ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

平和ボケって言うけど

「有事(危機)に直面すれば人々は覚醒する!」という「平和ボケ」思想は、ニュータイプ思想と同じくらいヤバくて稚拙なものだと思う。何故ならそれは、人々を覚醒させるためという大儀でもって安易に危機的状況を作り出すことを許容してしまったり、既に陥っている危機的状況をそのまま放置してしまうことにも繋がりかねないのだから(ところがそういった主張をする当の本人は、大抵既にセーフティー・ゾーンを確保済みだったりするのだが)。そしてそれはさらに、危機に直面しても覚醒しない(環境に適応出来ない)人間は滅べばいいじゃない、ということにも繋がっていく。
----------------------

だが、先の戦争において多くの政治家や軍の指揮官がボケまくっていたように、結局、平和であろうがなかろうがボケている人間は基本的にボケているわけで、憂慮すべきなのはむしろ、他人の命や人生を直接左右することが出来るような大きな権限を有した者が、「平和ボケ」思想などが生み出す妙な大儀に基づいて他者に危機を押し付けようとすることの方だろう。注視すべきはそちらの方なのだ。

田母神前空幕長が記者会見、スーツ姿で謝罪・反省の弁なし(読売新聞)

 政府見解と異なる論文を投稿して更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長(60)の処遇は3日夜、定年退職という異例の形で決着した。

 田母神氏は3日夜、東京都内で記者会見し、「(論文の内容について)今でも間違っていない」「日本は決して侵略国家ではない」などと述べ、持論を撤回しない考えを示した。(中略)

 「日本が悪い国だという認識は修正されるべき」などの持論を、終始、繰り返した田母神氏。「戦後教育による『侵略国家』という呪縛(じゅばく)が国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させている」とし、現役自衛官に対しても、「自分のことより国家、国民のことを常に優先した言動を取ってほしい」と神妙な面持ちで語った。

そういう意味からすれば、下らない大儀でもって自国と他国の人間に無理矢理危機を押し付け、それによって多くの人間を苦しめ、死に追いやった過去の失敗から何も学ぼうとしないこういう寝ぼけた人間が軍のトップの座に付けてしまうというのは非常にまずい事態だと思う。

というか、別に「日本が悪い国だという認識」なんて誰も持ってないと思うけどな。過去に日本が国として行った、「国家、国民のことを常に優先した」どころかそれを蔑ろにして踏みにじった行為が誤りであったという認識を持っているだけで。そもそも、「“過去に侵略行為を行ったという事実を認めること”=“その国が悪い国であると認識される”」という発想からして妙。その理屈を採用するならば、今現在日本と友好関係にある多くの国々は過去に侵略行為を行ってきた「悪い国」ということになるのだが、軍のトップが友好国に対してそういった眼差しを向けていたのだとしたら、それは非常に問題があるだろう。そしてさらに彼の理屈が正しければ、それらの「悪い国」の国民達は、過去の侵略行為を侵略行為であると認めることで自信を喪失し、その国の兵士達はそれによって士気が低下しているということになるのだが…、そんなわけないよね。

コメント

良い神様 悪い神様

> “過去に侵略行為を行ったという事実を認めること”=“その国が悪い国であると認識される”

> 過去の侵略行為を侵略行為であると認めることで自信を喪失し、その国の兵士達はそれによって士気が低下している

だから,本気であの人はそう考えているんだっての.ついでにいうと,同じ考えの持ち主が(日本人に限らず)結構いるのもまた事実.これはもう宗教さ.「神様のお恵みだよ」

ステルス型レリジョン

>同じ考えの持ち主が(日本人に限らず)結構いるのもまた事実.

まあ、「“過去に侵略行為を行ったという事実を認めること”=“その国が悪い国であると認識される”」という考えを「誰も持ってない」というのは、確かに事実に反しますね。そういう考えを持っている人が少なからず存在することは、ネットやそれ以外の一部媒体のこの件に対する反応、そしてそこで発せられてきた旧来からの主張からしても明らかなわけですし。あれは、「(それが正しいとしたら下記のようになる)こんな説を信じる人なんていないよね~」という嫌味なわけで…。

しかし、

>だから,本気であの人はそう考えているんだっての.

だとすると、おっしゃるとおり

>これはもう宗教さ.

ということになり、その主張は宗教的なものとしての前提の上で語られるべき事柄となるわけですが、では実際にそれが宗教的なものであると一般的に認識されている(され得る)かと言えば、それはかなり疑問なわけです。それを「宗教だ」と直接的に指摘すれば、「レッテル張り」のレッテルを貼られてしまいかねないわけだし。だから、嫌でもそういった宗教的主張を非宗教的な事柄と並列して取り扱わなければならない状況が生じてくる。

この件に限らず、宗教性を強く帯びた考え方が非宗教的なものを装って日常に潜伏し、それが宗教であると認識されないまま議題の上に乗せられ流通してしまうということはよくあることですが、その都度そういうもどかしさが付きまとうことになるわけです。

まあそれが宗教として可視化されようがされまいが、誰も「神様のお恵み」から逃れることは出来ないということには変わりないのですが。

「日本が悪い国だという認識」、あると思いますけどね?
自分は小学生の頃そう教わりましたし、少なくともそういう罪悪感を持っていましたね。
私なり、彼はそういう教育の在り方に対して問題意識を持っているものだと思っていましたよ。
まぁ田母神さんは決して有能だと思いませんし、信用できるとも思いませんが。

それと過去の自軍の行為が正しかったか間違っていたという話が現在のその軍隊への士気に影響しないという主張はとても違和感がありますね。
戦場に出れば相手を殺害ことにはなるかもしれませんが、一方的な侵略行為(ここでの侵略を居留民への危害や挑発行為無しに他国を攻めることとする)を行った自軍とそうでない自軍であれば、前者の自軍にいたいと思うのは当然の話です。

もちろん、嘘はいけませんが、「事実に反する汚名が着せられている」のならそれに対して反論することに何の問題あるでしょうか。

>「日本が悪い国だという認識」、あると思いますけどね?

大日本帝国に関しては私も悪い国だと思っていますよ。あの国は他国民はもちろん、大勢の自国民もまた苦しめ殺しましたし。その上、彼らの目的である戦争においても最悪の結果しか出せなかったわけで、善悪を度外視したプロジェクトの成果という観点から見ても肯定することはできません。

>罪悪感を持っていましたね。私なり、彼はそういう教育の在り方に対して問題意識を持っているものだと思っていましたよ。

しかし大日本帝国が悪だとしても、それと自身を同一化しなければ罪悪感なんて感じることはないわけです。だから問題があるとすれば、大日本帝国と自身を同一化してしまうことであり、必要なのはそうならないような教育なり環境づくりでしょう。

確かに、例えば自分の先祖が凶悪犯罪を行ったとして、そのことを理由に周りから責められ続ければ、いくら濡れ衣であっても後ろめたさを感じるようになってしまうことはあるでしょう。しかしその後ろめたさから抜け出すための方法が、先祖が行った凶悪犯罪を肯定することであったり、あるいは事件自体をなかったことにしようとすることであるなら、それは決して良いこととは言えないでしょう。

>「事実に反する汚名が着せられている」のならそれに対して反論することに何の問題あるでしょうか。

私は「事実に反する汚名」に反論することに問題があるなどとは主張していません。何かそのようなことがあるなら、反論すればよいでしょう。

しかしもし大日本帝国は侵略を行っていない、というのが事実だとおっしゃるのなら、例えば中国が大日本帝国と同じ大東亜共栄圏という大義を掲げ、あるいはエネルギー資源が足りないからという理由で過去の日本が行ったのと同じことを日本や韓国、アメリカ、オーストラリア、東南アジア諸国などに行うこともまた侵略と見做さない、と判断しなければなりません。ですが仮にそれを侵略でないと定義したところで、その行為が持つ問題性自体が払拭されるわけではないでしょう。

私が言いたいことは、もう少し歴史を「相対的に」見るべきだということでしょう。
ナチスのホロコーストや米国の原爆投下・一般市民を狙った空襲のような問題を除けば、どの国もそれぞれ同程度の問題があったというのが事実だと考えているからです。

私が言ってる、「罪悪感」とは「善良な諸外国に対して大日本帝国が圧倒的に悪いことをした」と感じていることです。
例えば、シナ事変そのものが当時の日本に与えた悪影響は計り知れませんが、きっかけとなった中華民国の居留民殺害については教科書に表記されていなかったと思いますが、この表記の有無で(あるいはこれが事実であったか否かで)この戦争に対する評価も180度変わると思います。

それともう一つ、過去の大日本帝国の失敗についてはもっと日本人が自分のこととして受け止めて学ぶべきだと考えています。
あの国をこの国と別物として扱うべきではないと考える次第です^^
どんな国際情勢にいたろうと決して自暴自棄にならず、判断を誤らない国でありたいものです。

中国(中華人民共和国)の喩えが出ましたが、そもそも、今の中国と大日本帝国では時代といい国体といい周辺国との関係といい前提が違いすぎるのでこれは置いておきますね

日本はいいことをした!とか悪いことをした!とかそういう単純な議論は避けるべきだと思いますが、田母神さんが一石を投じたかったのは上記に述べたような歴史に対する意識の偏りだということだと考える次第です。

>もう少し歴史を「相対的に」見るべきだということでしょう。

相対化するなら「ナチスのホロコーストや米国の原爆投下・一般市民を狙った空襲」ですら「起こるべくして起こったこと」として肯定することができます。もちろん現代社会におけるあらゆる凶悪犯罪もです。なぜなら、すべての残虐行為やこの世の無慈悲さの原因は個々人にあるのではなく、人間という種やそれを取り巻く環境そのものにあるからです。

しかし一方で、人間はそういったものを改善しようとする資質も持っています。そしてそのために、時としてこのように現実を相対化して見ることは重要なことだと私は思っています。なぜなら、こういった問題は道徳だけで改善するようなものではない、ということを理解するのにそれは不可欠だからです。

しかしながら、特定の部分だけ相対化というのは単なるえこひいきになってしまいます。物事を相対化して考える時鍵となるのは、自分が忌み嫌ったり悪だと感じている物事こそを如何にそのように俯瞰して見ることができるか、ということです。なぜならそれは困難なことですから。田母神氏はこの面において「偏り」があるため相対化できていない、というのが私の彼に対する評価です。

>今の中国と大日本帝国では時代といい国体といい周辺国との関係といい前提が違いすぎる

どの国も前提が同じということはあり得ません。また同じ前提を持つ人間もいません。例えば生まれ持った環境や資質ゆえにメインストリームに順応できず、生きていくためにはルールを破るしかない、という人達だっているでしょう。これを相対化するなら、そのような環境や資質を彼ら自身が選んで生まれてきたわけでもないし、そもそも生命が生き延びようとすること自体を咎めることなどできるのか、という風に見ることもできます。

しかしだからといってそういう人達による犯罪行為を「前提が違うから」という理由で見逃すというわけにはいかないでしょう。相対化が有効なのはあくまで原因を探るレイヤーにおいてのみなのです。

問題の根本が人間という種やそれを取り巻く環境にあるとしても、人間社会では誰かが何らかの形で責任を負うことになります。善悪という概念を捨てきることもできません。よって集団生活を行う以上、どうしても責任の取り方のルールや、その裏付けとなる何が良くて何が悪いのか、ということについてもある程度すり合わせをしていかなければなりません。

私が大日本帝国のあれが侵略でないとするなら例えば中国の同じような行為もまた侵略ではなくやむを得ないものであると見做さなければならない、というようなことを言ったのは、このレイヤーでの話です。特定の国の問題行為をその国特有の事情があるから、という理由で看過するというような理屈はそこでは筋が通らない、ということを言ったわけです。

そしてこのルール作りや良し悪しのすり合わせを行うレイヤーにおいては相対化的な理屈を持ち出してはなりません。それをするとありとあらゆる残虐行為を肯定できてしまうということもありますが、そもそも相対化は善悪や優劣や利益という概念を取り払うことが大前提であるため、取り払うべき何らかのそれらを裏付ける文脈でそれを持ち出してしまうと、相対化ですらなくなってしまうからです。

>どの国もそれぞれ同程度の問題があったというのが事実だと考えているからです。

程度を図ることは難しいですが、問題の根本が人間という種やそれを取り巻く環境にある以上、当然それはどこにでも生じる得るでしょう。しかし田母神氏を支持する人達の中には、「日本人がそんなことをするはずがない」というようなことを口にする人も少なくありません。しかし「それぞれ同程度の問題」があるのなら、彼らが同じくよく口にする中国などの残虐さを日本もまた持ち合わせていることになります。

私が問題としているのはまさにこういった振る舞いの「偏り」です。そしてこういう偏りを持った人達の多くに支持されているということは、田母神氏自身が相対化できていない証左でしょう。彼らは田母神氏が相対化的な理屈を用い、日本或いは大日本帝国が敵対視する国々より善良であることを証明してくれる人として見ている。そして私も彼らと同じように、田母神氏を相対化的理屈をそのような形で悪用する者だと評価しているわけです。

----
人権救済法案が閣議決定されました。弱者が権力を握ろうとしています。弱者救済が行き過ぎると社会はどんどん駄目になります。国を作ってきたのは時の権力者と金持ちです。言葉は悪いが貧乏人は御すそ分けに預かって生きてきたのです。「貧乏人は麦を食え」。これは池田総理が国会で言った言葉です。
https://twitter.com/toshio_tamogami/status/248566605762658305
-----

そもそも世の中を相対的に見ることができる人からこんな言葉が出てくるはずもないでしょう。強者と弱者を相対的に見ることすらできないわけですから。

>「罪悪感」とは「善良な諸外国に対して大日本帝国が圧倒的に悪いことをした」と感じていることです。

これは私からすると妙な話に聞こえます。というのも、教科書には他国が起こした様々なジェノサイドについても載っていたはずだからです。また、大日本帝国が欧米列強の時代遅れになりつつある帝国主義を模倣し後追いしていたということだって習ったはずです。

しかし当時私が何よりも衝撃を受けたのは、大日本帝国の自国民に対する扱いの酷さです。だから過去の日本というだけでそれを「味方」とは見做せませんでしたし、あんな国が仮に戦争に勝って覇権を握っていたらどのみちロクなことにならなかったに違いない、と思いました。たからこそ罪悪感も感じなかったわけです。その代わり帝国主義への不信感は生まれましたが。

>あの国をこの国と別物として扱うべきではないと考える次第です^^

自国の歴史を他国より詳しく扱うのは当然ですが、「あの国をこの国と別物として扱うべきではない」とするなら尚更、自国が過去に起こした問題を教訓としてより詳細に取り扱わねばならなくなるでしょう。しかしそうすると罪悪感を感じる人もまた出てくるわけでしょう?

また先に述べたように、物事を相対化して見るということはかなり難しいことです。例えば義務教育で安易にそれを教えるとすり合わせのレイヤーで悪用してしまう人も続出するでしょう。よって義務教育の話をするなら、そこで歴史を教えがてら相対化もまた教えるというのはかなり無理があるように思います。多くの場合結局それを学ぶのは義務教育卒業後、ということにならざるを得ないのではないでしょうか。

道徳の時間みたいな下らない授業の代わりにそれを教えるという手もありますが、道徳の時間でいじめはいけないという話を学んだ後、それをネタにしていじめを行うというような事案と同じような結果になる可能性は高いでしょう。

となるとやはりまずは国と自分を同一化することのおかしさを先に教えた方が良いのではないかと。例えば過去どころか現代で民主党が選挙で圧倒的勝利を収め政権を取った時、それと自分を同一化していた人なんて殆どいなかったはずですし、それをするのはおかしなことでしょう。それと同じで、元々同一化すること自体妙なことなのですから。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://positiveallergy.blog50.fc2.com/tb.php/231-6733d219
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | HOME | 

プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。