ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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こんな気持ち

gt_arp.mp3(1分18秒)

こんな気持ち。
おまけにまた歯が痛い。

使用フォント
WestgateNylonGuitar(38.3 MB)
HARPsonid(6.7 MB)※ハーモニクス
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「キモい」が肝の国、日本

ソフト会社がTBS批判 「初音ミク」番組
巡る「アッコ」祭り問題
 (MSN産経ニュース )

DTMに興味のある人やニコニコ動画を見ている人
(自分は見ないけど)にはすっかりお馴染みの
ヴォーカル音源「初音ミク」が、テレビで
オタクバッシングのダシに使われたとして
ネット上でちょっとした騒動になっていたらしい。

だが、開発元ブログのコメント欄なんかを見ても
かなりヒートアップしている様子だったので
一体どんな酷い内容だったのだろうと思って
YouTubeに投稿されていた当該番組を見てみたが、
正直思っていた程酷いものではなかった。

確かにあの番組中に登場するVTRが貶め目的で
制作されたものであることには間違いない。
しかし、貶め芸や恫喝芸でウケを狙うのが
常態化しているテレビに於いて、あのVTRが
特別突出して悪質だったようには思えない。

勿論、あの番組個別の問題としてではなく、
そういった手法に安易に頼ろうとする番組作りが
当たり前になってしまっている現在のテレビの
在り方自体に対しての批判はされてしかるべきだが、
ネット上でのあの番組に対する白熱ぶりと番組の
酷さの度合いにどうもギャップを感じてしまうのだ。

あの程度の貶めが騒動になるのならばそれこそ
四六時中騒動になっていなければならないだろう。

しかし、実際にはあれよりも酷いオタク叩きが
行われることも珍しくないのにそれに対して
ここまで白熱することは先ずない(あるのか?)。

 ***

じゃあ何故あの程度の貶めで騒動になるほど
にまで白熱したかと言えば、より多くの人間が
自分自身が「キモい認定」された、或いは
される恐れがあると感じたからじゃないのか。

つまり、いつもの「オタクキモい番組」では
それを見ているオタク達も、そこに出演している
一部の「キモオタ」だけが馬鹿にされているので
あって自分は彼らとは違うのだ、という意識を
持つことで平静さを保っていられるのだが、
今回はより具体的に「初音ミク」を使っている人、
或いはそれに興味を持っている人全てが名指し
で「キモい認定」の対象に選ばれたと感じた。

自分は「オタク」ではないと思っている人も、
「キモい」の代名詞的に使用されることも多い
「オタク」に認定されるのではないかという
恐れを抱いた。
(「ミクがオタク向けの商品だと勘違いされる」
というような危機感を抱く書き込みが結構あった)

だから自ずと怒る人の数も増え、それが
騒動を大きくした原因の一つにもなった。

しかしながら、この問題のそもそもの根本、
いやこの問題に拘らず、日本に於ける様々な
問題の根っこの部分に深く関わりその動向に
大きな影響を及ぼしている最も注目すべき要素は、
むしろこの「キモい」という情緒の方だろう。



<「キモさ」が全てを超越し得る風土>

というのも、この国の人達は「キモい認定」
された者は基本的に無条件に「悪」であり
「誤」であり「劣」であり、その人間は
どんな嫌がらせを受けても仕方がないのだ、
という様な認識を表向きには兎も角、心の奥底
では殆どの人間が共有しているように思える。

そして理屈云々よりも「キモいか否か」こそが
物事の正誤や善悪を分け隔てる分水嶺として
最も大きな役割を果たしているようにも見える。

以前に、それぞれの主張がぶつかり合った時、
その主張の内容よりもイメージ合戦で優位に
立った者の主張こそが正しきものと周りに
認められ、それによって社会の様々な常識や
システムが決定されていくというような記事
を書いたことがあるが、そのイメージ合戦に
於いて最も大きな力を持っているのもこの
「キモい」という要素だ。

何故なら、この国の風土に育まれた標準的
な感覚が身に付いている多くの者にとって、
「キモい」という情緒は意味より深い感覚的な
部分で「悪・誤・劣」といったものが抱かせる
それと直結してしまっている。


だから一旦この烙印を押された者が
その後で幾ら何を主張しようとも、

「誤り」が正しさを主張している。
「悪」が弁解している。
「劣」が「優」を装おうとしている。

といった風にしか受け止められず、
もうそれ以上は何を言っても「暖簾に腕押し」
「糠に釘」状態に陥ってしまう可能性が高い。

よくネットなんかで、自身と相対する主張をする
者に対し、具体的な内容に触れてそれを理屈で
批判するのではなく、ひたすら相手を貶める為の
文章を羅列することに終始している人がいるが、
彼らが何故あんなことをするのかといえば、
「相手に『キモい』というレッテルを貼ることに
さえ成功すれば、理屈などなくとも論戦に勝利
することが出来る」という思いがあるからだろう。

この社会に於いて、「キモい」という情緒は
人々にそんな思いさえも抱かせる程絶大な力を
持ち合わせており、実際時にはそれがあらゆる
理屈や理性を全て超越してしまうことすらある。

そしてそういった
「『キモい(という情緒)』はペンや剣より強し」
といったルールや「『キモい』に人権無し」
というような考え方が一般的道徳や法律という
表の顔の他に「裏番」として幅を利かせて
いるのがこの国の風土
なのだ。

それ故人々はその「裏番」を上手く利用する
ためにお互い「キモがらせ合戦」に終始する
ことになり、その合戦が行われることによって
生み出された雰囲気が常にこの国を覆っている。

だからこの国はどこへ行っても
貶めや誹謗中傷で溢れかえっている。
「キモい奴は死んで当然」と言って憚らない
ような輩を目にすることさえ珍しくない。

だが、それは別に彼らが平均的な日本人
と比べて特殊な感覚を持っている訳でも
なんでもなく、ただ正直なだけなのだ。
表と裏の区別をつける能力が無いため、
この国の風土を分り易い形で言葉に
変換して発しているだけに過ぎないのだ。

 ***

そんな「キモい」という情緒に支配されて
いるこの国に於いて、周りから「キモい認定」
されることはその人にとって著しい損害を
齎すことになるのは先ず間違いないだろう。

勿論、この国で育ちその風土をよく知っている
者ならば、そういったレッテルを貼られた者が
どういうことになるかという想像は簡単につく
筈なので、当然レッテルを貼ろうとする側は
悪意に基づいてそれを行っていることになる。
(意図せずそれを行ってしまうこともあるが)

冒頭の問題で多くの人々が(ミクに興味がない
周りの人達からすれば)一見過剰とも思える
ような反応を示したのは、テレビ局側のそういった
悪意を読み取ると同時に、そのレッテルが齎す
状況に対する大きな危機感を抱いたからだろう。

そして、そのことこそが今回の問題の本質的な
部分であり、その「裏番」の幅の利かせ具合こそが
問われ直さなければならないのだと思う。

だが、本来ならばそれを率先して行うべき立場に
ある筈のメディアが、逆にその悪しき風土を
積極的に利用して商売をしているのがこの国の
現状であり、救いのなさを表しているのだが。

(ここからは今回の騒動についての余談)
 

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文章自動作成機?

たまに「きざしランキング」でとりわけ
旬でもないキーワードが上位を獲得していて、
何かなと思って見てみると、URLにランダムな
文字列が含まれた明らかに業者らしき
ページがズラリと並んでいたりする。

例えばこんな風に→ウェブ魚拓

どう見ても不自然な摩訶不思議文章。

多分これって、特定のキーワードを含んだ
文章を自動的に作り出すソフトか何かを
使って作った文章なんだろうな。

まったく、業者も次から次へと色々考えるものだ。

なんというスケールの小ささ

ブックオフで見つけた¥350のCDを
買うべきか否か、二日間迷っていた。

日本では余り人気のない、とある
古参のハードロックバンドのCD。

今でこそそれを手に入れるのは
難しくないが、一時入手困難な時期もあり、
欲しくても中々手に入らなかったブツ。
それがなんと¥350という値段。

でも、別に今聴きたい訳ではないんだよな。
だけど、昔かなり欲しかったCD。

それで迷っていたのだが、前の日にちょうど
NHK-FMでハードロック特集をやっていて、
これはそのCDを買えという啓示に違いない
と思い(「神」とか「意味」とか一切信じてない
くせに)、意を決しそのCDを買いに行くことにした。

だがこういう場合、もう既に誰かに買われて
しまって商品が無くなっている場合も多い。

つい最近にもそういうことがあった。
それは同じく¥350という値段で、所謂名盤と
されるジャズのCDだったが、その日はもう既に
幾らかの買い物をしていて、さらに心もとない
手持ちの資金を放出する勇気がなくて
結局買うことが出来なかった。

その時は買うかどうか迷ったのではなく、
勇気がなかったのだ。

これは恐らく幼少期に於ける親子関係の在り方
や学校での体験が大きな原因になっていると
思うのだが、自分は例えほんの些細なことで
あっても異様に失敗を恐れてしまうそんな
感覚を獲得してしまっている。

それ故、自分が何か能動的な行為をする時、
それが裏目に出た場合に対するある程度の覚悟
を決めてからでないとそれをすることが出来ない。

だから、ドラゴンボールの「元気玉」じゃないが、
何かを買うと心に決めても、それからある程度の
勇気を溜め始め、それが溜まり終わらないと
買い物をすることが出来ないのだ。

そして、その日は既に一度「勇気玉」を使い
果たしてしまっていたので、再びそれを溜める
のに時間が掛かり、次の日に買いに行った時には
もう既にそのCDはなく、その自身の決断力のなさ
に打ちのめされ、暫くは鬱のどん底から
抜け出せなかったというのが顛末だ。

だから今回店に行った時、まだ意中の商品が
残っていたのを確認してホッとした。

しかし、今度は新たな不安が持ち上がってきた。

このアルバムはネットでも国内外問わず非常に高い
評価を得ていてそんなに酷いものではないはずだが、
この値段で、しかも同じバンドの他のアルバムが
一挙に放出され非常に目立っているのにも拘らず
二日も放置されていたということは、やはりこのCD
はハズレCDなんじゃないだろうか、という不安だ。

そこで自分は手に取ったCDを再び棚に戻し、
「勇気玉」を溜め始めた。

本当は「勇気玉」溜めている間に誰かに商品を
奪われてしまう危険性があるので、それを手に
持ったままその作業に入るつもりだったが、
まだ買うかどうか分からない商品を手に持った
ままにしておくのはなんとなく卑怯な気がして
それを棚に戻したのだ。

いや、二日悩んだ後なので買うことはほぼ
間違いないのだが、「勇気玉」が出来上がる
まではまだその意志が確定したとは言えない。
それに二日も売れ残っていたものが今この
時点でキャッチされる可能性は極めて低い
だろうという考えもあった。

近くにいる人間も、もう45は超えている
であろうスーツ姿の年配の男性だけだ。
まさかあの歳でハードロックなんか聴くわけが…

「!!!」

なんてこったい、捕獲されちまったじゃないか。
まさか目の前でそれをかっさらわれるとは…。

もう…、いい歳して(自分もいい歳だが)
ハードロックなんか聴くなよぅ、…いや違う。
「いい歳」だからなんだ。

むしろ今時の若いモンが日本ではいまいち
人気が出ずマイナーなままだったあんな古い
バンドに興味を持つことの方が珍しいのだ。

そう、あのバンドに興味を持つのは
30代以上の人間、そして彼もまた自分と
同じ様な理由であのアルバムに関心を
示したのかもしれない。

もちろん彼には潤沢な資金があるだろう
から¥350なんて金額は失敗のうちに
入らず、迷うこともないだろう。

何故その可能性に気付かなかったのか。

その自身の決断力、推理力のなさ。
どうでもいいような独自のモラルに
縛られることを自らが選択し、失敗をして
おきながらそれを後悔するいさぎの悪さ。

いつもネガティブなのにこんな時に
限って「まさかそんなことはないだろう」
というようなポジティブシンキングで
危険予測が出来なかった自身への怒り。

そして何よりもこんなしょぼいことで
悩まざるを得ない己の器の小ささ。

自分が自分であることに、ほとほと嫌になる。

何故自分は生まれてこなければ
ならなかったんだろうな。

雑魚キャラとして他者を引き立てるため?

精子のうちに死んでおけばこんなに
苦しむこともなかっただろうに。

本能なんかで卵子に受精するなよ。

もし宝くじで三億円当たったら

アルバイトくらいは出来そうな気がする。

というのも、今のままならば例えアルバイトを
するところにまで至ったとしても、最終的には
消耗して自殺か野垂れ死にのどちらかの
結末を迎えることになるのは変わらないだろう。

勿論「価値ある人生」や「生まれ来て良かった」
という想いなど獲得出来るはずもない。
そんな甘やかな希望はとうの昔に消え去った。

今自分に残された命題は
たった一つ、「なだらかな死」。

残された猶予期間に於ける不安や苦痛を
出来るだけ和らげ、何者にも追い立てられず、
ただ緩やかに、なだらかに死を迎える。
ただこの一点だけだ。

しかし、今のままではこの「なだらかな死」
という命題を成し遂げるのは極めて難しい。

だが、もし三億円手に入ったのならば、
その「なだらかな死」への目処が立つ。

そしてそれが(別に死を望んでいる訳ではない
ので消極的なものではあるが)小さな希望となり、
その命題を達成するという動機が生まれることで、
職探しという自身にとってはこの上なく困難な棘の
道を歩み出すことが出来そうな気がするのだ…

…とか言いつつ、宝くじなんて今まで一度しか
買ったことがなかったりするんだけど。

自分自身を騙せ

<効力があるのか無いのか>

時津風親方、急死の力士介抱せず放置
 金属バット暴行を口止め
(産経新聞)

武道を必修化することで子供達に日本の
伝統を敬う心が芽生え、礼儀作法が身に付く、
などという短絡的な考え方が如何にお粗末な
ものかということについては既に書いた。

しかし、もし武道に触れることが個々人の
人格構成に(必修化を推進した人達が言う様な)
大きな影響力を及ぼす何かしらの統一的な効果が
あるのだとするならば、何故、推進側から今回の
事件は武道の効力により引き起こされたものだ
という説が浮上しないのだろう。

人権という概念のお陰で自身の安全が守られ、
その概念による他者の様々な配慮の下で今の
地位を獲得し維持する事が出来ているはずなのに、
それを社会的優位に立った者が一方的に与える
ものだと勘違いして「人権メタボ」などという
珍妙な説を唱えた元文部科学大臣の伊吹氏は、
何故今回の事件に限っては武道の「食べすぎ」
が原因で引き起こされた「武道メタボ」を
疑わないのだろうか。

子供が事件を起こすたびに直ぐゲームやアニメ
が原因だと騒ぐメディアは、なぜこのリンチ事件
は武道が原因だと騒がないのだろう。


勿論、武道が主要な要因となってこの事件が
引き起こされた訳ではないことは言うまでもない。

「武道」はあくまで数多ある要素の一つに過ぎず、
元々全ての場所や人間に統一的な効果を齎す
絶大な力など持ち合わせていないからだ。

それよりも、外部からの空気が入らない隔絶
された空間で、日本の伝統である精神論的
シゴキ思想が暴走し歯止めが掛からなかったこと
こそがこの事件を引き起こした最大の要因だろう。

そして以前に書いたように、そこでは武道も
『「現実」の中では、「武道」の戒律もまた
一つの道具としてしか存在し得ず、その戒律を
大儀として非道徳的行為が行われたりする』

という典型例としてしか機能しなかったわけだ。



<屍を積み上げるのならば…>

それにしても、ある時は数多ある中の一要素
でしかないものに絶大な効力があると強弁したかと
思えば、ある時はその効力を全く否定しようとする
この手の人達の一貫性の無さは一体何なのだろう。

何故そういう主張をして平気でいられるのだろう。
それとも人知れず罪悪感に苛まれているのだろうか。

いや、実際はそういった自身の唱えた嘘や矛盾で
一々精神的に疲弊・消耗しているようでは社会的に
高い地位を獲得し、それを維持し続けるのは難しい
ので、環境適応として自然と「無神経さ」という能力
を獲得したが故の振る舞いなのだろうけど。

「希望は戦争」なんて言っている人がいたが、なんせ
もう既に生存競争という戦争に参加しているわけで。

そこでは道徳という嘘で他人を欺き、縛り、
出し抜くことで、其々限られた人数分しか用意
されていない枠組みの中でより有益であろう
ものを奪い合うことになる。

中には生存という枠組みすら獲得出来ずに
その場から立ち去ることを余儀なくされる者もいる。

しかし、より有益な枠組みを獲得出来た者も、
単に他者を騙したり、他者には突きつけた道徳
を踏みにじって出し抜いているだけでは自身の
罪悪感に命を削られ勝ち残っていけないので、
自分自身もまた己によって上手く騙し続け
なければならない。

だが意識して自身を騙すことは出来ないので、
そこで「無神経」という能力が必要となってくる。
そういうことなんだろう。


ただ自分としては、もし罪という概念を認めるの
ならば、所詮人工的に作った暴力装置でしかない
制度的な罰を受けるか否かは兎も角、せめて自身の
罪悪感という罰くらいは受けるべきだと思うのだが。

つまり、誰もが生存競争という戦争への参加を
義務付けられている以上、屍を積み上げて自身の
生活を維持させようとすること自体はやむを得ない。

しかしそれは仕方が無いとしても、せめて自覚して
それを積み上げるべきであり、それが自身の生活
を保つために必須となる屍達へのリスペクトであり、
人間としての最低限のモラルだと思うのだが。

だが、その罪という概念でさえ、自身にとって
都合よく利用するための道具として見ることが
出来なければ、よりよい人生を獲得することは
難しいというのが現実なのだろうけど。

だから今日もまた、いつもの様に積み上げた
屍の山の上で正義を叫び続ける人達がいるのだ。


(追記10/3) 「伊吹文部科学大臣」と書いていた
 部分を「元文部科学大臣の伊吹氏」と修正。
(追記10/4) 一つ目のサブタイトルが煽り過ぎに思えて
 きたので変更。まあ、二つ目も大概アレなんだけど。

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プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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