ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

早くも便乗犯が現れた

「理解に苦しむ」「厳罰化を」=閣僚から発言-小泉容疑者逮捕(時事通信)

元厚生事務次官宅連続襲撃事件で小泉毅容疑者が銃刀法違反容疑で逮捕されたことについて、25日午前の閣議後の記者会見で閣僚から「凶悪にして卑劣な許し難い犯行だ」(森英介法相)など発言が相次いだ。(中略)

鳩山邦夫総務相は「治安を守るため、あらゆる意味で厳罰化が必要だ」との考えを示した。


小泉容疑者の人物像、各地でトラブル(TBS News)

 小泉容疑者のものとみられる、TBSのホームページへの書き込み。そこにも、こんな文面がありました。

 「34年前、保健所に家族を殺された仇討ちである!やつらは今も罪の無い50万頭ものペットを殺し続けている」

 “殺された犬の仕返し”という供述に、地元の保健所は困惑を隠せません。

今回の事件は、直接犯人に繋がるような物的証拠が殆ど出ず、それ故、事件を起こした者が逃げ通そうとすれば逃げ通せた可能性も高かったのではないか。それと同時に、もし犯人が捕まればその者に極刑が科せられることになる可能性が高い、ということもまた容易に想像がついたはずだ。にも拘らず、この容疑者は自ら名乗り出た。
---------------------

そういう事件を例にとって「厳罰化が必要だ」などと主張することは、本気でそう思っているのならばそれは極めて稚拙な発言と言わざるを得ないだろう。またそれが事件に便乗して厳罰化を推し進めようとするようなものであるならば、それは極めて悪質な発言と言わざるを得ない。何故ならそれは、「治安を守る」という目的がいつのまにか「罰すること」、つまり誰かに苦痛を与えることに摩り替わってしまっているからだ。この考え方には猟奇的※1なものさえ感じる。結局この人の考え方自体は、この事件を起こしたとされる容疑者が主張していることと何も変わらないじゃないかと。ただ違うのは、一方が直接自分の手を使って己のその欲求を満足させようとしたのに対し、もう一方は社会システムにそれを代行してもらい、その欲求を満足させようとしているということだけ。

でもこの人、これで東大を出ていたりするんだよなあ。この鳩山邦夫氏と、同じく東大出身の中山成彬氏の二人は、図らずも、幾らテストで良い点を取ることが出来る能力があってもそれだけじゃ駄目なんだということを、その言動や振る舞いを通して多くの人々に伝えてくれる良き生き証人としての役割を果たすこととなっている。



追記: ※1 ただし、それが露にされるか否かの違いはあれど、こういった猟奇性は全ての人間が兼ね備えているものでもあるのだが。
スポンサーサイト

むしろ“勧誘”されたのは知事の方なんじゃないのかと

橋下知事「ぜひ府庁職員に」中学生“勧誘”(スポーツ報知)

 大阪府の橋下徹知事は22日、府内の公立中学校の生徒会役員が交流する「生徒会サミット」に出席。生徒が地域と連携した学校づくりを提案すると、「僕がやりたいことをやってくれている。将来、ぜひ府庁職員になって」とラブコールを送った。(中略)
 橋下知事は、素手、素足で校内のトイレを清掃している学校の取り組みに「感動した。大阪の特徴としてぜひ提案して」。地元の祭りに企画段階から参加するなど、「地域が学校にかかわる」という府の政策を地でいく活動もあり、「大阪の教育も捨てたもんじゃない」と感心しきりだった。

 参加した羽曳野市立羽曳野中学3年は、「生徒会をやっているだけに、(知事の)行動力のすごさが分かる」と話したが、職員への“勧誘”には苦笑いしていた。

橋下知事が、産経新聞が好意的に取り上げたりして一部で話題になっていた「便教会」の思想にいたく感銘を受けたご様子。自分のような「心の穢れた」人間からすると、これはどう見ても、妙な宗教観を持った大人達がその教義を子供達に強要した結果としての所産にしか見えず、むしろ“勧誘”されたのは知事の方だった、というオチなんじゃないのかと思ってしまうのだが。

しかし、これまで一貫して体罰を肯定するような発言を繰り返し、役に立たない者は収容所で強制労働させるべきだなどという持論をも展開してきた強硬派の橋下知事が現にそれを称揚している以上、そうのうち大阪では、「穢れた心」を持っていると認定された者が、教育の一環として次々と「府立橋下素便所清団(仮)」に強制入団させられるというような事態でも起こりかねないのではないかと、実際に「穢れた心」の持ち主である私なぞは慄然としている有様です。

 ***

それにして、この人は本当に「コレは駄目だろう」というものを見事なまでに取りこぼし無く拾っていくよなあ。まあ彼の中では、「良いものレーダー」が感知したものとしてそれらを拾っているんだろうけど。

またサラリーマンか

無職の人間が逮捕されたら「また無職か」とか言われるけど、サラリーマンが逮捕されても「またサラリーマンか」って言われることはあんまりないよね。サラリーマンだって毎日事件起こして逮捕されているのに。
-----------------

以下は、googleのニュース検索「過去 1 日」で、「逮捕 会社員」をキーワードとして検索して出てきたもの。

続きを読む »

「So What」の違和感

カインド・オブ・ブルー+1カインド・オブ・ブルー+1
(2005/07/20)
マイルス・デイビスジミー・コブ

商品詳細を見る

マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』は、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビイ』やソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』らと並んで、恐らくジャズのCDの中でも最も有名なものの一つだろう。モードジャズを代表するアルバムとしても有名だ。

So What by.Miles Davis


で、そのアルバムの一曲目を飾るのがこの曲なのだが、どうも違和感を感じざるを得ない箇所がある。それはちょうど「2:13」辺り。何か意図せぬ音が出てしまって、それを慌てて誤魔化そうとしたかのようなカッコ悪さを感じる。ジャズを聴いていて、余りこういった激しい違和感を感じたことはないのだが(元々変なのは除いて)。しかし、これだけ有名なアルバムの有名な曲なのに、余りこの部分のことが話題に挙がっているのを目(耳)にしたことはない。ということは、他の人はこの部分に何も違和感を感じていないということなのだろうかと。いや、そもそも自分はジャズ界の常識なんてこれっぽっちも知らないので、もしかしたら、そこではこれは何度となく取り上げられた話題なのかもしれないが。

ただ、初めてこの曲を聴いた時から暫くはそういった強い違和感を感じていたのだが、その後何度も繰り返して聴くことで徐々にそれは薄まって行き、今聴くとその違和感も半減していたりはするのだが。

Miles Davis - So What(1964)


こんなのがあった。もう全然違うものになってる。

「いいレッスン(≒チャンス)」だそうで

埼玉でも宅配装う?玄関に印鑑 元厚生次官宅連続襲撃(日本経済新聞)

 元厚生事務次官らが相次いで殺傷された事件で、殺害された山口剛彦さん(66)夫妻のさいたま市内の自宅玄関に山口さん名の印鑑が落ちていたことが19 日、埼玉県警の調べでわかった。吉原健二さん(76)の妻の靖子さん(72)は東京都内の自宅で、宅配便業者を名乗る男に襲撃されており、同様の手口だった可能性が強い。

ラジカセでテレビ音声に切り替えてみると、『とくダネ』でこの事件のことを取り上げていた。
-------------------

そこで、声からして(尚且つ、最後に「サッサさん有難うございます」と司会者が言っていたように聞こえたこともあって)恐らく佐々淳行氏と思われる人物が、被害者の無用心さを指摘して、今回の事件はそれを改めるための「いいレッスンだと思います」と言ってそのコーナーを締めくくっていた。しかし、そういった表現は幸いにも大きな被害が出るにまで至らなかったケースに於いて用いるべきものであり、実際に大きな被害が出ているこういったケースに於いて用いるべきものではないだろう。これは兵庫県の井戸知事が、関東大震災が起きたら東京一極集中を脱却するチャンスだと言ったのとちょうど同じ類の発言だ。しかもこちらは起きたらという仮定でなく、実際に起こったこと対して言っているわけだから、より不謹慎だといってよい。

じゃあこの発言が井戸知事の発言のように激しく非難される対象になるかといえば恐らくそうはならない。この記事では、件の井戸知事の発言が世間から一斉に激しく叩かれたことに対して、その反応はバランス的にいってもちょっと行き過ぎではないか、というような事を書いたが、それは結局こういうこと。つまり、実際には多くの人間が普段からこういった(自らの力で招きよせたわけではない不幸を好機と捉えるような)不適切発言※1を幾つも行っているわけであって、それを一々激しく非難して(されて)いたらきりが無いでしょ、という。

ただし、井戸知事の場合は己のその過ちを中々認めようとしなかったことで、余計に傷口を広げてしまったということはあると思うが。どうせそれを認めるのなら、サッサと認めた方がいいよね、と。

 ***

それはそうと、こういう事件が何度も起こると、宅配便業者の人達は不審者扱いされることが多くなって大変だろうな。



※1 それ自体が他人に不幸を招きよせるような不適切発言は激しく非難されても当然だと思うけど。それは単なる不謹慎な発言とは分けて考えるべき。ただし、ただ不謹慎なだけの発言も人の心を傷つける(つまり不幸にする)可能性は充分あるので、そこまで考えると、その境界線は曖昧なものにならざるを得ないということはある。

コメントに関する注意書きについての逡巡

この手のコメントをいちいち真に受けていてはこちらの身が持たないということで、プロフィール欄に以下のような注意書きを付け加えた(2008/11/17現在)。

※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

しかし、自分で書いておきながら言うのもなんだが、この注意書きには明らかな欺瞞が潜んでいる。というのも、自分はあらゆる言動や振る舞い、所作は、全て何かしらの政治性を帯びているという考えを持っているので、それを基準として考えた時、全てのコメントが「お控え下さい」の対象になってしまう可能性が出てくるのだ。つまり、政治的ではないコメントなど存在しないだろうと。
-------------------

勿論、注意書きでいうところの「政治」とは狭義の政治のことであって、上記したような広義の政治とは便宜上区別を付けることは可能だ。また「政治活動的」という以上、その狭義の政治に関して、ある特定のベクトルへと導こうとしたり、あるいは自分の持つベクトルを捻じ曲げようとするような意図があるか無いかということでも区別を付けることは出来る。

しかしながら、確かにそれらは便宜上区別を付けることは可能だが、では実際に広義の政治と狭義の政治が完全に切り離された状態で存在し得るかと言えば、それはNOという他無いだろう。表面的にはともかく、やはりそれらは、常にお互いに深いレベルで繋がり合い、影響し合っている。これは「意図」に関しても同じことだ。コメント欄で何かしら発言をするということは、即ちそこに何かしらのベクトルを持った力を付加するということに相違ない。それを意識しようがしまいが、あからさまであろうがなかろうが、本質的な意味でその便宜上区別したはずのもの達はお互い繋がり合っている。いやこれも、「明らかに」という条件で一応クリアは出来るんだけど、じゃあ「明らかに」って何よ、という話になり、その「明らかに」というのがまた人其々捉え方が違うわけで…。いや、それはこちら側の基準で判断すればいいわけだが、それはそれで面倒くさいなあと。まあ、こういった境界線に対する曖昧さというのは、ありとあらゆるルールが常に抱えている問題でもあるんだけど。

 ***


で結局、あの注意書きで何をしたかったのかといえば、要は、コメント欄を開けている以上、実質的にありとあらゆる内容の書き込みをする自由が閲覧者には与えられているわけだが、しかしながら、それをにべもなくはねつける(コメントを削除する、禁止する)のも、聞き流す(放置する)のもまたこちらの自由であり、特に紛糾し易い政治活動的な発言にはそういった対応を取る可能性が高いですよ、という情報開示を予めしておきたかったということ。

そういったことを、あの注意書きが持つような欺瞞性を取り除いた上で、尚且つもっとスマートで的確に伝えることが出来るような文章が思いつけばいいんだけど、それが中々思いつかない以上、気持悪さを感じながらも、あの欺瞞性を帯びた注意書きをそのまま放置するしかないのかなあ、と。さてどうするか。

 ***


あと今回の件に関する反省点としては、あのコメントが付いた記事は、最後の部分がちょっと無駄に挑発的だったきらいもあり、あの部分が挑発的でなければもしかしたらああいうコメントも付かなかったのかも、という思いもある。いや、分からないけど。

まあなるべくそういった悪意の共鳴を生むような表現方法は避けるべきだとは思っているのだが、自分の体には、これまでの人生で受け取ってきた悪意がはちきれそうなくらい詰まっているため、気を抜くと、ついついその悪意が顔を出してしまうという。

これはひどい。が、しかし…


「関東大震災はチャンス」を撤回=臨時会見し謝罪-井戸兵庫知事
(時事通信)

 兵庫県の井戸敏三知事は13日午前、県庁で臨時記者会見を開き、「関東大震災が起こればチャンス」などと述べた11日の近畿ブロック知事会議での自らの発言を「不用意に『チャンス』という言葉を使ったことは不適切だったと深く反省している。取り消させていただきたい」として撤回し、改めて謝罪した。(中略)
 井戸知事は11日の会議で、東京一極集中打破を念頭に「関東大震災なんかが起これば相当ダメージを受ける。これはチャンスですね。チャンスを生かす準備をしておかないといけない」と発言。批判を受けていた。

確かに酷い発言ではある。しかし、他人の不幸や失敗を自身の抱く目的を達成する為の好機と捉えるような考え方(感じ方)は、殆どと言ってよい程全ての人間が持っているものなんじゃないのか?そして理想論はともかく、実際問題として、人間は限られた資源や役割を奪い合っているというような側面があり、それに敗れた者が不幸になるのは「仕方が無いこと」として捉えるのが今の世の中の主流なんじゃないのか?つまり、殆どの人間が普段から井戸知事的な思想を持つなり、それを支持したりしているはずなのだ。
------------------

もちろん、そういう考え(感覚)を持っているということと、それを公言するということはまた別の話だろう。しかし実際には、自分の生活をより充実したものにする為に、或いは自分の感情的満足を得る為に、井戸知事のように他者の不幸を期待する…だけならまだしも、その為に特定の人物や特定の属性を持った者達に対して不幸になることを要求(例えば、その者達に自身の望む世界を構築する為の部品として最適化されることを迫り、それが上手く行かなかったり使い終えれば廃棄物として扱う)し、その為の具体的な行動をも起こしてしまうような人間で溢れ返っているのが現実。ネット一つとって見てみても、他人に不幸をもたらすことを意図した書き込みで満ち溢れている。そのような社会に於いて、彼を「人間として」批判出来るような聖人君子などそうはいないはずだ。ところが彼のこの発言は、それを知った者達の殆どから一方的にこっぴどく批判されているように見える。それだとどう考えても数の計算が合わないように思うのだが。

いや、もちろん原則として、何かを批判をするのには一切の資格を必要としない。その者がどれ程大きな罪や過ちを背負っていようが、その者は充分に他者を批判し得る。何故なら、罪や過ちは決して相殺されるものではないからだ。だから、別に聖人君子でなくとも井戸知事のこの発言を批判すること自体は出来る。がしかし、その場合上記したように、その批判は自ずと自己批判をも伴ったものとなることは避けられないだろう。自分の感じた違和感はそこにある。つまり、この発言を批判している人の多くは、その批判が己自身にも返ってくるものであるということにどうも気づいていないのではないかと。

追記:
これに限らず、批判の多くは基本的に自己批判を伴っている。しかし、そうやって自分自身にもまた落ち度が無いわけではないと意識するからこそ、その手を緩めることが出来る。もしそのことに全く気づかなければ、その批判は歯止めを失い、やがては単なる誹謗へと繋がりかねない恐れが出てくる。

 ***

では、この発言を自己批判を伴わないものとして批判することは出来ないのか。それらしい理由としては、「知事だから一般人よりも厳しい目で見られて当然」といったようなものが考えられる。恐らく、この理由で以って彼を批判した者も多いのではないか。実際この主張は一見もっともらしく聞こえる。だが、関東大震災は知事の権限や影響力を利用して起こせるようなものではないということを忘れてはいけないだろう。もし彼が、一般人が持ち得ない知事特有の権限や影響力を利用して「他人の不幸」を誘発しようとしたのならば、当然この理由で以って、批判者にとって自己批判を伴わないものとしての批判を、その身に刻み付けられることになっただろう。だが、今回のケースはそれに当て嵌まらない。

まあそれでも、この理由で以って自己批判を伴わない批判が出来ないわけではない。だがその場合のそれは、「内容」ではなく「装い」に対する批判にしか成り得ない。つまり、知事らしさに欠けているという批判だ。しかしこの考え方は、男は男らしく、女は女らしく、田舎者は田舎者らしく、オタクはオタクらしく、貧乏人は貧乏人らしく、不細工は不細工らしく、日本人は日本人らしく、ひきこもりはひきこもりらしく、“いじられ役”は“いじられ役”らしく、大阪人は大阪人らしく、社会人は社会人らしく、ヤンキーはヤンキーらしく、といったように、人間性の均一化と役割の固定化に繋がっていくことになる。だからこそ、この批判は余り筋の良いものではないと自分は思うのだが、多分、「それのどこが悪いの?」という人が大半を占めているからこそ、こういった批判が支持されるんだろうなあ。

で、一方その頃、この発言を耳にした我らが不適切発言王、橋下知事はというと…

「関東大震災はチャンス」…井戸・兵庫県知事が発言(読売新聞)

 この発言について、ブロック会議後の記者会見で、橋下徹・大阪府知事は「不適切発言ばかりの僕から見ても、不適切だったかな」と述べ、

などと言っているわけだが、自分には井戸知事の不適切発言がこれまで橋下知事がしてきた不適切発言よりも酷いものだとは到底思えない。何故なら、井戸知事があくまで単に「他人の不幸」を期待するかのような発言をしただけなのに対し、橋下知事はこれまで、実際にタレントや弁護士としての影響力、或いは知事としての権限を用いながら、制度上必要な(しかも損な)役割をこなしている弁護士に対して懲戒請求扇動を行い、彼らの職を奪おうとしたり、自分の気に入らない者を収容所に送って強制労働させるようなシステムを作ることを提案してみたり、別に不正を働いたわけでもない公務員達を無駄にいびってみたり、他者を貶めるようなネタを用いて人気取りを行ってみたり、或いは体罰を肯定するような風土作りに与するような発言を散々行ってきた。つまり、彼は単に「他人の不幸」を期待するだけでなく、自らの持つ影響力と権限を使い、己の手でそれを招きよせるような形での不適切発言を幾度となく行ってきた。

だが、そういった自らの手で「他人の不幸」を招きよせるような不適切発言を繰り返す度に、彼のその人気は増していった。それに対して、自分の持つ権限や影響力を行使して「他人の不幸」を招き寄せたわけではなく、単に「他人の不幸」を期待するかのような不適切発言を行っただけの井戸知事は政治家として窮地に陥り、その人間性までもが批判されるような状況になっている。

この落差は一体何なのか。結局内容※1よりも人気なのか。オリコンのヒットチャートみたいなものか。どんな手を使っても数さえ確保出来ればそれでいいのか。ネット上ではオリコンに対する批判を目にすることは珍しくない。しかし殆どの人間がこのような社会に上手く順応している以上、オリコン的なものを真っ向から批判することが出来る人間なんてそうはいないはずなんだけどなあ。

いや、もちろん誰でもそれを批判することは出来る。が、しかし…

(※以下繰り返し)

追記: 
※1 ここで言う「内容」とは、主に「不適切発言の内容」のことです。

参考までに…私のYahoo!支持率は、58%です。

【田母神氏招致・詳報】(8)「yahooでは…58%が私を支持している」(3/3ページ) (産経ニュース)

浜田議員「今官房長官からもご答弁をいただきましたが、ご発言を、短くご答弁」

 田母神氏「国民に不安を与えたと、文民統制についておっしゃいますけど、今朝9時の時点で、私はYahoo!の『私を支持をするか』『問題があると考えるか』『問題がないと考えるか』っていったら、58%がですね、私を支持しておりますので、不安を与えたことはないと思います」

 浜田議員「どういうデータを使っているか分かりませんけれども、トップであった方が、そういうことをもて自分の行動を正当化するのは非常に私は問題だと思っております。

…田母神さん。
残念ながら、そのスカウターからはじき出された数値の信頼性は0%ですから。

しかし、よくもまあこんな人間に空幕長を任せていたな。
どうやら自衛隊には能力主義の「の」の字も無かったようだ。

追記:
Yahoo!意識調査の信頼性が0%だというのは言い過ぎだと思う人もいるかもしれない。しかし、無作為抽出によるアンケートでない上、同一人物による複数回投票も可能であると推測されることから、そこではじき出された数値が国会のような公式の場で用いることが出来るようなものであるかと言えば、全くそうではないと言う他無いだろう。

「ともだちランド」化する大阪

橋下知事に保護者が「公立に期待していない」(産経ニュース)

 大阪府の橋下徹知事が、府内の公立小学校に通う児童や保護者らと教育問題について意見を交わすイベントが8日、大阪市中央区の府公館で開かれた。保護者から「学力面で公立学校に期待はしていない」など学校側への不満や批判が相次いだ。

 公募で集まった小学5、6年生の児童や保護者、教員の計22人が参加。冒頭、橋下知事は「大阪の教育は、学力を伸ばすことに真正面から向き合ってこなかった。全国学力テストの結果公表をめぐり、僕が府教育委員会事務局ともめた理由もそこにある」と問題提起し、参加者の意見を求めた。

 ある母親は「学校の通知表を見ても、わが子がどの程度のレベルなのか分からない。もっと競争心をあおったほうがいい」と不満を口にし、父親の一人は「公立学校に学習のことは期待していない」と痛烈に批判した。

 教員からは現場の人手不足を訴える意見が相次いだほか、「(成績上位層への指導よりも)学力面で厳しい子供をすくい上げることに力を入れてしまう」と明かす小学校教諭もいた。

 一方、児童からは「学校の授業は勉強ができない子に合わせ過ぎている」といった意見が出た。

これ、テレビのニュースで見たけど、「勉強ができない子に合わせ過ぎている」という意見を述べたこの児童が、この前の「私学助成削減をめぐる意見交換」で橋下知事の主張に異を唱えて公共の面前で面罵され涙を流していた女子高生とは対照的に、ニコニコしながら知事の望むような意見を提供し、彼をアシストしていたのが印象的だった。

橋下知事は自分の落ち度を問われたり自身の意向に反対する意見が出ても、それに対して論理による「まっとう勝負」を挑むことはまずない。文句があるならあなたが政治家になって変えればいい。貴方達がそういう私を知事に選んだ。こういう人がいるから駄目なんです。嫌なら自己責任の国である日本を出て行くしかない。世間が私を支持している。こういった屁理屈でまくし立て、何となく自分が議論に於いて優位に立ち、反対意見を述べている者が悪であるかのような雰囲気を作り出す。そしてその雰囲気に呑まれた者達は、橋下知事に反対してイメージ的に劣位に置かれた者を悪として叩き出す。彼は実質的に、バッシング対象提供マシーンのような役割を果たしている。そしてその対象に選ばれた者が酷い目に遭っているのを目の当たりするにつれ、各々は自身がその対象に選ばれることを恐れ、彼に面と向かって反対意見を述べる者は減っていく。

今回の意見交換会は、リンクした記事で用いられた満面の笑みを浮かべる橋下知事の写真が物語るように、そこで出された意見の多くが彼の意向に沿ったものであったらしく、そのためこれまでとは違った和やかな雰囲気で滞りなく進行したようだ。そりゃそうだ。今までの流れからして、あそこで彼を真っ向から批判するようなことをすれば、すぐさまその場が「糾弾委員会」へと変容することは明らかなのだから、彼に対する反対意見を持っていても、せいぜい多様な意見が出たというアリバイ程度くらいにしかそれを述べることは出来まい。そして彼は、この場所で自身の意向が受け入れられたということを、己の主張の正しさを示す根拠として今後用いていくのだろう。そうやって自分にとって心地のよい環境を形作っていくのが彼のやり方。

彼は「子供が笑う大阪」というキャッチフレーズを唱えて府知事選に立候補し、そして当選した。しかし、彼の言う「子供が笑う大阪」とは、大阪を『20世紀少年』における「ともだちランド」の様な、子供が彼の出した方針に対して異を唱えることを一切許さず、ただひたすらニコニコしてその方針に従い続けなければ生きてはいけない様な場所にするということだったのだろうと本気で思う。

20世紀少年―本格科学冒険漫画 (8) (ビッグコミックス)20世紀少年―本格科学冒険漫画 (8) (ビッグコミックス)
(2002/02/28)
浦沢 直樹

商品詳細を見る

橋下徹「まっとう勝負」橋下徹「まっとう勝負」
(2006/11/08)
橋下 徹

商品詳細を見る

平和ボケって言うけど

「有事(危機)に直面すれば人々は覚醒する!」という「平和ボケ」思想は、ニュータイプ思想と同じくらいヤバくて稚拙なものだと思う。何故ならそれは、人々を覚醒させるためという大儀でもって安易に危機的状況を作り出すことを許容してしまったり、既に陥っている危機的状況をそのまま放置してしまうことにも繋がりかねないのだから(ところがそういった主張をする当の本人は、大抵既にセーフティー・ゾーンを確保済みだったりするのだが)。そしてそれはさらに、危機に直面しても覚醒しない(環境に適応出来ない)人間は滅べばいいじゃない、ということにも繋がっていく。
----------------------

だが、先の戦争において多くの政治家や軍の指揮官がボケまくっていたように、結局、平和であろうがなかろうがボケている人間は基本的にボケているわけで、憂慮すべきなのはむしろ、他人の命や人生を直接左右することが出来るような大きな権限を有した者が、「平和ボケ」思想などが生み出す妙な大儀に基づいて他者に危機を押し付けようとすることの方だろう。注視すべきはそちらの方なのだ。

田母神前空幕長が記者会見、スーツ姿で謝罪・反省の弁なし(読売新聞)

 政府見解と異なる論文を投稿して更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長(60)の処遇は3日夜、定年退職という異例の形で決着した。

 田母神氏は3日夜、東京都内で記者会見し、「(論文の内容について)今でも間違っていない」「日本は決して侵略国家ではない」などと述べ、持論を撤回しない考えを示した。(中略)

 「日本が悪い国だという認識は修正されるべき」などの持論を、終始、繰り返した田母神氏。「戦後教育による『侵略国家』という呪縛(じゅばく)が国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させている」とし、現役自衛官に対しても、「自分のことより国家、国民のことを常に優先した言動を取ってほしい」と神妙な面持ちで語った。

そういう意味からすれば、下らない大儀でもって自国と他国の人間に無理矢理危機を押し付け、それによって多くの人間を苦しめ、死に追いやった過去の失敗から何も学ぼうとしないこういう寝ぼけた人間が軍のトップの座に付けてしまうというのは非常にまずい事態だと思う。

というか、別に「日本が悪い国だという認識」なんて誰も持ってないと思うけどな。過去に日本が国として行った、「国家、国民のことを常に優先した」どころかそれを蔑ろにして踏みにじった行為が誤りであったという認識を持っているだけで。そもそも、「“過去に侵略行為を行ったという事実を認めること”=“その国が悪い国であると認識される”」という発想からして妙。その理屈を採用するならば、今現在日本と友好関係にある多くの国々は過去に侵略行為を行ってきた「悪い国」ということになるのだが、軍のトップが友好国に対してそういった眼差しを向けていたのだとしたら、それは非常に問題があるだろう。そしてさらに彼の理屈が正しければ、それらの「悪い国」の国民達は、過去の侵略行為を侵略行為であると認めることで自信を喪失し、その国の兵士達はそれによって士気が低下しているということになるのだが…、そんなわけないよね。

 | HOME | 

プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。