ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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普通な曲

「私は彼らの一部、彼らは私の一部」
とほぼ同時期に作ったピアノとストリングスの曲。
(といっても一分程度のものだが)

futsuu.mp3(1分17秒)

条理というものは結局の所、人間が恐怖から
逃れる為に都合よく生み出した幻想でしかない
という事実。

その幻想による恩恵を受けることが出来なかった
者の一人として、その事実を告発するような印象
を抱かせる、普通ではない曲を作りたいという
欲求が当時は渦巻いていた。そして実際にその
欲求に従って作ったのが一つ前の記事で紹介した
「私は彼らの…」という曲。

しかし、その一方で他人の作った親しみ易いタイプ
の曲を聴いてはそれに刺激され、自分もまたそう
いった思いっきり俗っぽい旋律を持った曲を作り
たいという思いもまた同時に存在していた。

そしてその欲求に従って作ったのがこの曲。

「私は彼らの…」が「普通」という体制側が行う
「疎外」という暴力に対する怒りの表明であり、
「普通でないもの」の存在証明として生まれた
曲だとするならば、こちらはそれとは間逆の
ベクトルである、「普通」への憧れや未練から
生まれた曲と言えるかもしれない。

人間の感情というものは、常にそういった理屈上
は相反するようにも思える幾つもの欲求が各々の
ベクトルへと向かって引っ張り合って出来ている。

そしてそれこそが「悩み」の正体なのだろう。
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普通じゃない曲

三年位前にXP-50用に作ったもの。
それをフリーのVSTiを使って録音し直してみた。

私は彼らの一部、彼らは私の一部(3分15秒)

----使用VSTi----
◎EVOL※1
◎Uno FM※1
DVS Guitar
StringSynth
Synth1
◎MellowSound(配布元サイト消滅)
Phibes Organ
Super Spook Keys
----------------

二つの元になるモチーフを幾つかの定められた
ルール(といっても大したものではないが)に
基づいて変化させ、其々の声部間でその変化
させたモチーフをやり取りしあい、尚且つ
それが同時発音時に何らかの四度累積の和音に
なるようにするという単純作業をひたすら繰り
返すことによって作られたちょっと実験的な曲。

もはや曲を作る気力すら殆ど失いかけている
今からすれば、よくもまあこんな面倒なもの
を作り上げる気力があったものだ、
と我ながらにして思う。

丁度この頃は、「普通という枠組みからの脱落者」
になることを決定付けられて生まれてきた者として、
その「普通」という枠組みに収まり切らない、
或いはその枠組みをぶち壊すことを想起させる
ような曲を作りたいという欲求が渦巻いていた。

それは多分、「普通」という体制側がその枠組み
から零れ落ちた者達に対して行う「疎外」という
暴力への怒りの表明の一つの形であり、「普通」
が存在する為には「普通でないもの」もまた存在
しなければならず、幾ら体制側がその存在を否定
しようとも、或いは幾ら「普通でないもの」自身が
その誕生を否定しようとも、「普通」が存在し続ける
限りそうでないものもまた存在しなければならない
のだ、という「普通でないもの」からのその
存在証明のようなものだったのだろう。

だがそれはまた同時に、自分が幾ら望んでも
「普通」に収まり切ることが出来ない人間である
ということはもう明らかなのに、未だにその枠組みに
対して未練を抱き続ける卑屈な自分自身に対して、
「その未練を断ち切れ」という己からの言い聞かせ
でもあったのかもしれない、と今にしてみれば思う。



※1 KVRでは「Avail?」となっていて配布終了
かなと思いきや、Googleで“EVOl vst”と検索して
トップに表示される開発元のページから普通に
ダウンロード出来る。ダウンロードは自己責任で。
ダウンロードは上記の点に留意した上で各々の判断で。

(追記11/26) 自己責任という言葉は自身の同義的
責任を回避したり、他者を叩くことの免罪符として
用いられることが多い様なので表現を変更した。
それはそうと、よく考えてみるとEVOLに関しては
前に一度既に同じ様なことを書いていたのを
今頃思い出した。まあいいけど。

荒野に消えた幻想物語

そろそろパソコンの前に座るのも辛い程の
本格的な寒さになってきた。毎年のことながら、
本当にこの寒さには気がめげる。

だが、もし自分がもっと充実した、ある程度先の
見通しが立つ様な人生を獲得出来ていたならば、
生まれてきて良かったという想いを抱けるような
状況を手に入れることが出来ていたならば、多分
この寒さも幾分和らいで感じているんじゃないか
と思う。

心通わせることが出来る友人や恋人。
安心して気を休めることが出来る温かい家庭。
安定した生活基盤、経済力、社会的地位や肩書き。
他者の共感を呼ぶことの出来る物語。
コミュニケーションによる快楽。
自己の存在に対する価値感。
他者に誇ることの出来る何らかの技能。
自分がシステムの一部を成しているという一体感。
生きて行く為の糧となる輝かしい過去。
己が価値を見出したことに心血を
注ぎ込んだことによる爽快感。
これから達成すべき目標。
未来に希望を抱くことの出来る成功体験。
そして生まれてきて良かったという想い。

人々はそういった様々なものを獲得し、
それを身にまとってコアを覆い隠すことで
外界からの脅威が齎す精神的なダメージ
を和らげている。

だが自分はその内の何一つ獲得出来なかった。
昔は唯一若さだけが自分の取柄だったが、
しかし、それももはや失って久しい。

つまり、自分は精神的に何も羽織るものがなく、
真っ裸なのだ。そりゃ寒いし、ちょっとした
ことでも直ぐにめげてしまう訳だ。

ここ数年で特別冬の気温が下がった訳でもないのに
益々その寒さを痛切に感じるようになってきたのは、
そういった精神的に寒さを感じ易いか否かという、
心感温度とでも言うべきものが関係しているから
なのだろう。

 ***

だが、ここ二、三年はただ寒いだけではなく、
冬に死の匂いを感じるようになってきた。

多分それは、既に確定した自分の未来から
漂ってくる匂いであり、本来人間が抱くはず
の幻想が抱けなくなったことにより感じる
ようになった「現実」の匂いなのだろう。

人間は、本来想像上のヴァーチャルな存在
でしかなかったものを具現化する能力がある。
そしてその具現化した道具を使ってまたさらに
新たな想像上の産物をどんどん具体化し続ける。
それを繰り返すことで人間は様々な器具や街
という物理的な道具や要塞を作り上げ、
それを利用し、或いはその中に身を隠すことで
自然の驚異から身を守っている。

それ故、もはや多くの人間が、自然の本当の姿を
頭に思い描くことすら出来なくなっているだろう。

また同じ様に人間は、善悪、道徳、宗教、法律、
精神論、権利、義務、責任、常識など、本来は
ありもしない様々な意味や法則を頭の中に作り上げ、
それらの幻想で形作った何らかの秩序ある物語を信じ、
その物語の中の住人になることで、本当は何の意味
も信頼出来る法則もない無慈悲な現実を意識の
外へと遠ざけることで、精神的な消耗を防いでいる。

そうでもして「現実」から目を反らさないと人間は精神
を蝕まれ、健全な状態を保っていることは出来ない。
人間にとって「現実」はそれ程恐ろしいものであり、
それ故その幻想は、人間にとってなくてはならない
重要なものなのだ。だから、皆自分の信じたその
物語を成立させようと必死なるし、その為に
殺し合いになることさえ珍しくない。

だが、自分はそういった幻想を一切信じることが
出来なくなった。もはや自分は物語の中の住人
ではなくなったのだ。

そしてその物語が消え去った後には、
ただ空虚なだだっ広い「現実」という荒野が広がり、
冬になると生命の命を奪う寒さがそこはかとない
死の匂いを漂わせ始める。

その匂いを嗅ぎながら、早く冬が去りこの寒さ
が消え去ってくれることを夢想する。

しかし、冬が終わるという時間経過は、また一歩
無残な死という確定した未来に近づくことを意味する。
すると今度は未来からもその匂いが漂ってくる。

ここ数年の冬に新たに感じるようになったこの感覚は、
そうやって自分が物語りを失い、独りその「現実」という
荒野に取り残されてしまったが故なのだろう。

テロより怖いもの(前編)

<ある種の白々しさや滑稽さ>

鳩山法相:「日本にテロリスト、うろうろ」 
今度は地元の福岡・久留米で発言(毎日新聞)


初の「自殺対策白書」9年連続3万人超(産経新聞)
---------
「友人の友人がアルカイダ」という発言をして
問題になった鳩山法相が、その後も懲りずに
「テロリストの怖いのが平気で日本をうろうろ
している」などと発言し、テロの脅威を煽り
立てることに懸命になっているようだ。

そういえば、駅に行くと「テロ警戒にご協力を」
などというポスターが張ってあったっけ。

だが、どうもこういったテロに対する危機感
を煽ろうとするメッセージにはどこかしら
白々しく滑稽なものを感じざるを得ない。

いや、勿論オウム事件のこともあるし、この国は
世界中で恨みをかっているアメリカの片棒を散々
担いできた訳だから、これから今までになかった
大きなテロが起きてそれによる被害を受けない
とも限らない。

だからこんなことを言うと平和ボケだと言う人も
いるかもしれないが、しかし、実際にそういった
テロに遭って人生に致命的なダメージを受ける
ことになる可能性はほんの僅かだろう。

だがそれに対し、冒頭の二つ目の記事を見ても
分かる通り、持続可能な安定した生活基盤を獲得
出来なかったが故に生存という枠組みから退かざる
を得なくなる人達は沢山いる。しかもこちらは
テロのように「起こるかもしれない」ではなく、
毎年必ず三万人程度の人間がそうなるのだ。

 ***

勿論この毎年三万という数字は偶然ではない。
それはこの社会が今の形を保ち続けるのに毎年
三万人程度の自殺者をそのコストとして必要と
してきたということを表している。

以前に書いた通り、人間は何かに依存しないと
生きていくことは出来ない。だが全ての人間が
その生活を問題なく送り続けるのに必要な分の
依存先は用意されていない。しかも中には質の
低い問題のある依存先も多い為、自ずとその
限られたより質の高い依存先を奪い合う事になる。

考え方としては、依存先を増やすことやその質
を上げるという選択肢もあるように思えるが、
それは既存の依存先の質を低下させることに
なるので、めったにそれが行われることはない。

だから例え何らかの依存先を獲得したとしても、
その依存先の質によっては激しい消耗を強いられ
たり、何らかの事情で持続可能でなかったりして、
他のもっと質の高い依存先を獲得しないと先の
見通しが立たないという場合も多い。そして当然、
全ての依存先を失い、新たにそれを獲得する力が
なくなれば、それは即ち死を意味する。

それを意識するか否かに関らず、全ての人間は
既に「限られた枠組みを奪い合う」という形で
行われる生存競争という名の戦争に参加している


勿論テロの被害に遭って生活を奪われるという
可能性もない訳ではないが、それよりもその戦争
に敗れることによって生活が成り立たなくなる
可能性の方が圧倒的に高く、その脅威に比べる
とテロによる脅威はどうしても見劣りするもの
として捉えざるを得ない。

特に、実際その戦争に於いて劣勢に立たされ、
今既に生存の危機に直面している、或いはその
境界線上を彷徨っている人達からすれば、尚更
その認識はハッキリとしたものになるだろう。
しかもテロが起ころうが起こるまいがその戦争が
これからもずっと続いていくことには変わりない
のだから、そんなことを一々気にしていても
仕方がないし、またそんな余裕もない筈だ。
そういう状況に置かれた人達は幾らでもいる。

つまり、むしろ何時起こるともしれないテロの
脅威に怯えその危険性を説くことに熱心になれる
のは、「枠組みの奪い合い」という戦争に於いて
ある程度安全な立場を確保し、自身がその戦争
に参加していることさえも忘れてしまう程
「平和な日常」を送ることが許されている
からこそそれが出来るんじゃないのか。

そういう人達が、その「平和な日常」という
台の上に登って「テロの脅威」を説いてみせたり、
時には、今既に現実的脅威に晒されている為に
そんなことを気にかける余裕もなく、本気で
その話に耳を傾けようとしない人達に
「平和ボケ」などと言ってみたりしても、
その行為は滑稽なものという他ないだろう。

しかも、より深刻で現実的な脅威である
「枠組み獲得戦争」での敗北が齎す結果やその
影響に対しては、殆ど個人の意志の持ち方にのみ
その原因や解決法を求め、誰も本気でその問題の
本質に向き合おうとはしないのが現実。

そういった常に生活に密着し、今も正に継続中の
より深刻な問題が実質的に見て見ぬフリをされる
中で、起こるか起こらないかも分からないテロの
脅威を強弁したところで、それは白々しいもの
としてしか聞こえてこない。

それに、自分の様などうしても「普通」を
獲得することが出来なかった人間からすれば、
テロよりも「普通」という体制側が行う「疎外」
という常設暴力の方が、「枠組み獲得戦争」
に於いて致命的結果を齎しかねないよっぽど
現実的で恐ろしいものに思えるのだが、
「テロの脅威」という一種非日常的な暴力が
重大視されることがあっても、そういった
現在も継続中の現実的な暴力が深刻なもの
として本気で取りざたされることは先ずない。

そういった問題に苦しみ続けて来た人間からしても、
やはりその警鐘は白々しく思えてしまうのだ。
テロの危機に備えるのもいいが、今既に継続中
の深刻な問題が幾らでもあるのだから、先ず
そちらにこそ本気で向かい合うべきだろう、と。

結局、「テロの脅威」を声高に叫ぶことによって
生まれるある種の白々しさや滑稽さの原因は、
その主張が、そういった生活に密着したより現実的
で深刻な問題を軽視しておきながら、テロという
一種非日常的なものの現実性を説くという、どこか
欠落した歪な形を形成しているものだからなのだろう。



<危機演出という奇妙な利害の一致>

しかし実際にテロの脅威を喧伝する人達の
中には、生活に余裕がなく生存という枠組みの
境界線上を彷徨っているような人達もいるだろう。

その場合、「テロの脅威」が現実逃避※1として
の機能を果たしていることが考えられる。
「テロの脅威」という非日常的で劇的なドラマ
を感じさせるものに注意を向けるということは、
行き詰まり感のある切迫した現実問題から
気を反らす効果を持っているからだ。

また、まだ起こっていないテロの危機に注意を
向けるということは、それ自体が未来を変える
ための建設的な行動の一つという考え方も出来る。
つまり、それは今目の前にある現実的な問題に
於いて自身が無力であることの無念さを、
もしかしたら起こるかもしれないテロの危機を
未然に防いで未来を変えるという代替行為で
以って補おうとしているともとれるのだ。

だがその為には、「テロの脅威」がある
程度の存在感を持っていなければならない。
だからこそ、それを演出する為により深刻な
現実問題を蔑ろにしてそれを喧伝して回る。

 ***

一方で、「テロの脅威」という危機演出は
政治家にとってもまた好都合でもある。

というのも、何時の時代に於いても政治家に
とって一番の課題は他ならぬ「枠組み問題」だ。
枠組みを獲得出来ない人間が増えればそれだけ
犯罪が増加することなるのは避けられないし、
その他にも自殺問題やホームレス問題といった
様々な問題が次々と噴出してくることになる。

そしてその状況が余りに悪化すれば、政治家
としての自身の立場だって危うくなる。

しかしながら、その枠組みになるべく多くの
人間を収める為には、依存先を増やしたり、
低質な依存先の質を改善するといったことが
必要になってくる訳だが、その為には既存の
高質な依存先の質を下げることが必須となる。

だがそんなことをその高質な依存先を既に
獲得している人達が許すはずがない。
しかもそういう人達は大抵社会的地位や
影響力の高い人達であり、政治家に献金をして
経済的に支えているのもまたそういう人達だ。
だからそう簡単にはそれは出来ない。

既存の高質な依存先にさらに磨きをかけるのか。
それともその質を落として新たな依存先を
増やし、低質な依存先の質を改善するのか。
政治家にとっては、どちらのベクトルを選択
しても批判を受ける事になる極めて難しい問題。


だが「テロの脅威」というものに注目を
集めることが出来れば、その難しい問題から
ある程度人々の関心を反らすことが出来る。
しかもテロ対策という大儀を用いれば自分達
の権限を強化し易くなるし、その為の設備や
機関を整えるという理由で予算を獲得し、
官僚達に恩を売ることだって出来る。

特に、「枠組み問題」で劣勢に立たされた、
本来なら政治家にとって一番厄介な人達が
そういった雰囲気作りに乗ってくれれば
こんなに都合の良いことはないだろう。
安心して高質な依存先をより高質なものへと
押し上げるベクトルの方へ事を運ぶ事が出来る。

つまり「テロの脅威」という危機演出は、
底辺で生存の境界線上を彷徨う人達には現実
逃避としてその恩恵を齎し、そして政治家に
とっては「枠組み問題」に対する底辺の人達の
注意を反らし、一方のベクトルへと導き易く
してくれる助け舟としてその恩恵を齎すという、
奇妙な利害の一致が成立することとなる。

→テロより怖いもの(後編)へ


※1 現実逃避という言葉は悪い意味で用いられる
ことが多いが、それ自体は決して悪いものではない。
むしろそれは精神的消耗を抑えるのに必要不可欠
なものであり、それを上手く活用出来ない人間は
いずれ何らかの精神的な病を抱え込むことになる
だろう。つまり、そうならない人は自分でも知らず
知らずの内にそれを上手く活用しているということ。

テロより怖いもの(後編)

<テロの生みの親としての「枠組み問題」>

→テロより怖いもの(前編)へ

<ホームレス>約4分の1が退役軍人
米民間団体調査(毎日新聞)

--------
テロの脅威が盛んに叫ばれるようになったのは
9.11のテロがアメリカで起きて以降だと思うが、
冒頭にリンクした記事にもあるように、その
「テロとの戦い」という御旗の下戦場に赴き
せっかく生きて帰ってきても、「枠組み獲得戦争」
に敗れればホームレスにならざるを得なかったり、
或いは自殺に追い込まれることになる。

9.11のテロでの死者数は三千人程度。
テロとの戦いという名目で行われたアフガン
侵攻での米軍の死者は今の時点で四百六十五人。
イラク戦争(実際テロとは関係なかったけど)
における米軍の死者数は三千八百六十人。
アメリカの年間自殺者数もちょうど日本と同じ大体
三万人程度なので、所謂テロとの戦いで戦死する
可能性よりも、「平和な日常」で「枠組み獲得戦争」
に敗れて戦死する可能性の方が圧倒的に高い。

そもそも、何故彼らが戦地に赴くことになった
のかと言えば、彼らがそういった質の低い
依存先しか獲得出来なかったからだろう。
まあ、もしかしたらプラトーンの主人公みたい
に世間知らずな勘違いでその戦争に参加する
人もいるのかもしれないが、その多くは生活
の為にそれに参加している。彼らだってもし
もっと高質な依存先を獲得出来ていたならば、
きっと戦場になんか行かなかった筈だ。
つまり彼らは「枠組み獲得戦争」で劣勢に
立たされたが故に戦場に行くことになった。

さらに言えば、9.11のテロが起こったのも
元はといえばアメリカが海外で行った戦争が
原因だろう。そして何故アメリカがそういった
戦争をあちこちで行い続けるのかと言えば、
イラク戦争では石油問題※1がちらついていた
様に、結局はアメリカ国内の生活水準を維持し、
それを磐石なものにしたいという想いがその
根本として働いているからじゃないのか。

どこの局が制作したものかはよく覚えていない
のでソースは不明ということになってしまうが、
アメリカには軍需産業で成り立っている町なんか
が結構あって、それが生活の維持と直結している
為に、戦争が全く無くなってしまうとその町に住む
人達の生活がなり行かなくなってしまう。だから
政治家はそこで票を獲得するために軍需産業を
活性化させる方向へと動き、日本では建設業に
多くの官僚が天下っていた様に、アメリカでは
軍需産業に官僚が天下りそういった政治家との
癒着が行われている、というような内容の海外の
ドキュメンタリー番組をNHK-BS7で見たことがある。

つまり、日本は長らく土建国家といわれ、機能的
には無駄でしかない橋や道路や箱物を次々と作り
続けることでその経済を回して来たが、アメリカ
では橋や道路を作る代わりに戦争を作って経済
を回してきた。そしてその戦争がテロを生み、
そのテロがまた戦争の口実になっているという。

 ***

で、結局何が言いたいのかというと、其々の
依存先は相関関係にある為に、ある枠組み内
の水準を保ちそれを向上させようとすれば、
それが同時に他者の依存先の質を低下させる
ことになったり、或いはその依存先や、誰かに
とって重要な何らかの依存対象(例えば宗教や
自身にとって重要な他者など心の支えになって
いるもの)を踏みにじり、それをぶち壊すこと
になってしまう場合もあるということ。

そしてそうやって質が低下した劣悪な依存先に
身を置かざるを得なくなった者や、それにより
依存先や依存対象を奪われ、行き場所や
心の支えを失った者達がホームレスになったり、
自殺に追い込まれたり、或いは犯罪に走ったり
恨みを晴らす為にテロ行為を行うことになる。

つまり、結局テロの問題も「枠組み問題」が
その根っこにあり、それがテロの生みの親と
なっていると言っても過言ではない。


オウムの問題にしてみても、持続可能な枠組み
を獲得出来ず、そこから溢れでた人達の受け入れ
先があのようなカルト教団しかなかったという
ことが事の本質だろう。それは暴力団問題や
その他の多くの犯罪の問題にしても同じことだ。

それに、テロは自身に何の落ち度がなくても
ただ運が悪いというだけでその被害に遭ってしまう、
つまり「対処のしようがない」という思いがある
からこそ人々はそれを恐れるんじゃないのか。

だとすれば、幾らそれを警戒した所で運が悪ければ
どの道その被害に遭うことは避けられないだろう。
実際、一般市民がそれに対して出来る実効性の
ある予防法などたかがしれている筈だ。

勿論国家という組織が出来ることは幾らかある
かもしれないが、それが行き過ぎるとアメリカの様に
人権を無視し、それを大儀とすれば野放図に権限を
許すような返って恐ろしい結果を生み出す事となる。
しかもそれによるテロ抑止の実質的効果は薄い。

つまり、自身の命や生活を投げ打ってまでその
恨みを晴らそうとするような人間を生み出して
しまった時点で、もう既にテロ対策は失敗している。


もし本気でその問題に取り組もうとするならば、
先ずその出所となっている「枠組み問題」に
こそ注目し、依存先の質のバランスや、より多く
の者が枠組みに収まり切る為の、多種多様な
依存先を作り出すことにこそ精を出すべきだろう。

にも拘らず、テロによって生活を奪われるよりも
圧倒的にそうなる可能性が高く、しかもテロを
生み出す原因にもなっているその問題から
目を反らしながらテロの危機を喧伝した所で、
それは馬鹿げたものと言わざるを得ない。

本当に恐ろしいのは、テロよりもそういった倒錯
した思想が世間を席巻し、人々がそれを信じて
しまうことで世の中が見当違いの方向へとその
歩みを進めてしまうことの方だろう。


※1 日本でも、アメリカの戦争に協力的に振舞わ
なければならないという意見に於いて、石油という
問題を上げてそれを強弁していた知識人が沢山いたし、
実際それが一番説得力を持っていたように思う。

Mid/Side分離ルーティング

<訂正:2010/10/11>

見事間違ってました。すみません(元には戻っていたけど、よく理解しないままをトラックを節約しようとした結果、「Mid」で鳴っている音声がただの「L◇R」になっていた)。今更だけど、訂正したプロジェクトファイル(REAPERv0.999用)を上げておきます。


プロジェクトファイルの使い方は、 Tr1 に意中の 2mix ファイルを読み込ませ、「Mid/Side」もしくは「Left Channel/Right Channel」に EQ やコンプなど、好きなプラグインを立ち上げて調整するだけ。個別に音を確認したい場合は、そのトラックのソロボタンを点灯させ、I/O でマスターへのセンドにチェックを入れる(確認し終わったらそのチェックを外す)。尚、ここでは一旦復元トラックを噛ませ、そこからマスターに送っているが、「Mid/Side」もしくは「Left Channel/Right Channel」から直接マスターに音声を送る場合、復元トラック「Re-L/R」は必要ありません。「左チャンネル◇右チャンネル」は「L◇R」 で表現。さらに詳しい内容はここに書きました。

▼タイプ1(「S◇S」)MidSide2_v1.RPP

MidSide2v1.png

Tr1→2mix(←ステレオファイル「L◇R」を読み込ませる。L抜き出し用)
Tr2→2mix(Tr1≫「L◇R」 R抜き出し用)
Tr3→Mid(「L◇R」をモノラルmixで受け取り→M)
Tr4→Side(「L◇L」-「R◇R」=2S→-6dBでSに)
Tr5→Left Channel(M+S=L→パンを左に振って「L◇0」 Tr7 へ)
Tr6→Right Channel(M-S=R→パンを右に振って「0◇R」 Tr7 へ)
Tr7→復元(Tr5&6≫「L◇R」→マスターへ)

▼タイプ2(「S◇-S」)MidSide2_v2.RPP

MidSide2v2.png

Tr1→2mix(←ステレオファイル「L◇R」を読み込ませる)
Tr2→2mix(Tr1≫「L◇R」 モノラルmix抜き出し用)
Tr3→Mid(「L◇R」をモノラルmixで受け取り→M)
Tr4→Side(「L◇R」-「M◇M」=「S◇-S」)
Tr5→復元(Tr3&4≫「M◇M」+「S◇-S」=「L◇R」→マスターへ)

===================↑訂正ここまで==================== 

現実逃避も兼ねて、再びREAPERの話題。

マスタリングの際に、Mid/Side其々の
成分を分けて別個にコンプやEQを掛ける
手法があるらしいことを知った。

それでネット上の情報を参考にして
一旦Mid/Sideの成分を別々に分離し、
それから其々を混ぜ合わせて元に戻す
ルーティングのプロジェクトを作ってみた。

以下そのルーティングの手順。
midside20071112.jpg

1. tr1の元音源にtr2からRを逆相に
したものをぶつけてR成分を相殺し、
それをモノラルにしてtr4の「Side」に送る。

2. tr5の「Left」に、tr3の元音源を
モノラルにした「Mid」とtr4の「Side」
を送って混ぜ合わせ、パンを左に振る。

3. 同じくtr6の「Right」にtr3から
「Mid」とtr4の「Side」を逆相にしたもの
を送って混ぜ合わせ、パンを右に振る。

※予めtr1-3にミックスダウンしたファイル
をセットし、tr5とtr6だけをマスターに
送るセッティングをして置く。
------------

これで一応元通りの音に戻っている
様な気がするんだけど、どうだろう。
このルーティングで合っているのかどうか
自信は全くないが、一応参考として
プロジェクトファイルを置いておくことにする。

MidSide.RPP

使い方は、先ずトラック1~3にミックスダウン
した同一ファイルをセットし、後は「Mid」と
「Side」にそれぞれコンプやEQを仕込んだり、
必要に応じて音量を調節したりするだけ。

VSTで其々の成分を別々に調節することが出来る
ものもあるが、こうやって一旦其々を分離すると
より自由にそれを弄ることが可能になる。

まあルーティングが正しければの話だが。
間違ってたらごめん。

 ***

因みに、このルーティングを使って其々
別個にコンプを入れ、さらにマスターにも
リミッターを入れて音圧を上げてみた。

曲を作る気力がないのでファイルは以前に
使ったものの使い回し。音源はMSGS。
batta20070220.mp3(処理前)
batta_ms.mp3(処理後)

この方法を使うと簡単に音圧を稼げる。
その是非はともかくとして。

トラック削除時の注意点

REAPER関連。

どうも、他トラックとのSends/Receives関係を解除
しないままそのトラックを削除して再生ボタンを押す
と強制終了になってしまうらしいことに気付いた。

ただ、これはどんな場合でも必ず起こるという訳
ではないようで、どこかのトラックからReceivesで
受けてそれをさらに他のトラックにSendsで送るという
ような中継地点となっているトラックの関係を解除
しないまま削除するとそうなってしまうみたい。
(もしかして常識?)

そういえば、過去にも何度かそういう状態に陥り
プロジェクトを一から作り直したことがあったが、
あれもこのことが原因だったのかもしれない。

特にREAPER上で音声ファイルやMIDIを細かく
弄っていた場合は作り直すのが大変だった。

何にせよ、中継トラックを削除してプロジェクトが
おかしくなったことに気が付かないまま上書き保存
してそのまま終了してしまうと取り返しが付かない
ことになってしまうので、トラックを削除する時は
他のトラックとの関係を解除した上で削除する
という習慣を身に付けた方が無難かもしれない。

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プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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