ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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誤った二分法を用いた批判の禁止について

イスラム国の人質誘拐殺害事件では、事件を利用して政権批判をするな、というような主張をよく見かけた。

政権批判とは主に以下の記事にあるようなイスラム国に敵対する国々への資金援助やそこで行われた声明に関してのものだろう。

「軍事援助」か「人道援助」か?:「イスラム国」に付け入られた言葉 - ハフィントンポスト

「イスラム国」側に、湯川遥菜さん(42)は昨年8月、後藤健二さん(47)は同11月以降に拘束され、1月20日に突然、「イスラム国」側が2人を人質にして身代金を要求した。安倍首相が3日前の1月17日に訪問先のエジプトで行った政策演説を待っていたかのような動きだった。(中略)

援助の目的は、日本語ではイラク、シリアの難民・避難民に向けて「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるため」、英語ではto help curb the threat ISIL poses となっている。英語の方がやや強く、逐語的には、ISIL がもたらす脅威を抑制するのを助けるため、と訳せる。

 いずれにしてもISの「脅威」に対する対応策である。ISはテロ組織を超える軍備でイラク・シリアを席巻してきた。そんな脅威に対応する助けとしての援助だから、軍事援助か、とIS側が受け取ることは十分予想できるだろう。日本は基本的に援助を非軍事に限定しているが、彼らの文化が異なることも想定する必要がある。

 堂々たる人道援助だったのに、テロ組織に付け入られる隙を見せてしまったことが悔しい。(中略)

 演説草稿を起案した部局と2人の人質問題を担当する部局が異なり、スピーチライターには人質問題の息詰まる状況が伝えられていなかった可能性もあるだろう。

 しかし、昨年12月には、後藤健二さんの妻に約20億円もの身代金を要求するeメールがあり、外務省も状況を調査していたと伝えられる。そのさなか、首相の中東訪問を飾る大型の政策演説だった。スピーチライターが身代金要求のことを知っていたら、もう少し慎重な言葉遣いになっていただろう。「イスラム国」側から映像を通じて身代金を要求されてから、「人道支援」だと強調したが、不用意だったかもしれない。


首相「空爆でイスラム国壊滅を」 エジプト大統領と会談 :日本経済新聞

 【ニューヨーク=永沢毅】安倍晋三首相は23日午後(日本時間24日朝)、エジプトのシシ大統領と会談し、米軍による過激派「イスラム国」掃討を目的としたシリア領内での空爆について「国際秩序全体の脅威であるイスラム国が弱体化し、壊滅につながることを期待する」と述べた。

いくら中立を保つと言ったところで日本は彼らの仇敵であるアメリカの同盟国なわけで、そうである以上安倍首相のこの声明があろうがなかろうが遅かれ早かれあの手のグループに目を付けられることにはなっただろう。また日本は中東にエネルギーの多くを依存していることもあり、そこの治安改善のためにも反イスラム国目的での支援を行うのは別におかしなことではない。

ただその際に、あまつさえ人質が取られていることを分かっていながら何故わざわざイスラム国を刺激するような――或いは(戦いの正当性を与えるという意味で)敵に塩を送るような――物言いをしたのか、それに一体何のメリットがあるのか、ということについて疑問を持つ者が出てくるのは当然のことだろう(そもそも現実主義的立場から見ると使い道が自由である金銭による支援は人道目的か否かの区別ができないという問題もあるが)。

だがこの対応について疑問を呈すると、テロに与するのか、テロに屈するのか、テロを利用して政権批判をするな、などという言葉が返って来ることになる。

イスラム国を「利用」して安倍批判をするな! - Blogos

よく考えるべきだ。だれが悪いのか?安倍さんが悪い?後藤さんが悪い?湯川さんが悪い?政府の対応が悪い?エジプトでの演説が悪い?外務省の訳が悪い?
回答を教えるのでよく聞いてほしい。悪いのは…

イスラム国を名乗るテロ集団と、本質を理解できないアナタの頭の中である。

(向こうには向こうの正義があるのだろうがこちら側からすれば)「「誘拐」した連中が「悪」に決まってる」のは当然だ。幾ら人質の側に不用意に危険地帯に赴いてしまったという落ち度があろうと、或いは幾ら事件に対する当局の対応に不手際があろうと、それによってテログループ側の拉致・監禁・暴行・殺害等の罪が相殺されるわけではないからだ。

しかし逆に、犯行の卑劣さが認定されたからといってそれによって危険地帯に出かけていった者が負う結果責任を免れられるわけでもなければ当局の不手際が相殺されるわけでもない。それらへの評価は其々別個になされるべきものだ。つまり犯行を「許しがたい暴挙」と評価すると同時にその事件における当局の対応も悪かった、と評価することは十分可能なわけだ。

だが「政権批判するな」言説ではこれらに対する評価が天秤の両端に置かれる。そしてテログループの犯行と政府の対応のどちらが悪いのか、という誤った二分法による選択を迫るのである。だから政府の対応を批判するとテログループの犯行よりも政府が悪いと主張しているかのように取られたり、或いはその悪質さを和らげるものだと捉えられ、上のような非難が飛んでくることになる。

だがこの理屈で行くと、例えば桶川ストーカー殺人事件における警察の対応も批判してはならないことになってしまう。何故なら警察批判を行うと実際に事件を起こした者の罪を和らげることになってしまうからだ。しかしそんなバカなことはないだろう。

事件を起こした者がそれについて相応しい責めを負わなければならないのは当然のこと、それと同時に警察側の事件の対応や捜査についてもまた問題がなかったか、もっと上手くできなかったのか、という検証がなされてしかるべきだ。でなければ同じ過ちを何度も繰り返すことになりかねない。しかし「政権批判するな」言説の論理を採用すると後者の検証が出来なくなり、対応の改善もできなくなってしまうのだ。

 ***

またそれとは別に、「政権批判をするな」と言う言葉が出てくること自体が既に妙だ、という問題もある。というのも、資金援助や声明を問題視する言説がありそれに異議を唱えるなら、それらの必要性を説けばよいだけだからだ。

そこで「政権批判をするな」と言ってしまうとその主張は政策ではなく政権闘争としての性質を持つものになってしまう。だが「政権批判をするな」の正当性は政権闘争にするな、ということだろう。つまりそれは自己言及になってしまうのだ。

もちろん政府を批判する側にもまた単なる政権闘争としての性質を持つ言説は多々あったことだろう。ただその場合もその批判が誤りであることを示せばよいだけの話であり、批判自体を禁止する必要性など全くない。

というか、独裁国家でもないのに「政権批判をするな」などという言葉が飛び交うなんておかしいだろう。

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