ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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誰かの自由は誰かの不自由、誰かの公平は誰かの不公平

平等を重んじる必要がないと言うなら、公における平等たる公平性もまた重んじる必要がない。だからそういう人間は不公平に憤る必要もない。しかし不公平に怒らない人間はいないだろう。つまり人々はそれほど強く平等主義に依存している。

かといって、では公平のために自由を犠牲にすることができるかと訊かれれば、真剣にそれについて考えた者ほどそれに即答できず、そもそもその問い自体に疑問を持つようになるだろう。何故なら、不自由を感じれば感じるほど、その者はそこに不公平を見出すようになるだろうからだ。
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ロムニーとオバマの対決になった今回のアメリカ大統領選挙は、「自由」か「公平」か、という対立軸で語られることが多かった。だがこの対立設定はおかしい。正しくは其々がどちらにより自由や公平性を感じるか、という対立だろう。

一般に自由の共和党と公平の民主党と言われていたが、金持ちにより大きな税金を掛けるのは不公平だと思っていた人は共和党に票を投じたことだろうし、中絶や同性愛の不自由に危惧を抱いた人は民主党に投票しただろう。つまり何に公平を感じ、何に自由を感じるかは人によって変わってくる。

全員に同じ額の税を課す人頭税、所得税のような累進課税、消費税のような逆進課税、これらはどれも公平を目指した結果生まれた税の形だ。しかし人々はそれに対して全く異なった評価を下す。

これは「自由」についても言える。金があれば他人を従わせる自由を手に入れやすくなるし、金が無ければ多くの人は自分の自由を他人に売って金に換えようとするだろう。金が無ければ食料を買ったり病院に行ったりする自由すらも得られなくなってしまうからだ。

そしてどのような制度設計にすればより金を手に入れやすくなるか、出て行きにくくなるか、ということもまた人によって異なってくる。そこでどのような制度設計をすべきか、という対立が生じる。この対立は、自由か公平どちらを重んじるかというより、誰の自由を重んじるか、という対立であると言えるだろう。そしてそこで自由を得られなくなるから、制限されるからこそ不公平感が生まれてくるという側面がある。

例えば、奴隷制をなくせば奴隷はその制度からは自由になるが、一方奴隷商人は奴隷を売買する自由を失う。これもまた自由と自由の対立だ。

つまり公平性や自由にも様々な形があり、それらは大抵競合する。そしてそれらに対する評価もまた人や立場によって異なってくる。

だから対象や内容を明確にせずに大上段に「自由」や「公平」を振りかざしても、それはブランドとしての響き以外には何も表さない。何故なら、その「自由」は他の誰かにとっての不自由であり、その「公平」は他の誰かにとっての不公平なのだから。そして「自由」と「公平」は必ずしも相反する内容を持つとは限らず、それが同期していることも珍しくない。

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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