ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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不労問題における職の獲得可能性と持続可能性の重要性について

十二月初旬頃に、母の知り合いから仕事があるが誰か手の空いている人はいないか、という電話がかかってきた。じゃあ行きます、ということで行ってみたら、その母の知り合いの知り合いが人材派遣の社長で人数合わせに奔走していたらしく、ただ今派遣で社会の使い捨て調整弁として絶賛バイト中。最初の二週間が研修期間で、来年から一ヶ月半短期(最初は一ヶ月だったのに、急に半月延ばされた)の夜勤になるのだが、その前にお歳暮時期の人数合わせで四日間行かされたバイト先で手首を傷めてしまい、さらに今の場所で変な物の持ち方をしてそれをさらにこじらせてしまったので、最後まで体が持つかどうか不安。
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で、実際に十数年ぶりに社会に出て働いてみて改めて思ったことがある。それは職の獲得可能性と持続可能性の重要性だ。

――作業をしただけでは労働にはならない。労働を行うためには、予め作業を労働にならしめる環境を獲得していなければならない。労働とは、そういった環境を含めた社会的ポジションを守るための活動のことに他ならない。故に、態々労働をしなくとも社会的ポジションを維持することができる人間は労働をする必要なんてないし、逆に未だ作業を労働にならしめるポジションを獲得していない人間は、決して労働をなしえない。これこそが不労問題の根幹だ。

よく無職の人間に「働け」と言う人間がいるが、こんな馬鹿げた話はない。何故なら、無職の人間は作業を労働にならしめる環境を獲得することが出来ないが故に無職なわけで、そういう人間に向かって「働け」と言うのは、ボッチであることから抜け出せない人間に対し、その問題をすっ飛ばしていきなり「キャッキャウフフしろ」と言っているのと同じようなものだからだ。「働け」というセリフは、そういう環境、能力を既に獲得し、後は作業さえすればそれが労働になる状態を獲得している者にのみ向けられるべき言葉なのだ。

つまり、世間一般では不労問題は個人の意志の問題とされているが、本当はそれは労働可能な環境を手に入れることが出来ない人間がいる、という問題に他ならない。

だから自分のような、生まれてこなかった方が良かったと思っているし、今後もその思いが覆ることもないという確信を抱いているような、人生に何の意義も感じない後はただ死を待つだけの人間でさえ、職(世間一般ではバイトは職にすら入らないのかもしれないが)に就くためのハードルが低ければ、即ち自分にとってその環境が獲得可能であるならば、ついうっかり働いてしまったりするわけだ。

 ***

実はこのことは、本当は誰もが知っていることなのではないか。しかし皆全力で目の前にあるその事実に気付かないフリをしている。というのも、本気で不労問題を改善しようとすれば、今既に社会的ポジションを獲得している者達にも、それなりの負担や努力や変化が求められることになるからだ。だが「労働問題」の実際は「ポジション争い」なので、皆それをしたくない。それ故結局不労問題は、個人の自意識の問題に摩り替えられる(時には万能感がどうこうという批判を織り交ぜながら。状況成立の原因を自意識に見出すことこそが自意識万能論であるのに)。

そもそも、手を挙げた者全てに職が与えられる環境が成立していないどころか、むしろそこに辿り着けないような様々な障害を設けておきながら、「働け」も何もないだろう。とりわけあの就活という奇妙な儀式・選別は、カルト以外の何ものでもない。あの儀式のせいで作業を労働にならしめる環境の獲得を諦めた人間は大勢いるだろう。そうやって態々多くの者がそこに辿り着けないよう仕向けておきながら、「やつらは何故働かないんだ」と本気で思っているなら、正直それは救いようのない馬鹿と言う他ない。

だがもちろん、多くの者はそんな馬鹿ではないだろう。あの儀式や様々な障害は、社会的競合により生まれるポジション取りの一環として行われているものだ。そこで上手くやれば社会のコアとしてのポジションを得やすくなるし、そうでなければ末端として自分のように、コアを守るための使い捨て用品としての活躍を求められることになる。皆が不労問題に関して「馬鹿のフリ」をするのはそれを期待してのものだろう。日本人は基本的に自身の感覚に真理を見出す一神教の集合体で、それ故社会的合意も全く出来ないわけだが、これに関してだけはものすごい団結力を発揮する。普段は自らの賢さを競い合っている者達も、この時だけは皆こぞって馬鹿になりたがる。

このことは、「競争原理」や「インセンティブ」に分かり易く表われる。負けると分かっている競争(就活)に参加する者はいない。獲得可能なポジションが使い捨ての消耗品としてのものであれば、それを得ようとする意欲も低下するだろう。競争原理から言えば、極力多くの者が参加が可能で、持続可能な競争環境を作るべきだし、インセンティブという面から考えるならば、働かない者はその意欲を持てない、或いはそれが可能でない状態にある、ということになるはずだ。「インセンティブ」の出自は、意識は行動の原因ではない、という行動主義にあるわけだから、それを元にして考える以上、問題の原因を自意識に求めるなどあり得ない。ところが、普段は「税の累進性を高めれば労働意欲がなくなるからやるべきでない」というようなインセンティブ理論を唱える者達が、不労問題では急に、何故彼らは労働意欲がないんだ、と憤り、(行動主義的ベクトルと間逆の)精神分析を始めたりするわけだ。

 ***

実際に社会に出て労働をしてみたものの、全く未来の展望は持てない。無職の頃となんら変わっていない。というか、自分に残された時間はどのみち後僅かだろうし、元々この時間は余生でしかない。その余生をこんな下らないことをして過ごすべきなのかと考えれば、この状態は決して前よりよいものとは言いがたい。労働行為そのものは、状況を変えないのだ。「雇用のミスマッチ解消」とは結局この――コアを守るために取りこぼし無く末端を使い捨て用品として利用し尽くす――ことだったんだなと、今さらながらその理論の下らなさを噛みしめている。

そもそも、口ではともかく、実際は誰も端から労働なぞ重んじていない。労働を苦労に読み替え、それが少しでも報われるようなシステムにしようとするならば、同一労働同一賃金にしなけらばならないし、辛い仕事ほど高い報酬を得られるようにしなければならない。だが実際は全くそうなっていない。それどころか、むしろ逆の場合の方が圧倒的に多いだろう。重要なのはポジションなのだ(バイトが職とみなされないところにも、労働が重んじられていないことが表われている)。そして作業を労働にならしめるポジションを獲得することができていなければ、そもそも決して労働はなしえないし、仮にそのようなポジションを獲得していても、それがロクでもないものであれば、やはりそこでの労働もロクでもなかったり、持続不能なものにしかならない。

重要なのは、それがその者にとって獲得可能であるというだけでなく、持続可能であるということだ(人間は平等でないからこそ、「その者にとって」という要素もまた非常に重要になる)。この二つの条件を満たしていなければ、その者にとってその環境を獲得することが、あるいはそれを獲得しようとすることが意義深いものにはなり得ないし、そうであればいずれそれは不労へと繋がることになる。

経済成長を諦め、貧しくてもなんとか生きていける道を見つけよう、という考え方はよく揶揄される。確かに経済成長がゼロならば、その国はどんどん貧しくなっていくだけだし、それを目標にするには政策として問題がある。だが逆に、経済成長さえすれば問題が全て解決するかのような考え方もそれと同じくらい駄目だろう。

今の若い人は、バブルの頃は皆が豊かだったかのように勘違いしている人もいるかもしれないが、実際はそうではない。バブルの頃も貧しい人間は貧しかったし、誰もが安定した職に就けていたわけでもない。バブルの頃でさえ、一度コースを外れた人間はやはり今と同じ不安定雇用だったのだ。そしてやはり底辺労働者は持続が困難な、消耗品的なポジションで働いていた。もちろん、それでも職があるだけマシと言う人もいるだろう。そして景気が良くなればコアのポジションを獲得する人は増えるし、末端の同じような仕事でも、例えば今より自給が50円~100円高くなったり、残業が多くなるためその分給料が増えるということもあるだろう。だが所詮その程度だ。末端が使い捨てられる状況は結局今と変わらない。結局それだけだと、誰がコアのポジションを獲得し、誰を末端へと追いやるか、という問題にしかならない。

まあ労働問題の根幹がそれ(ポジション争い)である以上、それ自体の性質を変えることはできないだろう。しかし少なくとも不労問題については、その者にとって獲得可能であり尚且つ持続可能である労働環境が予め用意されているか、ということこそ考えなければならない(――この持続可能とは、必ずしも一つの職に留まり続けるということのみを意味するのではない。例えば、ある労働が何らかの積み重ねになるのであれば、それは次へと繋がる可能性が出てくる。だが今自分がやっているような仕事は、ただ消耗していくだけで何の積み重ねにもならないし、全く次へと繋がらない。それでは駄目だということ)。それを考慮に入れない論考や解決策は、全く評価するに値しないものであることは間違いないだろう。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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