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ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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「悲劇」化が原罪への意識を遠ざける、他

・また無駄に闘った感があるな、一つ前の記事の前半部分は。自分にとってあの話題は残り少ない気力を存分に注ぎ込んでも惜しくないと言い切れるほど大きな関心事でもなかったのに。だが無理な理屈で何かを批判している者がいると、ついついそれと闘いたくなってしまう。

・長い間攻撃に晒され続けると、周りの者全てが敵に思えてくる。そしてついつい何かと闘わずにはいられなくなる。闘うことでしか他者と関係を持つことが出来なくなる。「闘う」という言葉のイメージが美化されている日本では、何となくそれがカッコいいもののように思えてしまったりするかもしれないが、実際のそれは決してそんなよいものではない。

・批判はするが闘わない。これを今後の一つの課題にしたい。まあ実際には中々難しいだろうけど。闘うにしても、せめてもう少し軽妙さというものを身につけたいところだ。

・映画『宇宙戦争』でのワンシーン。大人気ない親父(トム・クルーズ)が長男とコミュニケーションを図ろうとして無理やりキャッチボールに誘ったものの、段々と腹が立ってきて悪意を込めた剛速球を長男に投げつける。

・長男はそれを華麗にスルーして家の窓ガラスが大破。あのスルー力は見習いたいものだ。自分だったらガラスを割らないような配慮をしてそれを受け取り、悪意のキャッチボールを続けてしまうだろう。というか、今社会(を名乗る者達)を相手にそれを続けてしまっているわけだが。

・しかし、あれだけ絶望的状況に追い詰められて周りの者がどんどん無残な死を遂げていく中、自分の家族だけはちゃっかり全員無事というのはあり得ないだろう。あの潔いまでの主人公家族中心主義は流石アメリカ、流石スピルバーグといったところ。幾ら残虐描写が増えてもそこだけは変わらなかったようだ。逆に日本は、どんな物語でも強引に悲劇に変えてしまうとなんかで揶揄されたりしていたけど。

・鑑賞側が心情的に同一化すべくする対象にハッピーエンドという外形的達成を形作らせることでカタルシスを得るための物語と、それに「悲劇」の一部を担わせることでナルシズム的カタルシスを得るための物語。視線が外を向いているか内を向いているかの違い。

・物事(或いは物語化された現実)を「悲劇」として捉えてしまいがちであるということが、原罪というものに目を向ける機会を奪ってしまっているような気がする。というのも、「悲劇」というのは結局、善なるものがやむを得ない状況に陥って悪を獲得しているという捉え方をする。だがそれでは善であるとされるものが既に悪を含有しているということが隠蔽されてしまう。

・まあそうでなくとも原罪なんてものに目を向ける者なんてそうはいないだろうけど。というか、それはむしろ病に近いものなのかもしれない。といってもそれは個人としての病ではなく、人間がもつ持病としてのそれだが。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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