ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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依存巧者ほど自立を標榜するという問題~自立は依存でできている

若者のバイク離れによって起きている事

企業や肩書きに、そして健常者であるという運の良さにどっぷり依存している人間がなぜ「自立していない」ことを理由として他人を批判できるのだろう。しかも、この記事自体が「もっとバイク事故に依存したいです」という内容なわけで。
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▼自立というブランド


依存をせずに生きていける人間は存在しない。全ての人間は、社会システム、組織・集団、資源、自然環境、文化、様式、マニュアル、世論(人気)、肩書き、或いは思想、巡り合わせ、出自、資質、容姿、経験、目的、そしてそれら全てに深く関わっている運といった様々な要素に依存して生きている。つまり、生きている限り「依存していない」という状態は在り得ず、其々はどのような依存の仕方をしているか、ということでしかない。では自立とは何かと言えば、それは巧妙な依存に他ならない。

依存は概念的なものとしてだけでなく、常に実在のものとしても存在する。全ての生きとし生けるものには、生存のための前提としてまずこの依存が必要になる。が、自立はある特定の依存形態をそのように分類するが故に生じる概念的な存在であり、実際に予め線引きされた枠組みとして「自立」という状態が存在するわけではない。それは一種のブランドのようなものと言っていいだろう。よって、自立を獲得するためには、自己や他者に「自分は自立している」と認識させるような依存形態を獲得しなければならない。もっと言えば、その依存形態にもまたゼロサム的な競合性が関わってくるわけだから、自立という状態は、依存下手な組織や人間に依存して獲得されている、という側面すらある(ex.全ての人間が就活で持続可能な依存先を獲得できるわけではない。となるとあぶれた人間は自立が難しくなる。「バイク事故に依存したい」というのも正にゼロサム的な問題)。

つまり、「自立できない」のは依存の仕方が下手であるが故のものであり、世に言う「自立できていない人間」に突きつけられた本当の問題は、如何に上手くより充実した依存状態を獲得し、それによって現在の依存状態から抜け出すか、ということになる。そして自立とは依存に内包されるものであって、その二つは決して対立するものではない。

そうして考えてみると、依存が上手いが故に自立を獲得した人間が、それを理由として「自立せよ」と言い、他人の依存を批判してみせたりすることが如何に欺瞞に満ちた主張か、ということが分かってくる。というのも、そこで言われる「自立せよ」とは結局のところ、善性を帯びたものとしての≪自立≫と対極にある、悪性を帯びたものとしての≪依存≫を断ち切れということでもあるだろう(そういうイメージが付加されているからこそ、その力を借りるために「自立」や「依存」という単語が重宝される)。しかしながら、自立とは依存の一形態であり、依存そのものなのだから、このような対比は明らかに誤りだ。ここで生じている対立とは、「依存していない人間と依存している人間」という対立ではない。「依存が上手い人間と依存が下手な人間」という対立だ。そこを見誤ると、それ以降の自立/依存に関する議論は、全てがまがい物になる。

 ***


批判対象としての依存から抜け出し、自立というブランドを獲得するには、より充実した依存状態を手に入れなければならない。だがそもそも、「自立できない人間」は元々依存の仕方が下手であり、今以上の新たな依存方法や依存先を見つけることができないからこそ現在の依存状態に甘んじている。つまりそこでの問題の本質は、“依存の仕方が下手な人間がいる”ということであり、そういう人間に幾ら“上手な依存”が前提となる自立を促してみたところで、何ともならないだろう(もちろん、多くの者が「自立しようと思わないからできないのだ」というような自意識原因論・精神論的な条理性を用いて世界を解釈しているからこそ、こういった主張が出てきて、それが受け入れられるのだろうけど)。

そして新たな依存先を獲得することもできないのに取りあえず現在の依存を断ち切れと言うのは、「死ね」と言っているのと同義だ。日本型自殺には、そういうシグナルや、原理的に誤った規範(依存は悪いことである/自己愛は悪である/人に迷惑を掛けてはならない/相手の立場に立って物事を考えなければならない、といった類のもの)を真正面から受け取り、それを内面化してしまうから、ということも大いに関係していると思う。

一方、依存と自立の近しい関係について真剣に考えるほど切羽詰った状況に追い込まれることもなく、そこそこの苦労で充実した依存状態を獲得することができてしまった依存上手な人間は、「依存は悪、自立は善」というような世間的イメージをそのままそれらの概念へと当てはめてその意味を理解してしまうが故に、つまり依存上手であるが故に、他人の依存を悪としてより厳しく批判するようになってしまう。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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