ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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知られざる平等主義とユートピア思想とそれに依存したマッチョについて

《独身実家族vs離婚出戻りホームズ》30歳を越えて独身、実家暮らしで親の老後のお金を食いつぶす

"よく言いますよね、「いつまでもあると思うな、親と金」"

いや、であるならば尚更、むしろ底辺の人間は出来る限り積極的に親と同居した方がよいということになるのではないか。それなら低賃金でも若い頃からずっと働いていれば、歳を取った頃には安い分譲マンションを買えるくらいの金も溜まっているかもしれないわけだし。逆に底賃金労働者がずっと独り暮らしをしていたら、将来間違いなく詰む。なんせ保証人がいなければ家を借りるのも難しい世の中なわけだから(この問題はいずれ必ず現出するが、その時「独立」を煽った者は、その状況をきっと自己責任と無責任に言うだろう)。そんな、親族に依存することを大前提として社会制度設計がなされている国で「独立」を煽るのはおかしな話だ。

それに、ついこの前も芸能人の親が生活保護を受けていたことが大問題となり、社会的なバッシング大会にまで発展していたではないか。もし「独立」を前提で考えているなら、成人して独立した親と子は其々別なのだから、そこで叩かれる理由など無いはずだ。つまりそれは、この社会が親子の相互依存関係を前提として物事を考えていることを表している。

実際、自民党の日本国憲法改正草案(PDF)において「家族は、互いに助け合わなければならない」という規定が盛り込まれたことからも分かる通り、社会のそういう風潮に乗っかって、「親族の助け合い」によって社会保障費をどんどん削減していこう、という流れになってきたのがこれまでの粗筋だったはずだ。

Lani@Lanimakani

独身実家族…親に甘えてるだけでしょ。自分で洗濯、料理して生活しなきゃ親が可愛そう。

そもそも、日本人にとって自己責任でメシウマの対象でしかない他人の不幸を心配するという体で誰かを糾弾する(不幸にしよう)という論理自体が胡散臭い。さらに言えば、子供を生むということは、その子供が親の言うことを全く聞かなかったり、犯罪者になったり、無職になったり、社会の爪弾き者になったり、低賃金労働者として使い捨てられたりする可能性があることを予め分かっていながら敢えてそれを選択したということなのだから、生誕するか否かについての選択権がなかった子供と違い、親にとってはそれこそ日本人の大好きな自己責任案件ということになるはずではないか。なのにそうならないということは、要するに「自己責任」もまたメシウマを支えるための体のよい方便でしかないということなのだろう。
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  (1)平等既成主義

にしても、全く異なった状況を抱えている其々の人間に対して一律に、成人したら皆平等に実家を出て独立すべき、とするこの頑迷なる平等主義は一体何なのか。

れんこん@ren_con2525

(…ますか… きこえますか… 今…30歳を越えて結婚も…独り暮らしもしない…実家暮らしで親の老後のお金を食いつぶす…独身実家族の方々の…心に…直接… 呼びかけています…twitterやニコニコをしている場合ではありません…あなたがするべきなのは…就活です…就活を…するのです…)

そういった頑迷なる平等主義とも言えるものは、このような主張の中にも見受けられる。ここでは、全く異なった状況を持った、しかも全く知りもしない他人の人生をただ「30歳を越えている」という一つの条件で平等に推し量ると同時に、その条件を持っているが故にこうすべきである、という教えが説かれている。だが、其々は全く異なった条件の下で存在しているはずだ。それらは「同じ人間」ではないし、同じ環境に囲まれているわけでもない。であるならば、当然結果も内容も異なったものとなってくるのが当然だ。つまり、「30歳を越えているのにもかかわらず…」という説教は、人は年齢を除いて皆平等だ、という前提を持っていないとそれが成立しない。

こういった、一つの条件(――もっと言えば、真理化した自身の感覚や経験)を物差しとして、それで他人の人生を平等に推し量る平等主義思考は決して珍しくない。そしてそれが大勢の支持を得ていたりすることも多い。

例えば、指名手配中の容疑者が身分を隠して働いていた事実が発覚した際に無職に突きつけられる、「ほら、指名手配犯でさえ働く場所があるんだから、やっぱり探せば職はあるじゃないか」という主張などもその典型と言えるだろう。つまり、指名手配という悪条件を抱えている者でさえ職に就くことができたのだから、そういった悪条件を持ち合わせていない者ならもっと簡単にそれが可能なはずだ、というわけだ。

しかしこういった事実は、その人物がそういう悪条件を乗り越えて生計を立てる能力を持っていた、ということしか証明しない。「こんな悪条件を持っている者でさえ」理論は、その悪条件を除いた全てが全く同じで平等でなければ成立しないのだ。つまり、そこでは「人間は皆平等」を前提として論考が立てられている。

こういった平等既成主義の一番分かり易い例はこれだろう。

「この世は生きるに値するんだ」宮崎駿監督が引退会見

宮崎氏は自身のアニメ作りについて、常に「子供たちに『この世は生きるに値するんだ』ということを伝える」という心構えで臨んできたという。

本来、この世が生きるに値するかどうかという答えは其々で異なってくるはずだ。何故なら、其々は全く異なった人生を歩んでいるからだ。しかしここではそのようには考えられない。ここでは、生きるに値する価値は既に皆に平等に分け与えられている、後はそれを見つけ出すことができる人間とそうではない人間がいるだけだ、というように解釈される。

 (2)自意識原因論というユートピア思想

上で挙げた三つの例では、全く異なった条件を持った者をたった一つの物差しで平等に解釈する一方、一つだけ差異化されているものがある。それは努力、ひいてはその努力を司るとされている自意識だ。もし全てが平等であるなら、結果もまた同じになるはずだ。しかし実際にはそうなっていない。平等既成主義論考ではその結果の違いを自意識に求めるわけだ。

「あなたがするべきなのは…就活です…就活を…するのです…」が説得力を持つのは、twitterやニコニコを止めて就活さえすれば(特別目立った悪条件を抱えてでもいない限り)基本的に誰でも結婚ができ、実家から独立することも、それを可能とする経済力も手に入れることが可能であるはずだ、という考えが前提にあってこそのものだろう。

「やっぱり探せば職はあるじゃないか」「この世は生きるに値する」も同じだ。本気になれば職に就くことができるはずだ。生きるに値する価値は既に与えられている、にもかかわらずそれを見つけようとする努力を怠る人間がいる。そういう甘えた未熟な自意識を持つ者達がいるからそのような結果になるのだ――こういった、結果を努力の有無や程度で解釈する努力解釈、自意識原因論こそが平等既成主義のもっともらしさを支えている。

だが、これはよく考えてみるとおかしい。というのも、この説が真であるためには、自意識を成熟させ、努力を怠らなければ、全ての人間が最低限の社会的地位と幸せを手に入れることができる環境が、そのような自意識を機軸とするユートピアが成立していなければならないからだ。つまり、自意識原因論とは即ちユートピア思想に他ならない。

今日の日本において「平等主義」や「ユートピア」とは、軟弱で稚拙な考え方を象徴するものでしかない。だがこのように、実際には多くの人々がそれを鼻で笑いながら、平等やユートピアが既に成立しているという前提で物事を考え、主張しているわけだ。

「お前が怠惰だからだ」という自意識原因論自体に関しても似たようなことが言える。何故ならそれは、逆に社会的に上手く言っていない者が口にすれば「俺が本気を出せば」に他ならず、普段は「自意識の肥大化」などといって馬鹿にされるものでしかないからだ。

「泣き言を言うな、己の道は己で切り開け。上手く行かないことがあれば全て自分の責任だ」という一見マッチョな主張は、そういった「軟弱・稚拙の象徴」や「自意識の肥大化」に依存することで成り立っているわけだ。さらに言えば――幾ら努力しても、幾ら頑張っても上手く行かない人がいる、そしてそれは自分かもしれない。だからこそ「現実は厳しい」わけだが、こういったマッチョな主張は、努力さえすれば、自意識に秘められた力を最大限に発揮さえすれば、きっと上手く行くはず、という「甘い現実観」があって始めて説得力を持つものである、ということもまた指摘しておく必要があるだろう。

 ***

なにんにせよ、元々其々で全く異なった状況、性質を持っている赤の他人の問題を、自身に限定的であるはずの経験や感覚というまな板の上に平等に並べ、その上で幾ら何かを論じてみたところで、それはまったく現実にそぐわない粗末な議論にしかならないだろう。マッチョな人が言うように「この世は平等ではない」のであれば、そして親子の独立の問題について論じたいなら、其々が己の家族の在り様について論じればよいだけなのだ。

逆にそれを社会問題として捉えるなら――例えば今回の問題で子供は親から経済的に「独立」すべきだとするなら、それをし易い社会システムの構築を如何にしてなすか、ということこそ考えなければならない。しかしそれは非常に困難なことでもある。一見マッチョに見える主張は、こういったことから目を反らし、逃れるためのものである、ということもまた知っておく必要があるだろう。

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