ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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平等は憎しみの母、正義はメシウマの父

・一般的に言って、ブログが更新されなくなると、その人の日常生活が忙しくなったりネットの外の生活が充実していたりすることが多いが、当然自分の場合はそういう理由で更新を停止していたわけでははありません。ただ愚痴を言う気力も起きなかっただけ。勿論ラブプラスに嵌っていたわけでもない。

・まあヒキに限って言うと、ブログが更新されなくなると先ずその人の死亡が疑われたりもするのだが。

・ネトゲ廃人とかいうけど、本当に何もしない自分よりはずっとましだな。そもそもネトゲというのはコミュニティへの参加を意味するわけで、自分にはまず無理。

EU、独伊など9カ国に「財政協定」違反を通告<財政赤字が増えるとユーロの信用が落ちるから、財政を健全に保てない貧乏な国には制裁として課徴金を課します、ってなんか無理があるような。大体「安定成長」なんてしようと思って出来るものではないわけで。

 ***

橋下知事、批判メールの女性職員に厳重注意<意見を言えというからそれに従って意見した結果こうなりましたとさ。彼のことだから、全く意見をあげない職員がいたとしたらそれはそれでやる気がないとして非難しそうだし。ある種の“巣作り”なんだろうな、これは。相変わらず「民間なら」を連呼しているようだが、“民間なら”こんなことをする者は単なる駄目(ブラック)社長だろう。

・今朝のワイドショーで「職員が知事と同じ方向を向いていない」ことを批判していたが、皆が同じ方向を向くのはただの全体主義。

・それ以前に、彼は今まで自分がどれだけ「非常識」な言葉で他人を口汚く罵って来たのか忘れてしまったのだろうか。上司じゃなけりゃ何を言ってもいいってことか。強きには媚び、弱きにはとことん強く出る。相変わらず今は亡きヤッサンみたいな人だな。

・自ら積極的な意見交換を求めていながら、自身の求める主張だけを歓待し、気に入らないものは断罪する。そうやって自身の主張を他者に言わせることで、その主張の正しさを演出する。故に問題が本当の意味で議題化されることはなく、本来話し合いや論考の場となり得るはず場所も予め“お上”が用意した正解・不正解を言い当てるだけの処世の場へとなり果てる。ガッコーの読書感想文みたいなもんだね。やがて“下々”は“お上”の顔色を伺う主張しかしなくなり、その風潮と結託するのが上手な者ばかりが登用されることでそれは風土としてより堅固なものになっていく。

・この“お上”というのは“世間の空気”だったりもする。

・「改革」という言葉もすっかり胡散臭くなってしまったが、それはともかく、人々の改革への大きな期待を担ってやって来た彼は、こういった硬直化が生み出す弊害をぶち壊すどころか、それをさらに揺るぎなきものにしようとするだけだったという。まあよくある話だけど。基本的に何かを倒しに来る(行く)者は、あくまで何かを倒すこと自体を目的としている。その者は、何かを倒すという目的に依存することによって生きる活力を得ているのだ。だからその者が権力者を打倒し権力の座に着いたら、今度はその権力の座から何かを打倒しようとし始める。

・しかしあらかた周りを打倒し尽くしたら、その後には何も残っていなかったりする。あれだけ節約節約といって福祉や教育に関わる予算にまで手をつけていながら、またぞろ辺境地開発という関空やフェスティバル・ゲート創設時を思い起こさせるようなバブリーな大型公共事業計画に色目を使い始めているのは、多分その空虚さを埋めるため。まあ中身の空っぽさでは自分も彼には負けてはいないが。道徳や常識、精神論への怒りや恨みを失ったら自分にはもう何も残らない。

・というか、不正や業務に対する姿勢の在り方に問題があるということで処分するなら分かるが、自分が気に入らないから処分するってのは公私混同もいいところじゃないか。

・彼の以前の発言>【橋下維新】メール公開請求に「のぞき見趣味」と不適切発言、 市民団体が反発“橋下知事は「申し訳ないが税金でメシは食わせてもらっているが、府民の皆様の奴隷でもなんでもないんで、出来ることと出来ないことがある」とした上で、メールの中には非公開を前提に職員とやりとりしたメールがあり、すべてが公開の対象とは想定していなかったと説明した。”<奴隷じゃないのは職員も同じのはずだが。

・“「表現内容については、公開されるとまずい表現とかいろいろある。具体的に個人名を出していたり、自分の思いつきの意見もある」とし、職員からのメールには忌憚のない意見や内部告発のようなものもあり、全てを公開することは出来ない、と述べた。”<でも自分に対する忌憚のない意見は容赦なく公開し、血祭りにあげると。

・まあ実際彼ほど「大阪の代表」に相応しい人間はいないと思うよ、ほんとに。この手の手法を使う人間がそこかしこで幅を利かせ、集団を牛耳っているのが大阪という場所の土地柄だから。で、そういう人間が一線を退いても、次にやって来るのもまた同じような人間だったりするんだよ。それが今の大阪のこの現状を形作ってきたのだと思う。

 ***

・こういった問題では、「俺だって腹の立つ上司に文句の一つも言わず我慢しているんだから、その我慢をせずに言いたいことを言った危機感の無い人間は痛い目に遭って当然」として“お上”の懲罰的行為を好意的に捉える者も多い。恐らくそのような反応は、自分の我慢やストレス(危機感)と他人のそれとを天秤にかけ、その釣り合いが取れなくなるような(不公平感を感じる)状態を回避したいという思いから来ているのだろう。だがそういった平等思想――恐らく当人はそれを平等思想だとは気づいていないだろうが――こそが、人々の憎悪に火をつけるのに最も重要な役割を担うことになる。

・そして元来自身の保身のために居座っているはずのその“我慢”や“ストレス(危機感)の維持”に代表される個人的枠組みが、いつの間にか感覚上で社会的な道徳規範であるかのように摩り替えられてしまう。何故なら、そこから抜け出すのは自由だけどそうすればほぼ間違いなく痛い目に遭うという状況は、そこに居座る人間からしたら感覚的には義務としてしか認識出来ないだろうから。そして“義務”を守るのは道徳、ということになる。だって、“義務”を遵守していた人間とそうでない人間で差が付かないなんて不公平じゃない。だからその不公平を是正するために、そこからはみ出た人間は道徳的な観点から叩かれなければならない。

・本当に怖いのは傲慢上司の理不尽な鉄槌よりも、道徳や不平等を改善するものとしてその行為に溜飲を下げ、まだ足りないとばかりにさらに罰を下そうとする「普通の人々」の素朴なメシウマ(他人の不幸で飯が上手い)感情だったりする。そしてそれがさらに枠組みの締め付けをより強固なものとし、その締め付けによって人々はさらなるメシウマを求めるようになるというこのメシウマ無間地獄。

・要するにメシウマの生みの親は痛みやストレスに対する不公平感だったりするということ。俺がこれだけストレス(危機感)を感じ、“義務”にも従ってるのに、あいつらときたら…。こんな状況は不平等だ、カイゼンしてやる、と。

・痛みを知らないから、自分がメシウマのネタにされる想像力が無いからメシウマするんじゃない。メシウマの痛みと恐怖を知っているからこそ、そしてその渦から抜け出すことが出来ない閉塞感を感じているからこそ、それを祭りで誤魔化そうとして、或いは自分の痛みと他者の痛みのバランスを取ろうとしてメシウマするのだ。しかし、他人の痛みは決して感じえないから、他者に求める痛みに際限がなくなってしまう、と。

・自分の痛みを誤魔化すために他人を叩くというのは、『バタリアン』に通じるところもあるな。バタリアンというのは要するにゾンビなわけだが、彼らは体が腐ってボロボロになりながらも生き続けているが故に、四六時中激しい苦痛に苛まれることになる。だが、人間の脳みそを食うと少しだけその苦痛が和らぐという、そういう設定。だからバタリアンは人を襲う。そして襲われた人間はバタリアンになる。

・とすれば、実際にそういう状況に陥って抜け出せなくなっている者に「人間の脳みそを食うな!」ということにどれほどの意味があるのだろう、とも思ってしまう。また、メシウマの恐怖に怯えている人間の全てがメシウマ祭りに参加しているわけではないが、そういう人間もまたゾンビ狩りという他の祭りでその恐怖を紛らわしていたりする。「ゾンビだから幾らいたぶってもいいんだぜ、ヒャッホー」というシチュエーションもまたゾンビ映画の定番。

京都府警はなぜサイバー犯罪に強いのか“ある捜査幹部は「著作権侵害に警鐘を鳴らせないかという捜査員の気概と、それを可能にした当時の府警幹部の人事配置が背景にあった」と解説する。独学でネット知識を高めた捜査員と、日常的に情報通信技術を取り扱う技官の間で、緊密な連携が可能だったからこその摘発だったのだ。”<これにしても、「独学でネット知識を高めた」とか「著作権侵害に警鐘を鳴らせないかという捜査員の気概」とか言うと聞こえはいいけど、実のところ、「わて、メシウマ・ライセンス持ってますねん」みたいなのが本当の動機なんじゃないかと思う。

・骨の髄までメシウマ文化が染み付いたこんな国がジリ貧になるのは当たり前だろう。メシウマはある種内戦みたいなものだから。

・よく教育や福祉が充実していて犯罪者の更正にも力を入れている国としてフィンランドが紹介されたりするけど、あれは国民が一致団結して周りの敵に立ち向かうという文化的合意があるからこそ可能なのであって、メシウマ文化を持つ日本にああいうシステムだけを持ってきても文化的裏づけがないから先ず成功しないだろう。むしろ人々の不公平感を煽るだけの結果に終わりそうだ。

・日本はデフレ・スパイラルの心配だけをするんじゃなくて、メシウマ・スパイラルの危険性にももっと注意を払った方がいいのではないか。

 ***

roadside diaries: 渋谷駅前ホームレス排除彫刻・その後<芸術の正体。或いは芸術に抗う者達。まあ芸術なんてのは結局体制側のものなんですよ。例えそれを生み出した個人が反体制であっても。何故なら、現代の最高権力者(お上)は「普通の市民」という名を持つ群集であり、その群集のお墨付きを戴かないとその作品は芸術として認識されないから。橋下府知事もまた、その権力者の庇護を失えばただのわがままなオッサンへと降格する。

 ***

Visual C++ RedistributableによりDドライブに一時ファイルが撒き散らされる問題について<急にわけの分からないファイルが沢山Dドライブに出来て何かと思ったよ。


かわいいうり坊<いずれ凶暴になる運命。というか猪って飼えるものなのか。そういえば、幼少期を一緒に仲良く暮らした熊と人間の子供が、やがて大人になって殺し合うという映画が昔あったような。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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