ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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黒色のタッグなんて貼り付けなけりゃいいのに

まだクサクサした気分が収まらないので、
再び個人の暴力は糾弾され、集団の暴力は称揚されるの続き。
また下らないこと書くけど、これが自分の吐き出し行為なので。
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【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式
(何かごにょごにょ言ってます)

まあ、トヨタのような日本を代表する企業がこういうことを平気な顔してやっていられるのだから、この社会がどのようにして成り立っているか、といったことは推して知るべしといったところだろう。

そして件の事件の容疑者は実際にこういった環境暴力を受けていたわけで、しかも、

そもそも犯人の環境は、他者と関われないシステムとして存在している。

見知らぬ土地に連れて来られ、社員からは顔を覚えてもらえず、あたかも部品の一部として明日の生活を奪われる。俺はボルトじゃねえ。

といったように、それが環境暴力という間接的に行われる形態の暴力であるが故に、暴力を行使する主体はその対象と直接関わることなく、自らが暴力を振るっているという事実さえも忘れてしまう。だから罪悪感に苦しむこともなく、それ故その暴力に歯止めが掛かることもない。むしろ、そういった環境を形成することが日本経済をより強くするのだ、という集団の利益という大儀の下、その暴力は加速していく。

絶望の背景を他者に見出すことができたなら、それをなぜ別の手段に訴えられなかったのか。歯がゆくて悔しくて、悲しく憎らしい。

と、この方は言うが、そもそも彼はそのような手段を行使するコミュニケーション能力、政治力を持っていなかったが故に、このような絶望的な環境しか獲得出来なかったのではないか?つまり、やはり彼にはもう「樹海」か「秋葉原」かの二択しか無かったのである。だからこそ、どんな大儀があろうとも、そういった暴力環境が形成されること自体が問題にされねばならないのではないか、ということを前の記事では書いた訳で。

しかし、そのような生きながらにして黒のトリアージ・タッグを貼り付けられてしまった人間の殆どは、前者の方を選択する、いや、してきた。そういう形でこの国の治安は守られてきた。そのことは、もし仮に今まで自殺していった多くの者達がそれをせず、己が生き残ることを第一義的に考えて行動していたら、或いは、その最後の力を復讐へと注ぎ込んでいたならば、一体この国の治安はどのようになっていたか、ということを考えてみればよく分かる筈だ。

そう、自らが道徳的恩恵の外部へと追いやられて尚、その規範を守る論理的な理由を失って尚、内部の規範を遵守しようとする個人の道徳感によって、その道徳感という刃によって不特定多数の“誰か”が自殺という形で間引かれることに頼って治安を守ってきたのがこの社会なのである。

だからこそ、こういった事件が起きる度、人々は口々に道徳を唱え始める。まるでそれに魔法効果でもあるかのように。いや、実際今までその道徳感という刃によって多くの者達が自殺に追い込まれてきた訳だから、それに魔法効果があると言えば言えるのかもしれない。むしろ呪いといった方が適切かもしれないが。

だが、前々回の記事でも書いたことをもう一度言うが、道徳的恩恵の外部へと切り捨てた人間に内部の規範を遵守してもらうことを期待すること自体がそもそも間違っているのである。というか、そういう一方的関係を形成すること自体が本来なら非道徳的なものとして捉えられなければならない筈なのだが。

 ***

それはともかく、こういった道徳の魔法効果にも当然限界がある。特に、近年ではもう早い段階で自分の未来がある程度想像出来てしまうような環境が整ってしまっているが故に、そして経済倫理学的発想を無批判に是とするような認識が世間に行き渡ってしまっているが故に、一方的関係を強いる者と強いられる者、切り捨てる者と切り捨てられる者、という構図が、より明確に、より早急に人々の意識の中に形成されることになる。これまでならば、いよいよもうどうにもならないという時になって初めて自分が切り捨て要員であったということに気づいていたのが、これからはもう、十代、二十代という早い段階で、「俺には既に黒のトリアージ・タッグが貼り付けられている」と気づいて(思わせて)しまう可能性があるのだ。そういう環境下に於いて、果たして今まで通り道徳の魔法効果を期待出来るだろうか。

特に就職氷河期には、破廉恥極まりないと言ってよい程あからさまにそういった切捨て行為が行われた。このことは、実際に切り捨てられた者だけでなく、全ての世代がそれを目撃し、その構図が嫌でも脳裏に焼きついている筈だ。そしてそれにより、それが意識化されるか否かは兎も角、「世の中には切り捨てる者と切り捨てられる者がいる、それは動かせない事実だ」という感覚が、多くの者達に刻み付けられたのではないか。

いや、それでもやはり多くの者達は「樹海」の方を選択するのだろうけど、ただ一つ言えるのは、「自分には黒のトリアージ・タッグが貼り付けられている」と感じざるを得ない人が増えれば増えるほど、こういった事件や自殺が起こる可能性もまた高まるということだ。つまり、それらを減少させようとするのならば、まずはそんな風に感じざるを得ない人間を減らすためにはどのような環境を作り上げなければならないのか、ということこそ本当に考えなければならないことなんじゃないかと。

まあ、物理資源は限られているので今の状況を改善するのは難しいという人もいるだろう。しかし、本当に黒のタッグが貼り付けられたと感じざるを得ない人間をこれ以上減らすことは出来ないのだろうか。本当にこれが限界なのだろうか。自分には分からない。ただ、何故かこの手の問題になると、普段はうっとうしいまでに自己主張してくる「諦めるな精神」は、突然どこかへと姿をくらましてしまうんだよな。なに都合の悪い時だけひきこもってんだよ。俺じゃあるまいし。いや、もし仮に物理資源はどうにもならないとしても、現在は「仕方が無いこと」として許容されている、生存の維持に不必要な悪意の投げつけや蔑み行為に関しては幾らでも改善出来る筈だろう。こちらは限られた資源云々などという話ではないのだから。だが、それをどうにかしようという大きな動きが形成される気配もまたない。よって、それらの悪意を受け取り続けることによって消耗し、自身の存在価値を信じられなくなり、他者と関ることにすら後ろめたさを感じるような感覚を獲得してしまうような人間もまた、増えることはあっても減ることはない。そしてそうなってしまった人間は、何らかの依存先を獲得したり、獲得した依存環境を維持し続けることが極めて困難となる。黒色タッグ人間の一丁上がり、という訳だ。まあこういった蔑み行為は、出来るだけ生存競争のライバルとなる他者を弱らしておこう、という人間の本能のようなものも関係しているのかもしれないが。

だが、個人というコップに苦痛という水を注ぎ続ければ、やがてその水が溢れ出すのは当然のことだ。そしてそのコップにひびでも入れば、中の苦痛が外へと流れ出すであろうことは一々説明するまでもない。しかし、実際はそうなったとしても、多くの人間がその苦痛を派手に外へとぶちまける前に、それを抱え持ったままこの世から消え去ってくれるが故に、人々はその当たり前の事実さえ忘れてしまう。散々コップに水を注いでおいて、それが溢れ出ると「うわっ、溢れた!」といって大騒ぎする。で、そうなったらなったで今度は、「このコップの精神がなっとらんから水が溢れ出るのだ!」などと言って憤る。もうなんじゃそりゃ、と。

いや正直なところ、例え理屈上は可能であっても、自分も実際にこういった状況を今よりも改善することが出来るなんて露ほども思っていない。だって人間って元々こういう生き物だから。

ただ、集団によって許容され行使される不特定多数の個人への環境暴力が避けえぬ摂理でもあるかのように主張するのなら、せめてそれに対する反撃として行われる個人からの不特定多数の集団への暴力もまた、摂理として甘んじて受け入れる覚悟くらいはすればいいんじゃないの?と思う訳で。

ところが、普段「現実主義」などとのたまい、前者の摂理性を強調するような人間が、それとセットで付いてくる筈の後者の摂理に対しては激しく拒否反応を示し、その上、その受け入れたくない現実を目の前にすると、「大人になりきれていない者がいるからこんなことになるのだ」とか、「個人の未成熟さがその原因だ」などと言い出す。そして本来技術的な問題である筈の事柄を、善悪の問題にすり替えて物事を主張し始める。一体、その様な振る舞いのどこら辺が「大人」でどこら辺「成熟」なのかと。そしてそれのどこが「現実主義」なのかと。

そんな風に思う訳ですわ。

 ***

道徳といじめ、自殺、治安の関係性や、経済倫理学の欺瞞性については、もう一度他の記事でも書くかもしれない。というか、それにつてい書こうと思いながら、中々上手く文章化することが出来なくて悶々としていたところにああいう事件が起こってしまったのだが。ただ、これまで「後で書く」と予告したことは何度かあったが、それを実際に成し遂げたという実績は今のところ無い。つまり書かないってことか。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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