ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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「叩き」の源泉

よく雑誌の商品レヴューなどに対し、スポンサーに気を使った行灯記事だ、というような不満が寄せられているのを目にすることがある。しかし、誰だって職場や職を得る過程で保身のために何らかの太鼓持ち行為をしていたりするだろう。多分、それらの記事はそれと同じことをしているだけなんだと思うが。そもそも、この国の風土(社会――つまるところ社会的趨勢や優位性――を批判する前に自分が変われ)を鑑みると、それが上手く出来ない者ははぶられてニートやひきこもりになるか、もしくは出世して特異な方針を持つ企業の上役にでもなるしかないだろう。或いは、もうこの人なら仕方が無いな、というようなある種の諦めの目で見られるような存在としてそのポジションを獲得するか。
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社会的趨勢や優位性への批判は未熟な人間のすることである、という妙な風潮が幅を利かせている以上、保身が必要な場所(集団内)で批判が批判として機能するのは難しいだろう。結局、批判をしたければ、保身を気にする必要がない匿名の場所か、もしくは趨勢側や優位性を帯びた側としてそれをするしかなくなる。逆に言えば、自身がその性質を獲得できないような場所に身を置けば、反論が許されないような形での一方的な批判を浴び続けなければならない。しかしそのような批判を浴び続ければ当然鬱憤も溜まっていく。そして大勢の抱えているそれらが一斉に、自身の安全を保ちながら一方的に批判を浴びせることが出来そうな対象へと向かい、それが「叩き」になる。つまり、「社会に文句をいう前に自分が変われ」という風潮が「叩き」という文化の源泉になっているんじゃないかと。その論理でいくと、叩かれるのが嫌なら叩かれないように変わればいい。叩かれるのはそれをしようとしない者の自己責任、という形で幾らでもその行為を正当化することが出来てしまうし。

――そういえば、「保身でしかない」というのが批判の根拠になるというのもよく考えてみれば妙な話だ。というのも、それが上手く出来ていない者はニートやひきこもりになるか以下略であって、そして稀有な例である以下略組みに入らないかぎり、それは同時に「非社会的」とされ、それ自体が批判の根拠になってしまうわけだから。むしろ保身こそが最も重要なんじゃないか、という。まあ、実際には「保身でしかない」という指摘は、「それは保身の仕方が下手ですよ」という実質的意味を持って機能していたりもするんだろうけど。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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