ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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モチベーションは努力では生み出せない

社会的成功を収める、
或いは社会的失敗を回避する
ためには努力が必要

努力するためには動機が必要

では、動機が無い人間は?

動機を獲得するための努力が足りない

しかし、その努力をするためには予め
その努力をするための動機が存在していなければならない。
その動機はどうやって獲得するのか?

成熟した自意識を持っていれば、自ずと動機は獲得される

成熟した自意識はどのようにして作られるのか?

努力によって

では、その努力をするための
動機がない人間はどうすればよいのか?

以下ループ
or
精神が腐ってる奴はどうしようもない
(=私は優れた魂の持ち主であるが故に、動機を獲得できた。
そしてそれ故、社会的成功を収めることができた。
或いはできる可能性を持っている)

現代日本人のモチベーションの無さが社会的問題として取り上げられることは多い。しかし、それまで多くの日本人のモチベーションを支えていた経済成長と終身雇用・年功序列制度、或いはテレビが作り出す擬似共同体的な雰囲気的一体感――昔は「笑い屋」がテレビを盛り上げたものだが、今は「怒り屋」がその役割を担っている。人々は、外部に敵を作ることでしか結びつきを得られなくなったからだ――が失われて以来、この社会は一体どのような新しいインセンティブを構築することができたのか。多くの人々が共有することができるような目的や希望を一体どれほど生み出すことができたのか。それらを生み出そうとするための動きが活発化したことなんて一度もなかったし、むしろそういう動きが起こりそうな兆しが見られれば、「個人の努力」や「甘え」という念仏を唱えながらことごとく叩き潰してきたのがこの社会なのではないか。そんな国が活気付くはずもない。
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 ▼(1)状況形成の原因が「自意識の貴賎」や属性の問題に摩り替えられる

モチベーションは努力では獲得出来ない。何故なら、その努力をする為にはモチベーションを獲得しようとするためのモチベーションが予め獲得されていなければならないからだ。

では、その動機がどのように獲得され、維持され続けるのか、或いは失われてしまうのかと言えば、それはその個人が生まれ持った資質と環境との「組み合わせ」の連続性の上によってだろう。だが個人の自意識は、自己がどのような資質と環境を持って生まれてくるか、ということを選択することはできない。「組み合わせ」を選ぶこともできない。また、仮に一方の側の条件を選択し、「組み合わせ」の半分をある程度選べると仮定しても、多元的未来を覗くことができない以上、どのような環境に身を置くことが自身にとって好ましい結果に繋がるのか、或いはそもそもその先にあるのがどのような環境なのか、ということ自体が既に分からない。最善の選択であるように思われた事柄に最大限の力を尽くした結果、最悪の事態が引き起こされる、というのが現実の怖さ。

つまり、より多くの人間がモチベーションの獲得するためには、「個人の自由意志による選択」や努力に頼っていては駄目で、それが可能となるような「組み合わせ」を増やすしかない。そのための環境を整えるしか、活況状態を作り出すことはできない。よって「自意識」に問題の焦点を当てているうちは、モチベーションの問題に取り組んでいないどころか、考えたことにすらならない。

ところが、自意識(或いは属性)は結果の原因を事後的に横取りしてしまう性質を持っている。それ故、この「モチベーションの欠如」という問題は、一貫して個人の努力によって克服すべきものとして片付けられてきた。しかしそれを努力の問題だとすると、冒頭に書いたように、必然的に「魂の貴賎」の話へと成り代わってしまう。つまり、「でもモチベーションは努力では獲得できないよね」という矛盾が突きつけられそうになるたび、「それは甘えているからだ」というように「自意識」の問題に摩り替えられ、それ故その「努力によるモチベーション獲得不可能性」という事実が暴かれることはなかった。

この自意識原因論は全く理に合わないものではあるものの、成功/失敗という結果(あるいはそこから生み出される属性)を自意識の貴賎(精神的成熟/未成熟)で解釈する傾向が強い日本社会では、それは非常に大きな説得力を持つことになる。そしてそれ故に「組み合わせ」の問題に焦点が当てられることはついぞなかった。

故に、「日本人のモチベーションが他国のそれに負けている」ことは度々問題になっても、「日本社会のモチベーション生成環境が他国のそれに負けている」ことは余り問題にはされない。仮に問題にされても、「甘え」だの「苦労」だのという「魂の貴賎」の話題によって直ぐにかき消される。そうやって個人の努力頼みで、「組み合わせ」の問題に対する対策をひたすら怠り続けてきたのがこの国のあり方だろう。

 ***

日本では何か対立や問題が起こっても、お互いの主張の内容が主役になることは滅多にない。その対立は、必ず属性や「自意識の貴賎」の問題に摩り替えられる。或いは自身の主張をもっともらしく見せるための印象補填として、それらが内容とセットで用いられる。このような属性を持っている人間の言うことだから誤りである/正しい、或いは、こういう自意識を持っているから成功/失敗した、というように。ネット上には、「こんな妙な主張をするのはきっと~という属性を持っているからに違いない。そしてそういう属性を持っているあいつの言うことが正しいはずがない」というようなトートロジーで溢れかえっている。~の属性を獲得してからものを言え、というようなことを平気でのたまう大学教授さえいる。

この国には、多くの人間が共有する理念や原理(宗教・世界観)、利害の一致※1が存在しない。故に社会的合意も形成できない(このことも「組み合わせ」の問題に対する対策が取れないことに関係しているだろう)。その代わりにぽっかりと空いたその「正しさ」の穴を、世間的印象によって生み出された社会的抑圧が埋めることになる。そしてそれが理念や原理(「正しさ」)に成り代わる。そのような世間原理主義下においては、上記のようなトートロジーですら大きな力を発揮し得る。「自演」などという概念が生まれたのもそのためだろう。内容を重んじる社会では、「自演」をする意味も「自演」を懸念する必要もない。それによってその場の「正しさ」が左右されることはないからだ。しかし印象の良し悪しが正誤を決定する日本社会では、それもまた大きな意味を持つことになる。そしてその世間的印象に最も大きな影響を与えるのが属性であり、「自意識の貴賎」だ。故に、あらゆる問題は基本的に一旦自意識や属性の問題に置き換えられ、そしてそれがそのまま趣旨に摩り替わってしまうことも多い。

この摩り替えによって「組み合わせ」の問題が隠蔽され続けてきたことが、近年になって特に注視されるようになった日本人のモチベーション低下問題に関係していないはずがない。まあ経済成長と終身雇用・年功序列制度があるうちはそれでもなんとかやっていけたのだろうが、それが失われて一挙にその膿が噴出してきた、というのが実際のところだろう。大勢の人間がそれにモチベーションを依存していたのだから、それが失われれば、それだけ大勢の人間のモチベーションが失われるのは当然のことだ。

ゆとり新人を動かす殺し文句がある(ゲンダイネット) - livedoor ニュース

しかしこの記事のように、そのシステムが失われて尚、それを根拠として成立していた振る舞いや動機を未だに他者に求め続ける奇妙な状況がある。何故そんな間抜けな状況が起こるのかといえば、個人の自意識や属性(ここでは“ゆとり世代”)こそが全ての状況を決定づける根本原因である、という前提で物事を考えているからだろう。そのため、社会的枠組みが根本から変わってしまったことすら考慮されていないこの手の言説が未だに後を絶たない。

 ▼(2)「世間による他者の存在否定文化」の内面化としての自己否定

しかし問題なのは「摩り替え」だけではないだろう。

mixi「メアドでユーザー検索」取り下げ 反発受け3日で見直し - ITmedia

【2ch】ニュー速クオリティ:mixi、常勝ν速民に大惨敗 3日前に登場のメールアドレス検索機能を涙目で取り下げ


そもそも、「お上」からのお達しがなくとも勝手に集団内で「五人組」的状況を形成し、お互いがお互い他人の存在や行為、人格を否定し合い、足を引っ張り合うのが日本文化だ。つまり、共有する理念や原理、利害が一切なく、世間的雰囲気に「正しさ」と行動原理を依存している以上、日本人の本質は「敵の集合体」であり、そしてその集合体の中でモチベーションを維持することができるのは、その否定の嵐に打ち勝つことができる強靭な自己肯定感・万能感を持ち、それを維持することができている者だけだ。というのも、世間の目を内面化し、世間の側に立って、つまり敵の目で自己評価をすることになれば、多くの人間は必然的に己の価値や存在を否定せざるを得なくなるからだ。世間の側に立つフリをするのは重要だが、本当に世間の側に立った人間は自滅する。そのような人間がモチベーションを維持し続けるのは難しい。つまり、日本にはモチベーションを獲得し維持し続けるために、一つ余分なハードルがある。この「世間による他者の存在否定文化」の内面化としての自己否定もまた、モチベーション欠如に大きく関係していることだろう。

 ***

いずれにせよ、他人の人格(自意識)や属性を散々否定しておきながら、或いは誰かが何かにチャレンジすると直ぐにバカにして嘲り笑っていながら、はたまた履歴書などの刻印制度を温存しておきながら、そしてそういうモチベーションの芽を摘むような文化が隆盛を極めるのを目の当たりにしておきながら、「何故やる気がない人間が多いのか」などと述べてみせるのは白々しいことこの上ない。

ポジティブ・アレルギー 競争原理を阻害する≪競争社会≫×安定のための「競争」※2

そしてもし競争原理を働かせようとするのなら、全ての人間がいつでも工程に参加可能にして、尚且つそこでまともな試合(やり取り)ができるような環境を整えなければならない。だが、≪競争原理主義者≫はこれに断固として反対する。反対の理由としてよく言われるのが、それでは努力して結果を出した者が不公平感を感じ、モチベーションを失ってしまう、まるで社会主義のようだ、という理屈だ。だが、実際にこのような≪競争社会≫で多くの者の意欲が奪われている以上、そのやり方は失敗した社会主義と同じ轍を踏んでいることになるわけで、それを維持し、さらに推し進めようとする者が、社会主義の失敗を持ち出して参加への意欲を働かせようとするための環境整備を批判するというのは全くおかしな話だ。

そもそも、≪競争原理主義者≫が競争への意欲が失われた者に常日頃から言っているのは、モチベーションとは個人の意志の強さによって獲得されるものであり、それが獲得できないことを環境のせいにするべきではない、ということではなかったのか。それが競争原理(参加への意欲)を働かせるために必要な環境整備の話になると、突然モチベーションの獲得は環境によって決定付けられる(そんな環境ではモチベーションを失う者が出てくる!)かのように言い換えられる。

それにしても、モチベーションを獲得できずに苦しんでいる相手に対しては、モチベーションは個人の意志によって獲得されるものであり、社会環境のせいにすべきではないと言っておきながら、自身にとって都合の悪い制度や環境が成立しそうになると、突然環境のせいで人々のモチベーションが失われてしまうかのように言い始めるこの手の二枚舌言説のインチキさは、一体いつになったら「発見」されることになるのだろう。そこらじゅうにそびえ立ってるのになあ。「見ないふり~」ってやつか。



※1 日本における≪競争社会≫は、誰かが得をすれば誰かが損をするようなつぶし合いでしかないため、信頼関係が生まれ難い。

※2 ソ連と現代日本は似ている 丸山政男『ソヴェートの市民生活』 - 紙屋研究所
一般的イメージと異なり、実際には旧ソ連は成果主義であり、現代日本社会と内容的にかなり似通っていたらしいけど。まあ元々資本主義や成果主義自体が理念に成り代わると、“みんな”のためのシステム(経済や成果)に貢献できない者は、“みんな”の利益を害する反社会的人間であり排除せねばならない、ということになり、結局同じ場所に辿りつくことになるわけで、旧ソ連と理念無き日本社会の二つが似通ってくるのは当然といえば当然だけど。

ニートひきこもりJournal 勤労の義務
そういえば、日本人の多くは「勤労の義務」を日本国憲法ではなく、スターリン憲法的な意味合いで捉えているという話もあったっけ。そもそも、自己責任と勤労の義務が常識として同居しているということがまずおかしいし、勤労の義務のためには完全雇用という状況が前提として存在していなければならないわけで、じゃあそいう状況を作り上げることを良しとするのかといえば、「公務員を減らせ」が近年の常識人の合言葉なわけで、全く支離滅裂だ。内容や道理よりもとにかく印象を重んじる日本社会の性質というのは、こういうところにも表れている。

コメント

イタリア人のモチベーションとは?

なるほど、要約すればそこに山があるからだ、という事になるのだろうか。

ふと思い出したのだが、医者にもモチベーションというものはあってね。3割は熱い魂で突き進む人、3割は金儲け以外に興味ない人、残り4割は無気力。日々の忙しい作業を何とか手早く終わらせる事を考える凡人というわけだ。完全に世間ずれした世界ではあるのだが、面白いものが見えてくる。モチベーションというのは実にいろんな種類があるものだと。

そういうお前は何なのかだと?そこのイタリア人に効いてみると良いぞ。

>モチベーションというのは実にいろんな種類がある

さらに言えば、そもそも「太陽がまぶしかったから」のように、意識が理屈化し言葉として吐き出した動機は、その者を突き動かすベクトルの内容を上手く捉えることができているとは限らない、という問題もあるんですけどね。

>そこのイタリア人に効いてみると良いぞ。

えっ、どこ?もしかしてイタリア人ですか?マフィアに知り合いがいますか?

やつらよりは働く

大丈夫。トルコ人はギリシャ人より働き、イタリア人より節操があり、アメリカ人より慎み深く、ドイツ人よりうまい料理を作ると自慢してみる。謝罪も賠償も受け付けません。何か完全にネタがずれてきた。

> マフィアに知り合いがいますか?

もうちょっと濃い顔をしていれば危険な人種ネタが使えるのだが、超童顔遺伝子を半分受け継いだせいで、何を言っても説得力がない。まあ、そのおかげで妹はロリコンおじさんに人気があるが。この妹が日本人のように働いて最近ビョーキになってな。困ったものだ。

メイド・イン・ジャパンのアンエコノミック・アニマルです

トルコといえば東西の文化が交じり合う場所ですなあ…
などと言うのは「フジヤマ、ゲイシャ」みたいなものなのでしょうか。

>日本人のように働いて最近ビョーキになってな。

働きすぎはよくないですね。かといって、働かなさすぎても自分みたいにビョーキになりますが。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
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