ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

正義と悪は表裏一体×多くのベクトルを抱え続けるということ


山本弘のSF秘密基地BLOG:鬼怒川決壊をめぐるデマ・3

「いいか。世の中で最も危険な思想は、悪じゃなく、正義だ。悪には罪悪感という歯止めがあるが、正義には歯止めなんかない。だからいくらでも暴走する。過去に起きた戦争や大量虐殺も、たいていの場合、それが正義だと信じた連中の暴走が起こしたものだ」(『翼を持つ少女』より)

これはある種の罠だろう。「正義だと信じた連中の暴走」を問題視し非難するということはそれを悪と捉えているが故であり、正義に他ならないわけだから。

自戒を込めてとしても、やはり悪よりも正義は危険だという主張には同意できない。皆が悪であると自覚を持ちながら為される暴走だってあるはずだ(大抵それは「仕方がないこと」として行われる)。

例えそれを悪と自覚していようが罪悪感を抱えていようが、何かを為そうとすればそれは結局内容的には正義でしかない。何故なら善悪という概念を取っ払って「正義」を見た時、それはただのベクトルでしかないからだ。何かを為そうとする力、何かを留めようとする力。それが正義の正体。だから「悪」も正義を為している。そして人々はそれらに対し、善いことだとか悪いことだとかの評価を下す。その評価が善悪。

概念的な観点から見ても、正義は悪なしに存在し得ないし、悪もまた正義なしには存在し得ない。両者は表裏一体であり、其々にとってどちらを向いているかでしかない(「仕方がない」は悪でもあり正義でもある)。だからどちらの方が危険だなどとは言えない。

よって「正義の暴走」を回避するためには善悪という概念そのものを捨てさらなければならない。だがそれが出来る人間は極めて稀だろう。

しかし仮にそれが出来たとしても、また別の名をした暴走が起こるだけだろう。何故ならその概念を捨てたところで、ベクトルそのものが消え去るわけではないからだ。ただし善悪という概念がなければ今現在暴走であると思われていることを「暴走」であるなどとは考えなくなるだろう。その意味で暴走はなくなる。


   <多くのベクトルを抱え続けるということ>

結局のところ暴走を回避するには、自分の中に、或いは社会の中に多数の異なったベクトルをバランスよく抱え続けるしかない。罪悪感というのもまたそのうちの一つだろう。

だがそれらのベクトルはどれもが誰かに何らかの被害や苦痛をもたらす。しかしだからといってそれをどんどん駆逐していくと結果として一つのベクトルに集約されて行き、それがより大きな力を持つことによってより大きな惨禍も齎される。

デマ云々の例で言えば、何らかの噂が流れてきた時、それを信じたいという気持ちがあっても一方にもしかしたらデマではないか、と疑う気持ちが同じくらいあれば釣り合いが取れてデマ拡散に手を貸さずに済むかもしれないわけだ。

逆にベクトルが揃いすぎていると、私はデマが世間で言うところの悪であると知っているが、より良い日本を作るためには手段を選んでいる場合じゃない、となったりする。そういう人が多数派になったら、まあ余りよい結果は待っていないだろう。かといってそういう人間を根絶しようとすれば暴走するしかないという。

デマもやむなし系の人はそれを分かった上でやっているから厄介なわけだが。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://positiveallergy.blog50.fc2.com/tb.php/724-474a218b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | HOME | 

プロフィール

後正面

Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
-------------------------
※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。