ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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かごめ、かごめ

ギャルゲーブログ 簡単に音楽を作れるサイト 「inudge」

これは凄い。web上で遊べるテノリオンのソフト版みたいな奴。

ここでこんな風に、適当にマトリックスをクリックしていくだけでソレっぽいものが出来てしまうという(音出ます)。
http://inudge.net/inudge#/1ix4z

http://inudge.net/inudge#/n9x

http://inudge.net/inudge#/7o8n

↓さらにはこんなことも。『かごめ、かごめ』一曲入り。


しかし、自分のように大して才能のない人間が一生懸命苦労して作ったものより、これで適当にささっとクリックして出来たものの方がずっとソレらしいものになるというのはどうにも悲しいものがあるな。

コメント

みんな騙されるな!

多分ご存知で書言うから指摘するのも野暮な気がしますが、
ソレっぽい物を作るというのは昔からあるもので、
おのずと限界もあることが知られています。

とは言うものの、「ペンタトニックをただ上下に動かして
なんとなくソレっぽく聴こえる理由」というものには
興味(科学的な)が沸いてく話です。
まあ、オチも見えている気がしますが・・・。

http://www.amazon.co.jp/Cognitive-Foundations-Musical-Oxford-Psychology/dp/019505475X

・・・とリンクしたらもう絶版になっていたか・・・。

ソレっぽいといのは、作り手側ではなくて解釈側の論理にも見えてきます。一方で作曲というのが、解釈側だけでなく作り手側の要求も考えに入れるものだというのなら、こうした話しの回答になるのではないでしょうか。ある意味では作り手側の論理で解釈をコントロールしようという試みであるわけです。「簡単に出来る」とか実際には解釈側に任せて何も作っていないものとそれを比べて、卑屈になる必要なんかないよ。

ちなみに、「かごめかごめ」をはじめとして、
みな初期化されてしまうようです。
私の環境だけかもしれませんが・・・。

聴き手としての自分を満足させられるか

>ソレっぽい物を作るというのは昔からあるもので、
おのずと限界もあることが知られています。

ただ、いかにソレっぽく聴かせるか、というのもまた技術の一つではありますけどね。

>・・・とリンクしたらもう絶版になっていたか・・・。

こ、これは…洋書の専門書じゃないですか。買いかぶられては困りますよ。検索や翻訳にも掛けてみましたが、概要は分かりませんでした。ネットだけの力に頼っても、「おのずと限界」がありますからね。

個人的には、ペンタトニック上で形成される和音は「四度和音+α」と「五度和音+α」とあとそれが混じり合ったものみたいなのしか出てこないので、単旋律でも、或いは塊になっても不自然な和声進行感を感じさせるようなことがなく、それで無難になるんじゃないかと思っていたのですが。逆に言えば、次にどこへ行っても大きく流れをぶち壊すことがなく、和声的な配慮をする必要もない(半音でぶつかることもないし)。

白鍵でも黒鍵ほどではないものの、適当に弾いていても旋律自体はある程度ソレっぽいものになります(白鍵を適当にスタッカートぎみに鳴らすだけでチック・コリア風になるという芸を昔タモリがやってましたね)が、それが重なり合うと急に出鱈目な感じになります。長・短調では和声的な配慮が必要なのに、それがなされないからです。これはモードとして見てみても同じで、タモリがやっていたのは要するになんちゃって一人モード奏法的なものなんでしょうけど、実際にモードの曲を演奏する場合は、逆に旋律側だけでなく伴奏側もまた聴き手に機能和声的な進行感を感じさせないような配慮が必要になります。しかしペンタトニックではそういう配慮すら必要なくなる。だから無難なものになる、とまあこんな風に考えてみましたが如何でしょう?

>ある意味では作り手側の論理で解釈をコントロールしようという試みであるわけです。

この視点から言えば、まず聴き手としての自分すら上手くコントロール出来きてないですからね、自分の場合。そしてその聴き手が、苦労して作ったものよりも楽して作ったものの方がマシと解釈してしまう、そういう問題ということになりますね。まず自分自身を満足させないとなあ。しかし同じ「自分」ではあっても、作り手と聴き手では必ずしもやりたいことと聴きたいものが一致するとは限らないわけで…。

>みな初期化されてしまうようです。

何故でしょうね?私の環境(winxp/firefox)ではNoscriptを入れている場合に限り、向こうのページに飛ぶものは一旦ページを許可しないと初期化されてしまうようです。しかし、ブログに貼り付けられたものまでもが初期化されてしまうということはないですね(向こうのページがメンテナンス中の場合は初期化されるみたいですが)。IE8とOperaでも確認しましたが、特に問題はありませんでした。

本当になんでなのか

ペンタがらみの話ですが,すげー細かい話に付き合ってください.

やはり文脈的な理解を必要としないという事なんでしょうね.どちらかというと聴き手側が曖昧さを残しづらい特徴があるようにも見えるのです.現代日本人や西洋人の音の感覚の中で,ある調性に対して最も「安定度の高い」という特徴がある音を集めたものです.(もしかしたらもっとユニバーサルかつ汎時代的なのかもしれないがよくわからん).特にその中の幾つかは他よりも極端に安定度が高いと感じられるものです.

この考え方が正しいのであれば,単旋律であっても,調の中心が全て排除されるとか,特徴を見失うことがないでしょう.逆に,その他の音(特に半音)というのは全体的に特徴がなく感じられるというか,五十歩百歩の地位にあるわけですね.それを組み入れる場合には,さまざまな技術(和声的というのもその一つ)がひつようになるわけ.

ややこしいですが,ここで「長・短調などで想定される和声進行を必要としないから」とか「機能和声的な進行感を感じさせないような配慮が必要」と主張しなくても自然と成り立っていることに注意してください.むしろ逆に,想定される和声進行というのは調の中心を選択し特徴を明確にする為のものとも考えられます.原因と結果を逆転させたのです.長・短調などで想定される和声進行があっても機能和声的な進行感を感じさせないような配慮が欠けていても同じように聞こえると思います.

聴き手としての自分に問題があるのではなくて,自分の中にある価値観という観点から見られないのかなと思うのです.安定度が高いものをマシと思うことには何の問題もないと思うのですよ.問題の起きない非文脈的な音楽は結局のところ誰が聞いても安定度が高いままなんじゅないでしょうか.お辞儀和音やたった一つの和音だけでも同じように解釈できるでしょう.

一方で,「苦労して作ったものよりも楽して作ったものの方がマシと解釈してしまう」というよりも,作曲というのはその限界を広げようとする試みなのだという価値観もあるわけですよ.単発で聴いたら聴くに堪えないような(テンションコードからも外れる)ものでも,音楽の文脈の中では極めて「正しく」聞こえる事があるのは,作曲をする人なら良く感じることではないでしょうか.(私はこういう音の組み合わせフェチで,これを可能な限り詰め込もうとします.ハァハァ)どちらの価値観が「正しい」というものでもないんじゃないでしょうか.

Krumhansl の本

忘れていましたが,Krumhansl の本に関する話です.キーの認識とか調性階層のキーワードで語られることの多い領域なのですが,HURON に眠れる巨人と表された事にそのインパクトが伺えます.90年代の音楽心理学の研究の中でも特に注目を浴びたシリーズです.
http://www.musiccog.ohio-state.edu/Huron/Publications/huron.Krumhansl.review.html

Krumhansl はプローブ(調査)音実験法というものを確立して名を挙げた学者の一人です.プローブ音の分かりやすい説明はここにあります.
http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~ynhome/JPN/Auditory/Book/Onshin/onshin1/onshin2.html
Krumhansl の方法には異論があるかもしれません.私には明示的な知識を聞いてしまっている可能性が気になりますね.中島研究室の「3 調性の話Ⅱ 」に載っているシェーンベルク「弦楽四重奏曲第4番」の話などの所はかなり不適切におもえます.

HURON, Davidレビューのとプローブ音の説明を読めば,概略は殆どつかめると思います.2次元トーラスに調性空間が浮かび上がるのは本当に興奮物でした.

>想定される和声進行というのは調の中心を選択し特徴を明確にする為のものとも考えられます.

つまり、それらしく聞こえる根本は旋律(音程)自体が持つ力のお陰だと。まあよく考えてみれば当たり前のことなのかもしれませんが、多分、自分が真っ先に和声という要因に飛びついたのは、和声的配慮が苦手というコンプレックス故でしょうね。いつもそれには悩まされているので。だからこそ、その配慮をせずに自由に音を重ねることが出来る「inudge」方式にある種の魅力と快楽を覚えたのですが。

そういえば以前、三度の音を捨て、其々の旋律を長・短調(和声的規範)の呪縛から解き放ってより自由に、というような試みで曲を作ったことがありました。

http://www.box.net/shared/2sv8vod0cg

まあ「より自由に」といったところで、結局そこかしこで帳尻は合わせなければならないので、所詮創作物は創作主の作ったディストピアにしかならないのですが。しかし、今思えばこれを作った時が一番真摯な態度で音楽に向き合っていましたねえ。でもこれを作った後、次に為すべき目標みたいなものを見失ってしまい迷走状態に…。

>作曲というのはその限界を広げようとする試みなのだという価値観

ああ、この考え方は作り手にとって一つの希望になるでしょうね。ただ自分の問題は、基礎能力が無いのにもかかわらずそれをしようとしたところにあるんですよね。そして基礎が身に付かなかった一つの理由として、真似をすることへの罪悪感があったりします。ちょっと真似しただけで酷く咎められたような経験を子供の頃に何度もしてきましたからね(大阪の咎め文化は異常)。まあそうやって咎める側の者は何の臆面もなく平気で人のものをパクったり、場合によっては真似する(規範に収まる)ことを迫ってきたりするのですが。ともかく、自分の中ではそういった様々な矛盾する道徳によって分裂した自己や、或いは理性と感覚が常にやり合っている内戦状態なわけです。

>シェーンベルク「弦楽四重奏曲第4番」の話などの所はかなり不適切におもえます.

そうなんですか?私なぞすんなり受け入れてしまいそうになりましたよ。「分かり易い」ので。まあ、正規の音楽教育を受けた人間が「無調音楽として聞け」と言われたら実験と言うよりはテストの性質を強めることになってしまい、その能力のある者が一度も出てきていない音を「正解」として答えようとするのは当たり前なので、たしかに我田引水な気はしますね。

毀損は人のすることよ

> 基礎能力が無いのにもかかわらず

思うに、音楽の能力を作品(ドイツ・ロマン派的な意味合いで)に限定しすぎなんじゃなかろうか。限界を広げようとするとは言っても、所謂音痴ではなければ、人間の精神的基盤に根ざしたものなんだと思うのだよ。いわゆる「基礎能力」というのは、その社会の中で従うべき規範という側面が強いものでもあります。そういう意味で、パクリは重要な音楽の側面ともいえるわけで。もちろん、私の価値観も価値観に過ぎないけどね。価値は個人のもの、毀損は人のすることよ。

> それらしく聞こえる根本は旋律(音程)自体が持つ力のお陰

書き忘れていましたが(多分理解しているでしょうけど、私の文章が誤解も招きかねないものだったので・・・)旋律が持つ力というのは、「五音音階の旋律自身が持つ力」というよりも、五音音階を西洋音楽の長短調に当てはめたときの性質です。ですから、日本の伝統的な旋法や、西洋音楽の経験がない人には同じような結果は得られません。これ自体がユニバーサルというわけではないわけです。

> 「無調音楽として聞け」と言われたら

心理学の実験では、事前にモルモットに判断の情報を与えることを嫌います。あからさまな誘導尋問みたいですからね。プロフェッショナルなら誰もが気をつけるものなのですが、なぜ?

パクれ、パクるなの大合唱

>音楽の能力を作品(ドイツ・ロマン派的な意味合いで)に限定しすぎなんじゃなかろうか。

まあ妙な強迫観念で自分を縛り付けてしまう傾向はありますね。別に好きでそうしているわけでもないのですが。

>パクリは重要な音楽の側面ともいえるわけで。

これは音楽に限ったことではないんですよね。例えば言葉が話せるのはそれをパクってるからだし、それも含めて一般的な振る舞いや様式を上手くパクることが出来なければ、世間に於いて手痛い目に遭わされる可能性が高まります。パクるというのは要するに社会化の別名でもあるわけですから。まあだから、ちょっとしたことでも直ぐにパクりだパクりだ、と言って糾弾する昨今の風潮にはどうも納得がいかないんですよね。私からすれば、そういう人達は大抵パクりの達人だったりするのですから。

>これ自体がユニバーサルというわけではないわけです。

音楽は世界共通語、とまでは言えないわけですな。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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