちらにせよこれはかなりお買い得な
商品であることは間違いないでしょう。


一方、以前に気になると書いたSonicCellの方は
実売価格75,000円程度ということで、
ああやっぱりそれくらいするか、という感じ。

拡張の値段もプラスして考えれば
必ずしも安いとは言えない値段。
高いとも言えないけど。
それに、拡張スロットが2というのが微妙なところ。

まあ、インターフェイスにもなっているので、
これ一台で完結したいという人には良いのかも。

ただ、プラグインとして使えるという話だったが、
例えば、トラックごとにばらしてDAWに出力して
一度に録音したり、それぞれに別のVSTを使ったりする
なんてことは無理なんだろうな。

一度ソフトシンセに慣れてしまうと、
そういうソフトシンセでは当たり前だったことが
出来なくなるのはかなりストレスになりそう。
もし、そういうことが出来るのなら
(勿論、内蔵音源の出来にもよるけど)
かなり良い商品ということになると思うが。


まあ私は、火の鳥「未来編」のマサトのように
ただDTM界の動向をじっと見守るだけですけどね。
 

まだ見ぬ朝のテーマ

midi弄りをするようになってから暫くして
理論に興味を持ち始めた頃に作ったもの。
mada20070615.mp3

でも、結局これ以降(継続して)理論の勉強をすることは
なかったので、今もこの頃から全く進歩していない。
いや、今はもう昔勉強したことは全て忘れてしまって
知識ゼロなので、むしろ退化しているという面もある。

所詮、ひきこもってからの人生は
死という終着地点の道すがらでしかない訳で、
「よし、この時間を利用して音楽の勉強をしよう」
なんて、そんな建設的な気持ちにはなれない
(midi弄りを始めたのはひきこもってから)。

勉強をするのは、勉強して成長した未来の自分の姿が
念頭にあるからこそそれが出来るのであって、
今より良い未来を想像することが出来なくなった
人間がそれを継続し続けることは出来ない。

勿論、その時点で勉強をしたいという欲求が高まれば
それをするが、それは決して成長することが目的なのではない。
ただ、現在の欲求に従っただけなのだ。

自分の曲に構築がないのもそれが原因となっている。
構築というのは、それが完成した未来の姿を想像する
ことが出来るからこそ、それを築き上げることが出来る。

しかし、自分の場合未来を想像するとありとあらゆる
「最悪の事態」が頭の中を暴れまわるので、
それが恐ろしくて未来の想像を封印している。
それでかろうじて現在の自分の精神を保っている。

とはいえ、意志でそれを封印した所で
感覚によるそれを封じることは出来ない。
そして、ひきこもる前からずっとその
「最悪の事態」は頭の中で暴れまわっていた。
それが精神的疲弊をどんどん加速させた。

多分、そういう感覚を獲得してしまったことこそが、
ひきこもらざるを得なくなった最大の原因に
なっているんじゃないか、というような気がする。

だから、ひきこもってからはせめて
意志によるそれを封印することにした。
そうやって精神の消耗を防ぐことにしたのだ。

しかし、意志による未来の想像を封印してしまった
自分は、それと同時に構築というものを失ってしまった。
だから、自分の作る曲はただ湧き上がってくる
メロディーやアイデアをmidiファイルに書き付けるだけ。

未来を失った人間が作る曲はそんなもの。

そして、自分には輝かしい未来を想像することが
出来る日など今まで一度もなかったように、
これからもそういう日を迎えることはないだろう。

 ***

以下、使用フォント
◎Cuerdas resampled.sf2(16 MB)
http://www.sf2midi.com/index.php?page=sdet&id=8987
有名なレヴューサイトで高い評価を得ていたので
入手してみたんだけど、確かに中々いい感じ。
ただ、かなり低音に偏ったバランスなので、
低音を補強するという目的で使った方がいいかも。

それに、やはり低音のアタックがかなり強めなので、
滑らかな表現を必要とする曲には合わない気もする。
まあ、高音部分だけをこのフォントに任せるという
使い方もありだとは思うが。

◎sinfonia3gm.sf2(57.1 MB)
シンフォニア・シリーズ
所謂、DTM系の音。バランスもよく使い易い。
自分がDTM系の音に慣れているせいもあるのか、
こういう音色を聴くとなんとなく安心する。

しかし、このフォントには派生品が結構あって、
どれを使うべきか迷ってしまう。

取り敢えずこれ以外では「sinfon36.sf2」を
入手してみたけど余り大きな違いはないような。
基本的に元ネタが同じなのだろう。
ただし、こちらはオーケストラの楽器のみですが。

一応、「Reviews」にこのシリーズの
詳細やヒストリーが載っています。
英語が苦手な自分はなかなか読む気にならないのですが。


まださほど漁っていないので断言は出来ないけど、
ストリングスに関しては、取り敢えずこれさえ持っておけば
安心、というような決定版はまだ存在していないみたい
(そういうものがあればレヴューサイトで紹介されているだろうし)。

特に、スローストリングス系は扱いが難しいものが多い。
(普通のストリングスに関しては自分は
今回紹介したもので結構満足しているのだけど)

故に、フォントの組み合わせやその抜き差し、場面に於ける
使い分けなんかが重要な要素になってきそうな予感。

だとすると、かなり面倒くさいなあ。
 

前からそうだったのだろうけど…

どうやら梅雨入りしたらしく、
昨日辺りから盛んに雨が降り続けている。

自分が住んでいる所は裏がドブになっているのだけど、
トイレに入るとそのドブに雨水が落ちる音が聞こえてきた。

ふとその音に耳を澄ましてみると、
その雨音の鳴るリズムといい音程の変わり具合といい、
これが結構魅力的な音楽になっているではないか。

ちょうどケニー・ホイーラーの「Deer Wan」を聴いていた
ということもあってか、降り止みかけた雨水の残党達が
いい具合にスイングし適度に意外性を織り交ぜた心地の良い
即興演奏を奏でているように聴こえた。

勿論、今日だけ特別な雨音が鳴っていた訳じゃないだろう。
きっと、前からずっとこうだったはずだ。
でも、今日はそれがハッキリと音楽に聴こえた。

今までそれに気付かなかった自分の耳が
如何に鈍感だったかということだ。

それにしても、水滴が水溜りに落ちる
ことによって生まれる音色は本当に魅力的。

ついでに、まだ本格的な夏がやってくる前の涼しげな
梅雨の日の夜に聴く「Deer Wan」もまた本当に魅力的。
 

(6/15追記)
あの後再びトイレで雨音を聴いてみると、
今度は訳の分らない現代音楽みたいに聴こえた。
結局、たまたまあの時の「演奏」が良かっただけかも。
 

剥き出しの個人は常に弱者

ナントカ還元水や緑資源機構の官製談合事件で
一躍世間の注目を浴びるようになった松岡大臣が自殺した。

元々彼は農水族の大物とされ、色々と疑惑の多い人だった。
その為、彼は度々悪役としてメディアに登場しては
その悪役ぶりを遺憾なく発揮していた感があったが、
例の事務所費問題や官製談合事件で注目を集めてからは
まるで悪の権化でもあるかのように扱われるようになった。

そして、今回の談合の中心人物であるとされた
元公団理事もまた同じ様な形でこの世を去った。

自殺前、ネット上では彼らの存在自体を
否定するような書き込みもちらほら散見出来た。
まるで悪の中枢である彼らが消え去れば
今より良い世の中がやって来るかのように。

しかし、実際にその悪の中枢とされてきた人達が
いなくなって何か政治や行政が良い方向へと
動いているのかといえば、そんな訳はないだろう。

じゃあ、裏で彼らを操りこの結果を
ほくそ笑んでいる「巨悪」が存在するのか。
この世から姿を消すべき黒幕が存在するのか。

多分、そんなものも存在しない。

もし「巨悪」なるものが存在するとしても、
それは「生活の為」や自身の「地位確保」という
個々人の思惑が絡み合い、それが結果として何か
「巨悪」らしき形を形成しているだけなのであって、
「巨悪」という具体的な何かが存在する訳じゃないだろう。

そしてその「巨悪」らしきものは、一般市民の集団生活
の場である学校や職場等で形作られる関係性や雰囲気
とも本質的には何ら変わらないんじゃないかと思う。

勿論、具体的システムとして大きな権限が与えられている
政治や行政の場で形成されるそれはより影響力が大きく、
またその影響を受ける人の数も増えるという違いはある。

しかし、一般市民もまた政治家や役人達と同じように
各々の生活の場で、その集団の思惑がぶつかり合う
ことによって生み出される何か大きなウネリの
ようなものに身を浸し、そこで自己の保身の為に
奔走していることには変わりないだろう。

そして、其々が自己の保身や地位向上を試みた結果、
より有利な立場を獲得する強者とそれに隷属
せざるを得ない弱者とに振り分けられる。

だが、その振り分けは個々人の力の大きさの
差異で決まっている訳じゃない。

例えどんなに優れた個人であっても、
集団の生み出す力の前では竜巻の中を舞い続ける
ぼろきれ程の力しか持ち合わせていない。
そして現代に於いては、その「集団のウネリ」から
逃れることが出来る場所など何処にも残っていない。

だからこそ、その振り分けに於いては、
如何にその集団が生み出した「ウネリ」の力を
自身に都合よく上手く利用することが出来るか、
という要素こそが最も重要となってくる。


それを上手く利用することが出来れば、
まさに竜巻のような途方も無いエネルギーで
他者を自身の影響化に置くことも出来るし、
それが下手な人間は逆にその竜巻の渦の中を舞う
ぼろきれのように翻弄され続けることになるだろう。

結局、一般的に強者とされる者の力はその個人が
元来保有している固有の力ではなく、借り物の力でしかない。

だから、強者はその「ウネリ」を上手く利用出来ている間
だけ強者でいられる
のであって、それが上手くいかなく
なったらいつ弱者に転落してもおかしくない。

ついこの間まで強者として最前列に身を並べていた
はずの松岡氏や元公団理事があっという間に
その「ウネリ」に飲み込まれて消えていったように。

個人というものは、それほど脆弱な存在でしかない。
 

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プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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