ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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来たれ、ローレンス二等兵、もしくはチャールズ・ホイットマン

Togetter - 「ニートとホームレスの実態の深刻さ」

やっぱり徴兵制が必要なのかもしれないね。2年間くらいぴっちり扱いてる間に精神疾患とかある子もそれを乗り越えたりするだろうし、乗り越えられなかった子は残念な結末を迎えていなくなるでしょ。そうすれば社会への負担は何も残らない
ss11223 2011-01-18 23:54:56

それ、徴兵制やない、戸塚ヨットスクールや。しかし、こういう提案をする人というのは、一体どこまで底抜けにポジティブなんだろう。自分はこの手の発言を目にするたびに『フルメタル・ジャケット』を思い出す。
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 ▼(1)信頼関係の欠落した「鍛錬」は外敵からの攻撃でしかない

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子供の頃この作品を見た時は、なぜわざわざ訓練所卒業の前日にもなって、ローレンス二等兵があの鬼教官を殺したのかがよく分からなかった。というのも、彼は訓練によって優秀な射撃主に生まれ変わり、最終的には鬼教官からも認められることになるからだ。しかし大人になってからそれを見た時、その意味がハッキリ分かった。それは、そもそも彼を生まれ変わらせる動機が復讐だったからだ。

 ***

ローレンス二等兵は訓練所に召集されて早々に鬼教官に目を付けられ、精神的、身体的に様々な方法でしごきを受ける。やがて訓練に付いていけない彼がミスをする度に、鬼教官は連帯責任として他の訓練生達に罰を科すようになる。それによって彼は益々疎まれるようになり、他の訓練生達全員からリンチを受けることになる。彼の補助役を負かされ、それまで懇切丁寧に手ほどきをしていた者までもがそれに加担する。

そんな四面楚歌な日々を送っていたある日、彼は鬼教官の講義に釘付けになる。そこで行われていたのは、テキサスタワー乱射事件におけるチャールズ・ホイットマン(元海兵隊)の優れた射撃術を例に取り、「目的を持った海兵が銃で何ができるか」――つまり鍛え抜かれた海兵隊が如何に凄い能力を発揮することができるか、ということを伝える講義だった。その日から彼は徐々に生まれ変わる。

そして卒業式を控えた前日、彼は銃で鬼教官を撃ち殺す。そう、彼はアメリカ合衆国のために生まれ変わったのではない。復讐のために生まれ変わったのだ。そして鬼教官を殺害することで、「目的を持った海兵が銃で何ができるか」を証明した。

しかし彼は結局優秀な海兵隊員になることはできなかった。それは単に彼が軍の規律を破ったから、ということだけではない。

どんな綺麗な大儀を掲げようと、結局のところ、最低限の信頼関係が欠落した間柄で行われる鍛錬の押し付けは、それを受ける側にとっては外敵からの攻撃でしかない。そして「敵」を殺す訓練をするのが軍隊だ。何故軍隊は人を殺して良いのか。それは相手が「敵」だからだ。そして「敵」の死体を沢山積み上げてこそ優秀な兵士と言えるだろう(もちろん優秀さに関しては他にも様々な指標があるだろうが、これは軍隊が持つ一つの普遍的価値でもあるだろう)。

もし彼が兵士として本質的に優秀であったならば、鬼教官だけではなく、リンチを行った訓練生達全員を、つまり「敵」を出来るだけ沢山殺害し、死体の山を積み上げたことだろう。しかし「俺はもうひでえ糞だぜ」というセリフからも分かる通り、彼にとって兵隊であること――即ち「「敵」だから殺す」――は本望ではなかった。そのため、鬼教官一人を殺害して最低限の目的を果たした後、彼は自殺する。

 ▼(2)「死ね」と言った相手からの貢献を期待する奇妙

さて、再び冒頭の発言に戻る。冒頭の発言では、「社会への負担は何も残らない」とあるが、社会というのは趨勢の側だけを指すのではない。趨勢に収まらない者達も含めてそこで初めて社会だ。つまりここで用いられている「社会」というのは社会のことではなく、「私の理想とする社会」のことであり、もっと言えばこれを述べた者自身のことであると言ってよいだろう。そして「2年間くらいぴっちり扱いてる」という部分では、双方の間における信頼関係の構築が全く無視されているのは言うまでもない。

さらに、「乗り越えられなかった子は残念な結末を迎えていなくなるでしょ」とあるように、そこでは実質的に、苦役を負わした末にそれでも自身の思い通りにならない人間は死ね(徴兵制で「いなくなる」はずもない)、と言うのと同じ意味の事柄が述べられている。そしてそれと同時に、それを実際の政策として実現させた方がよいのではないか、というような提案がなされている。

この発言だけに限らず、この手の問題において持ち出される徴兵制論の実体というのは、大抵このようなものだろう。

 ***

しかしこの徴兵制論は実に奇妙だ。

というのも、「最低限の信頼関係が欠落した間柄で行われる鍛錬の押し付けは、それを受ける側にとっては外敵からの攻撃でしかない」わけで、その計画が信頼関係の構築を無視した前提で成り立っている以上、内容的には単なる対象への攻撃でしかない。つまり、特定の属性を持つ者へ攻撃をもくろみ、「死ね」という意味を持つ言葉を投げ付け、そして実際に「死ね」という状況を作り出すことを提案した者が、その対象に対して、自らへの貢献を期待している。

当たり前のことだが、誰かを攻撃したならば、当然その対象から「敵」と認識され、反撃を受ける可能性がある。そして「死ね」という状況を相手に提供するならば、「お前の方が死ね」という反応が返ってきてもなんらおかしくはない。だが、ここではそれらの可能性が一切忘却されてしまっている。それどころか、攻撃を加え、「死ね」という内容を投げつけたその相手の反応が、自身にとって都合の良い人間に生まれ変わるか、もしくは消滅するかの二択しか想定されていない。

 ▼(3)「敵」に「敵」を制圧/殺害するための訓練を行わせようとする奇妙

それだけでも十分奇妙なのだが、さらに輪をかけて奇妙なのは、そのような相手に対し、「敵」を征圧し、殺害するための鍛錬を積んでもらうおうとしていることだ。だが、自らが唱える、じゃまな奴は死ぬべきである、というような「社会」の常識に同意し、「敵」だから殺しても良い、という軍隊が持つ本質的価値を規範として受け入れた者が、それに準じた行動を取ったならどうなるだろう。そこで学んだ知識や技術を存分に生かし、「敵」である「社会」に反撃してきたら?

それがローレンス二等兵のような本質的に兵士に向いていないタイプだったらまだよい。一人一殺で済むわけだから。しかしそれが冒頭の人物のように、自分の役に立たない人間は死ね、というような思想を持っている者だったなら、そしてそれがチャールズ・ホイットマンのように本質的に兵士としての優れた資質を持っている人間だったとしたら、目も当てられない。

だがここでは、そういった当然予測されるべき可能性の数々が、一切消し飛んでしまっている。この手の徴兵制論は、そういった底抜けのポジティブさによって支えられている。

 ***

――いや、まあ確かに、実際日本人の多くは世間(社会的趨勢)を内面化し、心身共にそれによって形成される「正しさ」の奴隷になってしまっているため、その多くは「死ね」という状況を世間から突きつけられると、反撃もせず、勝手に「いなく」なってくれるという実情もあるわけだが。しかし、幾ら何でも日本はちょっと自殺という現象に社会計画を依存しすぎだろう。

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