ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

労働/失業問題は作業問題でも心の美醜の問題でもなく、ポジション問題

 ▼(1)「働かない/働きたくない」は何を意味するか

作業をしたから労働になるわけではない。労働をしたから金が得られるのでもない。金の流れの中に上手く身を置くことができているからこそ金銭を獲得することができ、それによってその者は労働を獲得する。そのポジションを上手く確保することさえできていれば、活動の内容によってそれが労働であることが否定されることはない。例え大儀と違ったことをしていても、幾ら下劣な行為によってそれを確保していたとしても、それらは全て「労働」という一つの枠組みで捉えられる。

労働は、活動の内容によってそれになっているのではない。ポジションがそれを労働にならしめている。労働問題と言うのは、そのポジションを如何にして獲得し、維持するか、という問題。そしてそれを獲得できなかったり失ったりすると失業者になる。逆に言えば、そのポジションを獲得することができなければ、幾ら作業――例えば他の労働者と寸分変わらぬそれ――をしてみたところでそれは労働にはならない。

つまり「働かない」が持つ内容とは、作業をしないことではなく、そのポジションを獲得する能力が無いということを意味し、「働きたくない」とは、持続不能なポジションしか獲得できず、遅かれ早かれ同じ結果になることが分かっているから、それならもうポジション争奪戦には参加したくない、ということを意味する。

ところが実際には、ポジション争奪能力の欠落、喪失ゆえに生じる「働かない/働きたくない」問題は、その個人が活動をする気を持っているか否かという意志の問題や、作業問題であるかのように捉えられていることが多い。

 ▼(2)「心の美醜の物語」の市場価値

当たり前のことだが、社会的ポジション争奪戦には常に競合相手がいる。よって自分の意志(一存)だけでそれ――ひいては労働を行うか否か――を決定することはできない。また、全ての人間に、その者にとって持続可能なポジションが用意されているわけでもない。故に、必ず誰かが脱落していくことになる。

このポジション争いは、市場における商品の流通の問題として見ることもできる。この世に生まれてきた全ての商品に買い手がつき、それが価値を持ったものとして市場で流通し続けるなどということはあり得ないだろう。それと同じで、この世に生まれてきた全ての労働力(商品)が市場で価値あるものとして流通し続けるなどということもまたあり得ない。そこにはどうしても、売れ残りや使い捨て、消耗による流通価値の消滅という問題が付きまとう。

要するに、労働/失業問題とはポジション獲得問題であり、商品流通の問題でもある。失業者はそのポジション獲得(維持)能力が無いが故に、失業者となる。商品として売れ残ったり、消耗などによって流通価値が消滅するが故に、その者は無職になる。だからといって政府が市場に介入し、全ての商品が上手く流通し続けることができるような環境を作り上げることができるかと言えば、それは中々難しいだろう。全ての人間に持続可能なポジションを提供することもまた困難だ。――さて、この普遍的問題にどう対処するのか。それが失業問題の出発点だ。

しかし、この人類の持病たる解決不能なポジション争奪問題は、働く意志があるかないかや、成熟/未成熟などといった、個々人の精神の貴賎の問題に摩り替えられ、矮小化されてしまう。つまり、その普遍的問題はもう既に解決しているのだが、卑しい心の持ち主のせいで未だに問題として残り続けている、というような、「心の美醜の物語」によって現実は解釈される。そしてその物語の話題によって問題の核心はかき消される。

もちろんこれは別に労働/失業問題だけに限ったことではない。「心の美醜の物語」――もう少し具体的に言うなら、内面批判・自意識批判――で問題の核心が覆い隠されてしまう傾向があるのは、他の様々な問題についても言えることだ。

何故そういったことになるのかと言えば、それは「心の美醜の物語」に強い市場価値があるからだろう。それゆえ、その物語をより魅力あるものとして提供することができる人間は、ポジションの獲得や維持が容易になる。だがこの「心の美醜の物語」は、問題を適切に捉えたり、それを改善しようとするベクトルにとっては邪魔なノイズでしかない。よって、その問題の解説や解決のための処方箋としてそれを提供しているのなら、それは大儀と違った内容の活動をしていることになる。

――しかし、労働は内容によって労働になるのではない。ポジションによって、市場価値によってそれは労働になる。よってその条件を満たしている以上は、「心の美醜の物語」の提供もまた、他のそれらと同じ尊く崇高な労働であり続けることができる。人々を魅了する美しいノイズとして市場に流通し、鳴り響き続けることができる。労働とはそういうものだ。

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://positiveallergy.blog50.fc2.com/tb.php/503-9493e3eb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | HOME | 

プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。