ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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橋下氏の強さの秘密

橋下知事、中国重視の姿勢を猛アピール(asashi.com)

大阪府の橋下徹知事は19日、大阪市内のホテルで、来日中の中国の楊潔(ヤン・チエ)チー外相と会談し、「関西一丸となって中国との結びつきを深めていきたい」と中国重視の姿勢を積極的にアピールした。

 橋下知事は、2月の唐家セン国務委員との会談や3月の上海訪問を紹介。5月の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の来日の際には「関西にお越し下さるよう伝えて欲しい」と話した。一方「外交問題は政府の問題」としてチベット問題には触れず、「今年は北京五輪もある。ますます中国と日本、中国と関西のきずなを深めるようがんばりたい」と述べた。

楊潔外相
 ↓        
(*^-^)八(^∇^*)<中国と関西の、き☆ず☆な b(゚ー^〃)
       ↑ 
   橋下府知事


----------------------------------------------

バリバリの嫌中派だった筈の橋下氏が、
チベット騒動の真っ只中でこんな発言をするようになるとは…。

もしかして絆って「ODA≒売春(橋下解釈による)」のことだったりして。

まあ、「いつも心に二万%を」の橋下氏が
何を言おうが別に驚くことはないんだけど。

それはそうと、結局彼の「強さ」の秘訣は、彼が自分の感情を
その場の空気と一体化させることが出来る特殊能力を
持っているが故なのではないかと、この前の嘘泣き騒動
みて思うようになった。あれは嘘泣きではないと自分は思う。

現実に於いて、「強い個人」なんてものは存在しない。
基本的に個人は集団の力に決して勝つことは出来ないからだ。
だからこそ、「個人」という存在のコンプレックスの表れとして、
娯楽として生み出される物語や物語化された歴史の中にはやたらと強い
個人が登場することになる。しかしそれは所詮捏造された物語の上での話。
現実では集団の蠢きが生み出したウネリの力や、それによって
構築されていくシステムや風土を上手く利用することが出来ている
者こそが強者であり、それが下手な者がこそが弱者なのである。
つまり、一個人の力だけで強者や弱者に振り分けられている
訳ではないということ。

だから、当然強者である橋下氏はそれを上手く利用することが
出来ている訳だが、彼が特殊なのはその集団が生み出すウネリと
自らの感情を完全に一体化することが出来るということだ。

例えば(支持を受ける層はかなり違うが)橋下氏と
似たようなタイプのメディア大衆芸人にみのもんた氏がいる。
だが彼の場合は、あくまで理性によって空気を読み、理性によって
怒ってみたり、喜んでみたり、深刻ぶってみせたりする。そうやって
視聴者の気持を代弁してみせることで、見ている者達にカタルシスを齎す。
一見激怒しているようでいても、その裏にはちゃんと理性がいて、
その激怒を仕切っているというのが彼のやり方。

それ故彼の喜怒哀楽はどこか白々しさを感じ、求心力は弱い。
しかし、逆に言えばそうやって裏で理性が仕切っているからこそ
安定感や安心感を感じるということもあるだろう。
長年長寿番組を任され、様々な局がバカ高いギャラを払ってまで
彼を起用しようとするのはそういった安定感や安心感故だろう。
彼の芸は、マンネリ化した一種の様式美芸なのだ。

これに対して橋下氏は、何らかの空気と感情を完全に一体化させ、
イタコ状態になって本気で怒り、本気で喜び、本気で泣いてみせる。
その為、突然頭の悪い中学生みたいな発言をして物議を醸し出すことも
珍しくなく、安定感や安心感には欠けるが、その代わりに見ている者に
スリルと興奮を齎す。そしてその頭の悪い中学生みたいな発言も、
実は誰もが本心では思っていながら、普段は規範や世間体や論理的
整合性を気にして中々発言出来ないような、人間の持つ原始的な
欲求を代弁しているものだったりする。

それを橋下氏が先ず先陣を切って発言してみせることで、
人々は堂々とそれを口に出来るようになる。
橋下氏の存在は、そういった役割も果たしているのである。

彼が稀代の大嘘つきであることはもはや誰もが知るところであろうが、
しかしそれも、発言の「内容」は嘘まみれではあっても、少なくとも
その発言を行ったその時点での彼の「感情」自体には嘘偽りがなく、
心の底から本気でそれを発言しているのだと思う。
(そうでもないと、その後ろめたさがオドオドとした態度として表れ出たり、
己の罪悪感で内面が攻撃され精神的にボロボロになっている筈だ。
しかしどうもその様子はない)

みのもんた氏があくまで理性によって事後的に空気を読み、
予めテンプレ的に用意された雛形のどれかを選んでその主張を行う
という受身姿勢であるのに対し、空気と感情が一体化した橋下氏は、
その空気の欲求を先読みし、他の著名人が言わないことを真っ先に提示
してみせる。あたかも個人ではなく、集合体の一部であるかの様に発言を為す。
ここに橋下氏とみのもんた氏の決定的な違いがある。

勿論、実際には世間や社会、国家などという主体は存在せず、
ありとあらゆる主張はあくまで個人のものでしかない訳だが、彼は空気の
イタコと化すことでその集団の蠢きが生み出すウネリの動きを先読みし、
その流れの先陣を切ることが出来るため、そう見えるのである。

映画『イノセンス』で、世界の管理を任されるようになった電脳ネットワーク
と一体化し、もはや個人ではなくその集合体の一部となったた草薙素子が
無敵だったのと同じように、空気のイタコと化し、あたかも世間という
集合体の一部になったかの様に振舞える橋下徹もまた無敵なのだ。

少なくともその能力が衰えない限りは。

ただ、彼の人気の秘密はそれだけでなく、彼が優れた「善と悪の物語」
の提供者であり、それによって人々の暴力欲を正義の名の下に心置きなく
発散することを可能としてくれる人物であるから、ということもある。
しかし、これもその生み出される物語は何でもよいという訳ではなく、
その場所や時代に適合したものでないとそれは効力を為さない。

ある時代や場所では大多数の者に熱狂的に支持された筈の物語が、
時代や場所が変わっただけで総スカンを食らうというのは珍しくない。
つまり、彼が優れた物語の提供者でいられるのも、やはり彼がその場の
空気と一体化することが出来る特殊な能力を持ち合わせているからこそなのだ。

 ***

ただし、今回の(というか知事職についてからの中国側の要人に対して
どのように振舞うかという)判断は彼にとっても中々難しいものであっただろう。
恐らく彼の支持者の多くは、きっと彼が中国側に対して厳しい非難を
叩きつけることを期待していただろうから。

しかし、幾ら彼が中国を厳しく非難してみたところで、楊潔外相に
「フリー・チベット!」と叫んでみたところで、それがチベットでの
弾圧解消にとって何の効果もないことは誰もが知っている。彼はそういった
事実や己の府知事という立場を鑑みて、所謂大人の対応を取った訳だ。

しかしこの対応は、彼の支持者達の多くを落胆させる結果となったことだろう。
かといって、この大人の対応を取って見せたことが、彼の不支持者が支持者へ
と転向するきっかけになるとも余り思えない。つまり、どちらの選択をしても
彼にとってはプラスにならない選択肢しか用意されていなかった。

とはいえ、嫌中というのは彼の幾つかある柱の一つでしかない。

ならば、普段は「人権イラネ」とか、「世の中は弱肉強食だから弱い者が
痛い目に遭うのは仕方がない」とか、「予め危険だと分かっていることを
行って痛い目に遭っても自業自得」とか、「多数決こそ正義」とか、
「市民活動をする奴はキモい」とか、言っていたはずなのに、
遠く離れたチベットで危険だと分かっていながら行われたデモが
武力で鎮圧されたことに対し、突然マイノリティーの人権を守る為のデモ
として市民活動を行い始め※1、差別的なプラカードを掲げてみたり、
何故か「竹島を返せ」などとシュプレッヒコールをあげてみたりするような
人達のイタコとなるよりも、大人の世界の空気に一体化し、その一人として
振舞うことの方が自分にとってプラスになると彼は判断したのだろう。

まあ、ついこの間までは彼もその中の一人だった筈なんだけど。
ここら辺は、散々一緒にツルんで悪さをしてきた仲間の一人が、
出世して社会的地位を獲得した途端、急にその仲間達によそよそしい
態度を取り始めるのと何となく似ているような気もするが。

それはともかく、彼の最も重要とする柱は「民対官」という対立軸によって
作り出された「善と悪の物語」だ。そしてこの物語は未だに多くの者達を
惹き付け続けている。恐らく、この物語が求心力を持ち続ける限りは、
多分彼の今の人気もまた安泰であり続けるのだろう。

しかし、もし仮に現・橋下氏が求心力を失ったとしても、
次に彼に代わって大きな求心力を獲得する者は、やはり彼と
似たような能力を持ち、同じ様な手法を使うことで人気を獲得する
新・橋下氏でしかないように思う。自分の学校人生に於いても、
やはりいつも橋下氏的な者がその場の秩序を仕切っていたし。

そうやって延々と繰り返される橋下フーガ。
或いは、一見表舞台からその姿を消したかのように思えても、
その裏ではずっと橋下的固執低音が鳴り響いている。

きっと世の中はそういう風に出来ている。
つまり、橋下氏が社会を動かしているのではなく、社会が
空気の申し子としての役割を受け持つ橋下氏的な存在を欲している。
そして、それによって人間の原始的な欲求の揺り戻しを常に目論んでいる。

だから、結局その場所や時代に出現する「橋下徹」達とどのように
向き合っていくかということでしかないんだろうな、実際のところは。



※1 恐らく、この国内と国外で180度変化する彼らの主張には、
単なる嫌中趣味だけでなく、意思の力を上手く使えば全ての人間が
最低限の社会的地位や幸せを獲得出来るという精神論的ユートピアが、
日本国内にのみ成立しているという、日本的宗教の特殊性が
それに関係しているのだろうけど。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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