ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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誰だ、橋下氏に救いの手を差し伸べる奴は!

橋下事務所に脅迫状?=白い粉入り、府警が捜査-大阪 (時事通信)

 橋下徹大阪府知事の法律事務所(大阪市)と府庁の改革プロジェクトチームあてに28日、脅迫状のような書面と白い粉が入った封筒が届いた。府警捜査1課などは脅迫容疑で捜査を始めた。

 同課によると、封筒には脅迫と受け取れる内容の文言が手書きされた便せんがあった。橋下知事を名指した文面ではなかったという。

 白い粉はポリ袋に入っており、府庁に届いた粉はでんぷんだった。消印は2通とも大阪市内の同じ郵便局で、差出人は団体名だったという。 

全くけしからん。

恐らく「橋下改革」で割を食う人の犯行なのだろうが、
こんなことしたら「正義の改革者」対「悪の抵抗勢力」という
構図がより際立ち、益々彼への支持が高まるだけだろうが。

既に様々な問題を抱え、それに悩まされている彼に対して
救いの手を差し伸べているも同然の愚行。
(こういう脅迫を受ければ受けるほど、彼自身も
自分が正しいことをしているという確信を強くするだろう)

ちょっとはもの考えて行動しろよ。
まあ幾ら考えたところでどうにもならんとは思うが。

だから、自分は考えた末「行動しないという行動」を取ることに決めた。
こんな潔い決断を下せる奴はそうそういまい。これぞ決断主義※1

(本当は単に疲弊し、一生分の精神力と錯覚力※2を使い果たしただけが…)



※1 因みに、「死」という人間にとって最大の普遍的恐怖を克服し、
自殺という決断を下すことが出来る人間は決断主義のエキスパート中の
エキスパート。まあ決断主義なんてものは、「結果」に対する因果の
主要な要因を一個人の意思に求めることが出来るという精神論的妄想
の上でしか成り立たない話なのだが。「決断主義はセカイ系に内包される」
ということに早く気づいてくれよ、21世紀の精神論者達は。
「出来るはずなのにしない」のでも「せずにいいのにする」のでもない。
始めから前提として「出来ない現実」や「せざるを得ない現実」があるんだよ。
いい加減、口先だけじゃなくその現実と目を合わしてくれ。

※2 何らかの行動を起こすことが良い結果に繋がると信じることが出来る力。
また、自分の人生に何らかの価値を見出す(感じる)ことが出来る力。
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人生には「進歩」も「成長」もない

それはあくまで比喩表現、
或いは、その比喩表現から生まれた幻想でしかない。

そこにはただ「変遷」と「政治」、そしてその政治的成功や失敗が
人々に抱かせる不確かな「評価」のみが存在している。

しかし、例えそれが幻想であっても、
その幻想が織り成す虚構の物語を信じることが出来るからこそ、
その者は己の人生を有意義なものとすることが出来る。
物語に浸り、自らがその一部を担っていると
認識することによって初めてそれが可能となる。

人間は、自らが一個の独立した生命体
であることが恐ろしくて堪らない。
その孤独に耐えられない。

だから、物語という母体に抱かれ、その母体から
承認という授乳を受け続けないと安堵を得ることが出来ない。
己自身の価値を見出すことが出来ない。
一個体だけでは自己の存在すら肯定出来ない。
そういう脆弱性を抱えた存在。

だが、その脆弱性が克服されることは決してない。
人間がどこか一方向に向かってその歩みを進めることもない。
人生に「進歩」や「成長」がないように、
人間もまた「進歩」することもなければ「成長」することもない。
道具やシステムが進歩することはあったとしても。

人間はただ人間として、その枠の中で変遷し続ける。
脆弱性の海を泳ぎ続ける。

そして「進歩」や「成長」は、ただその変遷の中で生み出される
幻想の中でだけ人々と共に存在することが出来る。

いずれ「ナウく」なる運命

ナウいの解説(日本語俗語辞書)

ナウいとは「今風の」「流行の」といった意味の形容詞で、その中でも最先端なものといった意を含んで使われることが多い。英語で「今」という意味の“now” に形容詞形にする接尾辞「い」をつけたものではあるが、ナウいが流行る1970年代終わりまでに形容動詞形の『ナウな』が流行っており、ナウいはこの『ナウな』の派生語と考えてよい。どちらにしても現代ではほとんど使われなくなっており、全くナウくない死語である。


解説にあるように、「ナウい」という言葉はかつては最先端を想わせる
ものを指し示し、それを賞賛するような意味で用いられていた…、筈だった。

しかし、今や(といってももうずっと前からだが)
その最先端のものを指し示す為に誕生した筈のその言葉は、
むしろ逆に、何かに対する珍妙さや時代錯誤具合を指し示し、
そのことを揶揄する様な意味合いで用いられるようになってしまった。

つまり、言葉自体は物理的に何ら変化していない筈なのに、ただ時間が
経過しただけでそれが間逆の性質を帯びたものへと変容してしまったのだ。

だが、こういった運命を辿るのは何もこの「ナウい」という言葉だけではない。

例えば当時の流行の最先端を象徴していた場所を映した昔のVTRなんかを
見てみると、その画面の中に映し出された人々は、今の尺度から考えると
とてもギャグとしか思えないような恥いファッションに身を包み、
それで平気な顔をして闊歩していたり、妙な踊りを踊っていたりする。
しかし、その時代は確かにそういった装飾具合や妙な踊りが
ファッションとして優れていると評価されていたのだろう。

もの自体が変わったのではない。人々の尺度が変わったのだ。

斬新だった筈のものが陳腐なものへ。
最先端だった筈ものが時代遅れのものへ。
持っていると羨ましがられた筈の物が、持っているだけで恥かしい物へ。
格好良かった筈のものが格好悪いものへ。賞賛が侮蔑へ。

そう、流行というものはいずれ「ナウく」なる運命にあるのだ。
(勿論、後に再評価されたり、細々と生き残り続けるものもあるが)

だとすれば、基本的に流行りものは「ナウい」という言葉が辿った
のと同じ様な道を辿ることはもう既に分かっているのだから、
今最先端のものとして流行っているもの(思想や風潮なども含めて)も、
それが流行として陳腐化する前に「ナウい」という称号を与え、
それをその一連の現象の流れの一部としてその言葉で指し示して
いいんじゃないかと思う。

そして、その一連の現象の成り行きを実際に体験し、
「死語」として“生き残った”数少ない生存者である
「ナウい」という言葉に、その自らの体験の語り部になってもらう。

人間は、例え同じものであってもその場の空気や雰囲気によって
そのものに対する評価を180度変えてしまうような、そういう
なんとも不確かで頼りない評価機能や判断力しか持っていない。
そういったことへ警鐘を鳴らし、自戒を促す意味でも、
流行りものは基本的に全て「ナウい」ということでいいんじゃないかと。

勿論、それを分かった上で敢えてその場所やその時代の
空気とダンスをするのであれば、それはそれでありだとは思うけど。

橋下氏の強さの秘密

橋下知事、中国重視の姿勢を猛アピール(asashi.com)

大阪府の橋下徹知事は19日、大阪市内のホテルで、来日中の中国の楊潔(ヤン・チエ)チー外相と会談し、「関西一丸となって中国との結びつきを深めていきたい」と中国重視の姿勢を積極的にアピールした。

 橋下知事は、2月の唐家セン国務委員との会談や3月の上海訪問を紹介。5月の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の来日の際には「関西にお越し下さるよう伝えて欲しい」と話した。一方「外交問題は政府の問題」としてチベット問題には触れず、「今年は北京五輪もある。ますます中国と日本、中国と関西のきずなを深めるようがんばりたい」と述べた。

楊潔外相
 ↓        
(*^-^)八(^∇^*)<中国と関西の、き☆ず☆な b(゚ー^〃)
       ↑ 
   橋下府知事


----------------------------------------------

バリバリの嫌中派だった筈の橋下氏が、
チベット騒動の真っ只中でこんな発言をするようになるとは…。

もしかして絆って「ODA≒売春(橋下解釈による)」のことだったりして。

まあ、「いつも心に二万%を」の橋下氏が
何を言おうが別に驚くことはないんだけど。

それはそうと、結局彼の「強さ」の秘訣は、彼が自分の感情を
その場の空気と一体化させることが出来る特殊能力を
持っているが故なのではないかと、この前の嘘泣き騒動
みて思うようになった。あれは嘘泣きではないと自分は思う。

現実に於いて、「強い個人」なんてものは存在しない。
基本的に個人は集団の力に決して勝つことは出来ないからだ。
だからこそ、「個人」という存在のコンプレックスの表れとして、
娯楽として生み出される物語や物語化された歴史の中にはやたらと強い
個人が登場することになる。しかしそれは所詮捏造された物語の上での話。
現実では集団の蠢きが生み出したウネリの力や、それによって
構築されていくシステムや風土を上手く利用することが出来ている
者こそが強者であり、それが下手な者がこそが弱者なのである。
つまり、一個人の力だけで強者や弱者に振り分けられている
訳ではないということ。

だから、当然強者である橋下氏はそれを上手く利用することが
出来ている訳だが、彼が特殊なのはその集団が生み出すウネリと
自らの感情を完全に一体化することが出来るということだ。

例えば(支持を受ける層はかなり違うが)橋下氏と
似たようなタイプのメディア大衆芸人にみのもんた氏がいる。
だが彼の場合は、あくまで理性によって空気を読み、理性によって
怒ってみたり、喜んでみたり、深刻ぶってみせたりする。そうやって
視聴者の気持を代弁してみせることで、見ている者達にカタルシスを齎す。
一見激怒しているようでいても、その裏にはちゃんと理性がいて、
その激怒を仕切っているというのが彼のやり方。

それ故彼の喜怒哀楽はどこか白々しさを感じ、求心力は弱い。
しかし、逆に言えばそうやって裏で理性が仕切っているからこそ
安定感や安心感を感じるということもあるだろう。
長年長寿番組を任され、様々な局がバカ高いギャラを払ってまで
彼を起用しようとするのはそういった安定感や安心感故だろう。
彼の芸は、マンネリ化した一種の様式美芸なのだ。

これに対して橋下氏は、何らかの空気と感情を完全に一体化させ、
イタコ状態になって本気で怒り、本気で喜び、本気で泣いてみせる。
その為、突然頭の悪い中学生みたいな発言をして物議を醸し出すことも
珍しくなく、安定感や安心感には欠けるが、その代わりに見ている者に
スリルと興奮を齎す。そしてその頭の悪い中学生みたいな発言も、
実は誰もが本心では思っていながら、普段は規範や世間体や論理的
整合性を気にして中々発言出来ないような、人間の持つ原始的な
欲求を代弁しているものだったりする。

それを橋下氏が先ず先陣を切って発言してみせることで、
人々は堂々とそれを口に出来るようになる。
橋下氏の存在は、そういった役割も果たしているのである。

彼が稀代の大嘘つきであることはもはや誰もが知るところであろうが、
しかしそれも、発言の「内容」は嘘まみれではあっても、少なくとも
その発言を行ったその時点での彼の「感情」自体には嘘偽りがなく、
心の底から本気でそれを発言しているのだと思う。
(そうでもないと、その後ろめたさがオドオドとした態度として表れ出たり、
己の罪悪感で内面が攻撃され精神的にボロボロになっている筈だ。
しかしどうもその様子はない)

みのもんた氏があくまで理性によって事後的に空気を読み、
予めテンプレ的に用意された雛形のどれかを選んでその主張を行う
という受身姿勢であるのに対し、空気と感情が一体化した橋下氏は、
その空気の欲求を先読みし、他の著名人が言わないことを真っ先に提示
してみせる。あたかも個人ではなく、集合体の一部であるかの様に発言を為す。
ここに橋下氏とみのもんた氏の決定的な違いがある。

勿論、実際には世間や社会、国家などという主体は存在せず、
ありとあらゆる主張はあくまで個人のものでしかない訳だが、彼は空気の
イタコと化すことでその集団の蠢きが生み出すウネリの動きを先読みし、
その流れの先陣を切ることが出来るため、そう見えるのである。

映画『イノセンス』で、世界の管理を任されるようになった電脳ネットワーク
と一体化し、もはや個人ではなくその集合体の一部となったた草薙素子が
無敵だったのと同じように、空気のイタコと化し、あたかも世間という
集合体の一部になったかの様に振舞える橋下徹もまた無敵なのだ。

少なくともその能力が衰えない限りは。

ただ、彼の人気の秘密はそれだけでなく、彼が優れた「善と悪の物語」
の提供者であり、それによって人々の暴力欲を正義の名の下に心置きなく
発散することを可能としてくれる人物であるから、ということもある。
しかし、これもその生み出される物語は何でもよいという訳ではなく、
その場所や時代に適合したものでないとそれは効力を為さない。

ある時代や場所では大多数の者に熱狂的に支持された筈の物語が、
時代や場所が変わっただけで総スカンを食らうというのは珍しくない。
つまり、彼が優れた物語の提供者でいられるのも、やはり彼がその場の
空気と一体化することが出来る特殊な能力を持ち合わせているからこそなのだ。

 ***

ただし、今回の(というか知事職についてからの中国側の要人に対して
どのように振舞うかという)判断は彼にとっても中々難しいものであっただろう。
恐らく彼の支持者の多くは、きっと彼が中国側に対して厳しい非難を
叩きつけることを期待していただろうから。

しかし、幾ら彼が中国を厳しく非難してみたところで、楊潔外相に
「フリー・チベット!」と叫んでみたところで、それがチベットでの
弾圧解消にとって何の効果もないことは誰もが知っている。彼はそういった
事実や己の府知事という立場を鑑みて、所謂大人の対応を取った訳だ。

しかしこの対応は、彼の支持者達の多くを落胆させる結果となったことだろう。
かといって、この大人の対応を取って見せたことが、彼の不支持者が支持者へ
と転向するきっかけになるとも余り思えない。つまり、どちらの選択をしても
彼にとってはプラスにならない選択肢しか用意されていなかった。

とはいえ、嫌中というのは彼の幾つかある柱の一つでしかない。

ならば、普段は「人権イラネ」とか、「世の中は弱肉強食だから弱い者が
痛い目に遭うのは仕方がない」とか、「予め危険だと分かっていることを
行って痛い目に遭っても自業自得」とか、「多数決こそ正義」とか、
「市民活動をする奴はキモい」とか、言っていたはずなのに、
遠く離れたチベットで危険だと分かっていながら行われたデモが
武力で鎮圧されたことに対し、突然マイノリティーの人権を守る為のデモ
として市民活動を行い始め※1、差別的なプラカードを掲げてみたり、
何故か「竹島を返せ」などとシュプレッヒコールをあげてみたりするような
人達のイタコとなるよりも、大人の世界の空気に一体化し、その一人として
振舞うことの方が自分にとってプラスになると彼は判断したのだろう。

まあ、ついこの間までは彼もその中の一人だった筈なんだけど。
ここら辺は、散々一緒にツルんで悪さをしてきた仲間の一人が、
出世して社会的地位を獲得した途端、急にその仲間達によそよそしい
態度を取り始めるのと何となく似ているような気もするが。

それはともかく、彼の最も重要とする柱は「民対官」という対立軸によって
作り出された「善と悪の物語」だ。そしてこの物語は未だに多くの者達を
惹き付け続けている。恐らく、この物語が求心力を持ち続ける限りは、
多分彼の今の人気もまた安泰であり続けるのだろう。

しかし、もし仮に現・橋下氏が求心力を失ったとしても、
次に彼に代わって大きな求心力を獲得する者は、やはり彼と
似たような能力を持ち、同じ様な手法を使うことで人気を獲得する
新・橋下氏でしかないように思う。自分の学校人生に於いても、
やはりいつも橋下氏的な者がその場の秩序を仕切っていたし。

そうやって延々と繰り返される橋下フーガ。
或いは、一見表舞台からその姿を消したかのように思えても、
その裏ではずっと橋下的固執低音が鳴り響いている。

きっと世の中はそういう風に出来ている。
つまり、橋下氏が社会を動かしているのではなく、社会が
空気の申し子としての役割を受け持つ橋下氏的な存在を欲している。
そして、それによって人間の原始的な欲求の揺り戻しを常に目論んでいる。

だから、結局その場所や時代に出現する「橋下徹」達とどのように
向き合っていくかということでしかないんだろうな、実際のところは。



※1 恐らく、この国内と国外で180度変化する彼らの主張には、
単なる嫌中趣味だけでなく、意思の力を上手く使えば全ての人間が
最低限の社会的地位や幸せを獲得出来るという精神論的ユートピアが、
日本国内にのみ成立しているという、日本的宗教の特殊性が
それに関係しているのだろうけど。

ストリングス・ロック

前に昔作った曲のネタはもう尽きたと言ったけど、
また古いMIDIを発見したので録音してみた。

st_rock.mp3(5分16秒)※1

※後半かなり音量がでかくなるので注意。

使用音源:SGM-V2.01,VSC
-------------
ストリングス・ロックといってもELOみたいな
バンド+ストリングスみたいな編成じゃなくて、音色はストリングスのみ。

元々は、一つの旋律を其々の声部へ受け渡していくというアイデア
(冒頭部分がそれ)を用いてバーバーのアダージョみたいなマッタリとした
曲を作ろうと思って作り始めたものの、なんか直ぐに間が持たなくなって
途中でロックっぽいイメージの曲へと方向性をチェンジしたのを覚えている。

で、気が付いたらいつの間にか気恥ずかしいくらい
大仰で直情的な曲になっていたという。



※1 (5/17)改訂版に差し替え。

そういうモンスターにわたしはなりたい

「モンスターペアレント」対応マニュアル作成 大阪市教委(産経ニュース)

モンスターペアレント対応に専門家活用-県教委(四国新聞)

------------
どうもメディアのテコ入れは大成功だったようで、予想通り
この話題に便乗した書籍なんかも次から次へと登場して商売繁盛、
儲かりまっか?ボチボチでんな、といった塩梅。
民衆もまたこの“サーカス”が大変お気に入りみたいで、
その声に押されてついに行政をも動かす運びへとなりましたとさ。

しかし、普段マスコミ不信を自称している人達が簡単にこういった
マスコミ提供の娯楽に飛びついてしまったりするのは一体なんなのか。
結局マスコミ批判も、それ自体が“サーカス”としての
機能を果たしているということでしかないということか。

 ***

だが、実際のところメディアを騒がせているモンスターペアレント
なんてものはモンスターとしては三下もいいところ。
本当に恐ろしいもっと格上のモンスター達は、
自らがモンスターであると悟られずにその活動を行っている。

というのも、周りからモンスターであると認識されたその時から、
その者は狩られる者としての宿命を背負わなければならなくなる。
つまり、抑圧される者としての側面を持ち合わせることになってしまう。
賢明な格上モンスター達は決してそんな下手を打ったりはしない。

自身がモンスターであるかということに気づかれず、
如何にリスクを負わずにモンスター活動を行うことが出来るか。
これによってモンスターの格が決定される。
だから、直ぐにモンスターだと認識されてしまうような
モンスターなんてただの下っ端モンスターでしかないのだ。

真に優秀なモンスターは常に良識人の皮を被っている。
いつも正義の仮面を付けている。
善と悪の物語を上手く利用し、人々扇動する。
正義という麻薬で人間達を篭絡する。

そして、いつも社会という群れの中に身を隠し、
何か行為を行う時はその群れの一部としてそれをなす。
決して個体としての姿で活動を行ったりはしない。
幾ら屈強なモンスターといえども、組織には勝つことが出来ないからだ。

しかし、それだけではまだ一流モンスターになるには条件が不足している。

何故ならば、モンスターは自らがモンスターであることに悩むからだ。
幾ら優秀な秘匿能力や空気操作能力を持っていたとしても、
己の醜さや一貫性のなさに罪悪感を感じ、自己嫌悪に陥って
勝手に自滅してしまうモンスターは決して珍しくない。

故に、本当の一流のモンスターになるためにはそういった
モンスターとしての基礎能力の高さだけではなく、
自分自身がモンスターであるという自意識を隠蔽し、
己の矛盾や過ちを自身の道徳心の評価の対象外とすることで
その罪悪感から逃れる特殊な才能が必要になる。

善悪とは内容ではない。認識だ。
だから、他者と自分自身にそれを善だと認識させることが出来れば
それは善であり、悪だと認識させることが出来ればそれは悪になる。
少なくともそう認識させている間は。

道徳的に言えば、こういった自意識の隠蔽行為は
卑怯極まりない行為ということになるだろう。

しかし、これは生存競争なのだ。
生存競争に善いも悪いも無いだろう。あるのは上手いか下手かだけだ。
そもそも善悪や道徳という概念自体がその競争を有利にするための
モンスターアイテムでしかないのだから。

とはいえ、そのアイテムは諸刃の剣のようなもの。
多くのモンスター達はその剣によって自分自身をも傷つけてしまう。
だが一流モンスターは、その善悪という諸刃の剣を完全に制御し、
決して自分自身をそれで傷つけることはない。

そうやって諸刃の剣を使いこなすことで群れを上手く扇動する。
何か主張する時は群れの一部としてそれを主張し、
決して個体として責任を負わないように活動を行う。
その上、自らがモンスターであることすら気づかない。
そんな一流モンスターに私はなりたい。

そうなれば、何も悩み苦しむことなどなくなるのだから。


東に鬱病の子供あれば 行って精神論を唱えてやり

西に疲れた母あれば 行って自己責任と追い討ちを掛け

南に死にそうな人あれば 行って迷惑を掛けずに死ねといい

北に喧嘩や訴訟があれば 盛り上がってきましたといい

感動秘話には涙を流し 弱者の心をズカズカ歩き 

みんなに普通と呼ばれ

気づきもせず 気づかれもせず

そういうモンスターに わたしはなりたい 




(4/19) 少し記事に手を加えた。

お茶に溺れる

自分は酒を飲まない。
酒を飲みたいという欲求も無いし、
家の人間も誰も酒を飲まないので、
手を伸ばせばそこに酒があるという環境にもない。
酒によって現実を誤魔化すことに抵抗感もある。

しかし何より、酒を飲んで自分を失うのが怖くてしょうがない。
もしそんな事になったら、今の今まで抱えて来た鬱積を
全てそこらじゅうにぶちまけてしまいそうな気がする。
だから一時も「自分」の傍を離れる事が出来ない。
ずっと「自分」を見張っていなければならない。

しかし、そうやって常に「自分」と
対峙し続けるのは苦痛で仕方がない。
イライラと不安と恐怖で居ても立ってもいられなくなる。
そんな時は、少しでもそれを抑えようとして
お茶を飲むのが習慣になっている。
喉が渇いていなくても飲む。頻繁に飲む。

それでふと思った。
ああ、酒に溺れる人の心理はこんな感じなんだろうなあ、と。
もし自分に酒を飲む習慣があって、
手を伸ばせばすぐそこに酒があるという環境に居たのなら、
自分は間違いなくアルコール中毒になっていただろう。
「自分」を放り出していただろう。

お茶に溺れるか、酒に溺れるかだけの違い。

ただ、それが「酒」だった場合、それの持つ性質から、
また更に様々な問題を抱えていかなければならなくなる。
そういうちょっとした事で
人間の人生は決まっていくんだろうなあ、と。

flash-mp3-player

ようやく納得のいくmp3プレイヤーを見つけることが出来た。
細かい設定が可能な上に、設置も簡単。
それがこの「flash-mp3-player」






----------------------
今まで色んなプレイヤーを試してみたけど、
何故かこのブログとの相性が悪くて使えなかったり、
ボリューム調節が出来なかったり、やたらと派手すぎるデザイン
だったり、複数の曲をリスト化して演奏することが出来なかったりして、
なかなか「これは」と思うものを見つけることが出来なかったのだが、
ようやく満足のいくものに出会えた、という感じだ。

確かこのプレイヤーを配布しているサイトには以前にも行ったことが
ある筈なのだが、その時このタイプのプレイヤーは無かったような。
これはその後になってから公開されたのだろうか。
それとも単に自分が見過ごしていただけなのか…。

それはともかく、このプレイヤーの設置自体は至極簡単なのだが、
自分は複数の曲をリスト化するのにちょっと手間取ったので、
それも含めて一応設置の手順を書いておこうと思う。
自分みたいにコードに疎い人間もいるかもしれないし。

 ***

 <(1)プレイヤーの選択>


先ず、このプレイヤーを配布しているサイトに行って複数あるプレイヤー
の中から意中のタイプのプレイヤーを選択する。今回は「MULTI」を選択。
プレイヤーはこのサイトから直接呼び出すことが出来るので、
それでよければ必要ないが、もし別の場所から呼び出したければ
「Download」から「template_multi_1.2.1.zip」をダウンロードし、
その中にある「player_mp3_multi.swf 」を必要な場所にアップしておく。
(自分は一旦それをFC2にアップロードし、そこから呼び出している)

 <(2)「HTML code」の取得>

サイトの右上にある「Generator」をクリックすると、プレイヤーの大きさや
カラー、ボタンの表示・非表示、ループするか否か、など様々な項目が
表示されるので、そこから自分にあった設定を選ぶ。
そうすると「HTML code」に自動的にテンプレが作成されるので、
それをテキストエディタなどにコピーする(一部文字化けするみたい)。

参考例:

<object type="application/x-shockwave-flash" data="http://flash-mp3-player.net/medias/player_mp3_multi.swf" width="200" height="100">
<param name="movie" value="http://flash-mp3-player.net/medias/player_mp3_multi.swf" />
<param name="bgcolor" value="#ffffff" />
<param name="FlashVars" value="mp3=http://1曲目|http://2曲目&amp;title=1曲目のタイトル|2曲目のタイトル&amp;showvolume=1" />
</object>

 <(3)複数の曲をリストアップ>

上の参考例の「"FlashVars" value="mp3=」以降に注目。
ここでmp3をどこから呼び出すのかを決定する訳だが、
この際、複数の曲をリストに追加する場合は、
URLとURLの間に“|”を挟んでその呼び出し先を指定していく。
例えば「http://1曲目|http://2曲目|http://3曲目|~」といったように。

 <(4)曲のタイトルを指定する>

しかし、これだけだとリストに呼び出し先のURL自体が表示されてしまう。
そこで今度は呼び出した其々のmp3にタイトルを指定していく。
タイトルを指定する場合は、mp3の呼び出し先(複数の曲を
呼び出した時はその一番後ろ)の後に「&title=」を追加して
そこで指定していく。これも同じ様に“|”でしきって
「title=1曲目のタイトル|2曲目のタイトル|3曲目のタイトル|~」
といったように指定していく。

 <(5)コードをブログに貼り付ける>

もしプレイヤーを配布元サイト以外の場所から呼び出す場合は、
該当箇所をその呼び出し先のURLに書き換えておき、
あとはそのコードをブログに貼り付けるだけ。

 ***

自分が今まで試してみた中ではこのプレイヤーがピカイチ。
だけど、唯一不満なのはダウンロードボタンが無いこと(2008/4/4時点)。
この設定さえ出来るようになれば、もう文句なしに完璧なんだけどなあ。

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プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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