ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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壁で卵を押しつぶす作業始まったな

炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断(朝日新聞)

 不況の深刻化とともに、路上生活者のための炊き出しに並ぶ行列が伸びている。そんな中、隅田川にかかる駒形橋(東京都墨田区、台東区)では、近隣住民からの苦情を受けて3月末で炊き出しが中止になる。ベテランのボランティア団体が12年続けてきた活動だけに、ほかの団体にも不安が広がっている。

(中略) 第五建設事務所は、河川法に基づき「公共の空間で独占的な使用は認めがたい」と指導してきた。管理課によると、近くに児童公園があり「子どもが声をかけられ怖がる」「狭い道で並んでいると通りにくい」といった苦情は07年度から少なくとも十数件あったという。同事務所の担当課長は「昨今の厳しい経済情勢は理解しているが住民の苦情もないがしろにできない。両立できればいいが難しいところだ」と話す。

最強のモンスター「善良な市民」に、文化やシステムを介して婉曲的に迫害される下級モンスター達。
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日本では家の外こそが「ガス室」であり、社会的地位(体裁)こそがその毒ガスから身を守る為の防護服なのだ。或いはその防護服こそが、その者がこの美しい国の正統な市民の一員であることを示す識別表としての役割を果たしている。よってそれを失った者達は、「世間の目」が放つ毒ガスの「この社会を健全な状態に保つ為に、お前は誰にも迷惑を掛けず速やかに消え去るべきだ」という成分を容赦なく浴びせられ続けることになり、そしてその成分がもたらすシグナルは、幼い頃から其々に植えつけられてきた道徳感に働きかけ、それによって増長した道徳感は、その命を受けて自己を破壊へと導くよう誘導する。つまり、この国の自殺者の多くは、この国の社会や文化を健全な状態に保つ為のアポトーシスとして(或いは予め予測されたその結果の過程を省く為に)自死しているのである。毎年三万人以上もの人間が自殺せざるを得ない困窮国でありながら異常なくらい治安が安定しているのはこのためだ。

それにしても、なんと素晴らしい合理的でエレガントなシステムなんだろう。この日本が誇る最先端の社会システムをきっとイスラエルも、いや、世界中の「善良な市民」達が羨んでいることだろう。



関連:エルサレムでの喝采以上に不気味な日本での賞賛

コメント

世知辛いですな~

近所のおばさま「もう,ホームレスときたら,汚いわ,臭いわ,モノは食い散らかすわ,それでいてよく食うわノラ猫よりタチ悪いざましょ?さっさとガス室で駆除していただけないかしら?」・・・とここまで書いてはじめて,既に同じ事が記事に書かれているのに気づきました.

一番怖いのは,「静かに消えてもらう」のではなく,「さっさと消してしまう」社会ですが,そうならない事を祈るばかり・・・ばかりではだめなんですな.

ちなみにこの隅田川から隣の川にかけては,ホームレスのブルーテントが所々に並んでいるのが見えるような感じの場所です.

空いてる場所があるならそこに住めばいいじゃない

>汚いわ,臭いわ,

本来、人間(動物)が汚かったり臭かったりするのは当たり前の事なんですけどね。今だってそれが「普通」な国は幾らでもあるでしょう。しかし、何時の間にか極端なまでに清潔でいなければならないという規格が出来上がり、その規格に適合出来ない者は存在すべきでないということになった。村上氏は「僕はなぜエルサレムに行ったのか」に於いて、「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」などと言ってまたそれが物議を醸し出しているようですが、彼がどういう意味でそういった表現を用いたのかは分かりませんが、実際「原理主義」というのは何も特別なものでもなんでもなく、こういった何らかの規格や思想を人間よりも上位に置き、それに適合出来ない者は矯正を試み、それでも改善しない者は排除も已む無しというそういう考え方は、既に立派な原理主義なわけです。

>一番怖いのは,「静かに消えてもらう」のではなく,「さっさと消してしまう」社会

実際に「さっさと消してしまう」ことを良しとするような法律が成立したとして、一貫してそれに異を唱え続けることが出来る者は一体この国にどれ程いるでしょうか?紹介した記事に於けるような状況が当たり前のようになってしまっているこの国には、余りそういった気骨のある人間はいないような気がします。しかし、(最低ラインを守ることこそが民主主義の根幹なので、実際それは民主主義ではないものの)「民主主義的手続きを経て定められた法律にお前は楯突くのか!」といったような「悪法もまた法なり」という正論を突きつけられた時、「法律だから仕方がないな」と納得してしまうようであれば、やはりその者もまた紛れも無く原理主義といってよいでしょう。実際のところ、原理主義でいないことの方が難しいのです。

それはそうと、「さっさと消してしまう」ことを合理的に追求した結果「(比喩ではない)ガス室」が生まれたわけですが、少なくとも今の日本には一年中空いている土地や家屋なんて幾らでもあるのだから、もしホームレスが気になるのであれば、家が無い人はそういう場所に住んでもらい、そして匂いが気になるのであればそれを改善できるようなトイレなり風呂なりを提供するという手もあるはずなのですが、そういう形で合理性を追求しようとする声は全く挙がってこないですね。僻み根性さえなければそういうことも充分可能なはずなんですが。

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