ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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他人の犠牲というチャンス、「他人迷惑を掛けるな」という欺瞞

シャープ、派遣社員380人削減へ 液晶工場再編で(朝日新聞)

 シャープは12日、液晶パネル工場の一部を閉鎖するなどし、液晶事業を再編すると発表した。これに伴い、三重(三重県多気町)、天理(奈良県天理市)、亀山(三重県亀山市)の3工場で、計約380人の派遣社員を削減する。液晶パネル市場に余剰感が出るなか、古いラインの整理で生産効率を高める。 (中略)

 井淵良明・副社長執行役員は同日午前の記者会見で、「(市場全体の余剰感をみても)再編に着手する最適なタイミングと判断した」と話した。シャープ全体では、約1300人の派遣社員がいる。

「再編に着手する最適なタイミング」というのはつまり、前々から再編の計画はあったものの、ただ再編したいという理由だけで人減らしを行えば世間から顰蹙を買いかねないしどうしよう、なんて思っていたら、ちょうどそこへ大不況という人減らしを正当化出来そうな口実が表れたので、これを好機として人員を削減しよう、ということだろう。

しかし、兵庫県の井戸知事がこれと似たような性質をもつ発言(「関東大震災が起きれば相当ダメージを受けるから、これはチャンスですね」)を行い、世間から一斉に叩かれることになったのは記憶に新しいところだ。ならば、井戸知事的に言い換えてみれば、「大不況が起こって人減らしの口実が出来たから、これはチャンスですね(今回の選択は、共倒れか切捨てかという状況に迫られた上でのものではなく、戦略的なものだろう)」といったような内容の発言をした井淵氏もまた、井戸知事と同じ様に世間から一斉に叩かれてもおかしくはなかったはずだ。だが実際にはそうならなかった。

井戸知事の発言が、目的の為に(自分の権限や影響力によって起こすことが出来るわけではない)震災という他人の不幸を期待するだけの内容だったのに対し、今回の発言は、実際に起こった不況という状況を利用し、目的の為に自らの持つ権限によって積極的に他者に不幸をもたらすことを旨としたものであり、井戸知事の発言よりもずっと酷い内容のものであったのにもかかわらずだ。
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では何故、井戸知事はあれほど激しく叩かれ、それよりも酷い発言をした井淵氏は殆ど叩かれなかったのか。それは結局、井戸知事の場合はその発言によって観念的に作り出された、震災よって利益を得る者と被害を被る者という対立に於いて、殆どの者が心情的に後者の方に身を置いた一方、井淵氏の発言では、それによって作り出された、「何らかの集団」に於ける多数派の生活水準を維持する為に、一部の人間を切り捨てる側と切り捨てられる側、及びそういった切捨てをよしとする人工的環境(常識)の成立を認める側と認めない側という対立に於いて、殆どの者が心情的に前者の方に身を置いたからだろう。

これはひどい。がしかし…

上記の記事では、井戸知事の発言は確かに酷いが、バランス的にいってちょっと叩かれ過ぎではないか、といったようなことを書いた。だが、今回の井淵氏の発言が殆ど非難されることも無くすんなりと世間に受け入れられたのを見て改めて思ったのは、井戸知事の発言は、その(純粋な)内容によって叩かれたわけではなかったのだな、ということだ。

 ***

全ての人間が満ち足りた人生を送ることは出来ない。全ての人間がその寿命をまっとうすることが出来るわけでもない。そして何らかのシステムを健全に保ち続けようとすれば、適時そのシステムから誰かを切り捨てたり、割の合わないような役割を誰かに押し付けたりしなけれはならない。こういった非情な掟に対して抗おうとする性質もまた人間は持っていて、実際その力もまた常に(ある程度は)働いているのは確かだが、かといってその非情さが完全に克服されることはない。

勿論、実際にはシステムから切り捨てた者達もまた、その多くは何とかして現実に居残り続けようとするはずであり、切り捨てればそれでしまいというわけには行かない。それをすることによる副作用も必ずある。また、他者が不幸を背負えば背負うほど自身が利益を獲得出来るといったような単純な構造が存在しているわけでもない。物事の一部分を仮想的に切り取って観察してみるならともかく、現実には、其々の個人との関係性や物事の因果関係すらはっきりしてはいないことの方が圧倒的に多いことだろう。だが、誰かの生活水準を保つ為に、他の誰か※1の不幸がそのコストとして支払われているという事実は確実に存在し、それは誰もが知るところだ。そして、出来ることならそのコストを払うのは自分であって欲しくないという思いは誰もが持っていることだろう。

つまりそれは、人は常に誰かの不幸が自分の人生を維持する為のコストとして支払われることになるのを期待しているということであり、逆に、誰かからそのコストとして犠牲にされることに怯えているということだ。そして井出知事は多くの人々に「怯え」をもたらし、井淵氏は多くの人々に「期待」をもたらした。それが彼らの評価をわけ隔てた分水嶺となった。

だが、自分が他者を主に犠牲にする側になるのか犠牲にされる側になるのかを、黙って運に任せて成り行きを見守っているだけじゃ不安で仕方が無いことだろう。そこで道徳のお出ましとなる。それによって人々は、他者の犠牲を期待しておきながら、或いは他者を犠牲にするための具体的な行動を起こしておきながら、他者を犠牲にするのは良い結果にはならない、という偽の情報をばら撒き、或いは道徳的な感覚を他者に植えつけ、罪悪感によって雁字搦めにして自由を奪うことで、他者を出し抜こうとする。主に犠牲にする側になろうとする。

しかし、自分達の生活水準を保つ為に他者の不幸をコストとして払わせることも、他者を道徳で騙し束縛することも、他者にとっての大きな「迷惑」であることには違いない。つまり、人が社会で生きていくということは、「迷惑」の掛け合いに他ならない。

 ***

でまあ、結局何が言いたかったのかと言えば、「他人に迷惑を掛けるな!」という台詞ほど欺瞞に満ちた台詞も中々ないよね、ということ。

というのも、普段人々は他人とやらがどんなに苦しもうが窮地に陥ろうが、それを何とも思っていないどころか、前述したように、心の奥底ではそうやって誰かが不幸になることを期待しているという一面を持っている。勿論、自らの手で積極的に他人を追い込もうとする人間だってそこらじゅうにいる。そういったことが行われるのは、日常的風景とすら言えるだろう。そのくせ、都合の良い時だけ「他人に迷惑が掛かる」という理由を根拠にして、誰かの何らかの行為を禁止したり、制御しようとしたり、批判しようとし始める。だがそれは、余りに虫が良すぎる話なのではないかと。というか、そもそも人が社会で生きていくことは基本的に迷惑の掛け合いなわけだし。

しかしさらに奇妙なのは、明らかに敵愾心を抱いていると思わしき者に対しても、そういった台詞を吐くことが一般化していることだ。お互いに何らかの同じ目的を共有している者がいて、その者に対して迷惑が掛かるから、と言うのならまだ分かるが、明らかに敵と見做しているような者がその者にとっての敵である誰かに迷惑を掛けるのはむしろ当然のことだろう。敵に対して「迷惑を掛けるな」なんて言うのは、どう考えても理にかなっているとは思えないのだが。

いや、勿論言葉には額面どおりの意味以外にも他の意味が存在しているということくらいは分かってはいるが、つまるところ、「他人に迷惑を掛けるな!」という台詞に於ける「他人」とは、それを言った当人のことであり、そしてそれは、何の根拠も無く提示せず※2お手軽に自説の正しさをアピールする為のものであり、結局は「自分の気に入らないことをするな」「お前は一方的に迷惑を掛けられる者でいろ」ということを言っているだけに過ぎないのだろうな、と。

まあ自分もついついこの欺瞞的台詞に手を借りたくなるのだが、でも自分の立場上からして、そんな根拠の欠片もへちまもない「常識」の後押しをするだけの台詞は何の役にも立たないという…。「迷惑を掛けるな!」は常に強き者の味方ですから。



※1 そしてその不幸を背負う人間は、基本的に「誰でも良い」。だからこそ、秋葉原殺傷事件の加藤智大は不特定多数の者を犯行の対象として選んだ。いや、不特定多数の「誰か」でなければならなかった。何故ならば、特定の誰かを狙えば、その犯行が、何らかの特定のイデオロギー闘争や階級闘争の為の道具として扱われてしまうことになるからだ。他者の道具として使い捨てられることに対する怒りを持っている者にとって、それは我慢なら無いことだろう。「誰か」の生活水準を保つ為のコストが不特定多数の「誰か」の不幸によって支払われているように、それに対する反発もまた、不特定多数の「誰か」に対してでなければならない。原則的に言えば。まあ、といっても最終的には「誰か」にそれが利用されることになるのは避けられないのだが。自分が彼の犯行を利用して自分の言いたいことを言っているようにね…。

追記: ※2 「根拠も無く」というのはおかしいので訂正した。背景にちゃんとした根拠がある場合もあるので。要は、それは根拠の提示を省いて物事を進めたり、何らかの「常識」など、予め力を獲得している既存の考え方に沿った形で良し悪しを判断するために用いられることが多いということ。しかしこういった台詞が力を持つということは、予め力を獲得している何らかの枠組みや組織、考え方などが持つ問題を検証する機会が失われてしまうことを意味する。

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ひきこもりという役割を引き受け
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人間について考えてみる。
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