ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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「昔の人なのにすごい」は「上から目線」?

どうでもいいことだが、ツッコミを入れておかないと気持ち悪かったので。

【賢者に学ぶ】哲学者・適菜収 先人に「上から目線」の愚+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

 賢者の言葉を紹介した本が売れている。ゲーテやニーチェ、カフカといった先人の言葉をコンパクトにまとめたものが多い。こうした中、巷(ちまた)でよく聞かれるのが、「ゲーテは今から200年も前の人なのにこんなにすごいことを言っていたのか。驚きました」「ゲーテの言葉は今の世の中でも十分に通用しますね」といった類いの反応だ。「どれほど上から目線なのか」と逆に驚いてしまう。たかだか200年後に生まれたというだけで、一段上の立場から「昔の人なのにすごい」とゲーテを褒めるわけだ。これは近代-進歩史観に完全に毒された考え方である。すなわち、時間の経過とともに人間精神が進化するという妄想だ。

 彼らに悪気がないことはわかる。ただ感じたことを口にしただけだ。だからこそ深刻なのだ。捻(ね)じ曲がったイデオロギーが体のレベルで染み付いてしまっている。たしかにこの200年で科学技術は進化し、生活は豊かになった。当時、電話は存在しなかったが、今では誰もが携帯電話を使いこなしている。しかし、ほとんどの現代人はケータイの構造を理解していない。与えられたものを便利だから使っているだけであり、200年前どころか原始人となにも変わりはない。むしろ、石器を手作りしていた原始人のほうが、世界を深く認識していた可能性がある。現代人が先人より優れている証拠はどこにもない。一方、劣化を示す兆候は枚挙にいとまがない。その原因は《未来信仰》にある。

 かつては「昔の人だからすごい」という感覚はあっても「昔の人なのにすごい」という感覚はなかった。偉大な過去に驚異を感じ、畏敬の念を抱き、古典の模倣を繰り返すことにより文明は維持されてきたからだ。過去は単純に美化されたのではなく、常に現在との緊張関係において捉えられていた。(中略)

現代人の趣味に合わないものは「昔の人の価値観だから」と否定されるようになった。大衆は自分たちが文化の最前線にいると思い込むようになり、古典的な規範を認めず、視線を未来にだけ向けるようになった。過去に対する思い上がり、現在が過去より優れているという根拠のない確信…。畏れ敬う感覚が社会から失われたのである。

人間そのものは大して変わらなくとも、文化や社会システム、生活スタイル、常識や流行の思想といったウワ物はどんどん変わっていくわけで、にもかかわらず、時代を超えて通用する言説があるとするなら、それに「すごい」という評価を送るのは別におかしなことでもなんでもないだろう。つまり、「昔の人なのにすごい」の成立要件として「人間精神が進化」が関与していなければならない必要性はどこにもない。

それに、知識や発見の積み重ねを進歩と捉えるなら、「進歩史観」は必ずしも間違いではない。そして外部環境における進歩は進化ではないので、それに対して「人間精神が進化するという妄想」を抱いているなどと言うことはできない。またこのことは、個々人の能力差はあれど、同じ能力を持った者であるなら、積み重ねられた知識を利用できるだけ現代の方が有利――実際には、情報が氾濫しすぎていて取捨選択が難しいという面もあるだろうが――、ということを意味する。即ち、「すごい」は昔の人達は条件的に不利であったのにもかかわらず…、という驚きとして捉えることもできる。これは別に上から目線でもなんでもないだろう。

要するに、少なくともここに例として挙げられ批判されている発言からは、「人間精神が進化する」という考えを見出すことはできない。にもかかわらず、それにそういったレッテルを貼るなら、それこそ妄想の産物なのではないか。また、「昔の人の価値観だから」が表しているのは差異であり優劣ではない。よって、ここから「現在が過去より優れている」を読み取るのも誤りだ。
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さらに妙なのは、ここでは「時間の経過とともに人間精神が進化する」ことを否定しながら、「一方、劣化を示す兆候は枚挙にいとまがない。」とし、昔と今では人間の感覚が大きく異なっているとしていることだ。200年前の人達全員に訊いて回ったわけでもないのに、「「昔の人なのにすごい」という感覚はなかった」と断定してしまうこと自体相当無理があるが、何にせよこの人物は「人間精神の進化」という大きな変化を否定する一方、「劣化」という大きな変化が人間に起こっていると主張している。

進化論になぞらえて主張を展開しているので、敢えてそれに乗っかってみると、例えば、人間の尾骨はシッポが退化したものだと言われているが、それも進化の結果と言える。つまり、退化も進化の一部なわけだ。よって、もし「劣化」を退化のような大きな変化として捉えた時、それはむしろこの人物自身が「人間精神の進化」が存在すると主張していることになる。さらに、ここでは人間精神に優劣を設け、それが優なるものから劣なるものへと変化しているかのような主張が展開されているが、これは、進化とは劣なるものから優なるものへと変化することだ、という説と同じような誤謬の上に成り立っている。

また、「石器を手作りしていた原始人のほうが、世界を深く認識していた可能性がある。」というように、蓄積された知識や技術、そこから生み出される道具を利用できる環境にある現代よりもそれらがなかった昔の方が進歩していたと規定するなら、それは「進歩史観」ならぬ「退歩史観」ということになる。つまり、《未来信仰》を否定しようとするあまり、《過去信仰》に陥ってしまっているのだ。まあ「保守」ならば《過去信仰》を持っていても当然なのかもしれないが、これはこれで妙な話だ。

現在、自我が肥大した幼児のような大人が、闇の世界で万能感に浸るようになっている。革命、維新などという近代的虚言を弄んでいる連中は、歴史と一緒に大きく歪(ゆが)んだ頭のネジを巻きなおしたほうがいい。

昔から革命だ、維新だの言う胡散臭い連中はいたはずだし、同じように「「B層」が国を滅ぼす」※1――検索してみると、この人はそんな本を出版しているらしい――に代表されるような、賛同者の優越感をくすぐる言説をばら撒いて身を立てる自尊心ビジネスもまた存在していたことだろう。そしてそれに乗っかった人達も大勢いたはずだ。さらに言うなら、例えばポルポトは美化された太古の生活に戻ることを大儀に掲げていたように、《過去信仰》もまた革命とは無縁ではない。

「人間精神の進化」がないのなら、現代人が昔の人達よりもとりわけ賢明であると言うことはできないが、同時に昔の人達が現代人に比べてとりわけ賢明であったと言うこともできない。結局のところ、この言説のそもそもの間違いは、「差異」を無理矢理「優劣」に置き換えてしまおうとしたところにある。しかし、例えどのような規格でそれを測ろうと、必ず劣なる者が存在せざるを得なくなるだろう。つまりそれは、人間は常に劣なる存在を伴ってしか存在し得ないことを意味するわけで、この考え方は、人間は劣なる存在である、という結論にしか辿り着かない。

【追記】 もちろん、物事に優劣を付けること自体は否定しない。だがその場合、何でそれを測ったのかという、感覚依存ではない明確な物差しを提示すべきだろう。でないとそれはただの好き嫌いの話にしかならない。【了】



※1 この手の手法は、言説をCD、それに賛同することで得られる優越性を握手権と考えると、実にAKB商法的なものだと言える。CD(言説)自体はどうでもよいという。ある政治家や社会的傾向に問題があるのなら、その問題を指摘すればいいわけで、それらを支持する者はB層、みたいなレッテル貼りに支えられることで初めて成立するような言説は出来損ないとしか言いようがない。

コメント

人間精神って何だ?

> 文化や社会システム、生活スタイル、常識や流行の思想といったウワ物はどんどん変わっていくわけで

まったくその通りだ。よくある短絡的な現代批判であろう。そして、もうひとつ、別の問題点を指摘したい。

> ほとんどの現代人はケータイの構造を理解していない。与えられたものを便利だから使っているだけであり、200年前どころか原始人となにも変わりはない。

もちろん、生物的な能力として200年とかいう短期間で能力が大幅に変わるかという意味なら同意する。ケータイ遺伝子などあるわけなかろう。だが、論点を見誤っている。忘れられがちな事だけど、今昔の人間を比べる場合、個人の比較はそれほど重要ではないし、個人の比較をしている訳ではない。確かにソニーの店員を捕まえても、野生動物の狩猟はおろか電子機器の修理すら難しいだろうが、それは分業化と専門化というものである。携帯電話の構造と原理が技術者の間で理解され、その情報に(企業秘密を無視するなら)アクセス可能で、公正な検証の元に晒されていると信じられるからだ。学問と科学は占いやシャーマニズムとの違いはここにある。

分業化と専門化は、一般に扱いづらい範囲をも手中に収める事に価値がある。一人一人は凡庸な能力しか持たなくても、正しく組織された集団というのは烏合の衆にはならない。「現代人」全体は「昔の人」全体をやすやすと超える。昔の人という話をするときには、その背景がある事を考慮するべきだった。人間精神の話など最初からしていないのである。この視点を見誤っている以上、こうした言説を評価する事はまず出来ない。

人間精神…それは人類に残された最後の開拓地である

この言説に限らず、何かを評価する時に、全体の評価ではなく個人の評価に偏り勝ちなのは、今の日本がある種の内戦状態にあるから、ということもあると思います。

特にこの人の場合は、愚民が日本を滅ぼす!みたいなタイトルの本を何冊か出しているようですが、ここで言うところの「上から目線の人間」もまたそういう文脈上でのものだと捉えるのが妥当でしょう。そこでその存在は「(彼から見た)私達」とは別の存在として捉えられているわけです。要するに、「現代人」を分離することこそがこの言説の出発点なわけで、そうである以上全体の比較という観点がでてくるはずもないという。

>大樹海の迷い猫さんへ

> 不正な投稿と判断されて書き込めないので、条件を変えて投稿テスト。なぜ?

こちらで特別設定を変えたわけではないんですけどね。何故でしょう?検索してみると、同じような症状が出ているブログもあるようです。スパム対策か何かの弊害でしょうか?

>http://blog.fc2.com/forum_community/topic/12603/75075/

-------「以前と内容が重複しています」というような
メッセージが出てしまって投稿できません。------------

投稿したはずなのに表示されず、上記のような記述が出てそれ以降投稿できなくなった、という症状は、私自身以前に経験しました。ただその時は、ブログの管理画面には投稿が表示されていたので、管理者権限でそれを削除したら投稿が可能になりました。なので、一端大樹海さんの「管理人のみ閲覧」コメントを削除してみます(それでも書き込めなかった時の連絡用として一応メアドを添付しておきます)。

原因がハッキリしないので、今のところこれくらいしか打つ手はないですね。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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