ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

敵の存在が人生に活気と希望をもたらす

大阪維新の会を待ち構える落とし穴 - 中央公論.jp

 厳しいのは大阪府である。橋下知事は過去一〇年以上、ずっと赤字続きだった大阪府の財政を黒字に転換したことを強調するが、その中身は実にお寒い限り。一般企業と違って行政の台所は借金でも歳入に組み入れることが合法的に可能なため、借金を増やせば収支を黒字に見せかけることもできる。しかし、それは見せかけの黒字にすぎない。借金がどれだけ財政の負担になっているかという「実質公債費比率」の推移を見ると、平成十九年度から二十一年度まで、大阪府は一六・六%から一七・二%へと増加。逆に大阪市は一一・八%から一〇・四%へと減っている。ちなみに、この数字が一八%以上になると、地方債の発行には国や都道府県の許可が必要となり、二五%を超えると財政破綻の一歩手前、早期健全化団体に転落する。大阪市に比べて大阪府の財政はイエローカードの危機的状況なのだ。大阪市は逆に、關淳一前市長の改革によって財政は緩やかに好転しているのである。
 さて、チルドレン議員の何人かに「大阪府と大阪市の財政はどちらが厳しいか」という質問をしたところ、例外なく全員が「大阪市」と答えていた。

大阪府の財政を黒字に転換したことを強調し、大阪市の財政健全化に対する姿勢の悪さを糾弾し続けてきた橋下府知事だが、実際に内容的に財政が悪化していたのは大阪府の方だったという。

(続)大阪府と大阪市の借金残高について 「実質公債費比率について」

最近になってようやく橋下知事もそのことを認めたわけだが、彼の支持者達はこのことをどう思っているのだろう。というのも、彼を支持してきた人達の多くは、財政健全化への期待やそれを成し遂げた功績を彼を支持する第一の理由として挙げてきたはずだからだ。ところが好転していたはずの財政は、借金による黒字化で好転しているかのように装われていただけであり、実際はむしろ悪化していた。つまり、本来ならこのことによって一番怒らなければならないのは元々彼を支持してこなかった者達より、むしろ財政健全化を最重要視し、それ故彼を支持してきた人達のはずなのだ。財政が悪化していただけでなく、彼はその事実を隠し続けてきたわけだから(内容的に改善している、という直接的な表現は避けてきたかもしれないが)。
-----------------------------------------------

しかしながら、その事実が暴露されたことによって彼の人気が衰えるかといえば、そうはならないだろう。これが何を意味するかといえば、彼が多くの人々から支持されてきた理由は財政の健全化ではなかったということだ。つまり彼の人気は、アンケートなどによって表にあわられる理由以外に、もっと他の要素が関わっている。

では何故これほどまでに彼が人々の人気を獲得することになったのか言えば、それは彼が“みんな”の敵を上手く作り上げ、それを人々に提供する能力に長けていたからだろう。この問題における大阪市がそうだったように、そうやって何者かを憎らしい敵に仕立て上げ、それを糾弾する度に彼の人気は増していった。

 ▼敵の存在が人生に活気をもたらす

しかしこの敵の提供という手法や、そこで提供されたものを受け取ることは別に彼のような人間やその支持者だけに特有なものではない。むしろそれは非常に一般的なものと言えるだろう。

例えば、多くのゲームは敵を倒す場を与えてくれる性質を持つものであることが多い。スポーツだってそうだろう。物語にしても、敵と戦ったり悪を罰したりするようなものほど求心力が強かったりする。ある意味、人々は常に敵を、悪を欲している。何故ならその敵との戦いが人々に活気を与え、その者に人生における興味(意味)と動機をもたらしてくれるからだ。そしてそれに没頭することによって、或いは悪が罰せられることの爽快感によって、人々は生きることの辛さを紛らわそうとする。

だが、そういった娯楽は確かに人生に活気やカタルシスをもたらしてはくれるが、――例外もあるだろうが――希望までは与えてくれないだろう。しかし、政治の場ではその限りではない。あの者達が我々の足をひっぱっている、あの者達のせいで我々の生活は逼迫しているのだ、というような舞台設定を持つ敵の提供を受け入れれば、その戦いによって興味や動機のみならず、あの敵を倒せばこの状況が好転するのではないか、という希望をも抱くことができる。希望をかけた敵との戦いは、その者の人生をより一層強く活気付けてくれることだろう。実際、こういった敵の提供というマーケティング手法は、ゆとりやニート、オタク、モンスターナントカに代表されるように、テレビや出版などの分野でも盛んに用いられてきた。

そして政治の場において、昨今より多くの人々を引き付けるより魅力的な敵を提供することが出来たのが橋下知事だったというわけだ。つまり彼は、この希望なき茨の時代において、より多くの人々に希望とカタルシスをもたらしてきたある種の救世主という側面を持っている。だからこそ彼は大勢の者達から支持されてきたし、それ故に彼を支持してきた人達は、それをもたらしてくれる限り彼を支持し続けることだろう。その希望やカタルシスの配布に比べたら、財政再建化の嘘などほんの些細な事柄でしかない――と、そういうことなのだろう。

橋下知事「政治に独裁を」 資金パーティーで気勢 大阪市長選立候補には言葉濁す - 産経ニュース

そのためには独裁という犠牲も厭わない、とさえ思っている人も多そうだ(大阪都構想に希望を抱いている者などそうはいまい。人々が注目しているのは、むしろそこで行われる戦いの方だろう)。

 ***

ただ、こういった戦いは結局単なる内ゲバを招くのがオチで、それによってその組織や集団が発展していくことはまず考え難い。例えば、幾ら憎いからといってスポーツなどにおけるライバルチームを本当につぶしてしまえば、そのスポーツの人気はそこで途絶えてしまう。余りに力の差がつき過ぎても白けてしまい、やはりそのスポーツ全体の人気は下降することになるだろう。つまり、必要なのは力を拮抗させた上での節度ある戦いであり、本当にガチのつぶし合いになると、集団としての活気は失われてしまう。しかしながら、人々が心の底から敵を憎んでくれないと、敵の提供というマーケティングが大きな成功を収めることはない。

さらにこの手法は、それによって人気を獲得した者がその人気を維持し続けるためには、次から次へと敵を生み出し続けなければならない、という問題を抱えている。敵として魅力的な対象を喪失してしまうと、そこで人気も途切れてしまうからだ(少年漫画などにおいて、次から次へと「最強の敵」が順序よく登場するのもこのためだ)。だがこういった手法が一般化すればするほど、敵として何者かを祭り上げた側にもまた、誰かを引き立てるための敵の役割が回ってくる可能性が高まることを意味する。もちろん、敵として祭り上げられた者が祭り上げた者を敵として認識するのは言わずもがな。つまりそれは、人生という舞台の上で行われるある種の爆弾ゲームのようなものと言ってもよいだろう。この手法はそのような性質を持っている。

――ただ、敵の提供という手法に頼り切るような政治家が増えることはこういった様々な問題を孕んではいるものの、もはや政策で多くの人々に希望を与えることができるような状況にない以上、そういった手法を上手く利用することができる者が政治の場で人気を博すのはある意味当然の成り行きともいえる。そうである以上、敵の提供によって力を増した橋下知事という敵を倒しても、また第二、第三の橋下知事が登場してくることになるのは必定だろう。

まあなんというか、一つの国や組織が没落していく時は大体こんな感じになるのだろうな、としか言えない。

それに、敵の提供という手法で成り上がった者が次から次へと敵を生み出し続けなければならない宿命を背負っているように、その敵の提供を受け取ることに希望やカタルシスを依存してきた者もまた、常に敵を求め続けなければならない宿命を背負っている。だとすれば、その戦いから足を洗って希望やカタルシスを失うよりも、用意された舞台設定の上で敵と戦い続けることの方がまだ健全だと言えるのかもしれない。

コメント

記事に同感です

とても考えさせる記事で、興味深く読ませていただきました。
仮想敵をつくりあげて人心を集めるという手法は古代ギリシャの時代からデマゴギーの常套手段です。

橋下はTVタレント弁護士だったころから、そうした手法に気が付いていました。
歴史の諸事実が教えるように、デマゴギーは衆愚政治に陥り、やがて独裁者を生むにいたります。
橋下もついに独裁政が必要などと言い出しました。
はしたない本音が臆面もなく出されたわけです。
ここで大阪府民がやばいと思って引き返さないと、本当にまずい事態になります。

「大阪都」という幻想をちらつかせ、第二首都にすることで大阪を「格上げ」してやろうということですが、実体のともなわない幻想で人心をつかもうとするところなど、新興宗教の教祖のようです。
そして現代のプリンセストヨトミとして関西に君臨するのが、橋下の野望なのでしょう。
しかし、日本史で周知のことですが、豊臣秀吉こそ刀狩により庶民階級を骨抜きにして圧迫し、徳川封建時代300年の布石をうった独裁者だったのです。

橋下は現代の「超勝ち組」(金持ち、人気、子だくさん、権力者)です。
君が代起立条例で端的に表れたように、自分にたてつく者は全否定する男です。
このような人間の上昇志向(天下取り)を面白がっていると、あとで大変なしっぺがえしが来るでしょう。

もう橋下劇場に踊らされるのはやめませんか。
21世紀の民主主義は成熟していかなければなりません。
選挙民ひとりひとりが自分の頭で考え、福祉の充実と雇用の促進、生活の改善を真剣に庶民の目線で考えてくれる首長や議員を選んでいきましょう。

実はこの記事の主役は橋下知事ではなかったりします。だからここでは橋下知事そのものは余り重要ではないのです。それに、彼はいわば台風の目のような存在なので、何故ああいった存在が力を持つのかということを考える時、彼個人にばかり注目していても余り意味は無いように思います。別に「目」という存在が台風を作っているわけではありませんから。状況が状況なら、彼が失脚してもまた別の「目」が誕生するだけのことでしょう。

>21世紀の民主主義は成熟していかなければなりません。

自分のような人間は、彼の唱える独裁の上においてだけでなく、民主主義的にも唾棄すべき存在です。よって私は、橋下知事の打倒はもちろん、民主主義の成熟にも夢を見ることはできないのです。そそもそも、民主主義のメリットはモラトリアム――ベクトルを分散させ、社会が極端なベクトルへと集約するのを防ぎ、「最悪」を避ける――だけ、と思っているような人間ですし。私も時折戦いに駆り立てられたりはしますが、それはもはや希望なき戦いでしかないのです。余計な誤解を生まないためにも、そのことだけは一応言っておきたいと思います。

それから注意書きにもあるように、ここでは明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え頂くようお願いしています。その旨、何卒ご理解の程よろしくお願いします。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://positiveallergy.blog50.fc2.com/tb.php/508-8855c469
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | HOME | 

プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。