ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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「褒美のインセンティブ弱まると人々がニートになるぞ」理論について

もうだいぶ前になるが、また例の派遣から電話が掛かってきた。この前の職場で働き始める前に、研修の名目(実際は研修でもなんでもなかった)で四日間行かされた所へのお誘いだった。

前の職場もかなりの重労働だったが、サイクルごとに体力を回復できるのがまだ救いだった。しかしあそこはそういったものがなく、時間いっぱい絶え間なく動かされ続けるのだ。まるで毎日トライアスロンをやっているようだった。それに加え、確認作業までもをやらされ、力仕事に集中できないのもまたかなり苦痛だった。

そこはお歳暮やお中元の時期だけ忙しくなる(その期間だけ人が必要になる)職場で、その期間中は何しろ捌く物量が無尽蔵なので、幾ら頑張っても頑張った分だけ余分に働かされ続けることにしかならない。そもそも幾ら精一杯頑張っても、確認作業をシッカリしていたら力仕事の方が間に合わなくなるし、力仕事を間に合わせようとすれば確認作業をおろそかにするしかない。その上、一人で二レーンを賄わなければならなかったりするので、上手く配分することまでも求められる。で、力仕事が遅れれば次の工程が滞って咎められるし、確認作業で失敗すればおばちゃんらに怒鳴られるしで、ものすごいストレスだった。よく映画や時代劇などで中世における過酷な労働現場の再現シーンなどがあるが、実際に鞭で打たれないというだけで、内容的にはそういったものと殆ど変わらない職場だった。

そんなわけで、前々からもうあそこには二度と行かないと決めていたので、誘いは断った。そしたらまたその夜になって、一日だけでもだめか、という電話が掛かってきた。当然断ったが、その数週間後にもまた同じような電話が。だからあそこには行かないと言っておろうに。

皆あんな所には行きたがらないのだろう。前にそこに行っていた時も、メンバーの一人が、明日休みか出勤か当日にならないと分からない、こんな仕事の入れ方はよくない、と言って愚痴っていた。そういうやり方は恐らく違法なはずだが、欠員が出た時にどんな方法を使ってでもそれを埋める、という汚れ役を引き受けるのがあの派遣のウリなので、そういうことになる。それでも委託元がまともな企業ならそういうことはさせないのだが、大手企業でも一般消費者に名の知られていない企業はそういうことにもお構いなしだったりする。残業したはずなのに残業代付いてなかったし。
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 ▼(1)恐怖のインセンティブで労働意欲の向上を

何にせよ、ああいう誘いをホイホイ受けていたら、いつまで経っても労働条件や労働環境は改善しない。そもそも根本的なこととして、――持ち家でもあれば何とかなるかもしれないが――いくらああいう働き方をしたところで(低賃金、不安定雇用、体力的問題などによって)一人で生計を立てられようにはならない、という問題がある。かといって自分のような人間が持続可能な働き口を見つけるのは困難だ。つまりそういう人間がいくら頑張って働こうが、せいぜいネットカフェ難民として生きながらえるような未来しか待っていないのだ。それじゃあ労働意欲なんて湧くはずもないだろう。

だが、それでも多くの人々が働くことを選ぶ。中世のような労働現場を、鞭なくして支えてみせる。何故そうなるのかと言えば、その者達が、死や社会的抑圧、さらには社会的義務を果たさねばならないという責任感、裏返して言えば罪悪感(即ち罰)といった恐怖のインセンティブによって突き動かされているからだろう。

働かないことへの非難は、自分は社会的義務を果たしているのに彼らは果たしていない、というような不公平感や、その分のツケを自分が払わされることになるのではないか、という不安をぶちまける行為であると同時に、こういった恐怖のインセンティブを増幅させることによって他者をコントロールしよう、という思惑が込められた行為でもあるだろう。実際、失業問題や労働意欲の摩滅といった問題には、恫喝やペナルティの付加、社会保障の切り下げなどで解決せよ、と提案されることが殆どだ。恐怖のインセンティブで労働意欲の向上を、というわけだ。

しかし、どのような場面でもこういった理屈や解決作が提示されるというわけではない。

 ▼(2)褒美のインセンティブが弱まると人々がニートになるぞ理論

例えば、共産主義の是非についての議論を例に取って見てみる。

共産主義は基本的に駄目なものであるとされている。それが駄目な理由として真っ先に挙げられるのは、(実際に共産主義においてそういう条件が成立しているか否かはともかくとして)ある程度の生活が保証され、尚且つ幾ら働いても報酬が大して変わらないなら、人々から労働意欲や競争意識が失われてしまう。結果として、それによって国力が衰退し、多くの人々が不幸になる、だから駄目だ――というようなものだ。

この説は、再配分強化に対する批判にもよく持ち出される。再配分を強化すると、幾ら稼いでもその多くを国に納めなければならない。それだと人々の富を増やそうとする気持ち、即ち労働意欲や競争意識を削ぐことになるから駄目だ、というわけだ。言うならば、「褒美のインセンティブが弱まると人々(俺)が怠惰なニートになるぞ」理論だ。

こういった主張は非常に強い説得力を持ち、これまで一般常識として広く世間に受け入れられ続けてきたのではないか。

ただ、労働意欲や競争意欲の低下は共産主義が失敗する主要な要因とは言えない。というのも、もしその説が真であるなら、指導者が構築した労働競争ゲーム上で民衆が意欲的に競争を続ければ、その社会はどんどん豊かになってくはずだからだ。だが実際にそうなることはないだろう。即ちそれは、労働意欲や競争意識の低下が失敗の主要な要因ではないということを示している。

どちらかと言うと、人々がこぞって意欲的に労働をすればきっと社会は豊かになるはずだ、という労働を機軸とした富国観――ガチな共産主義からすれば富"国"という表現は似つかわしくないかもしれないが――の上に成り立つ余りにも頑迷な経済計画こそが、失敗のより大きな要因だと言えるだろう。

とは言え、現に社会常識として共産主義や再配分の強化は決定的に駄目なものとされていて、何故それらが駄目なのか、と尋ねたら、殆どの人間がその理由として「ニートになるぞ」理論を挙げることだろう。何にせよこの理論こそが、それらの駄目さを裏づける表向きの理由となっているわけだ。

 ▼(3)私には褒美を、彼らには恐怖と強要を

しかしながら、この理論は共産主義批判や再配分強化批判には無敵の力を持っていても、実際にそれが原理として考察や政策で重んじられているとは言いがたい。

というのも、今現在、いくら頑張って働いても富を蓄積するどころか、生活を今よりも改善させることができる、或いは今のまま持続させることが出来る、という展望すら全く持てない状況に置かれている者が沢山いる。競い合う力や資格を持っていない者が沢山いる。そして今後、そういった者はどんどん増えていくだろう。つまり、「褒美のインセンティブが弱まると人間は怠惰なニートになるぞ」理論に則って考えると、ニートにならざるを得ない者が沢山いて、さらにこれからどんどん増えていくことになるわけだ。

ところが、共産主義批判や再配分強化批判の際には環境(インセンティブの減退)が原因とされたこの問題は、いざ実際に起こってみると、個人の問題や自意識の問題として捉えられることが多い。また、褒美のインセンティブを強めたり、それを弱めないことによって解決を図るのではなく、恐怖によるインセンティブを増幅させることで問題に対処しよう、と提案されることが殆どだ。

もちろん、共産主義批判や再配分強化批判における「ニートになるぞ」理論には、褒美のインセンティブが弱まることだけでなく、苦しい生活から抜け出そうとすることが意欲になる、というような主張も含まれているだろう。だが、苦しい生活から抜け出せる公算が殆どないそのような者達にとって、それが意欲になることはない。つまり、この場合における恐怖によるインセンティブとは、結局のところ単なる脅しや拷問でしかない。

そもそも、恐怖によるインセンティブの増幅が労働意欲や競争意識の向上にそれほど有効であるならば、(それこそが駄目な理由だとされている)共産主義の導入や再配分の強化による副作用を心配する必要などないはずだろう。何故なら、多くの者がそこで懸念していた状況は、恐怖の増幅によって乗り越えることが出来るはずだからだ。よって、褒美のインセンティブが弱まると人々がニートになるぞ、それでもいいのか、などという言説に耳を傾ける必要なんてないし、そういうことを言う金持ちにはどんどん脅しや拷問にかけていけばよいということになる。

だが実際にはそうはならない。一定の社会的ポジションを確保している人間にはもっと褒美のインセンティブを、それを確保することが出来ない人間には恐怖によるインセンティブを、となるのが実際のところだ。

こういったことから考えると、社会常識として定着している「ニートになるぞ」理論は、単に「私には褒美を、彼らには恐怖を」という人間らしい欲望の一端が理論の形を借りて現出しただけであり、実のところ誰もそれを理屈として重んじてなどいないのではないか、という疑念が沸く。つまり、「もっと褒美を」となるか「もっと恐怖を」になるかは、一定の理念や原理が反映されて決定されるのではなく、単に社会的な力関係が反映されて決定されているに過ぎないのではないかと。

 ▼(4)共産主義における失敗の典型例として懸念されていた状況は、現在の資本主義で既に到来している

何にせよ一つ確かなのは、共産主義や再配分の強化によって起こるとして恐れられていた状況は、資本主義や「競争社会」でも十分起こりうるし、それは一部において既に到来している、ということだ。

だが、「褒美のインセンティブが弱まると人々がニートになるぞ、だから共産主義や再配分の強化――そういった社会環境、政策――は駄目なんだ」説の支持率の高さとは裏腹に、そこで懸念されていた状況が実際に「競争社会」で起こっても、その社会環境や政策が駄目だ、いうことにはならない。(共産主義でそうだったように)むしろその問題は個人に由来するものだと解釈される。

また、「ニートになるぞ」説に沿って褒美のインセンティブを強めたり、それを弱めないことでその問題に対処すべきだ、という声も殆ど挙がらない(挙がっても社会的力関係によってかき消される)。逆に、そういった問題は恐怖によるインセンティブを増幅させることで乗り越えるべきである――この裏には、コアの部分の褒美のインセンティブを守るためには、末端部分の褒美のインセンティブを切り下げるのは仕方がない、という考もあるのだろう――、となるのが世間における一般的主張であり、政策もまたそれに沿った方向へと流れているのが現状だ。



一応言っておくと、別に褒美のインセンティブを増幅させれば労働問題が解決する、とかそういうことを言っているわけではない。そもそも労働問題とはポジション問題に他ならず(だから働いても問題は解決しない)、持続可能なポジションを皆が確保するのは難しい、というのが問題の出発点なわけだし。

とはいえ、褒美のインセンティブが全く働かなくなるような状況が生じれば当然それに応じた問題は起こってくる。そして現在において既にそのような状況に陥っている者が沢山いるということ、つまりそれは共産主義や社会主義(そもそも実際は資本主義も社会主義の一形態に過ぎないと思うが)特有のものではないということ、そして共産主義や再配分強化は労働意欲や競争意識が低下するから駄目なんだ、というような主張は似非のものである、ということくらいは認識しておくべきだろう。

コメント

何を血迷ったのか、調整弁労働の契約を延長してしまった身としては頷くばかりの文章でした

早朝のドタバタしてる時に流れ作業のようにハンコ押させるって詐欺じゃないかと思うんですが、まぁとにかく憂鬱です(ただの愚痴で申し訳ありません)

産業革命以降、生活の利便性は増しましたが人間は砂漠で奴隷をこき使ってた頃に退化しました、いや元からそうで、何も変わっていないのでしょうね

そろそろまたモーセみたいなのが神からの預言を持って現れるのではないでしょうか、もういっそハルマゲドンでも構いませんが

> 何を血迷ったのか、調整弁労働の契約を延長してしまった身としては頷くばかりの文章でした

言ってる私も結局また今月下旬から働くことになったんですけどね。今度はどんな単純作業が待っていることやら。

>何も変わっていないのでしょうね

いくら上辺は変わっても、結局やってるいることは誰がどのポジションに収まるかでしかないですからね。一番昔と変わったのは、よりよいポジションを獲得した者が「私はそのように生まれてきたのだ」と言っていたのが、「私は努力したからこそそうなったのだ」と言うようになったところでしょうか。

>そろそろまたモーセみたいなのが神からの預言を持って現れるのではないでしょうか、

釈迦も大したことはできませんでしたし、56億7千万年後に現れる弥勒菩薩もきっと大したことはできないでしょう。…実際のところ、なんら劇的なことも起こらず、人間はこのまま同じことを繰り返しながら、だらだらと生きながらえ、衰退していくんだと思います。

>もういっそハルマゲドンでも構いませんが

働いている時はひたすら、後何サイクルで昼休み、後何サイクルで終わり、後何日で休み、というようなことばかり考えていましたが、終末思想も、それと似たようなものなんでしょうね。何か区切りが来ることを考えないとやってられないという。

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ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

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