ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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「ゆとり教育が原因である」←○か×かで答えよ

朝日新聞デジタル:大学生の4人に1人、「平均」の意味誤解 数学力調査 

大学生の4人に1人が、「平均」の意味を正しく理解していない――。そんな結果が、数学教員らでつくる社団法人日本数学会(理事長・宮岡洋一東大教授)が初めて実施したテストで分かった。

 国公私立の48大学に依頼し、1年生を中心とした5934人にテストを解いてもらった。

 「100人の平均身長が163.5センチ」の場合、(1)163.5センチより高い人と低い人はそれぞれ50人ずついる(2)全員の身長を足すと1万6350センチになる(3)10センチごとに区分けすると160センチ以上170センチ未満の人が最も多い――のそれぞれが正しいかどうかを聞いた。正解は(1)は×、(2)は○、(3)は×だが、全問正答率は76%にとどまった。

この手の学力調査で芳しい結果が得られなかったことに対し、その原因がゆとり教育にあるということを前提として話を進める者は多い。
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だが、そういった説をこの「平均の問題」になぞらえ、「大学生の4人に1人が、「平均」の意味を正しく理解していないのは、ゆとり教育が原因である」という設問を設けたなら、それは明らかに×ということになる(真であるとは限らない)のだが、それはよいのだろうか。そしてその時、実際にその可能性もあるのだからそれは間違っているとは言えないだろう、と言うなら、それは「平均の問題」における設問(1)と(3)は○でもよい、と言っているのと同じことになってしまうのだが、それは問題視されないのだろうか。そしてそのような主張を行う者は、一体何人に1人くらいの割合でいるだろうか。

――実際は、学力とそれを結びつけるだけならまだましな方で、学力とは全く関係のない事柄についてまで、ゆとり教育が原因であるかのように主張している者が相当数いるのが現状ではないか(ネタはいい訳にならない。狂人の真似をしてしまっている以上、周りからすればその者は狂人でしかない。さらに言えば、ネタという言い逃れをありだとすれば、テストの回答もまたネタと考えることができる)。

そもそもゆとり教育批判をしている人間が、何故そのような制度が生まれたのかという経緯や、その制度の詳細や実質的な運用について正しく理解しているかと言えば、それがまず怪しい。どうせなら、参加者を一般から募って「ゆとり教育の負の遺産」みたいな会合か何かを開き、同じようなサプライズ・テストをさせてみたらどうだろう。或いは会社や経営者同士の会合などでこの手のテストを行ってみるとか。ゆとり教育自体について問う問題を出してみるのもよいだろう。それらが実施されれば、きっとおもしろい結果が見えてくるのではないだろうか。

【追記】 どうも中途半端で何を言いたいのかよく分からない記事になってしまった感が。なので付け足しておく。

これを書こうと思った元々の動機は、このテストの結果を受けて、近頃の学生は論理的に物事を考える能力が落ちてきていると考えられる、などとニュースで言っているのを聞いたから。しかしそれには幾つかの疑問がある。まず一つは、この手のペーバーテストで論理的思考が測れるとは思えないこと。次に、実社会では論理的な整合性は全く重んじられていないどころか、むしろそれに囚われていると社会不適応者として扱われてしまうような環境が成立していること。考える前に動け、整合性なき理不尽に耐え忍び、それに順応するのが大人だ、とされているのが日本社会だろう。そして殆どの人間がそれに賛同してきたはずだ。そのような環境で論理的思考が摩滅していくのは当然の帰結ではないか。それを善しとしてきたはずの者達が、論理的思考の低調を問題視するというのは、それこそ正に論理的な偽の体現だ。

そしてそういった環境は別に今に始まったことではなく、日本の昔からの伝統文化であるはずだ。ゆとり教育云々というのは、比較的最近になってそうなったということが暗に示されているわけだが、そんなはずはないだろうと。そもそもペーパーテスト上に限った話をしてみても、実際の学生にとってのゆとり教育とは、単に学習要綱が減ったというだけの話なのではないか。その減ったものに含まれていた設問に答えられなくなったのなら、それはゆとり教育のせいだと推測することはできる。だが、「平均」のような基本的なものに関しては、ゆとり教育導入前後で大した扱いの違いはないはずであり――詳しく知らないので断定はできないが――、だとすれば、テストの結果がその影響を受けてのものと考えるのには無理がある。

どちらにせよ、実社会において論理的思考を摘み取るような環境が成立している以上、いくら学校でそれを教育したところで、その芽が育つとは考え難い。論理的思考を重んじるならば、まずその実社会から変えないとどうにもならないわけだが、それを変える気はさらさらないんでしょ、という。【了】

コメント

不正に負けるな

なかなか、皮肉が利いてるし真っ当な意見だと思う。

> そういった環境は別に今に始まったことではなく、日本の昔からの伝統文化である

実を言うと、これは日本に限った事ではなく、人間には共通して見られる特徴だと心理学者は主張している。彼らによると、人間がもとより持っている直感的な思考パターンと論理的思考はの食い違いが多く、しかもこの傾向は科学者にも同様に見られるという。逆に言えば、科学における数多く必要とされる実証的証拠や手続き、再現や批判はこうした人間が犯す誤りを防ぐために長年にわたって作られてきた安全装置なのだといえる。

> いくら学校でそれを教育したところで、その芽が育つとは考え難い

科学者は何ら特別な人間ではない。科学もまた、論理的思考を摘み取る擬似論理的思考と実社会の中で成立してきたと考えてみよう。教育や改良が効果を及ぼさないのであれば、それでは科学は何処から登場したのであろうか。私の意見は以前にも述べたと思う。楽観的なのか悲観的なのか、それに関わらず私の答えは以前から一貫している。そして科学者がそれを為さずして、それなら、誰が為すというのか。

とは言っても「実社会」とやらに打ち勝つには易しくない事は承知している。メディアだけでなく、研究者(特に人文科学の)においても意識が非常に低い事がある。言語学者にはこう言われた「それは科学の基準を厳格に適用するかどうかだろう」。経済系にはこう言われた「経済学は科学ではないのだから何も問題ではない」。彼らにはこれが不正なのだという考えはないのだろう。

負けるつもりはない。

教育は授業の中だけで完結しない

>とは言っても「実社会」とやらに打ち勝つには易しくない

原発の問題はこの難しさがより分かり易く表われた例と言えるのではないでしょうか。事故以前も事故直後も、その危険性は多くの専門家によって過小評価され続けました。その危険性を指摘した者、安全性に疑問を呈した者は社会不安を煽る危険分子として扱われました。中には日本の原発は構造的にメルトダウンすることはないと大学で学生に教えていた人もいたようです。そしてこういったことは、他でもないハードサイエンスの部門で起こりました。つまり、それは人文科学や経済学だけに固有な問題とは言えないということです。

しかし一方で、こういった行為は自分自身の生活や立場を守るという面では正しかったりします。理想のために人生を犠牲にすることができる人間はそういません。また、それを他人に迫るのも問題があるように思います。人生あっての理想だからです。

>彼らにはこれが不正なのだという考えはないのだろう。

これもまた、学問としては少々の問題があっても、法的には、そして社会的には問題はないという認識が彼らにあるからでしょう。後者の正しさを前者の正しさよりも重んじた結果と言ってもよいかもしれません。実際、社会的にはむしろ、自らのポジションに求められる何らかの成果を出さないことは、不正以上に問題にされたりします(少なくともその時点では)。事実、内部告発の顛末もまた、余りハッピーエンドになることはありません。

そしてそうやって確保したり守り抜いたりしたポジションによって、主張の正しさが担保されたりします(対人論証に出会わない日はない)。そういった状況を見聞きしたり、実際に体験したりして人は自分なりの「正しさ」を積み重ねていきます。それを打ち崩すことは簡単ではないでしょう。

教育というのは何も授業でのみおこなわれているものではありません。いじめはよくないという道徳の授業を受けた後の休み時間に、それをネタとしていじめが行われる、それも含めて教育だったりします。そしてこの時、その授業は一体何を教育したことになるのでしょうか?

このように、教育は授業だけで完結することはありません。同じ授業をしても、実社会のありようによってその意味合いが異なってくるのです。そうである以上、やはり実社会が教育に与える影響は軽視すべきでないと私は思います。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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