ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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いずれ「ナウく」なる運命

ナウいの解説(日本語俗語辞書)

ナウいとは「今風の」「流行の」といった意味の形容詞で、その中でも最先端なものといった意を含んで使われることが多い。英語で「今」という意味の“now” に形容詞形にする接尾辞「い」をつけたものではあるが、ナウいが流行る1970年代終わりまでに形容動詞形の『ナウな』が流行っており、ナウいはこの『ナウな』の派生語と考えてよい。どちらにしても現代ではほとんど使われなくなっており、全くナウくない死語である。


解説にあるように、「ナウい」という言葉はかつては最先端を想わせる
ものを指し示し、それを賞賛するような意味で用いられていた…、筈だった。

しかし、今や(といってももうずっと前からだが)
その最先端のものを指し示す為に誕生した筈のその言葉は、
むしろ逆に、何かに対する珍妙さや時代錯誤具合を指し示し、
そのことを揶揄する様な意味合いで用いられるようになってしまった。

つまり、言葉自体は物理的に何ら変化していない筈なのに、ただ時間が
経過しただけでそれが間逆の性質を帯びたものへと変容してしまったのだ。

だが、こういった運命を辿るのは何もこの「ナウい」という言葉だけではない。

例えば当時の流行の最先端を象徴していた場所を映した昔のVTRなんかを
見てみると、その画面の中に映し出された人々は、今の尺度から考えると
とてもギャグとしか思えないような恥いファッションに身を包み、
それで平気な顔をして闊歩していたり、妙な踊りを踊っていたりする。
しかし、その時代は確かにそういった装飾具合や妙な踊りが
ファッションとして優れていると評価されていたのだろう。

もの自体が変わったのではない。人々の尺度が変わったのだ。

斬新だった筈のものが陳腐なものへ。
最先端だった筈ものが時代遅れのものへ。
持っていると羨ましがられた筈の物が、持っているだけで恥かしい物へ。
格好良かった筈のものが格好悪いものへ。賞賛が侮蔑へ。

そう、流行というものはいずれ「ナウく」なる運命にあるのだ。
(勿論、後に再評価されたり、細々と生き残り続けるものもあるが)

だとすれば、基本的に流行りものは「ナウい」という言葉が辿った
のと同じ様な道を辿ることはもう既に分かっているのだから、
今最先端のものとして流行っているもの(思想や風潮なども含めて)も、
それが流行として陳腐化する前に「ナウい」という称号を与え、
それをその一連の現象の流れの一部としてその言葉で指し示して
いいんじゃないかと思う。

そして、その一連の現象の成り行きを実際に体験し、
「死語」として“生き残った”数少ない生存者である
「ナウい」という言葉に、その自らの体験の語り部になってもらう。

人間は、例え同じものであってもその場の空気や雰囲気によって
そのものに対する評価を180度変えてしまうような、そういう
なんとも不確かで頼りない評価機能や判断力しか持っていない。
そういったことへ警鐘を鳴らし、自戒を促す意味でも、
流行りものは基本的に全て「ナウい」ということでいいんじゃないかと。

勿論、それを分かった上で敢えてその場所やその時代の
空気とダンスをするのであれば、それはそれでありだとは思うけど。

コメント

流行ねぇ

> そう、流行というものはいずれ「ナウく」なる運命にあるのだ

おっうまいねぇ.実を言うと,評価を変えているだけでなく,本当にそのように認識が変わってしまうというものは昔から知られてたわけです.周囲の雰囲気に同調するだけでなく,極端なもので言えば,日本茶(色は黄色に近い)のパッケージが緑色だとか,あまりにも安い商品の評価を下げてしまうとか,味の評価にも文化差があるとか,風鈴の音にドイツ人が「ウルセー」とキレそうになるとか(ガイジンセンス オモシロイヨ).我々の認識というものの一部は知識である(もしくはそこからの推測を元にしている)ともいえるわけで・・・.

ただ,「すべては陳腐化するだけ」なら,それもすっかりナウくなってしまったポストモダニズムみたいになるから注意してね.もっともナウい現代ゲージツ音楽みたいになってしまうのもそれもどうかと思う.

Re:流行ねぇ

>評価を変えているだけでなく,本当にそのように認識が
>変わってしまうというものは昔から知られてたわけです.

確かに、評価の元になる認識は理屈や意思の力だけで思うように
コントロールすることが出来るわけではありませんからね。

>ポストモダニズムみたいになるから注意してね.

ポストモダンについては余りよく知りませんが、
ネット上ではポストモダン批判をよく目にします。
ポストモダンを批判するのが昨今の流行とも言えそうです。

しかし、何故ポストモダンが隆盛せざるを得なかったのか、
そして何故それが失敗したのかということを自身の問題として受け止めず、
それを単に他者の問題として批判しているうちは、その主張は所詮
「ポスト・ポストモダン」でしかなく、本質的にはポストモダンが犯した
過ちと同じことをしているようにも思えます。

というか、人間社会は昔からずっと構築と破壊、そして又構築
といった流れをを新陳代謝的に繰り返して来たし、これからも恐らく
その根本的な流れが変わることはないのでしょうけど。

 ***

ところで、「04/13」にこちらから送ったメールは届いていますか?
どうも届いていないような気配がするんですけど。
どちらにせよ、あの議論を再び蒸し返すのはしんどい気もしますが。
気晴らしでブログをやっているわけですから、
それでストレス溜めるのもアレですし…。

俗語辞書おもしれー

> その主張は所詮 「ポスト・ポストモダン」でしかなく

おいおい,良く知らないと自分で言いながら,それをいっちゃぁおしめぇよ.それはそれで面白いから,ポストモダニズムと揶揄される主張やそれに大きな影響を受けた人がどんなことを言っているか本を読んでみるといいよ.ちなみに,ポストモダニズム批判はもう過去の話題ですになっていますが,ポストモダニズム批判が間違っていたからとかそういう問題なのではなく,「ポストモダニズム」の側だって自己修正するのです.

> 構築と破壊、そして又構築 といった流れをを新陳代謝的に繰り返して来たし

だから科学が常により強い説明力を求めて修正を繰り返してきたのと同じわけで,それは流行とか社会的な事物とかそういうのとは別の考え方をした方が良い.この場合は,命題の正否に賞味期限があるわけではなく「論争」に賞味期限がある・・・と言わないと「真実なんてものは何もないんだぁ」というイカれたせ貝になってしまうからね..で,ネット上でまだそういう批判を目にするというのであれば,それは情報伝達に時間がかかっているだけ(冷蔵庫みたい).冷蔵庫の中ではまだ賞味期限内の論争であってもよいでしょう.新鮮なネタが水揚げされていたとしても,それほどの実害はないと思う.

さてと,人間は常に変わっているのだが同一性を持つように感じている.人間が「共通性」の能力を持つのは社会生活を普通に営むためだとスロッピーに主張されることもありますが(社会的な倫理観に強くかなうから),実際のところそれは自己同一性(個性?)と言い換えたほうが良いのかもしれません.万物は流転する,しかし,人間はそこに何かを見つける.うぉぉぉ名言.俺かっこいー.まあ,この手の話は現代心理学のパラダイムなわけだけど,ポストモダニズムでの主張とは方向性が違うでしょう.(人間を見るの?人間の情報処理システムを見るの?人間の集団の性質を見るの?集団の理想を見るの?)まあ,ファッションなんて流転以外の何者でもないんですけど.そんで,私の主張も「ポスト・ポストモダン」と同じではないと考えたほうが適切でしょう.

メールの件たけど,空気とダンスするのは苦手なんでね.なんか前回のメールで話が完結してしまったかと思ったので(何を答えればよかったのか分からん),何も返事を出さなかったんだ.もう,視点というか興味が全く違うので,これ以上は私の考えからは何も関与できなさそう.私のような気まぐれ猫に,いちいちストレスを溜め込む価値はないよ.また音楽ネタでいこうや(現実逃避万歳).また来るニャ.

Re:俗語辞書おもしれー

>おいおい,良く知らないと自分で言いながら,それをいっちゃぁおしめぇよ.

こりゃ失礼。確かに良く知らないことに口出しするべきではなかったですね。
結局私が見ていたのは、ポストモダンとそれに関る一連の議論ではなく、
なんか「ポストモダン」というものが一方的にボコ殴りにされているようだ、
という印象と、そこから抱いた感情でしかないわけだし。

ただ、そもそもポストモダンという、その中身が広く一般に知られている
訳でもない専門用語を、明らかにそれを良く知らないであろう者に向けて
当たり前のように使用するというのはどうかと思うし、
それはちょっとした罠みたいなもんですよ。

相手がそれに「受け答えする為」に、よく知らない情報の断片だけで
ものを言ってしまったら、「よく知りもしないことに口出しするなよ」
となってしまうわけですから。この場合、その言葉を向けられた知識が
無い者の残された選択肢としては、その発言に同意するか、
若しくはそれをそれとなく受け流すか、或いは必死こいてその過去に
蓄積された専門分野の議論の一連の流れを追っかけるか、しかない。
まあ最後の選択肢を選ぶ者は滅多に居ないでしょうね。
そもそもそれだけの能力を有している人間も余りいないだろうし。

しかし、どうも自分には対話を成立させなければならないという強迫観念
というか悪い癖みたいなものがあるようで、実際それで多くの失敗を
してきたのだけど、中々直りませんなあ、そういうものは。
また一番上を選択肢を選んでしまった。

でまあ、ポストモダン批判という流行はもう既に過ぎ去ったもの
なのかもしれませんが、その単語を知る末端の部分(伝達が遅れた部分?)
ではそれが対立の構図として生き残り、その構図の上で行われる
一方的な攻撃が娯楽として消費されている(このこと自体は内容を
知らなくても言葉尻などで分かる)ような様相を呈しているところがあり、
(勘違いされても仕方が無い文脈になっていたかもしれませんが、chiariさん
に対してではなく)そういったことに対して何か嫌な感情を抱いて

>その主張は所詮 「ポスト・ポストモダン」でしかなく

といった発言をするに至ったのですが、余計なことなど言わず、
「ポストモダン?よく知りません」といって受け流すべきでしたね。
「知らないことは知らないと言う」これは非常に重要なことですな。

>命題の正否に賞味期限があるわけではなく「論争」に賞味期限がある・・・
>と言わないと「真実なんてものは何もないんだぁ」というイカれたせ貝にな
>ってしまうからね

そうれはそうなんでしょうが、全ての人間が科学者としての興味や目的、
判断を有している訳ではありません。「真実なんてものは何もないんだぁ」
といった類の発言は、どちらかと言えば、その人がその人生で獲得した
感覚に基づいて行われる個人の感情の発散としての発言でしょう。
そして人間にとっては「真実」よりも、自身の生活の方が重要です。

私としては、人間が「イカれたせ貝」の存在を必要とし、
そしてそれが個人の意思だけで克服出来る問題でもないという「真実」や、
個人の感情や興味のベクトルの違いから生じる現象に関して、
もう少し科学者が注意を払い、それに対する配慮を行ってもよいのではないか、
と思ってしまうのですが(でないと、ただ相手から反感を買ってより感情的な
応報としてのやり取りへと流れてしまう結果に終わることが多いと思うので)

>なんか前回のメールで話が完結してしまったかと思ったので
>(何を答えればよかったのか分からん),何も返事を出さなかったんだ.

元々話が噛み合いそうにない内容のメールだったので、
そうであるならば別にそれで構わないのですが、
純粋に届いていたのか否かをこちらから確認する
すべがないので念のため確認してみたまでです。
(実際、相手側から送られたはずのメールが届いていなかった
というようなことが以前にあったので不安になった)

>現実逃避万歳

これに関して大賛成ですね。
どうも最近(昔から?)は、この言葉が単に相手の印象を貶めることを
目的としてのみ用いられるという貶めに合っているようで残念です。

もしかしたら、その人間を形作る興味も体験も知識も感覚も余りにかけ離れた
人間同士が接点を見出せるとしたら、この分野でだけかもしれませんし。

全面撤回

---何故かコメントが編集出来ないのでこちらで

>それに対する配慮を行ってもよいのではないか、

後で考えてみるとやっぱりこれは違う。配慮する必要なんかない。
ただ、識者が無知な者や全体を見渡す余裕の無い者を小馬鹿に
するような態度を取れば、その者から反感を買うだけという結果に
終わるのは当然のことで、そもそもその行為は何が目的だったのか、
と思ってしまうような状況を時々見かけるということ。


無理に話を合わせようとしたり、内容ではなくやり取りの
印象によって物事を判断したり、その話し振りに過剰反応したり。
全く下らない。

結局自分のコメントは、よく内容を吟味せず、その印象によって
橋下氏を支持しているような人達とやっていることは同じじゃないか。

ということで、いい加減恥かしくなってきたので、
今までの発言を全面的に撤回します。

ただ救いが無いのは、自分は今まで何度もこういった失敗を繰り返し、
その度にそれを改めようとしたが結局出来ず、そして恐らく
また次もきっと同じ様な失敗を繰り返してしまうだろうということ。

つくづく自分という存在が嫌になる。

嫌だといってくれるな

> 若しくはそれをそれとなく受け流すか、或いは必死こいてその過去に
> 蓄積された専門分野の議論の一連の流れを追っかけるか、しかない。
> まあ最後の選択肢を選ぶ者は滅多に居ないでしょうね。

君ならできるって。なにか類友の匂いを感じる。嫌だといってくれるな。言い訳に聞こえるかもしれんが、君には「明らかにそれを良く知らないであろう者」の雰囲気はあまり無い。

> もう少し科学者が注意を払い、それに対する配慮を行ってもよいのではないか、

うぉぉ!それはオタク理系にとっては一番キツイかも。努力しますです。

> 「ポストモダン?よく知りません」といって受け流すべきでしたね。

そうでも、無いと思う。基本的にネットで調べた限りでも今回のナウとの関連は、十分なだけわかったと思う。だから、「同じような正しい着想だったのにやりすぎた失敗例があったんだな、他山の石」くらいを考えるだけで十分だったって(つまり、内容を知っている必要さえない。知っていればニヤリとするくらいか)。私は、別に必死こいて調べる必要も無いと思う。

> ポストモダン批判という流行はもう既に過ぎ去ったもの
なのかもしれませんが、

今でもなかなか面白いかもしれません。食わず嫌いもいけませんし。でも話の本題からは外れるのでここまでにしておきましょう。

Re:嫌だといってくれるな

どうもお騒がせしました。

>嫌だといってくれるな。

今までこの手の思想に関するものは意識的に避けていました。
そういうものを見ると、ついついそれに影響され過ぎたり、
或いはそれをそのままパクッてしまいそうになるので。
ただ単に理解が難しいということもありますが。

でも、これからはもう少しそういったものにも目を向けていこうかと。
音楽にしても、影響されるのやパクるのを怖がって他人の作った
音楽を聴けない、というのもどうかと思うし。

>内容を知っている必要さえない。

これはインチキ論文事件のことかな?
確かに笑える事件です。騙された方は大変だけど。

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ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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