ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

理念は己の分身によって踏みにじられる

・自由→「働けば自由になる」※1

・平等→同化政策

・平和→“みんな”と仲良く出来ない者、
 “みんな”の安心を阻害する者への弾圧と排除
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理念は頭の中にあるからこそ純粋に理念でいられるのであって、一歩頭の外へと踏み出してしまえば、それもまたただの政治的道具になってしまう。その結果、外界へと踏み出して道具となった理念によって、それを生み出した元々の母体である純粋な理念が踏みにじられてしまうというのはよくあること。誰も社会を覆う人工的暴力システムから逃げることは出来ず、そしてそれを上手く利用しなければ生きてはいけない状況がある以上、何人たりとも政治的であることから逃れることは出来ない。理念という概念でさえも。

因みに、法律家が法の理念を踏みにじろうとするのもこの国ではよくあること。

園児の農園を大阪府が強制収用…第2京阪道路建設で(読売新聞)※2

 2010年3月供用開始予定の第2京阪道路の建設工事を巡り、大阪府は16日、「保育園児の農園がある」として用地売却を拒否している同府門真市の社会福祉法人「北巣本福祉会」に対し、用地を強制収用する行政代執行を行った。

 用地は、同法人が運営する北巣本保育園近くの約770平方メートル。売却交渉は約5年前から始まったが、園児らが耕作した農作物を給食に利用するなどしており、同法人側は「食育の場として重要」と売却を拒否。府収用委員会が今年3月に土地収用の裁決を行ったため、同法人は大阪地裁に行政代執行の停止を求めたが、「農園を代替地に移すことは可能」などとして却下され、大阪高裁に抗告中だった。


○○○!知恵袋 橋下知事は鬼畜ですか? (いしけりあそび)

 一審の執行停止決定に対しては行政側から、執行停止却下決定に対しては申立人から、高等裁判所に不服申立=即時抗告=ができます。(中略)

申立から決定までは、どんなに早くても、1ヶ月弱程度はかかります。即時抗告の場合は、それより早くはでるもの、やはりある程度の時間がかかります。

 この間に、執行をすることはできるでしょうか。
 してよいという意見もあるのかも知れませんが、実務上はしていません。なぜなら、上記の趣旨からすればあきらかなとおり、執行停止が申したてられた以上、当該行政処分が停止された場合に「公共の福祉」が害されるかは、裁判所が判断するというのが日本の法律の基本的な考え方であり、それをまたずに執行することは、裁判を受ける権利を実質的に奪うことになるからです。

 その意味で、一審の却下決定に対して即時抗告があり、今月30日に大阪高裁が決定を出す予定であるにもかかわらず、それを待たずにした大阪府の行政代執行は、異例中の異例の措置といわざるをえません(※1)。司法判断を待たなかった理由について、「10年3月末に予定されている第2京阪の全線供用開始に間に合わなくなるため」と弁明していますが、こうした不利益が「公共の福祉」を害するか否かを、行政の独断にゆだねず、裁判所が判断すべきとしたのが、執行停止制度なのです。(中略)

 日本の裁判所はいっぱんに行政と個人が対立する場合に、行政よりの判断をするとされています。しかしながら、個人が、行政によって権利が侵害されたと考えたときに、それを救済するための制度があるけどなかなか勝てないのと(※2)、そうした制度すらないのでは、雲泥の差があります。
 橋下知事について、わたしは同業者とおもったこともないので、弁護士のくせに、とはいいませんが(※3)、その判断には、イモがどうのではなくて、法治国家の根本をゆるがす危険がひそんでいることに注目していただきたいとおもいます。


山口県光市母子殺害事件の弁護団に対する懲戒請求扇動騒動を起こした橋下知事に賠償を命じた広島地裁での判決文より

 弁護司法1条1項に、弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とすると規定されていることから明らかなように、弁護士は議会制民主主義の下において、そこに反映されない少数派の基本的人権を保護すべき使命をも有しているのであって、そのような職責を全うすべき弁護士の活動が多数派に属する民衆の意向に沿わない場合がありうる。多数の者が懲戒請求をしたことをもって懲戒相当性を認めるということは、弁護士が上記のような使命・職責を果たすべきこととは相容れない。(中略)その活動が違法なものでない限り、多数の者から批判されたことのみをもって当該刑事事件における弁護人の活動が制限されたり、あるいは弁護人が懲戒されることなどあってはならないことであるし、ありえないことである。したがって、弁護士に対する懲戒自由の存否について多数決で決することは本来許されるべきことでなく、懲戒請求の多寡が弁護士に対する懲戒の可否を判断するに当たり影響することはない。被告の主張は上記のような弁護士の使命・職責を正解しない失当なものである

判決の全文は以下のページで読める(PDFファイル)。
光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ

これらの問題に限らず、「民主主義は多数決だから、多数派の言う事が正しいに決まっている」みたいなことを平然と言ってのける人がやたらと多いのには本当に呆れる。そんなことを言うのならば、多くの独裁国家は基本的に「多数決」の条件を満たしているわけだから、それもまた民主主義国家ということになってしまうんだけど。勿論、本当はこの判決文が示すように、それだけじゃ民主主義とは言えないのだが。まあ日本は偽装民主主義国家だから、そういう認識を持っている人が沢山いても当然と言えば当然なのかもしれないが、これもまた、外界へと進出して政治的道具となった理念によって元々の理念が踏みにじられている一つ例と言っていいだろう。

大阪・橋下知事、私学助成金削減めぐり高校生と意見交換会 「日本は自己責任が原則」(FNNニュース)

そういや、うちの知事がまた教育に関して色々とオーサカらしい主張や動向を取り始めているが、教育に於いて一番重要なのは、先ず子供達にこういった民主主義の土台となっている理念をちゃんと理解させることなんじゃないのか。この国が民主主義であると言うのなら。しかし、「ガクリョク」とやらの重要さを説いて回る人達って、大抵そういうことには無関心だったりする…というか、むしろそういう人達に限って、「民主主義とは多数決である」という矮小化された民主主義観を他者に押し付けようとしたり、逆に教育予算を減らしてみたり、子供から「数々の大型公共事業の失敗によって借金塗れになったのに、何故また大型公共事業重視の政策を取るの?それよりも教育、医療、福祉にお金を使うべきなんじゃないの?」みたいな疑問を投げ掛けられたら突然激昂して、「じゃあ、あなたが政治家になって」「国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」などと言ってその子供を面罵してみせたりするから始末が悪い。まあ日本は偽装民主主義国家だから…以下略

「高速道路なんか、正味あんなたくさんいらないと思います」と税金に無駄遣いがあると指摘すると、橋下知事は「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」と反論し、

というかこれ、反論とは言わんだろ。何故そう判断したかその根拠を訊いているわけで、そのことに対する明確な理由を述べる説明責任が政治家にはあるはずだ。もし橋下知事がそれを述べていたのならば、その部分こそ報じるべき。そしてそういった説明がなされ、論拠が提示されることで初めてこの対談に価値が出てくる。そうでなきゃ、公費を使ったただの個人的広報活動。まあこの記事における彼の言動からして、「根拠は俺」だと思うけど。

彼はここで「自己責任」を連発しているが、他者に軽々しく「自己責任」を突きつけるのは、その相手に「責任のスポットライト」を当てることで自身の言動の責任や政治性を暗闇に隠し、何を以ってそれを正しいとしているのかという論拠の提示を放棄しようとする行為に他ならず、それは自分に対する最高の甘やかし以外の何物でもない。そもそも、「自己責任」はその元を辿れば、愚行権行使の自由を認めようというような理念から生まれてきたんじゃないのか(いや、正直その出自についてはよく知らないけど)?それが何時の間にか、社会的趨勢に於いて優位に立った者や、社会システムを掌握した権力者が己のタガを緩め、権限の行使や言動の自由を何の論拠も提示せずに拡張するための道具に成り果てているという。

ただし、日本における「自己責任」は、始めから己の責任を闇に隠すための道具として一般に広まったようだけど。日本で「自己責任」という言葉が普及し始めたのはイラク人質事件以降ということになっている。しかし、自分がその言葉を意識し始めたのは九十年代中盤くらい。ちょうどその頃に、専門的な知識を持ち合わせていない個人の顧客が軒並み証券会社にカモられてちょっとした問題になり、テレビなどでもその問題が取り上げられたりしたのだが、その時に証券会社側が出してきたのが「自己責任」という言葉だった。おそらく、あれが日本における「自己責任」の出自だと思う。つまり、ヤツが日本に住み着いた時は、もう既に相当胡散臭い野郎に成り下がっていたわけね。なんせ、インチキ証券会社の助っ人として登場したわけだから。で、今もまたその手の人達から助っ人として引く手数多であると。



※1 Wikipedia『働けば自由になる』より

働けば自由になる(ドイツ語: Arbeit macht frei)は、そもそもは19世紀後半のドイツ人作家が用いた小説のタイトル。20世紀前半、ナチス政権が強制収容所のスローガンとして用いたことで幅広く知られる語となった


※2 この件に関して、これは国主導の事業だから、府側に、つまり橋下知事には責任はないというような意見を見かけたが、それは明らかに誤り。

橋下知事が霞ヶ関に 第2京阪道の整備促進など陳情(産経新聞)

 大阪府の橋下徹知事は国などに対して、第二京阪道路の整備促進や、関西空港の2期事業の推進などを要望するため30日、1泊2日の日程で上京した。初日は国土交通省を訪問し、府と守口市、枚方市など沿線7市で組織する第二京阪道路整備促進大阪協議会の会長として沿線市長らとともに、同道路の平成21年度供用開始のための予算措置などを求めた。(中略)

 要望を終えた橋下知事は、第二京阪道路については「全力を尽くす」という回答を得られたと説明。「関西の都市基盤にとって必要なものは必要と声を上げていかなければ」と述べた。

この件に限らず、国主導だから県側に責任はないというのはただの責任逃れ以外の何物でも無いだろう。まあ確かに、場合によっては国の意向にさからったら「補助金減らすぞ」と脅されることはあるかもしれないが、かといって県側に責任が無いとも言えないだろう。というか、本当に大型公共事業が好きなんだなこの人。なら最初からそのことを公約に書いとけよ。「道路を重視して、節約のために教育予算を削ります」とか。公約の破棄どころか、公約に示されたベクトルと間逆な方向へと向かっているのが橋下府政。

コメント

一千葉県民の意見

ときどき、おもってしまうのだよ。

「まあ、横山ノックを選んだ大阪府民だからね・・・」

以上、東京に入りたくても入れてもらえないチバラギ県民の意見でした。

いずれは千葉も大阪になる…かも

>「まあ、横山ノックを選んだ大阪府民だからね・・・」

そういう土地柄であるとしか言いようがないですな。
現知事もまた横山やすしみたいな人ですし。
しかし、この場所でそれなりの立場を維持し続けるためには、
そういった環境にも上手く適応していかなければならない…と。

ただ、私にはこの国自体がもう既にかなり
大阪化し始めてきているようにも見えるんですけどね。
一億総芸人社会というか、ワイドショー国家というか。

“サブい”人間はただ“サブい”という理由だけで
とことん冷遇され(この前の「麻生邸見学デモ」での
転び公妨に多くの一般市民が喝采を送ったのが良い例)、
ワイドショー的空気に反目すれば一斉にバッシングされる。
だから、その者に何か特殊技能(つまり芸)でもない限り、
後はそうやって作り出された雰囲気に上手く媚びて
笑い屋や怒り屋に徹するか、もしくは“ノリ”で其々の局面を
切り抜けるしかないという。

脱藩してやるー

HD4670欲しいよ。秋葉原は(財布を見て)・・・遠いよ。チアリです。マウス、キーボード、ハードディスク、SATAカード、USB ハブが次々いかれて、電車代も惜しいこの頃、いかがお過ごしでしょう。なんか呪われているような気がしてきました。

> “サブい”
その形容詞は初めて聞いた。メモメモ・・・

> この前の「麻生邸見学デモ」での転び公妨
あ、それも知らんかった。

芸は良いぞ。自己を笑い他者を笑う。特殊技能なんかなくても良いのだ。まあ、かくいう私は理系オタクの一員。「特殊」技能ならいくらか覚えがありますが、聞いてないですか、そうですか・・・

> いずれは千葉も大阪になる…かも
ありえますねぇ。こうも県政に無関心なオタクがここにもいますんで。ハイ。

20XX年、脱阪者の急増が社会問題に

>マウス、キーボード、ハードディスク、SATAカード、USB ハブが次々いかれて

パソコンは壊れやすいものですからね。私もいつこのパソコンが駄目になるのかとヒヤヒヤしていますよ。コレが壊れてもパソコン買い換える金銭的余裕が無い…。パソコンは様々な恩恵をもたらしてくれます。しかし、何かを得ることはそれと同時に、それが無くなることへの不安もまたもたらすことになるという。

>芸は良いぞ。自己を笑い他者を笑う。特殊技能なんかなくても良いのだ。

ここで私が芸という言葉で指し示そうとしたのは、統一化、硬直化した空気への最適化を演じる能力のことです。その演技能力が無い人間は痛い目に遭うと(哂う方は一方的に哂い、哂われる方は一方的に哂われる。片務的にその役割が固定化される)。ただし、周りを魅了したり、周りから必要とされる希少価値のある能力を持っている人間はそういった演技能力が無くてもなんとかやっていけるということで。

>こうも県政に無関心なオタクがここにもいますんで。

同じ様に、「大阪になる」と言ったのも借金塗れになるということではなくて、上記したような芸人強度至上主義がこの国全体を席巻し始めているのではないかということです。そしてそこでは、むしろ嫌でも周りの空気に「関心」を持たざるを得なくなると(そこで周りの空気に無関心でいられるとすれば、それは既にその者が高い芸人強度を獲得しているか、もしくはそれ以外に何か特殊技能を獲得し、それによって自然体でいられるくらいにまでその環境に適応している)。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。
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