ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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これはひどい。が、しかし…


「関東大震災はチャンス」を撤回=臨時会見し謝罪-井戸兵庫知事
(時事通信)

 兵庫県の井戸敏三知事は13日午前、県庁で臨時記者会見を開き、「関東大震災が起こればチャンス」などと述べた11日の近畿ブロック知事会議での自らの発言を「不用意に『チャンス』という言葉を使ったことは不適切だったと深く反省している。取り消させていただきたい」として撤回し、改めて謝罪した。(中略)
 井戸知事は11日の会議で、東京一極集中打破を念頭に「関東大震災なんかが起これば相当ダメージを受ける。これはチャンスですね。チャンスを生かす準備をしておかないといけない」と発言。批判を受けていた。

確かに酷い発言ではある。しかし、他人の不幸や失敗を自身の抱く目的を達成する為の好機と捉えるような考え方(感じ方)は、殆どと言ってよい程全ての人間が持っているものなんじゃないのか?そして理想論はともかく、実際問題として、人間は限られた資源や役割を奪い合っているというような側面があり、それに敗れた者が不幸になるのは「仕方が無いこと」として捉えるのが今の世の中の主流なんじゃないのか?つまり、殆どの人間が普段から井戸知事的な思想を持つなり、それを支持したりしているはずなのだ。
------------------

もちろん、そういう考え(感覚)を持っているということと、それを公言するということはまた別の話だろう。しかし実際には、自分の生活をより充実したものにする為に、或いは自分の感情的満足を得る為に、井戸知事のように他者の不幸を期待する…だけならまだしも、その為に特定の人物や特定の属性を持った者達に対して不幸になることを要求(例えば、その者達に自身の望む世界を構築する為の部品として最適化されることを迫り、それが上手く行かなかったり使い終えれば廃棄物として扱う)し、その為の具体的な行動をも起こしてしまうような人間で溢れ返っているのが現実。ネット一つとって見てみても、他人に不幸をもたらすことを意図した書き込みで満ち溢れている。そのような社会に於いて、彼を「人間として」批判出来るような聖人君子などそうはいないはずだ。ところが彼のこの発言は、それを知った者達の殆どから一方的にこっぴどく批判されているように見える。それだとどう考えても数の計算が合わないように思うのだが。

いや、もちろん原則として、何かを批判をするのには一切の資格を必要としない。その者がどれ程大きな罪や過ちを背負っていようが、その者は充分に他者を批判し得る。何故なら、罪や過ちは決して相殺されるものではないからだ。だから、別に聖人君子でなくとも井戸知事のこの発言を批判すること自体は出来る。がしかし、その場合上記したように、その批判は自ずと自己批判をも伴ったものとなることは避けられないだろう。自分の感じた違和感はそこにある。つまり、この発言を批判している人の多くは、その批判が己自身にも返ってくるものであるということにどうも気づいていないのではないかと。

追記:
これに限らず、批判の多くは基本的に自己批判を伴っている。しかし、そうやって自分自身にもまた落ち度が無いわけではないと意識するからこそ、その手を緩めることが出来る。もしそのことに全く気づかなければ、その批判は歯止めを失い、やがては単なる誹謗へと繋がりかねない恐れが出てくる。

 ***

では、この発言を自己批判を伴わないものとして批判することは出来ないのか。それらしい理由としては、「知事だから一般人よりも厳しい目で見られて当然」といったようなものが考えられる。恐らく、この理由で以って彼を批判した者も多いのではないか。実際この主張は一見もっともらしく聞こえる。だが、関東大震災は知事の権限や影響力を利用して起こせるようなものではないということを忘れてはいけないだろう。もし彼が、一般人が持ち得ない知事特有の権限や影響力を利用して「他人の不幸」を誘発しようとしたのならば、当然この理由で以って、批判者にとって自己批判を伴わないものとしての批判を、その身に刻み付けられることになっただろう。だが、今回のケースはそれに当て嵌まらない。

まあそれでも、この理由で以って自己批判を伴わない批判が出来ないわけではない。だがその場合のそれは、「内容」ではなく「装い」に対する批判にしか成り得ない。つまり、知事らしさに欠けているという批判だ。しかしこの考え方は、男は男らしく、女は女らしく、田舎者は田舎者らしく、オタクはオタクらしく、貧乏人は貧乏人らしく、不細工は不細工らしく、日本人は日本人らしく、ひきこもりはひきこもりらしく、“いじられ役”は“いじられ役”らしく、大阪人は大阪人らしく、社会人は社会人らしく、ヤンキーはヤンキーらしく、といったように、人間性の均一化と役割の固定化に繋がっていくことになる。だからこそ、この批判は余り筋の良いものではないと自分は思うのだが、多分、「それのどこが悪いの?」という人が大半を占めているからこそ、こういった批判が支持されるんだろうなあ。

で、一方その頃、この発言を耳にした我らが不適切発言王、橋下知事はというと…

「関東大震災はチャンス」…井戸・兵庫県知事が発言(読売新聞)

 この発言について、ブロック会議後の記者会見で、橋下徹・大阪府知事は「不適切発言ばかりの僕から見ても、不適切だったかな」と述べ、

などと言っているわけだが、自分には井戸知事の不適切発言がこれまで橋下知事がしてきた不適切発言よりも酷いものだとは到底思えない。何故なら、井戸知事があくまで単に「他人の不幸」を期待するかのような発言をしただけなのに対し、橋下知事はこれまで、実際にタレントや弁護士としての影響力、或いは知事としての権限を用いながら、制度上必要な(しかも損な)役割をこなしている弁護士に対して懲戒請求扇動を行い、彼らの職を奪おうとしたり、自分の気に入らない者を収容所に送って強制労働させるようなシステムを作ることを提案してみたり、別に不正を働いたわけでもない公務員達を無駄にいびってみたり、他者を貶めるようなネタを用いて人気取りを行ってみたり、或いは体罰を肯定するような風土作りに与するような発言を散々行ってきた。つまり、彼は単に「他人の不幸」を期待するだけでなく、自らの持つ影響力と権限を使い、己の手でそれを招きよせるような形での不適切発言を幾度となく行ってきた。

だが、そういった自らの手で「他人の不幸」を招きよせるような不適切発言を繰り返す度に、彼のその人気は増していった。それに対して、自分の持つ権限や影響力を行使して「他人の不幸」を招き寄せたわけではなく、単に「他人の不幸」を期待するかのような不適切発言を行っただけの井戸知事は政治家として窮地に陥り、その人間性までもが批判されるような状況になっている。

この落差は一体何なのか。結局内容※1よりも人気なのか。オリコンのヒットチャートみたいなものか。どんな手を使っても数さえ確保出来ればそれでいいのか。ネット上ではオリコンに対する批判を目にすることは珍しくない。しかし殆どの人間がこのような社会に上手く順応している以上、オリコン的なものを真っ向から批判することが出来る人間なんてそうはいないはずなんだけどなあ。

いや、もちろん誰でもそれを批判することは出来る。が、しかし…

(※以下繰り返し)

追記: 
※1 ここで言う「内容」とは、主に「不適切発言の内容」のことです。

コメント

橋下知事が国のダムの直轄事業にNOをつきつけたことについてどうおもってるか聞かせてくれませんか?

それと太田前府知事についての評価(橋下よりマシとかいう感情論ではなくどこが良く、どこが悪かったのか)についても伺いたいです

あと橋下知事は「最低でも鳥取県レベルまでの情報公開」とし部長会議の内容、議員の口利きや、各部局からの予算請求段階から(全国初)情報公開していること

自身の給料や退職金を大幅カットしていること、知事交際費を全額カットしていることなども知っておいてください。

パンピーさんはじめまして。

>橋下知事が国のダムの直轄事業にNOをつきつけたことについてどうおもってるか聞かせてくれませんか?

評価しています。

>それと太田前府知事についての評価(橋下よりマシとかいう感情論ではなくどこが良く、どこが悪かったのか)についても伺いたいです

何故突然、記事では全く触れてもいない太田氏の名前が出てきたのでしょう。橋下府政の方が、太田府政よりもマシだから、そこに少々の瑕疵あってもそれをそのまま受け入れるべきだとでもおっしゃりたいのでしょうか。しかし、記事でも書いた通り、罪や過ち(落ち度)は決して相殺されるものではないため、例え太田府政が橋下府政よりも酷いものであったとしても、橋下府政に何か批判すべきところがあり、それに対して批判を行いたいと思えば、私はそれを批判するでしょう。

――というより、そもそもこの記事では、橋下知事の行った特定の発言に対する世間での受け入れられ方についての疑問を述べただけで、橋下府政そのものについての批判など一切行っていないのはずなのですが。もしかしたら、

>内容よりも人気なのか

の「内容」という言葉を「府政の内容」と捉えられたのかもしれませんが、記事の文脈をからして、ここで「内容」という言葉で指し示しているのは、(知事やタレントが持つような)一般人が持ち得ない影響力や権限を以ってしても動かしようのない自然現象の動向について、ただ「他人の不幸」を期待するかのような発言をしたことが、実際に一般人が持ち得ない影響力や権限を行使して「他人の不幸」を招きかねないような発言をしたことよりも、より大きな非難がなされているというバランスの悪さを見て、結局評価は「人気」によって決定されるものなのか、と言っているわけであって、この「内容」というのは「府政の内容」を指しているわけではありません。――

>あと橋下知事は「最低でも鳥取県レベルまでの情報公開」とし部長会議の内容、議員の口利きや、各部局からの予算請求段階から(全国初)情報公開していること

同じ様に、この情報公開が実際に良い結果になるか否かはともかく、幾ら大きな功績を残したからといって、そのことがそれ以外の事柄に関する批判をかわす理由には成り得ません。そして其々が何に関心を持ち、どのような事柄を話題として取り上げるかということは、個々人が自由に判断すべきことであって、その判断の仕方が他人から無理矢理押し付けられるような状況はあってはならないことでしょう。

ではそもそも、何故、私が橋下氏の動向に一々強い反応を示してしまうのかといえば、それは彼がこれまで一貫して原理主義的※1、つまり、人間をある画一化された規格に無理矢理合致させることを目的として恐怖や暴力――例えば、収容所に送って強制労働させる、体罰によって規格に最適化させる、意見の合わない者の職奪ったり、給料(予算)を減らそうとするなど――をちらつかせ、個々人をそれに相応しい仕様に均一化しようとするような言動を取り続けてきたからです。そしてその規格に上手く最適化されなかった者をあっさりと切り捨てる(システムから切り捨てた者に対して、システム内のルールやモラルを求めることは出来ない。切り捨てた者と切り捨てられた者の間には、殺るか殺られるか、淘汰するかされるかの関係性が成立するのみ)かのような主張を行ってきたからです(もちろん言うまでも無く、その彼が自分の住む県のトップであり、その動向がそのまま直接私自身に影響を及ぼしかねないということもまた、私が彼に関心を持つ理由の一つですが)。

ですから、彼がそういった理念の下に活動を続け、その根幹の部分を改めない限り、私が彼に(個別の事柄はともかく、総体として)好意的な評価を下すことは先ずないでしょう。

※1 <ウィキペディア―原理主義―>

「ソフトウェア分野での原理主義」の項目参照。(ここでは、制作物を個人、規格を社会システムと見立ててそれを用いています)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%90%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 ***

>自身の給料や退職金を大幅カットしていること、知事交際費を全額カットしていることなども知っておいてください。

知っています。しかし、橋下知事に限らず、私は政治家がこういった安易な人気取りを行うことを快くは思っていません。むしろ政治家は、その職務を果たした分だけきちっと給料や退職金を受け取るべきだと私は思っています。何故なら、もし給料や退職金を放棄することが政治家としての評価に大きく影響を及ぼすものであるとするならば、必然的に経済的に大きな余裕の無い者が政治家としての座に付くことが難しくなるからです。もし貧乏人が政治家になったとしても、給料や退職金を放棄出来ないことで、その評価に於いて、金持ちの政治家に対して大きく水をあけられてしまいます。もしそれを評価対象とするならばの話ですが。

そしてこれはいずれ、上の者(政治家)がそうしているのだから、下の者達(公務員)もそうすべきだということになり、それはさらに、官がそうしているのだから、民もそうすべきだという結果へと繋がっていくことになるでしょう。そしてその時に苦しむのは元々経済的に余裕のなかった貧乏人に他なりません。

そもそも、橋下知事は充分に蓄えがあるはずですし、それを放棄したところで大したダメージは無いでしょう。しかし、もし経済的に余裕のない政治家がそういうことを行ったとしても、自身の政治家としての評価を高めるために家族の生活を犠牲にするようなそういった人間は、それこそ全く指導者として相応しくない。

 ***

さて、パンピーさん。確かにこの記事では橋下知事の発言には触れましたが、記事をご覧いただければお分かりになる通り、この記事の主題は橋下府政についてではありません。もし橋下知事に関する話題を振るのならば、この記事で言及した部分に関してそれをなすべきでした。今回はこういった記事とは直接関係の無いご質問にもお答えしましたが、以後はこういった記事の主題とは直接関係のない書き込みをすることはお控え下さい。

そもそも貴方は、いきなり見ず知らずの人間に、こういった記事とは直接関係のない質問をぶつけることが失礼にあたるとはお考えにならなかったのですか?貴方がどこかの公共空間(ブログもまた、特定の者が管理権限を持った公共空間に他ならない)にいたところ、突然全く見ず知らずの人間がやって来て、特定の政治家が取った選択に対する是非を問うたり、その政治家の功績を知っておいて下さいと言って来たり、既に引退した某の政治家についてどう評価しますか?などという質問をぶつけて来たら、貴方はその様な振る舞いをする者に対してどのような感情をお持ちになりますか?

私と貴方は全く見ず知らずの者同士です。そういった見ず知らずの者同士でも、「記事の主題」という共通項を見出すからこそ繋がりを得て、それによって初めて対話や議論を為すことが可能となる場所が生まれるのです。そういった共通項がなければ、その者達は、言うならば、ただ道端を歩いていて擦れ違う見ず知らずの者同士でしかありません。もちろん、そうやって擦れ違った者に対して、貴方が私にぶつけたような質問をぶつけるのもありでしょう。ですが、それをぶつけられた者がそれに対してどのような対応を取るかということもまた、その者の自由であるということを認識しておくべきでしょう(バンピーさんがそうなのかどうかは分かりませんが、どうもネット上では、管理者権限を持つ者は、見ず知らずの者がぶつけた質問や要求に答えて当然…どころか、その義務があるかのような錯覚をしている者も多く、その期待に応えなければ「逃げた」などと言い出す妙な輩も多いので一応)。

またそれ以外にも、自身の発言意図や主張を明確にせず、いきなり相手に疑問を投げ掛けて何らかの言質を引き出させ、それを待ち構えるといったような手法を用いることは、それが議論であるにせよ対話であるにせよ、決して褒められたものではありません。

その様な手法を用いることは、それが単なる政治活動を目的としたものであると取られても仕方が無い振る舞いです。

このブログには、以前にも政治活動的な性質を持つ書き込みを頂いたことがあります。その書き込みは、政治活動的性質を持っていると同時に、記事の内容に即したものでもあり、決して礼儀を欠いたものでもなく、また、政治的なベクトルもあながち私と乖離したものではなかったのですが、それでも、その方にはそれ以後そういった政治活動的な性質を持った書き込みをするのを謹んで頂くようにお願いし、ご理解して頂きました。

明らかに政治活動的な内容を持つ発言は、(そういった発言を許容する姿勢を持つ一部のブログを除いて)自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方なのです。

今後この場所に於いては、どうぞそういった考えに対するご配慮をお願いします。

復興景気

朝鮮戦争による戦争特需で日本の産業界が大喜びし,ベトナム戦争では韓国が大喜びしたように,とかく人の不幸すらも経済的利益になってしまうという非情な市場メカニズムが存在する事は事実です.

大正時代には,関東大震災で壊滅的な打撃をこうむり,景気後退が確実になったにもかかわらず,一部の業界は「ウヒャヒャウシシシ」と笑いが止まらない状況を口をはばかる事も無く言いまくって,窘められたりもしていました.ああ,思い出したのが,中国の四川大地震で「ウシャシャシャ」喜んでいる姿.

まあ,一昔前の日本人は不幸がもたらす大きな利益に対してなんともおおらかだったといえるかどうかは分かりませんが,江戸時代にいたっては「大火事が無くなったらみんなが困るだろう.自分が死なない限りは」というのは常識的でした.時代が進むにつれ,我々の感覚はかなり変わってきているようですが,まあ,非情な仕組みにはある真理をもっている事は事実.こういう世知辛いものといかに付き合っていくべきなのか.

感情的利益というもの、そして真理に抵抗する真理、追従する政治

四川大地震では、特別それによって経済的な利益を得るわけでもないはずの人達までもがそれに対して喜びを表していたようにも思います。井戸知事の発言にしても、今もし関東大震災が起これば日本全体が経済的に大きなダメージを受けるはずであり、そうなれば関西の人達だって、一部の業界を除けば今よりももっとその生活水準が下がることになるのは避けられないでしょう。つまり、関西でも殆どの人はそれによって損をするはずなのです。一極集中の一番の弊害は、そこに何かあった時に被害がより甚大なものになるということであり、それを懸念するのならば本来井戸知事は、(いずれ起こるとされている)震災が起こる前に一極集中をなんとかしなければならない、と言うべきでした。

じゃあ何故あのような発言になったのか、何故四川大地震で経済的利益を得るわけでもない人達が喜んだのかと言えば、そこには感情的利益(或いは不利益の回復)というものが関わっていたのだと思います。つまり、自分が嫌いなものがダメージを受けることによる喜びや、例え自分が損をしても、自分よりも上にいる者達を追い抜いて己の誇りを回復したいという感情。これは井出知事を非難した側にも当て嵌まることでしょう(あの発言に腹を立てた人は、それによって自身が経済的不利益を被ったから腹を立てたわけではないはず)。小泉改革では、それによって経済的な不利益を被ることになるであろう人達までもがそれを支持したとされていますが、あれにしても、自身の「痛み」を覚悟してまでも「悪」を懲らしめて欲しい、という強い思いを多くの人々が抱いていたからでしょう。

つまり、経済的利益や不利益がその者の人生に大きく関与するものであることは言うまでもないことですが、実は感情的利益や不利益というものもまた、それに大きく関与するものであるということです。そう考えた時、確かに「非情な仕組み」が真理であることは確かですが、感情的利益までをゼロサム的な構図に当て嵌めようとすることは、果たして真理と言えるのだろうかという疑問があります。また、物理的な非常さを受け持つことになった者が、それと同時に精神的にまで大きなダメージを受け持たなければならないような状況、そういったアンバランスさ(非常さ)までは真理であるとは言えないのではないのかという思いがあります。つまり、その辺はまだまだ改善出来る余地があるのではないかと。

そもそも、「非情な仕組み」を完全に克服することは不可能であっても、それを人間が何とかして克服しようとし続けてきたということは事実であり、それによってバランスを保とうとするのもまた人間の真理でしょう。「非情な仕組み」が真理だから、それを放置する、或いは追認するというのは自然ではなく、明らかに人工的なものなのです。そしてそれは単に、その者達が経済的、感情的利益を獲得する為の政治でしかないのではないか、と私は思うわけです。

そういう意味では、今はその「非常な仕組み」が真理であることを御旗とし、ある特定のベクトルへと社会を導こうとしてロビー活動を続ける広義の政治家達が力を持ち過ぎなのではないのかと。

本性なのか

> 関西でも殆どの人はそれによって損をするはずなのです。

まったくそのとおりなのでして,それでも「殆どの人」にはいらずに利益を上げる人や,アコギ・・・失礼,合理的な商売をする人や,子供がつぶされて怒り狂っている人間がいっぱいいても復興景気がどうのといい始めるどっかの国の役人とか,まあ・・・.

それこそが文化であるといっても,なんか人間の本性を逆に見せられたようで,なんかね.唯一の救いは,震災対策のボランティアがはるばる旅して大量にやってきた事だったよ.あの国での移動は今でも大変だからね.

本性であろうと知恵であろうと

>本性なのか
>合理的な商売をする人や,子供が…

双方の状況が入れ替わった時、果たして其々はどのような行動を取るのだろうか、ということはありますね。そもそも善悪や道徳というものは、元々存在したものを人間が発見するわけではなく、人為的に形成されるものですから、そこに傾向はあっても普遍性はありません。よってその時々に生み出されるその人工的な枠組みに全ての人間が納まりきることなんてまずあり得ませんし、また、最低限の部分が確保されていない者にその枠組みに収まることを強要すれば、それはそれ自体が一方的な暴力(悪)となります。しかしさらに問題となるのは、例えその者が最低限の部分が確保されるような人工的環境の恩恵を受けていても、あらゆる理想というのは結局個人の幸せを出自としていますから、必然的に目的もまた其々異なり、その目的の為にボランティアを行う者もいれば、物資が不足しているのをよいことに、一本五千円のウインナーを売りさばきに行ったりする輩も出てくるという…。

まあこういったことに対する憤りというのは、元々お互い敵同士、という考えを前提にしていればそれもまた半減するんでしょうけど。しかし腹立たしいのは、普段共同体の利益を大儀とした様々な義務や束縛、奉仕を他者に要求し、そういった共同体を前提としたあらゆる配慮を他者から受け取っていながら、いざ自分が成功を収めると、他者から受け取った恩を返そうとするどころか、自分が得た利益は全て自分個人の努力によるものだと開き直り、最低限のラインから零れ落ちる者は努力が足りなかったからであり、またそういう状況に置かれる者が出てくるのは仕方が無いことだ、という得手勝手な「非常さ」を説き始めるような者がのさばっていることですね。この手の輩は本当にどうにかならんものかと。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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