ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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「自ら怪物となれ」を意味する順応啓発

賃貸管理会社とのこと - はてな匿名ダイアリー - はてラボ

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nost0nost 知り合いに管理側の人間いるけど管理会社は管理会社で日々キチガイ客と絡んで心が荒んでるっていうw 言わなきゃ損の騙し合い、煽り合いになってるよなぁ キチガイな方が勝つ戦い

ootori3966 う~んこの程度の横柄な人は社会には腐るほどいるので、社会人になるには精神鍛えた方がいいだろうな。まぁ、鍛えなくても、平気にならないと、やっていけないけど。


一方の側の言い分なので、これをそのまま真に受けていいのかどうかは分からないが、それはともかく――もし本当に管理会社との交渉が「キチガイな方が勝つ戦い」であり、尚且つ(「精神鍛えた方がいい」に代表される意見のように)それは仕方のないことであり、個々人が順応することで対応すべし、とするなら、そこでは「キチガイ」になるよう促すインセンティブ働くことになるのだが、それでいいのだろうか。

どこもかしこも「キチガイな方が勝つ戦い」というわけではないだろうが、にしてもそれは結局、そうやって造成された「キチガイ」と様々な場所で折衝しなければならない機会を高めることにもなりかねないだろう。

この例のように、順応啓発は――世の中は怪物で溢れている、それは仕方がないことなのだ。その怪物に打ち負かされたくないのなら、自らも怪物となり、それと立ち向かえ、の言い換えであることが往々にしてある…ような気がする。
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REAPER拡張:ReaChorder

Sasje氏が作成したコード入力支援のためのエクステンション「ReaChorder」の紹介。

ReaChorder_01.png

予め用意された様々なコード進行の中から一つを選び、それを入力するのが基本的な使い方だが、自分でパターンを作り、それを入力することも出来る。また、コードの他にもベースやドラムパターン、さらにはコードを元にして自動作成されたメロディをも入力することができる。自動作成メロディなんて何の意味があるの?と思う人もいるかもしれないが、そのコード進行が持っている雰囲気をつかむのには案外役に立つかもしれない。

ダウンロードは以下のページから。
ReaChorder a new extension - Cockos Confederated Forums

以下はその導入方法や使い方について。
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REAPERがv4.60にアップデート&MIDIイベント・フィルターについて

アップデート内容の詳細は以下のスレで確認できる(現在既に4.602が出ている)。
4.60 - Cockos Confederated Forums

その中から幾つかをピックアップして紹介。

▼MIDI editor

Update_MIDI_filter.png

MIDIのフィルター機能が改善された。特に「Solo」機能は個人的にも以前から待ち望んでいたもの。これによって、フィルタリングされたノートや#CCだけを再生させることができるようになった。

Midi_channel_solo_1.gif

例えば上の画像のように、「Show only events that pass filter(フィルタリングしたノートのみを表示する)」と「Solo」にチェックを入れて任意のMIDIチャンネルをフィルタリングすると、画面に表示されているチャンネルのノートのみを再生させることができる。これによって、一つのMIDIアイテムで複数のパートや音色をチャンネルごとに割り振って演奏させる設定をしている場合において、特定のパートや音色のみを演奏させたり、特定のパートとパートの関係だけを演奏させて確認することが可能になった。今までもMIDIをトラックごとに割り振っていれば、トラックのソロボタンで必要なパートや音色だけを鳴らすことは可能だった。しかしチャンネルごとにそれをすることは出来なかった。これはMIDIのチャンネル機能を多用する人にとって非常に大きなアップデートと言えるだろう。

<イベント・フィルター・ウィンドウの説明>

他の項目についても説明しておく。

「invet」
フィルタリングされていないノートや#CCのみを表示させる。

「Draw events on channel」
MIDIエディタでノートを入力する際のチャンネル設定。

「Event type」
フィルタリングするイベントのタイプを設定。

「Note」&「Use piano keys」
フィルタリングするノートの音程の範囲設定。「Use piano keys」にチェックを入れると、ピアノロールの鍵盤で範囲を指定できる。左クリックで「Low(最低音)」または「High(最高音)」を決定し、そのまま上、または下にドラッグすることで両方の値を設定できる。
Midi_filter_piano_key.gif


「Velocity」
フィルタリングするベロシティの範囲設定。

「Position in measure」
小節内のフィルタリング範囲の設定。例えば4/4拍子で「1/4」「3/4」と設定すれば、其々の小節において、ノートの先頭部分が2拍目から3拍目内にあるノートのみをフィルタリングすることができる。

「Length」
フィルタリングするノートの長さの設定。例えば「1/8」「1/4」と設定すれば、8分音符以上4分音符以下の長さのノートのみをフィルタリングすることができる。

「Set selection」
フィルタリングしたイベントを選択する。

「Add to selection」
既に選択されているイベントの選択状態を保持したまま、その後変更した設定に従ってフィルタリングしたイベントを選択する(新しい設定で範囲外になったイベントは、選択状態は保持されるがフィルタリングは解除される)。

「Clear filter」
フィルターをリセット。

「Set filter from selection」
選択したイベントをフィルタリングする。これを行うと自動的にイベントの範囲指定の値が取得される。

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「その研究が人の役に立つんですか?」と質問してはならない?

https://twitter.com/dragoner_JP/status/437436802220040192

@dragoner_JP
「新婚さんいらっしゃい」に、名古屋の大学でカモメの生態研究している人が出ているんだが、司会の桂文枝が「その研究が人の役に立つんですか?」とか質問していて、ああこういう人間が科学を殺すのだなと思った

随分大勢の支持を得ているツイートのようだが、これは違うなあ。そもそもそんな疑問を述べることすら許されない社会ってどんだけ言論統制社会なんだよ、という話にもなるし、それ以前に、その質問を止めさせなければ死んでしまう科学ってどんだけ脆弱なんだよ、ということにもなる。そんな言論統制で科学の脆弱性を守る必要などないだろう。それにこんなこと言い出したら、役に立たないなら下らない、ではなく、純粋に何かの役に立つのではないか、と思ってその質問をすることさえできなくなってしまう。
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何故、具他的な必要性が見受けられないからという理由でそれを止めさせるべでないのか。そもそも何故人は、具体的に何かの役に立つわけでもないことに熱中するのか。

こういった問いには様々な説があるだろう。役に立つか立たないかというこの質問の範囲に限っても、例えば――初めから何がどのように発展して具体的に何の役に立つか立たないか、なんて誰にも分からない。予めこれはきっと役に立つだろうと思われることだけしていれば、それを行う者の想像の範囲内で研究が留まってしまい、意外な発見がなされる可能性を妨げてしまうことになる。手広く何かを研究していれば、それがやがて学際的な発展を遂げ、大きな成果の礎になるかもしれない。そして人間は、そういう一見下らなく見えるような事柄にさえ没頭してしまうような性質を持っていたからこそ、このような発展を遂げたとも言える。……とまあこんな答えが考えられる。

そもそも人間は何かの役に立つために生まれてきたわけではない、という切り口でものを考えることもできるし、誰かが何かをしたいと思った時にそれをすることは人間にとって重要なことであり、逆に傍から見て下らないと思える行為を全て禁止したら一体どんな社会になるか、ということを考えてみるのも面白いだろう。

何にせよ、「その研究が人の役に立つんですか?」という問いは、それそのものが壮大な研究の一部であるとも考えられる。よってこれを言わせないようにすることは、役に立たないからやめるべき、と言って研究を止めさせる行為そのものに相当する。そして其々がこのような問いに対する研究を怠ってきたからこそ、何かの役に立たないことはやるべきではないかのような風潮が出来上がってしまったのではないか。問題にすべきはむしろそちらの方だろう。

要するに、質問そのものを止めさせる方向より、「その研究が人の役に立つんですか?」と聞かれて、「いや、今のところ特にこれが何かの役に立つとかそういうことはありません」と胸を張って答えられる方向を目指した方がいいでしょう、と(――もちろんそれでも、研究のために投資を募ったり限られた予算の獲得競争で勝とうとするなら、さらなるプレゼンが必要になるのは避けられないが)。

ディストピアも悪くないよね、という人間が必要とされている

 ▼(1)年中無休の15.22時間労働で貧乏から脱出しよう

上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図

賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう? (中略)女性は年収300万円を確保しつつ、年収300万円の男性と結婚して、出産後も仕事を辞めずに働き続ければいい。


これに対する批判的反応に対してなのだろうが。

@M_znu 2月26日

貧乏でも幸せに生きられるみたいな意見には異常に噛み付くのに、身を粉にして働いて稼いで貧乏から脱出しようという意見には、舌の根も乾かないうちからそれはシバキアゲと批判するのは、頭おかしいと思う。
https://twitter.com/M_znu/status/438730168652156928

時給900円の仕事で身を粉にして年に500万稼ぐためには、365日1日も休まずに1日15.22時間労働をする必要がある(年に400万だと12.18時間、年に300万だと9.14時間労働)。もちろん病気になったらそこで脱落。これをシバキアゲだと言う人は頭がおかしいそうだ。何という修羅の国。
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いや、努力してもっと待遇のよい職を見つけろ、ということなのかもしれない。だが、今低賃金労働している者をさらによい待遇で迎えるような社会的潜在能力がない、もしくはその潜在能力があったとしても、各々がそれを実際に獲得する能力を手に入れることができないからこその社会問題だ。それを努力すれば手に入れられると考えるならば、それこそ正に努力を機軸としたユートピアではないか。

要するに「貧乏ならもっと働け」というよくある主張は、現実に対する見立てが甘すぎるのだ。何故そんなに甘い考えができるのか。恐らく自助努力で何とかなると言う人は、これまでの生活で自身の限界を感じるような事態に一度も直面することがなかったのではないか。何にしろここで一つ確かなのは、そういった個人の経験や感覚を(少なくとも同一国家内において)普遍化し、その法則で、実際には全く異なった条件を持つはずの者達までもを平等に解釈しているということだ。それ故成立する主張と言えるだろう。

 ▼(2)自助努力論の順応拒否について

ただ、自助努力理論には一つ妙なところがある。というのも、自助努力理論は、(例えば最低賃金を上げろとか、労基法をもっと厳格化して運用せよ、などといった)システムの変更や是正の要求、或いは社会環境への不平不満に対するカウンターとして持ち出されることがよくある。つまり、問題は自助努力で解決するべきで、システムの変更や是正に頼るべきではない、というわけだ。

だがこれはなんとも奇妙な話だ。もし社会的成功を手に入れられるか否かは個人の自助努力次第であり、人は努力次第で社会に順応可能であり、そうすべきである、とするなら、今のこの社会システムを如何様に変容させてもよいはずで、それに反対する必要など全くないだろう。何故ならば、この社会がどう変わっても自助努力でそれに順応し、そこで新たな社会的成功を手に入れればよいだけだからだ。当然社会に存在する不平不満にも文句を言わず黙って順応すればいいだけということになる。つまり自助努力論的に見れば、社会システムがどのような形であってもよいはずなのだ。

ところが実際には、自助努力理論はそれらを否定するための、つまり変化への順応を拒否するための道具として用いられることが往々にしてある。

自助努力論の一般的主張を整理すると――
・今のこの社会では自助努力で貧乏から抜け出せる
・少なくとも年収300万くらいは手に入れられる
・年収300万でも自助努力で幸せだと感じることができる
・今のこの社会システムを大きく変更すべきではない
・但し不平不満だけはなくさなければならない

ここから想像できるのは、自助努力理論は今のこの社会の規定路線でのみ通用する、という前提になっているということだ。だから自助努力でどうにでもなると主張していながら、この現状の在り様を変えてはならない(無理に変えようとするときっと悪いことが起こる)、となったりするわけだ。せっかく自助努力でなんとかなる社会が成立しているのに、何故それを壊そうとするのだ、と。

即ち自助努力論者は、自分達が獲得したユートピアが破壊されることを恐れ、それを守るための闘いを行っていると言えるだろう。そしてそれをより善きものにするために社会から不平不満をなくそうとしている。この社会の在り様を変えなければならない、などという人間は、彼らには侵略者や略奪者として目に映っていることだろう。

 ▼(3)ディストピアも悪くないよね、という人間が必要とされている

しかしそのユートピアの存在は、他の者達のディストピアがディストピアであり続けることによって守られているという側面がある(実際、時給で働くような者は年300万どころか200万稼ぐのも結構厳しい。しかも不安定。それでも文句を言ってはならないわけだ)。

もちろん、ディストピアの住人達の主張を元にしてシステムを変更すればそれでその者達の生活が今より良くなるとは限らない。だからそのことをもってユートピアの住人(自助努力論者)達は、このシステムを変えればもっと酷いことになるぞ、と言って脅すわけだ。

だがそういうお為ごかし(これはあなた達のためなのです)が通用するのは、そのディストピアでの生活を守りたいと思っている者にだけだ。もしそこでの生活が何の価値もなく、一刻も早く終わらしてしまいたいもの、ただ憎むべきもの、となってしまえば、その者にとっては自殺か自爆テロを行うのが最も合理的な判断ということになる。実際にはそういう合理的判断よりも不合理な判断をする者の方が多いが。

要するに、確かにディストピアだけど、まあそこでの生活も悪くないよね(「幸せでしょう?」)、と思ってくれる人間が大勢必要とされているのだ。それは資本主義的活気とはまるで正反対のベクトルにあるが、しかしながら資本主義は、そういう人達が大勢いてくれないと成立しないという矛盾を抱えている。

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後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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