ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

マスクへの過大な期待がもたらす功罪

※タイトルを改題しました。さらに再追記(5/25)あり

「マスク」 新型インフルエンザで需要急増 予防効果なし!?「過剰防衛」(産経ニュース)

マスク着用によるインフルエンザの予防効果には科学的根拠が無いマスクを着用することがインフルエンザの予防にとってどれ程の効果があるのかは明らかではない、ということは昨日の記事でも少し触れた。よって欧米では基本的に、マスクというのは感染者やその疑いがある人が、周りにウイルスを拡散させないために付けるものなのだと認識されている。しかしながら、マスクに(ある程度の)予防効果があるという迷信認識が日本に浸透しているということは、必ずしも悪いことばかりではないような気もしてきた。
---------------------------------------

というのも、どうも欧米ではマスクを付けていると奇異の目で見られ、中々それを着用するのに抵抗があるらしいのだ。しかしそれは、「感染しているかどうかは分からないがその疑いがある」という人までも中々それを着用しづらい状況が成立しているということだろう。

つまり、マスク着用にインフルエンザ感染への(充分期待できるほどの)予防効果があるという迷信認識が浸透している日本のこの状況は、「実際のところは分からないが感染している可能性がある人」がマスクを付け易い状況もまた成立しているということであり、そういう意味では決して悪いことばかりとは言えないのかもしれない、と。症状が出ていなくても既にそれに感染しているという場合もあるだろうし。

しかしながら、この迷信の普及マスクに対する過剰にも思える期待にはやはり「罪」の部分もあると思う。

結局、本当に予防効果がある明らかに確認されているのは手洗いと人ごみに身を投じないことくらいしかないわけで、そういうことからすれば、本気で感染拡大を防ごうと思うなら、先ず密室空間に大勢の人間が集まらざるを得ない様な状況を何とか改善しなければならないという意志が働くはずだろう。ところがこういったことに関しては、大阪の一時的な一律休校や、後はせいぜいイベントを中止するくらいで、“普段から恒常化している”それを何とかしようとする動きは殆ど見られない。例えば伝染病の拡大防止という視点から見れば、満員電車なんてのは狂気の沙汰にしか思えない。今からこういった状況を改善する為の手立てを考えておかなければ、もし強毒性のインフルエンザが流行し始めた時、適切な対処を取るのは極めて困難なのではないか。しかし、マスクをして根拠の無い安心を獲得しているが故に、そういった状態に対する問題意識が薄らいでしまう。

つまり、マスクというお手軽な安心獲得装置の装着に注意が向き過ぎているせいで、その分、本当に注意を向けるべき事柄への関心が疎かになってしまう、ということもあるのではないかと。

(一般論として)誤った知識が広まっていることを結果オーライで看過してしまうことには、やはりそれ相応の危険性が付きまとう。とはいえ、その一方で人々が正しい(とされる)情報を知ってしまったが故に獲得してしまう負の効果や悲劇が存在しないと言い切ることも出来ない。

果たしてこの迷信マスクへの過剰とも思える期待が持つ功と罪はどちらの方が大きいのか。
----------------------

*追記*

「屋外でのマスク着用は不要」=他人への感染防止が目的-厚労省(時事ドットコム)

 新型インフルエンザの感染拡大で品切れ状態になっているマスクについて、厚生労働省新型インフルエンザ対策推進室の難波吉雄室長が21日、記者会見し、本来の使用目的は予防ではなく、他人にうつさないことだとした上で、「人込みの少ない屋外などで着用する必要はない」と述べた。
 難波室長は「マスクは感染者のウイルス飛散を防ぐためのもの。せきが出るようだったら使用してほしい」と強調。予防目的の購入に注意を促した。

内閣府提供の広報ビデオでは「患者の周囲の健常者がマスクをした場合の感染予防効果は“明らかではありません”が、一定の効果は期待してよいでしょう」と言っていましたが、その後、厚労省が会見でこのような認識を示したそうです。

マスクが買えない 薬局空っぽ、ネットでは高値取引(朝日新聞)

仕事熱心な転売屋は今回も大活躍。

*再追記*

マスク不要論のみが突っ走るご時世:CDCや政府・関係学会提言に反して・・・(内科開業医のお勉強日記)

CDCでは、むしろ、新型インフルエンザが一般に浸透しているコミュニティーで、感染者と緊密な距離が避けられない場合”マスク使用を推奨している”と書かれている。

なんだそうです。まあこれも実際に原文にあたったわけじゃないけど、とりあえず今回の件では、改めて色々と自分の至らなさを思い知らされる結果となりました。

コメント

迷信?真実?

銃殺刑になる死刑囚に5人の兵士が銃口を向けている.一人の兵士Aの銃が不発だったと仮定すると,死刑囚は他の兵士の銃に撃たれる.故に,兵士Aは死刑囚の死の原因ではない(=迷信である).次に,兵士Bの銃が不発だったと仮定すると,死刑囚は他の兵士の銃に撃たれる.故に,兵士Bも死刑囚の死の原因ではない(=迷信である).同様に,この議論は全ての兵士に適用されるので,全ての兵士は死刑囚の死の原因ではない(=迷信である).

これはとても応用範囲が広く,複数の原因がある場合には常に使うことができる便利なものである(だって何が原因だったのかは,後からでもハッキリしないから,「完全」に否定する事はできない).この議論は,重層的決定問題と呼ばれるもので,悪用すれば詭弁の一種とも考えられる.特に責任逃れの手段としては最も効果的であろう.

例えば,「うがい」による予防効果には科学的根拠が無い,「手洗い」による予防効果には科学的根拠が無い,「移動規制」による予防効果には科学的根拠が無い,「検疫」による予防効果には科学的根拠が無い,もちろん,「マスク」による予防効果には科学的根拠が無い.

もちろん,それが「単独」で予防「完全」に保証する科学的根拠が無い,という事であれば正しいものである.一方で,単独で「効果がある」かどうかに対して,この論理では,そして全ての推論において,科学的根拠云々をいえないことになる.これが哲学的解釈にとどまらず,科学一般における推論そのものである事に注意せよ.従って,人類は,ほとんど何も科学的に根拠を見出せないであろう.

一般にはよく誤解されがちな事ではあるのだけど,科学というのは常に100パーセントを保証するものではなく,因果関係の追及にも現実的経験則による結論を出す事ができるだけである.それは,「どの程度正しそうか」という事なのである.科学者は「迷信」とか「真実」という言葉で生きているのではない.マスク着用によるインフルエンザの予防効果は迷信であるのか?それはどの程度か?アメリカにおける発表はソースを確認していないのでコメントしない.マスコミによる誇張は今に始まった事ではないからだ.

ご指摘ありがとうございます。安易に「科学的根拠」などという表現を用いてしまったのは私の大きな誤りでした。日頃から「科学」という言葉が持つある種の威光が後ろ盾として機能したが故に引き起こされる災厄についての懸念を表明していながら、自分自身が同じ様な罠に嵌ってしまい、全くお恥かしい限りです。「科学」は常に更新されるものであり、真理を明らかにするためのものではないということを、もう一度しっかりと心に刻んでおきたいと思います。…でも自分のことだからまた同じ様な間違いを犯しそうだけど。

人間みんな間違える

そういう科学論を私に言ったある先生は泥酔して「こうやって何度も叩くとエレベーターが早く来るんだよ,君もやってみるといいよー」と言って,嫌がる某名誉教授にボタンを無理やり連打させていました.科学者なんてそんなもの,という事が身にしみた瞬間でした

・・・というのはフィクションであり実在の人物団体とは非常に深ーい関係があるのですが,結構信頼していた学者が対抗仮説に「科学ではなく哲学だ」とかやたらとイデオロギー的に使い始めて,幻滅気味のChiariです.科学というのは何時の間にか攻撃のための手段になってしまったのでしょうか.

まじめな話,非常事態にはいろんな情報が飛び交って(垂れ流されて?)いるものですが,騙されないようにするというのは誰にも非常に難しいものです・・・っていうか無理.だいたい全てのソースを確認できるわけではありませんし,全ての分野に目を通すわけにも行きません.どこかで割り切るしかありませんよね.

実は,言っているそばから・・・・

シャレになりません.ネットショッピングを教えたところ,母親が割高なマスクをわけのわからん所から箱買いしてきやがりまして,一時間ほど説教たれました.ネット上の品薄状態に左右されすぎるのか,価格感覚が狂うのか,買ってみたかっただけなのか,歯止めが利かなくなるのか.ペアレンタル・コントロールなんぞよりも,大人へのリテラシーの方がよっぽど切羽詰った問題です.

ところで,日用品を加工しても簡易的なマスクが作れる事はご存知ですか?本格的に第2波が流行した時にお世話になりそうな気がします.そうだ「おうちでできるマスク」というのは夏休みの工作にどうだろう.マスク自作キット・・・売れないか.しかし,今の子供は望遠鏡を作ったりするのだろうか.

スッキリしないものを抱え続ける勇気

>科学というのは何時の間にか攻撃のための手段になってしまったのでしょうか.

つい先ほどそれを手段として使ってしまった者が言うのもなんですが、人間の歴史は科学に踊らされ続けてきた歴史でもありますからね。元々人間の頭の中に思い描かれる「科学」というのはそれだけ強い魔力のようなものを持っているのだと思います。勿論、その時それは既に科学とは違う何かになってしまっているのでしょうけど。

>どこかで割り切るしかありませんよね.

それはそうなんですけど、しかしながらその一方で、はっきり確認/理解出来ないものを(それを明らかにする術がない、或いはそれを行わない以上は)安易に解決せず、ちゃんと「確認/理解出来ないもの」として保留し、抱え続ける勇気というのもまた重要なことだと思うんですよね。はっきりしない問題を抱えていると、どうしてもそれを解決してスッキリしたいという思いが芽生えてくる。そして安易に自分の納得し易い情報に飛びついてしまう。実は「ジコセキニン」や冤罪、差別的枠組み形成の根っこには、こういった安易な解決への希求が大きく関係していると私は思っています。そしてその解決には自ずとある程度の攻撃性が備わってしまう。だからこそショックだったんですよね。いつも自分が批判している行為を自分自身がしてしまったわけで。勿論、それから完全に逃れることは出来ないだろうし、余りそのことに過敏になり過ぎると全く身動きが取れなくなってしまうということはあるにしても、余りに簡単にその罠に嵌ってしまったなあ、と。深淵もまたこちらを覗いているとはよく言ったもので。

>母親が割高なマスクをわけのわからん所から箱買い

まさかそんな身近なところで…。「事件は会議室で起きてるんじゃない、自宅で起きてるんだ!」みたいな。

>日用品を加工しても簡易的なマスクが作れる事はご存知ですか?

そういえば昨日のテレビで、キッチンペーパーを使ったマスクの作り方を紹介していました。マスクが品薄で手に入り難い状態であることも考慮し、学校によっては既に授業でその作り方を教えている所もあるそうです。しかし、今度はキッチンペーパーの転売屋が現れたりして…。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://positiveallergy.blog50.fc2.com/tb.php/288-2bd842cb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | HOME | 

プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。