ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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前提が違うので話は噛み合わない

生まれてきて良かったと思える人生を獲得した
人間にとって生は否定できないものであり、
それ故その人達は最終的にそれを
素晴らしいものだと結論付ける。

それがその個人にとっての真実となる。

しかし、全ての人間が生まれてきて良かった
という思いを獲得出来る訳ではない。
そして、その思いを獲得出来なかった人間にとっては
生への評価が反転し、それは忌まわしいものでしかなくなる。

それがその個人の真実になる。

つまり、前者と後者では物事を考えるに於いて
土台となる前提が既に異なっている訳だ。

全ての人間が「素晴らしき生」を
獲得出来る世界など存在しないし、
全ての人間が「忌まわしき生」を獲得する
世界もまた存在しない。

だからこそ、自分はその土台自体が異なる人間が
存在するという前提で話をするべきだと思う。

しかし、現実はなかなかそうはいかない。

殆どの場合、その片面(忌まわしき生)が
隠されたまま話が進められる。
或いは、誰かが「素晴らしき生」を獲得出来ないのは
個人の意志の問題であり、個々人がその意志の力を
最大限に発揮すれば全ての人間がそれを
獲得出来るのだ、というような人類革命的な
思想を前提にして話を進めようとする。

それに対して自分は憤りを覚える。
何故都合の悪い部分を隠したり歪めたりして
話を推し進めようとするのか、と。
「忌まわしき生」の存在の上にしか
「素晴らしき生」が存在し得ないということを
何故認めようとしないのか、と。

しかし、その憤りこそが正に「前提」の
違いによる齟齬の結果なのだろう。
要は、お互い会話に求めているものが違うのだ。

 ***

自分が小学生の頃の話になるが、ある日、
特に親しくもない者が自分達の集まりに
よって来てこう言った。
「今度から○○を無視しようぜ」
そして、その彼を無視すべき理由を述べて
その同意を促してきた。

すると、そこへちょうどその者が無視しようと
言っていた彼がこちらの方へとやって来た。

自分はその者が彼に対してどの様な態度を取るのか、
もしかしたら喧嘩でも始まるのだろうか、
と思い固唾を呑んでその状況を見守った。

ところが、真っ先にその彼に話しかけ
親しげな態度を取り始めたのが、ついさっき
無視をしようと提案をもちかけてきた
当の本人に他ならなかったのだ。

自分はその行為に戦慄した。
何故こんなことが出来るのだろうかと。
こんなことを平気で行える人間が存在するのかと。

ちょっとした嘘を付いただけでも激しく罪悪感を感じ、
そのことによって苦しめられるという経験を
何度となくしていた自分にとって、それはにわかに
信じられないような出来事だったのだ。

しかし、今にしてみると彼は大人だったんだなと思う。
まだ小学校低学年なのに、早くも自身にとって有利な
環境を作り出す為のロビー活動を熱心に行っていたのだから。
(政治力に長けている人間の殆どは、既に
子供の頃からそれを獲得しているのだと思う)

つまり、彼は会話の政治的手段
としての側面を重んじていたわけだ。
それに対し、自分は会話の政治を抜きにした
個人と個人との対話としての側面ばかりを見ていた。


結局そういうことなんだろう。
お互い会話に求めているものが違う訳だから、
話が噛み合う筈もない。

だから、そもそも「政治」を前提とした会話をしようと
している人間に対して「対話」をしようとしないという
理由で憤ってみても仕方がない。

そんなことをしても、どうせ先ず始めに結論ありき
の政治的解答が帰ってくるに決まっている。

ではどうすれば良いのか。
対応方法は三つある。

1.こちらも政治的に対応する。
2.相手にしない。
3.本気にせず軽くイナす。


自分にとって「1」の方法は難しいだろう。
それが下手だからこそこんな風になった訳だし、
おまけに圧倒的少数派な訳だし、軽々しくそれを
すれば墓穴を掘るのは目に見えている。
(勿論、会話の政治的側面を軽んじる
べきでないのは重々承知だが)

とすれば現実的対応としては「2」か「3」ということになる。
「3」の「イナす」は「1」と同じくらい高い技術が必要
だと思うし「2」も必ずしも選択出来るとは限らないが、
まあどちらにせよ政治的な会話は余り
本気にしないということが重要なのだろう。
道徳に関してもそうだけど。

思えば、自分はその政治的会話の数々を
律儀に真正面から受け止め続けてきた。
「逃げ※」もせず「イナし」もせず。

そりゃあ、そんなことしていたら混乱も疲弊もするし、
若くして命消費し尽くすのも当然だわ。

※(追記7/8)
どうも、昨今では「逃げる」という言葉に対して
無条件に悪いイメージが付加されることが多いように
思うので敢えてこういう表現を用いた。
だが、不毛な闘いによる精神の消費や疲弊は
出来るだけ避けた方が良いに決まっている。
 

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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