ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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自意識批判という「私の高貴な魂」の見せびらかし行為

「~な俺カッコイイ」「ナルシズム」「自分に酔っている」「自意識過剰」などと言って他人の内面自体を批判する時、そこでは、その相手の自意識(精神/魂)よりも相対的に優である「「~な俺カッコイイ」とは思わない私」「ナルシズムに陥っていない私」「自分に酔っていない私」「自意識過剰ではない私」が同時に想定されている。

つまり、全ての自意識批判は自意識のランク付け行為であり、「私の高貴な魂」の見せびらかし行為でしかない。
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そもそも原理上、自意識は自己をコントロールし得ない。自意識に焦点を当てその内容を探る行為は、その者が置かれた状態を知るための一つの手段としてはある程度有効かもしれない。が、自意識は常に状態の後追いであると同時に、それは自己の状態を正しく認識できているとも限らない※1。そうである以上、そこで観察された自意識上の認識と状態をそのままイコールで結びつけるのは誤りだし、それをある状態を形成させるに至った主犯として槍玉に挙げるのもまた間違いだ。

もし相手の行為に何か問題があるのであれば、その行為の内容を批判し、その状態が何故そのようなものとして形成されねばならなかったのか、ということを探ればよいだけのことだろう。その際において、その者の自意識自体を批判する(貶す)必要は全く無い。だが実際には、真っ先に槍玉に挙げられるのが自意識であったりする。逆に言えば、そういった自意識批判には批判としての価値は全く無いという社会的合意が得られれば、少しは今までとは違った状況が生み出されることになるのではないか。

――とはいえ、己の個人的感覚に条理性を依存する一神教徒※2の集まりであり、敵の集合体としての要素が色濃い日本社会において、そのような社会的合意が得られる可能性はゼロに近いかもしれないが。



※1 例えば、「病気という状態」を自意識は正しく認識できない。そのあらましは、医師の診断を受けるなどして漸くその一端が見えてくることになる。これは「成功という状態」でも「失敗という状態」でも同じことだ。しかし厄介なことに、因果の糸を解きほぐし、その状態を正しく診断することができる「因果科」などというものは存在しない。故に、其々が個々人の感覚で好き勝手に診断を下せてしまう。そしてより人気のある診断が「正しさ」を獲得することになる。内容の如何にかかわらず。

※2 だからこそ、「キモい」というような個々人の感覚的趨勢が他になんらもっともらしい理由を伴うこともなく、それ単独で決定的な力を獲得することになる。或いは、自分とは全く異なった感覚と環境を持っているはずの他人の人生を、己の感覚という物差しで平等に測り、解き明かすことができるかのような主張が力を持つことになる。

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