ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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自己責任の根っこを踏みにじりながら「自己責任」と唱える行為について

自己責任は、選択(行動)の自由が保証され、その選択の判断のために必要となる情報が出来うる限り開示されている、という二つの条件を満たしていて初めて成立する。

実際には、自由意志による自己決定自体が虚構の産物であり、それを根幹としている自己責任はその根っこの部分に大きな瑕疵を抱えているということになるのだが――まあそれはさておき、自己責任というベクトルを重んじるということは、同時に情報開示や選択・行為の自由を重んじるということでもある。
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よって自己責任なら、ルールを守った上で他人が何をしようとそれは勝手、ということになる。ところが実際には、自己責任の大切さを説く人間が、それを言ったそばから、或いはそれを言うと同時に、他人の行為の自由を奪い、制御すべきとの説を唱えていることは案外多い。

また、何かをして失敗した人間を「自己責任w」と言って嘲笑し、嫌がらせをする人間もよく見かける。だが、自己責任は失敗した人間に追い討ちを掛けたり、それを嘲笑ったりすることの正当性を担保したりはしない。そんなことが一般化してしまえば、多くの者は失敗を恐れ、自由な行動を取ることが難くなってしまう。そしてそれは、実質的に人々を恐怖で縛りつけ、選択の自由を奪っていることを意味する。つまり、自己責任的にはむしろ、失敗に追い討ちを掛けたりそれを嘲笑ったりすることこそ否定されるべきことなのだ。

こういった、自己責任の根っこを踏みにじりながら「自己責任」と唱える行為が横行しているのが現状だ。

類似するケースとしては、重要な情報を隠すことによって罠をこしらえ、それに嵌った人間に、「注意を怠った者の自己責任」と言うものなどが挙げられる。だが、情報の開示が行われていない以上、当然それは罠に嵌った者の自己責任でもなんでもない。自己責任的には、情報を隠蔽し、罠を仕掛けた側が問題とされるべきなのは言うまでもない。

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