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ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

意識の転換点×条理の向こう側の現実×日本の平和は自殺が守る

今年の漢字は「変」 首相交代や経済環境の急変を反映(日本経済新聞)

 日本漢字能力検定協会(京都市)は12日、2008年の世相を象徴する「今年の漢字」が「変」に決まったと発表した。首相の交代劇や、米リーマン・ブラザーズの破綻が引き金となった世界的な経済環境の急変などを反映した。


平成19年(2007)の殺人発生数は戦後最低(少年犯罪データベースドア)

2/1に警察庁が去年の犯罪統計を発表したんですが、殺人の認知件数は1,199件で平成3年の1,215件を下回って戦後最低を記録しました。
検索した限りでは新聞はどこも報道していないようなんですが、テレビでもあつかってないでしょうか。これは大ニュースだと思うのですが。


通り魔殺人が最多13件に、死傷者42人(読売新聞)

 今年1~11月に全国の警察が把握した殺人事件(未遂も含む)は昨年同期比7・4%増の1200件で、このうち路上などで見ず知らずの人を襲う「通り魔殺人」は、統計を開始した1993年以来、最も多い13件に上ることが警察庁のまとめでわかった。

 同庁の吉村博人長官は11日の記者会見で、経済状況の悪化によって、今後も自暴自棄的な犯罪が増える可能性に触れ、繁華街のパトロールなどを強化する方針を明らかにした。

 11月末までの全国の刑法犯は昨年同期比4・9%減の167万4773件で、6年連続減少。このうち窃盗犯が4・1%、粗暴犯が5・8%、強盗も7・8%、それぞれ昨年同期を下回る中、2004年以降、4年連続で減少していた殺人は増加に転じた。

 特に、通り魔殺人は、茨城県土浦市のJR荒川沖駅で通行人ら8人が切りつけられた事件(3月)や、東京・秋葉原の無差別殺傷事件(6月)など多数の被害者が出る事件が相次ぎ、11月末までの死者は11人、負傷者は31人で、いずれも過去最多だった。

 親族間による殺人も48件増の511件で、殺人事件全体に占める割合は過去最高の49・6%。最も多かったのが親子間の殺人で254件に上り、夫婦(内縁を含む)が182件、兄弟が35件、その他親族が40件と続いた。

 動機では、「介護・看病疲れ」(42件)や「子育ての悩み」(30件)が目立った。


「経済状況の悪化によって、今後も自暴自棄的な犯罪が増える可能性に触れ、繁華街のパトロールなどを強化する方針を明らかにした」というのは、要はシステムから切り捨てられにっちもさっちもいかなくなった者達は、出来るだけ他の者達に迷惑を掛けないように大人しく死ね、ってことを婉曲的に言っているわけでしょ。それも多分、意識の下にその期待を押し隠したまま。

「統計を開始した1993年以来」とあるが、この統計とは今までは通り魔殺人という区分を設けていなかったということなのだろうか?いずれにせよ、統計の歴史が浅すぎて(というか自分にはそもそもデータを分析する能力もないので)この「通り魔殺人が最多」というのが日本の歴史に於いてどの程度の突出ぶりなのか、それともさほどでもないのかはよく分からないが、このところの不況に端を発した社会の動きを見ていると、確かに今年は多くの人々にとって意識の転換点になるのかもしれない、という思いはある。
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自分自身の限界と出会うことによって初めて芽生える、共同体、共通の目的といった概念への疑念と、それを用いた詐術への怒り。“みんな”という名の偶像を欺瞞的に崇め奉る「普通の人々」の禍々しさへの気づき。そして自らもまたそれを崇拝し、道徳を踏みにじってきたのだという自覚。にもかかわらず、道徳を理由として、或いは“みんな”という名の神の代弁者を騙ることで、他者への無理強いや抑圧に加担してきたことへの自省。それによって抱く、何故この国では毎年三万人もの人間が自殺をしてきたのだろうか、という疑問。その疑問の先にある、人工的環境との関係性によって形成された自殺は基本的に他殺であるという余りにも当たり前過ぎる事実。さらにそれを知ることによって生まれる、では自殺者は一体誰によって殺されているのか、という必然的な問い。

この国もまた、「普通」や「努力」などといった幻想成分で構成されたぶ厚い雲が社会全体を覆っている。その雲に包まれることで守られてきた条理という名のバーチャル・ランド。今年を境にその幻想の雲が所々薄れ始め、本当はその向こう側にも条理の理屈の及ばない現実が広がっているということに気づき始める人間が徐々に増えてくるのではないだろうか。いや、気づかざるを得ない人間が増えてくる、といった方が適切かもしれない。よほど非凡な感性や鋭い洞察力の持ち主でもなければ、その必要に迫られでもしない限り、自力でそのぶ厚い雲の向こう側を覗くことなんて出来ないだろうから。

この国の治安を守ってきたのは、警察だろうか?はたまた個人の自制心だろうか?いや違う。それは自殺者達の自殺という行為によって守られてきたのだ。想像してみるとよいだろう。自殺の半数が健康問題によるものだと仮定しても、残った半数のおよそ一万五千人もの人間が、その毎年自殺によって死んでいった、もはや「普通」を持続することが出来なくなった者達が、何よりもただ生き残ることを第一義的に考えて行動していたら、この社会は一体どうなっていたかを。或いは、共同体の安全を守るという大儀で誰かを切り捨てることによって形作られた、「切り捨てる者と切り捨てられる者、淘汰する者と淘汰される者」という関係性の上で敵同士となった後者の者達が、前者の者達と“逃げずに”真正面から向かい合っていたら、そのために残ったエネルギーの全てを注ぎ込んでいたら、一体どうなっていたかを。

法律、道徳、文化、習慣、(無自覚な)宗教、雰囲気、現実と乖離した贋物のロジック。この社会では、ありとあらゆる手段を用い、お互いがお互い他者を騙し、縛り上げ、その動機のベクトルを、つまるところ他者の行動の在り方を制御し合う。そうやって有限であるところのそれ(動機)を自分の(経済的・感情的)利益のために捧げさせようとする。そしてその政治的戦いに敗れ、社会システム(集団)の力を上手く利用出来なくなった者達は、同じくありとあらゆる手段によって自己否定を促され、追い込まれていく。自殺という一本道へと。しかもこういった一連の流れは、それを行う側の意思の主体が手段へ、或いは“みんな”という神へと丸投げされることで、無自覚に、若しくは自動的に行われる。そうやって殺人の罪と罰を殺害される者に一手に引き受けさせる。そのために、本来「生」へと向かうはずのエネルギーを、その者自身の「死」へと向かわせるよう仕向けるという寸法。そしてそれが成功することによって初めて大多数(みんな)の側の安全は守られ、その者達は引き続き心地よい条理の夢を見続けることが可能となる。その口減らしによって資源は潤沢なものとして維持され、生活水準もまた保たれる。殺人の罪や罰からも逃れることが出来る。

この社会は、そういう構造で成り立っている。だが、そういう手法を使って直接的な罪や罰から逃れたからといって、それは自らが設けた悪の枠組みから完全に逃げおおせたことにはならないだろう。そう、人間は誰一人として、自らが設けた悪の枠組みから逃げることは出来ない。かといって悪という概念を捨てることも出来ない。故に、人類の存続は常に邪悪※1なのである。

 ***

欧州全域での実施を呼びかけ ギリシャ人の反政府デモ(日経ネット)

 【ウィーン=桜庭薫】警官の少年射殺事件を機に反政府行動が続くギリシャで18日、首謀者の若者グループが欧州全域に蜂起を呼びかけ、域内各国にあるギリシャの在外公館は厳重な警備態勢を敷いた。ギリシャ国内ではアテネ国際空港や公立病院の職員らが賃上げなどを求めてストライキに突入。混乱が広がる中でもカラマンリス首相は引責の意思を示しておらず、事態収拾のめどは立っていない。

 若者の暴動は6日の事件発生から連日発生。18日もアテネ中心部や主要都市でデモ隊が警官隊と衝突した。AFP通信は首謀者グループの話として、国内600カ所の学校を占拠したと伝えた。教育省は100カ所弱としている。暴動と並行してストライキも頻発。アテネ国際空港は3時間の時限ストで離着陸を取りやめている。

そういえば、ギリシャではデモや暴動やストライキが頻発してなんか偉い騒ぎになっているらしいけど、ああいう国では自殺が少ないんだろうなあ、と思っていたらやっぱりそうみたい。

自殺率の国際比較(社会情勢データ図鑑)

2004年段階のデータで、日本は調査対象101カ国中9位(先進国の中では1位)。ギリシャは79位。受け取った暴力を一人で抱え込んだままこの世から消え去る方がよいのか、その暴力をちゃんと社会に還元した方がよいのか…。



※1 二年前のかなり精神的にテンパッテいた時期に書いた記事。そういうこともあって今読むと色々と恥かしいところもあるが、考え方の核となる部分自体はこの時から変わってはいないということを再確認した。まあ今も充分テンパッテるが。

コメント

ギリシャ人

> ああいう国では自殺が少ないんだろうなあ

ニャハハ、不謹慎だけど笑ってしまったのニャ。偏見かもしれないけどギリシャ人だからね。ちなみにフランスのようにこうした傾向から大きく外れて自殺者が多い国もあります。人間は文化差をつくりださずにはいられないのです。

>ちなみにフランスのようにこうした傾向から大きく外れて自殺者が多い国もあります。

その屈折具合がフランス人らしいといえばフランス人らしいかも。規範(枠組み)に収まってはいけないという規範に囚われた挙句、行き場がなくなっていたりして。偏見だけど。

>人間は文化差をつくりださずにはいられないのです。

例えば同じ職場やクラスであっても、派閥ごとに全く違った文化が形成されていたりしますからねえ。

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