ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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一方的要請が生み出す副作用

<他者からの要請ではなく、自らの欲求で>

元々自分は文章を書くことが大の苦手。

だから、いつも記事を書く時は
結構苦しみながらそれを書いている。

それに、最近でこそ漸くある程度冷静な文章を
書くことが出来るようになってきたものの、
元々「怒り」を動機として始めたこのブログ。

ありったけの怒りや憎しみを込めて
生み出したその文章に自身の醜さを見て取り、
書けば書くほど精神的に不安定になった時期もあった。

その上、このブログには殆ど人が来ない。

「更新しないと人がこなくなるから更新しなくちゃ」
みたいな記事をどこかで見かけたことがあるが、
ここは更新しようがしまいが
訪問者数の増減には殆ど影響しない。

だから、そういう意味でのやり甲斐もない。

では、何故そんな辛い思いをしながらも
このブログを続けているのか。

それは自分の思いを文章にまとめて
吐き出したいという衝動があるからだろう。
或いは、何もない毎日に無理にでも何かイベントを
作り出すことで少しでも生き甲斐を感じたいという
欲求があるからかもしれない。

何にせよ、誰から要請された訳でもなく
誰かの期待に応える為でもなく、
ただ自身の欲求に従う形でそれを続けている。

そして、自分の考えを上手く文章化することが
出来た時はそれなりの充足感を得ることが出来る。
だからこそなんとか続けることが出来ている。

しかし、これがもし誰かに命令されてこのブログを
続けさせられているのだとしたら、それは苦役に近いだろう。
そうであれば、多分その義務を課した人間に
自分の怒りが向けられることになったに違いない。

それで気付いた。
それで改めて確信した。
(こちらの方がしっくりくるので改変。
今初めてそういうことに気付いた訳でもないし)

人が何かものを考えたり行動したりする時、他者からの
一方的な要請という形ではなく自身の欲求に基づく形で
それを為すことが如何に重要かということを。


<苦痛の行方と効用>

前述したように、元々自分がこのブログを始めた動機は
(特に道徳や責任という概念のいい加減※1な使用法や
精神論という宗教の押し付けに対する)
「怒り」に他ならない。

そして今も人類という存在を
呪い続けなければ気が済まない。

しかし、何故自分が怒るのかと言えば、自身の欲求を
押し殺してまで他者からの要請に応じ続けてきた結果
大きな失敗をすることになってしまったのに、
その失敗を理由にまた他者から責められ、再度同じ要請を
突き付けられるという状況が理不尽だと思うからだろう。

始めから自身の欲求に基づいて物事を考え
行動していたならば、少なくともそれを理由に
他者を恨んだり怒ったりする必要はなかった訳だ。

よく、他者から理不尽な暴力や要求を受け続け窮地に
陥った人間が、そこから抜け出すことが出来た時には
今度は自身がファシスト化してその暴力や要求を
他者に突きつける側に回るという現象があるが、
あれもその事が大きく関係しているのだと思う。

彼らは自らの欲求や目的の為に
そのような環境に身を置いた訳ではない。
だからこそ、他者も無条件に自身と同じ様な
環境に身を晒されなければ不当だと感じる
わけだ。

彼らのファシスト的行為はそういった「公正さの実現」
という一種の正義感の下に行われている。
だからこそ余計に性質が悪い訳だが。

そして、これは社会的成功や地位を獲得
出来なかった者が抱く恨みや僻み、復讐の発生
についても同じことが言える。

 ***

一方的な要請関係を築くことで以って他者の
考えや行動をコントロールするという手法は、
一時的にみれば確かに有益に思えるだろう。
要請側からすればそれが上手く行けば
「しめしめ」といったところだろう。

しかし、一方でその一方的な要請を課せられた側では、
それに応じることによって生み出された苦痛が
消えることなく個々人の内面にどんどん刻み込まれていく。
そして、それが恨みや僻み、復讐やファシスト化の種となり、
(その後の環境にもよるが)
やがて発芽し花を咲かせることになる。

つまり、一方的要請関係の形成とそれにより
生み出される苦痛。そしてその苦痛の効用としての
ファシスト的行為や恨み、僻み、復讐の発生。
これらは全てワンセットになっている。


したがって、一方的要請関係の形成による有益さの評価も、
それら全てを含めた上で判断しなければならない。

しかしそうしてみた時、短期的にはともかく長期的にみれば
自分には到底それが最善の選択とは思えない。
余りにも副作用が大きすぎる。

だからこそ、教育という観点からみるにしても、
ある一定の目標の実現を目指す時は片方の一方的な
要請だけでなく、もう一方の側の欲求との両立関係を
如何に上手く作り出すかということこそが重要であり、
その関係を上手く作り出すことが出来る者こそが
優秀な教育者なんだと思う。


逆に、一方的要請関係で以ってその目標の実現を
目指す時は、それにより生み出された苦痛の効用に
対しても何らかの対処法を考えておくか、
もしくはそれを甘んじて受けるという覚悟を
持った上でその手法を使うべきだろう。

その対処法や覚悟もないのにその手法を
使おうとするのは正に無責任の極みであり、
そういう人間には間違っても「教育」だとか
「責任」だとかいう言葉を口にして欲しくない。

しかし、こういった一方的要請関係や雰囲気を
作り出しそれを最大限利用してきた人達が、
それによって生み出された苦痛の行方や効用に
対する責任を全て放棄しておきながら
他者には責任だの教育だのを声高に叫ぶのが現実であり、
そういった場面に遭遇するにつれて、それらの言葉が
如何にいい加減※1な使われ方をしているか
ということを再確認させられる今日この頃であった。
追記(7/18)※1
後で読むと「インチキ」という言葉がどぎつく感じたので
「いい加減」に変更しました。
勿論、この場合の「いい加減」とは「適度な」
という意味ではなく、恣意的で一貫性がないという意味です。
 

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Author:後正面
ひきこもりという役割を引き受け
ざるを得なかった一人として
人間について考えてみる。
でも、本当はただの断末魔ブログ。

働けど無職。
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※コメントは記事の内容(主題)に関するもののみ受け付けています。また、明らかに政治活動的な性質を持つ内容のコメントはお控え下さい(そういった性質を持つ発言は、それを許容するような姿勢を持つ一部のブログを除いて、自分のブログで行うものだというのが私の基本的な考え方です)。

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