ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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其々の依存症

フリースクール:入所後すぐ暴行 恐怖心で反抗抑圧…京都(毎日jp)

傷害容疑で逮捕された京都府京丹波町のフリースクール「丹波ナチュラルスクール」経営者の江波戸聖烈(えばと・せいれつ)容疑者(60)が、施設に到着したばかりの入所者にいきなり暴行を加えていたことが12日、京都府警の調べで分かった。恐怖心を植え付け反抗を抑圧するのが目的だったとみられる。教育の実態がほとんどなかったことから、入所者を“金づる”とみるスクールの姿勢が一層浮き彫りになった。

 調べなどによると、入所者の中には家庭内暴力など問題を抱えていた若者も多く、スクール側は連れて来る車内から「お前は悪いことをしとんのや」などと叱責(しっせき)。到着するとすぐに江波戸容疑者や責任者の森下美津枝容疑者(55)のもとに連れて行かれ説教、暴行を受けたという。

フリースクール傷害:入所者の迎え、拉致同然の手口 京都(毎日jp)

 傷害容疑で経営者らが逮捕されたフリースクール「丹波ナチュラルスクール」(京都府京丹波町)が、入所者の迎えに男性3人前後のチームを派遣し、拉致同然の手口でスクールまで連れて来ていたことが府警の調べで分かった。スクール側がこうした「お迎え」で数十万円の別料金を取っていたことも判明。9日の家宅捜索では、木刀などと共に手錠が押収されており、府警は迎えの際に抵抗を抑圧するために使ったとみている。


監禁、お守り作り強要 フリースクール、少女の母証言(asahi.com)

終日、部屋の中で府外の神社のお守りをつくる内職をさせられた。その間、部屋は外から鍵をかけられ、事実上の監禁状態だった。ほかに3、4日は真夏の炎天下に4、5時間、農作業をさせられ、Tシャツを着ていても背中の肌が真っ黒に焼けるほどだった。

「え~、毎度お馴染み、教育の名を借りた拉致監禁暴行カツアゲ業でございま~す。ご不要になりました不登校、ひきこもりなどございましたら、是非お気軽にお声をお掛け下さい。」※1
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人間(に限ったことではないが)は何かに依存することなしには生きて行けない。「自立」という言葉の意味を本気で考えたことのある者ならば、それが己の生活を物理的に支える(資源、システム、組織などといった)何らかの環境的依存先や、その者の心の支えとなって精神的消耗を抑えたり活力の源となる何らかの精神的依存対象を獲得し、その対象に上手く依存し続ける能力のことを指すということは重々承知していることだろう。「自立」とは、その者の生活の維持を磐石なものとするのに必要なより良い依存先や依存対象を獲得し、その対象との関係を維持する能力のことなのだ。そして不登校やひきこもりと言われる存在はそういった能力に欠け、必要な依存対象を獲得することが出来ないが故に己の存在に意義を見出せなかったり、家族という予め獲得している依存先以外に新たな依存先を獲得する能力がなかったり、或いは獲得した依存先との関係を継続し続ける能力がないが故に、そういった肩書きが付与されるような状況へと陥ることとなる。

従ってそういった者達に必要なのは、まともな依存先を獲得し、その対象との関係を継続し続けることを可能とする政治的能力、そしてその政治的行為を遂行する動機として必要となる、死にたくないから生きているとかではなく、社会という決して解消し得ない個々の利害の対立の渦の中で、例えそれが他者に何らかの損害を与えることとなっても(誰であろうと、他者に迷惑を掛けずに生きていくことは出来ない)、例えそのためにより積極的に非道徳的行為を行うことになっても(一般的道徳の遵守は基本的に生存と競合する結果になる)、どんなことをしても生き延びて自身の存在を維持し続けようとする生への積極的渇望だ。故にその能力や動機をその者達から引き出すことが出来ない自立支援施設、及び取り組みは、少なくとも不登校やひきこもり達にとっての「自立」には何の役にも立たない代物といえるだろう。

では何故、そういった本来の目的には何の役に立たない施設や取り組みが存在し続けるのか。それは、そういったものがその施設の運営や取り組みに携わる者達自身にとっての依存対象として機能し、欲せられているからだ。子育てに失敗した親達(勿論その「失敗」という状態には親以外にも様々な原因が絡んでいるが)はそういった施設や取り組みに依存することで己のその負担を減らそうとし、それらを運営している者達は、その親や不登校・ひきこもりという存在に依存することでその施設や取り組みの運営を可能とし、それによって自身の存在に対する何らかの意義や、己の生活に必要な金銭を獲得したりする。そこにはそういった依存関係が成立している。

そういった意味では、この記事の容疑者達にせよ長田百合子らにせよ杉浦昌子らにせよ戸塚宏らにせよ、「自立」能力の無さ加減という点では、不登校やひきこもりと言われる者達に決して負けてはいない。何故なら彼らもまた、偏向的な思想(依存対象)こそ獲得し得たものの、それ以外にはロクな依存先を獲得することが出来ず、それ故こういった私設北朝鮮施設のようなものを自ら作り、そこで不登校やひきこもりという存在、そしてその親達の経済力に依存することでしか己の生活を保つことが出来ない者達なのだから。

せっかく刑務所から出獄して自由になったはずなのに、直ぐにまた犯罪を犯してそこに戻ろうとする人達がいる。何故彼らがそういうことをするかと言えば、彼らは自分達が刑務所という依存先でしか生きていけないことを知っているからだろう。同じ様に、この手の施設を運営する者達もまた、(少なくともその時点に於いて)自分達が不登校やひきこもりと言われる存在、そしてその親達に依存しなければ生きては行けない人間であるということを知っている。そして彼らは、他者と相互的な信頼関係を築く能力に欠けているため、何らかの大儀の庇護の下に隠れ、自分の思い通りにならない者に対して暴行を働いたり、罵声を浴びせたり、環境的に追い詰めたりすることくらいでしか他者との関係を維持することが出来ない。だが、そういった一方的なコミュニケーションしか取ることが出来ない者が活躍出来る場所はそう多くはないだろう。結果として彼らは、同じような偏向した思想を持った自立能力の乏しい者達と連帯し、教育という大儀を後ろ盾として作成した治外法権的施設に、不登校やひきこもり、そしてその親達を引き寄せ、それらに依存することでしか生きて行けない。彼らはそういった重度の不登校・ひきこもり依存症に陥っている。


<一方通行的な教育・道徳観への依存症>


しかし、そういった偏狭的な依存能力しか持たない者達が他者を「自立」させるための「教育」を施すという倒錯や、そのために作成した治外法権的施設や秩序で一方的な隷属関係を維持し続けることは、彼らの力だけで成し得ることではない。それを可能とするためには、先ず教育や道徳といった何らかの大儀を掲げ、(表向きと実際の状況に程度の違いはあれど)そういった隷属関係の確立や維持に対するある程度の理解を世間から取り付け、その力添えを得なければならない。

つまり、こういった強制収容所と化したフリースクールに限らず、時津風部屋の暴行死事件や自衛隊に於ける異常なまでの自殺率の高さになどに象徴されるような関係性があちこちでつくり出されるのには、「教育や道徳は他者を自分にとって都合よく作り変えるための道具である」という一方通行的な考え方がこの社会のマジョリティとなっていることが大きく関わっている。そしてそういった風土が、其々の場所で小さな北朝鮮が生まれ育ち、その体制を維持することを下支えしている。

確かに、教育や道徳という大儀で以って肥大化することが許された圧力や暴力を用い、それによって他者を一方的にコントロールすることが出来るとしたら、それを御旗として掲げる側にとってこんなに都合の良いことはないだろう。実際、その大儀によって世間から理解を得た抑圧によってある程度他者をコントロールすることが出来るのは事実だ。だからついついそういった教育・道徳観に依存したくなる。だが、他者を自分にとって都合よく最適化したいという欲求、或いはそのように他者から扱われたくないという反発心は、全ての人間が持っている。結果として、多くの者達が「我こそが真に正しき教育や道徳の代弁者である」と唱えはじめ、それ故、其々は常に他者からの「教育」や「道徳」を大儀とした抑圧や監視に怯え続けなければならなくなる。

例えば無差別殺傷事件にしても、そういった教育・道徳観を支持するならば、あれもまた、他者の大きな苦痛の上に成り立つ悪業システムに乗っかって無神経に人生を謳歌する蒙昧な一般大衆に対する道徳的鉄槌であり、教育(啓蒙)であると見做すことも出来る。もし教育や道徳を大儀として他者と一方通行的な関係を結ぶことが許されるとするのならば。また、この前の記事で取り上げた、駅のコンセントで携帯を充電していた者がそれを見た通りすがりの者に民衆管理局(警察)へと密告されたケースを始め、多くの国民が、ほんの些細な落ち度(若しくは空気を読まない行為)であっても他者に(その落ち度の大きさとのバランスを欠いた)罰が与えられることを望んだりすることや、ちょっとしたことでも直ぐに国民的なバッシングにまで発展してしまう昨今の風潮なども、こういった教育・道徳観があってこそ成立するものだろう。そこでは教育や道徳というものは、その一時点だけを見て、その前後への配慮や他の要素との整合性を欠いた極めて一方通行的なものであり、単に自分の気に入らないものに対する暴力を正当化するためのものでしかない。

だが、そういった教育・道徳観が世間に浸透すれば、自身もまた他者からその大儀で以って暴力を振るわれ、抑圧される可能性もまた認めなければならない。かといってそれを放棄してしまえば、自らの暴力や抑圧を正当化する理由が失われてしまう。そういったジレンマがありながらも、多くの者は結局そういった教育・道徳観にしがみ付き、それに依存し続ける。何故なら、それは自身の価値観で世界を満たしたいという征服欲や、自分の気に入らない者を叩きのめしたいという暴力欲を正当化してくれる麻薬のような存在だからだ。しかもそれは、手を伸ばせば誰もが届く場所にこれ見よがしに転がっている。だから、誰もが一度は必ずそれに手を伸ばす。そして一度その味を占めてしまえば、中々それを止められなくなり、中毒となる。

 ***

人間社会に於いて、個々人の利害の衝突、つまり競合関係は決して解消出来ない。だがそれと同時に、個々人が意識しようとしまいと、何らかの相互利益関係もまた常に形成されている。しかし、本来ならば相互利益的な関係を後押しするための役割を任せられているはずの教育や道徳といった概念が、一方的な関係を形作るものとして用いられれば用いられるほど、その相互利益的な関係性は影を潜め、その分だけ競合関係が強化されていくことになる。そうなってしまえば、主に其々の場所に於ける政治的趨勢の積み重ねによってのみその社会のあり方が決定付けられていくこととなる。そしてその相互利益性と競合関係とのバランスの悪さが、其々の場所で小さな北朝鮮や、硬直した一方的関係を生み出すことを容易なものとする。さらにそうなれば、必然的に趨勢への反発もまたより先鋭化した形で行われるようになることを覚悟しなければならないだろう。何故なら、そういった硬直化した一方的関係の下で幾ら言論で異議を申し立てたところでそれが聞き入れられるはずもなく、その異議を有効なものにするためには、もっと別の手段を用いなければならなくなるわけだから(例えば今回紹介した暴行監禁事件にしても、施設から逃げ出して国家という“より大きな暴力”に頼ることでしかその状況を打開することは出来なかった。そしてもし国家の暴力に頼ることすら出来ない状況であったとすれば、他にその局面を打開するためのにどんな方法があったのかと言えば…)。

教育への公的支出、日本最下位 家計に頼る構図鮮明(asahi.com)

 経済協力開発機構(OECD)は9日、加盟30カ国の教育に関するデータをまとめた08年版「図表で見る教育」を発表した。05年現在の調査結果で、国や地方自治体の予算から教育機関に出される日本の公的支出の割合は国内総生産(GDP)比3.4%と、データのある28カ国中最下位になった。

この国の教育への投資額、つまりそれを重視する姿勢は実際この程度のものなのだが、その割にやたらと「教育が悪いから云々」などと言ってみせる人達が多いのは、結局そういうことなんだろうと。つまり、そこで登場する「教育」とは、他者を自分にとって都合よく作り変えるものとしての「教育」なのだ。だから、そういった教育観が蔓延したこの社会で、それを否定、批判することなしに行われる教育談義というのは、実質的には「世界よ、俺色に染まれ!」と言っているだけに過ぎない。

でまあ結局何が言いたかったのかと言えば、教育や道徳を一方通行的な関係を形成するための道具であるという考え方に依存するのを止め(でなければ、幾ら教育に予算をつけても、そのお金は結局何らかの硬直化した一方的関係をより強固なものにするために使われるだけだろう)、それによって競合関係と相互利益関係がある程度のバランスを取り戻させ、この記事の容疑者の様な人間でももっとましな何らかの依存先にありつけるような環境が整いでもしなければ、個別の人物を幾ら捕まえていっても、色んな場所でその土壌から幾らでも新しい戸塚や長田が生えて来るよ…、というか、自立能力の有無の違いはあれど、内容的には既にあいつもこいつもどいつもそいつも戸塚や長田になっているんじゃないのかと。いや、むしろ戸塚や長田にならなければ(つまり、一方通行的な教育・道徳観を無批判に受け入れ、それを上手く利用しなければ)生きて行けない世の中に既になっているんじゃないのかと、そういう話。



※1 こういう表現を用いるとふざけている様に見えるかもしれないが、これは単にネタというだけではなく、こういった施設は元々、そこに集められた(利用価値がなくなった)人間の感覚や資質を一端解体し、それを社会に最適化されたものとして作り直して再び利用出来るように(リサイクル)することを期待されてそれが存在しているんでしょ?という示唆にもなっている。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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