ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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官は民の期待に応えただけなんじゃないかな

朝起きてテレビを付けると、読売テレビのニュース解説員である辛坊治郎氏が厚生労働省に対して怒りをぶちまけていた。

今回流行している新型インフルエンザは弱毒性であり、尚且つ(新型インフルに関する情報の源になっているであろう)アメリカのCDCも一律休校は推奨していないのに、大阪で誰も感染した者が報告されていない地区までを一斉に休校にしたかと思えば、道路を一つ隔てた京都側ではそういうことを一切していないという厚労省のあやふやな対応。そして、WHOがマスク着用による予防効果には科学的根拠がないとしているにもかかわらず※1、予防を目的としてマスクを着用するといったような迷信が未だに広く国民に信じられ続けているなど、日本に新型インフルエンザに対する正しい知識が全く行き渡っていないことを挙げ、今回の事態に対する厚労省の対応は余りに酷すぎると激しく批判していた※2
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しかし、彼のあの役所に対する一方的な批判の仕方にはどうも釈然と行かないものを感じた。確かに、厚労省の対応がお粗末なものであることはその通りだろうし、それは批判されてしかるべきものでもあるだろう。とはいえ、日本人のこの迷信深さに関しては決して厚労省のせいというわけでもないはずだ。それに一律休校に関しても、近頃メディアが推している地方自治という観点からすれば、中央官庁が駄目ならそれに抗ってでも、地方や末端からその在り方を変えていこう主張が出てきてもよいはずじゃないか。いやむしろ、普段からあれだけ官僚悪玉説を唱え続け、とにかく官僚は信用出来ないということを喧伝し続けてきたのだから、その方が自然だろう。にもかかわらず、何故「先ずお上ありき」で物事を考えてしまうのだろう。「社会に文句を言う前に先ず自分が変われ」という立派な社会人魂は一体どこへ消えてしまったのか。何ゆえこういった時だけ、民を変える為には先ず官が変わらなければならないかのような物言いをするのだろう。

彼は厚労省の対応の仕方に対し、「単にいちおう、怒られると困るから現場のお役人が、じゃマニュアル通りの対応しましょうというのに過ぎない」と言って批判するが、それはお役人にとっての「お上」がマニュアルだからだろう。それ故、そのマニュアルが変わらない限り役人は中々違った対応を取ることが出来ない。しかしそれは、先ずお上が変わらないと民が変われないというのと全く同じ考え方に基づいている。

豚インフルエンザ「空港での検疫、効果なし」、WHOが指摘(AFPBB News)

豚インフルエンザ感染の拡大に伴い、各国が空港での検疫を強化する中、世界保健機関(World Health Organisation、WHO)は28日、感染した搭乗客を洗い出そうとしても、空港での検疫に効果はないと指摘した。

 WHOのグレゴリー・ハートル(Gregory Hartl)広報担当は「もしも感染していたり、感染源に接触したとしても、空港にいる時点で症状は現れていないだろう。空港での検査、検疫は役に立たない。搭乗客の体温監視も、潜伏期の患者を見つけ出すことはできない」と、報道陣を前に述べた。

そもそも、官の在り方は別に官の内部だけで決定されているわけではない。少なくともシステム的には民の代表が官を動かす構造になっているはずだし、検察が堀江貴文氏や小沢一郎氏の秘書を逮捕した時のように、官はそのことによって民がどのような反応をするかをちゃんと鑑みた上でその対応を決めているはずだ。つまり、官の対応は官だけで決定されているのではなく、それは民との関わり合いの中で決定されていくものであるということ。

この「空港での検疫」もそれが非常に分り易い形であらわれた例の一つだろう。「空港での検査、検疫は役に立たない」ということを分かっていて尚、厚労省はそれを執り行った。では、こういった対応を取ることを決めた舛添大臣は馬鹿だったのか?いや違う。むしろ賢かったのだ。あそこでもし、「空港での検疫は効果が無いから行わない」と言ってそれをしなかったら、それこそ国民から凄まじい非難を浴びせられ、そこで彼の大臣としての人生は終わっていたことだろう。彼はそういった民の意思を読み取り、それに従う形でああいった決定を下した。つまり、民の意思が反映された結果として、官による「空港での検疫」は行われた。そしてこれは一律休校に関しても言えることなんじゃないか。

【新型インフル】「帰ってくるな」「謝れ」…大阪・寝屋川市や学校に中傷殺到 (産経新聞)

「なぜマスクをしなかったのか」「早く帰国させるべきだった」といった留学中の行動にも批判が寄せられた。「謝れ」「賠償しろ」「バカヤロー」といった罵声(ばせい)を一方的に浴びせたり、生徒や教員を個人的に中傷したりする内容の電話もかかっているという。

この高校生は、カナダでは誰もマスクをしていなかったから、そんな中で自分だけマスクをすれば変に思われると思いマスクをしなかったのだそうだ。そりゃしていないだろう、そんな迷信を信じているのは日本だけなのだから。しかし、彼らはその迷信に従わなかったが故に罵声を浴びせられた。危機感が無かったからこんなことになったのだと。

日本ではこういった、「強い危機感さえ持っていれば何とかなるが、それが無ければこの世で地獄に落ちる」という危機感神話が広く信じられている。そしてその神話を信じている者達は、他者の不幸や失敗を危機感が無かったせいとして切断処理し、それによって危機感がある自分は大丈夫だという安心感を抱くとともに、危機感が無い他者が引き起こした災厄を自分が連帯的に背負わせられるのではないか、という恐れを常に抱いている。だから、他者の危機感が感じられない行為や選択を激しく非難する。そしてそういった非難を浴びせられることを恐れた人達は、その神話を信じていなくても適応行為として危機感があるように感じられる行為や選択をするようになる。例えば検疫に対する舛添大臣の決定のように。

こういった風土が根付いている以上、官の側が、一端一律休校というそれらしい対応を取った後それが無意味であったことが分かった時に浴びせられる批判の方が、それをせずに当然起こるであろう感染拡大が起こった時に浴びせられる批判よりもまだましだというリスク判断を働かせるのは決しておかしなことではないだろう。一律休校は、そういった民の在り方を鑑みた上で決定されたということもあるんじゃないか。

 ***

今回厚労省が取ったあやふやな対応を全て官のせいだとしてしまえば民の耳には優しいだろう。だがそれは官が変わらなければ民も変われないと言っているのと同義であり、民の力を見くびり、官と民を完全な主従関係で見てしまうことでもある。いや、勿論官と民の関係をそういう風に見ている人もいるだろうし、国によってはそれを否定出来ない様な一方的な関係性が形づくられている場合もあるだろう。だが日本に於いてはそこまで官と民の間に一方的な関係性が成立しているとは思えないし、少なくともこの国で普段から「社会に文句を言う前に先ず自分が変われ」というようなことを言っている者がその同じ口で言うべきような内容ではないだろう。

まあ、クールビズなんかにしてもそうだけど、役所が旗振り役を務めないと服装の一律化程度のことからすら抜け出すことも出来ない凝り固まった文化を持つ民を目の前にすれば、どうせ民が変わるはずがないからそれなら官に期待しよう、と思いたくなる気持は分からないでもないが。

しかし、こういった「先ずお上ありき」を前提とした官僚批判や政治家批判ほど人々(民)の支持を得易く、それによって人気を獲得した者達が、その人気を利用してやがては自身がお上へと転身して行ったりするという昨今の流れは、民にとって不幸なことであるようにしか思えないんだけどなあ。民が中々変われないのも、民の内部でまた「お上と下々」という固定化した役割分担がなされ、それを前提とした上でしか物事を考えられなくなってしまうからだろうし。そしてその中で其々が自分自身と他者に「分相応」という既定を設け、それでお互いがお互いを縛り付けてしまう。例えば、不細工のクセに、無職のクセに、低学歴のクセに、低収入のクセに、根暗のクセに、オタクのクセに…などなど。

まあ自分もその病を抱えている者の一人なんだけど。



※1 私たちにもできる新型インフルエンザの身近な予防策(youtube)

厚労省もまた、広報ビデオで「患者の周囲の健常者がマスクをした場合の感染予防効果は“明らかではありません”が、一定の効果は期待してよいでしょう」といってその根拠が無いことを認めている(勿論、感染している疑いがある人はマスクをすべきですよ、一応念のため)。しかし、根拠は無いのに効果を期待するというのは正に呪術的行為そのものではないか。今朝、自分が母にマスクを着用することによるインフルエンザの予防効果に科学的な根拠は無いということを言ったら、それでもつけていないと心配だと言っていた。日本人にとってマスクは、お守りとして機能しているという面もあるのかもしれない。厚労省はその幻想を守るために「期待してよいでしょう」というような表現を用いたのではないか(或いはそれは、その幻想を信じている自身に言い聞かせるためのものかもしれないが)。その幻想がぶち壊されれば、人々が不安に駆られ余計に騒ぎが大きくなりそうだし。

何にせよ、他国で起こっている同じ様な現象、例えば、アメリカの学校で進化論を教えることが難しいという様な状況を日本人が嗤うことは出来ないということです。というか、そもそも進化論を正しく理解出来ている日本人なんて圧倒的に少数派だと思うが。勿論、自分もちゃんと理解出来ていません。

※2 ニュース解説は5時台と7時台の2回あり、マスクに関しては5時台の解説でのみ触れていた。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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