ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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政治的力関係によって決定付けられる自由意志

物理的制限という観点から見ると、自由意志が存在するためには、それから解き放たれた魂というものの存在が大前提となる。しかし仮に魂が存在するとしても、それ自体が自由意志で生まれてきたのでなければ、やはり自由意志はないことになるわけで、だとしたら自分の意志で生まれてきた、というのは一体どういう状態なのか。
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そこまで遡らなくとも、もしかしたら現世の魂は、あの世でどこかの偉いオッサンに「今すぐ窓から飛び降りろ!さもなくば生誕せよ」と恫喝された末に現世にやってきたのかもしれない。それでも、いや、そうだからこそ、それが自由意志と呼ばれている、という面がある。というのも、社会的正当性はその嘘の上にしか成り立たないからだ。

もしそれが自由意志によるものでなければ、その行為から生じた問題の責任を「窓から飛び降りろ」のオッサンが負わねばならないことになる。だが責任とは結局政治的に決定されるものでしかない。故にその行為は、政治力がないが故に責任を取らされる者の自由意志だったということになる。そもそも自由であることが明白なら、態々「これは自由なんです」と言う必要はないだろう。

  ***

「意識が状態の原因」なのではなく、「状態が意識の原因」なのだが、その状態が「意識が状態の原因」であるという意識を生み出しているという現象。

とはいえ、「状態が意識の原因」であると(知識ではなく)感覚的に認識してしまうような状態は、その者にとっては決して好ましい状態ではない。その上において、つまり意識に状態を一致させることの重要性という点において、「自由意志による自己決定」という嘘は、(環境整備のために)便宜上必要になってくる。

問題はそれが――自由意志による自己決定は正しい。よって、どんなに意識と状態が不一致でもそれはあなたが選んだ結果なのだ、というように解釈されてしまうことだ。「自由意志による自己決定」は、そういう現行の政治的力関係の正しさを担保するための道具として使用されるのが常になってしまっている。

つまり、それは嘘であるから問題なのではなく、そのような使われ方をするからこそ問題なのではないかと。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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