ポジティブ・アレルギー

物事を顧みず、ひたすら自身にとって都合の良い部分だけを見て突き進まなければならない、ポジティブ社会への拒絶反応

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「資本主義VS共産主義(社会主義)」という偽の対立~システム上の欠陥温存を「資本主義的」と見なす風潮について

情けない国に成り下がる英国 ジェレミー・コービンという病 - Market Hack

英国労働党の党首を選ぶ選挙でジェレミー・コービンが圧勝しました。

これはマーガレット・サッチャーの登場以来、英国が歩んできた新自由主義(市場原理を信じ、個人の自立と利益追求を社会の活力の源泉とする考え方)の路線にNOを突きつける出来事だと思います。

ジェレミー・コービンは平等でフェアな社会を理想に掲げており、大きな政府、強力な労働組合、高所得者層に対する重い課税などを主張しています。(中略)

マーガレット・サッチャーのヒーローがF.A.ハイエクならば、ジェレミー・コービンのヒーローはカール・マルクスです。(中略)

ケインズやハイエクがいかに資本主義を手懐けるか? ということに思いを巡らせたのに対し、マルクスは資本主義そのものを放棄することを提唱したのです。このためマルクスは共産主義の父と言われています。(中略)

ジェレミー・コービンの主張の問題点は、我々が歩んできた過去から、何も学んでいないという点です。大衆は忘れっぽいし、オツムが弱いので、ウケを狙うなら「お花畑社会主義」をぶら下げるのが、最もカンタンな方法というわけです。

低所得者層のルサンチマンをくすぐり、カラッポな約束をすることで有権者の歓心を買うことなら、誰にだってできます。

いまの英国は、ヴィジョンのかけらもない情けない国に成り下がりました。ジェレミー・コービンの登場は、atavism以外の何物でもないのです。

これは典型的な相殺法だろう。幾ら共産主義/社会主義に問題があってもそれは現行の資本主義が抱えている問題を相殺するわけでもなんでもないのに、ひたすらマルクス批判に終始し、それを根拠として対抗相手の政策を否定している。これでは単に今ある問題を温存させようとしているだけにしか見えない。

そうやって問題を温存させることこそが自身にとっての「利益追求」であり、そうである以上それを追求するというのがこの人なりの資本主義精神の発露なのかもしれない。しかしであるならば、現行のやり方のままでは不利益を被ると考える者達が競技のルールを変更すべきだと主張するのもまた資本主義精神と言えるはずだ。

「ルサンチマン」云々というのもおかしい。というのも、貧しさを根拠に己の清廉さを証明し、それによって道徳的勝利を得ようようとする価値倒錯がルサンチマンの代表例だろう。そうして考えると、「ルサンチマン」「情けない」などという自意識批判によって己の精神性が相対的に優であることを証明し、それによって自身が支持する側の選挙での敗北に復讐を図ろうとするなら、それこそまさにルサンチマンそのものではないか。
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 ▼(1)格差の固定化は競争原理が働いていないことを意味する

上に挙げた双方の資本主義精神はあくまで個々人の利益追求でしかない。では資本主義を支えるシステムにとってどうか。そういう観点から見た時、これまでのやり方を続けることが最善の策であると言えるかと言えば、それには疑問符が付く。

上の記事では「新自由主義(市場原理を信じ、個人の自立と利益追求を社会の活力の源泉とする考え方)」こそが資本主義的であり、「大きな政府、強力な労働組合、高所得者層に対する重い課税」は共産主義的であるとされている。だからこそマルクス批判が後者の誤りを証明するのに有効であるかのようになってくるわけだ。

しかしながら後者のような政策を唱える者に支持が集まり始めた理由は、サッチャー的政策が機能不全を起こし、貧富の格差が拡大し、それが固定化してきている事実があるからだろう。

格差の拡大はともかく、格差の固定化は即ち競争原理が働いていないことを意味する。例えばある競技を運営するにあたって、順位の入れ替わりが殆ど起こらないような制度を採用していれば、選手も観客もやる気・観る気をなくし、やがてその競技が廃れていくのは自明だろう。

こういった現象は共産主義特有の問題だとされてきた。しかしイギリスを始め、資本主義であるはずの多くの国において今それに近いことが実際に起こっているわけだ。つまり資本主義の根幹であるはずの競争原理が上手く機能しなくなり「社会の活力の源」が枯渇してしまっている。

サッチャー的政策を支持する「資本主義応援団(それに反する政策を共産主義的/社会主義的だと主張する人達)」は一般的に成果主義を重視すべきだと考えている。ところが現代において、サッチャー的政策は多くの人々の生活の向上や資本主義システムの維持・向上に対してマイナスの成果しか出せていないのだ。

自分は成果主義なんてものは政治と経営、プロスポーツだけで十分で、その他の分野ではプラスの効果は生まない(――ほとんどの分野では「成果=ポジション獲得能力」にしかなり得ない)と考えているが、何にせよ重要なのは、政治という成果主義が最も求められるべき分野において、それが成果主義的に大失敗したが故にジェレミー・コービンのような人が注目を浴びるようになった、ということなのだ。この事実は重い。

なぜなら引用記事の言う「新自由主義」的観点から見ても、いやそういう立場から見れば尚更のこと、これまでのやり方は間違っていたということになるからだ。

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資本主義を維持するためには市場原理が信じられることが必要だとするなら、当然市場はその期待に応えるだけの成果を出さなければならない。一般的に、根拠はないが正しい、と信じられるようなもののことを宗教と言う。つまり市場がその成果を示さない限り、市場原理を信じることが宗教と差異化出来なくなってしまうのだ。

市場にはバランスの調整、効率化、質の悪いものを淘汰する機能があるとされ、そういう機能を持っていると言われているからこそ特別扱いを受ける。

しかし実際はバランスが調整されるどころか富は限られた場所に集約されていき、低賃金長時間労働に代表されるように非効率な働き方を強いられ、ブラック企業と言われるような粗悪な労働環境・条件ばかりが蔓延るようになっている。そして既に言ったように、俯瞰的に見ると競争原理も働いていない。

つまり市場原理とやらは期待された役割を果たしているとは言いがたく、正当性の根拠を失いかけている。


 ▼(2)市場は政府の介入によって成立している

もちろん、だからと言って市場自体を否定すればよいというものでもないだろう。

先に述べたように、現在の資本主義諸国では共産主義特有の問題とされた倦怠が既に起こっている。それは多くの人々が共産主義失敗の主因としてきたものだ。だがそれが現に資本主義でも起こっている以上、それは共産主義失敗の主因ではなかったということだろう。

では共産主義は何故失敗したのか。端的に言えば、計画経済の行き詰まりではないか。そしてそう考えると、市場自体を否定するわけには行かない、ということになるわけだ。

だが現に市場がその機能を発揮せず、「市場の失敗」ばかり繰り返している以上、そのルールや運営方法は見直しをする必要があるだろう。市場原理はどのような環境でも上手く働くというわけではないのだ。

ところがそういった試みは「資本主義応援団」による「政府による市場介入は社会主義的だ」という主張によって遮られ続けてきた。

だがこの理屈はおかしい。

例えば今シリアに進出しようとする企業などないだろう。何故ならあんな場所に信頼できる市場など成立しないからだ。それがいい例で、市場は自然にどこにでも存在できるものではない(――もちろんシリアにも市場自体は存在するだろうが、「資本主義応援団」が参加したくなるようなものではないだろう)。今シリアで多くの者が参加を望むような市場を成立させるためには、一体どれだけの犠牲と金銭的コスト、個々人の自由の制限が必要になるか検討も付かない。

シリアの例は極端に思えるかもしれないが、何処であろうと信頼の置ける市場を成立させるためにはそういった莫大なコストと自由の制限が必要になるのは間違いない。つまり現代において既に成立している市場は、政府がガッツリと介入してきたことで成り立っているわけだ。よってもし政府の介入を社会主義的というなら、資本主義は社会主義という土台の上に成り立っているということになる。

だからもし本当に政府の市場への介入が社会主義的で唾棄すべきものだと考えるなら、その者は莫大なコストと不自由を犠牲として払うことで成り立ってきたこの市場で得た利益を全て放棄し、政府の統制の利かない地へ行ってゼロから商売を始めるべきだろう。それをやって初めて自分の力で身を立てたと言える。

そもそも現代の企業は当たり前のように「即戦力」を求めるが、そんなものが自然と育ってくるはずがないだろう。土地があれば自然と作物が生えてくるわけではないのと同じで。日本の識字率は100%に近いが、これだって別に当たり前のことではない。

政府の介入しない未開の地で育った人間と仕事や取引をすることを想像してみればいい。それが如何なる困難を生むか。だが「資本主義応援団」はそういう心配をする必要がない環境にいる。

本来高い教育コストを払って育てなければならない技能やモラルを持った者を、それを払わず低賃金で雇えて当たり前であるかのように錯覚できる環境は一体何によってもたらされているのか。或いは本来なら他人を調整弁として使い捨てにすればそれ相応の報復を覚悟しなければならないが、そのようなことを考慮せずやっていける環境は、一体何によって成り立っているのか。それは正しく政府の介入によってだろう。

つまり「資本主義応援団」による市場介入批判とは、自分達の都合の良い形で市場に介入すべきだ、という内容のことを言っているだけにすぎない。

事実、例えば「新自由主義」の代表である経団連の人達は、常日頃から政府への働きかけを行っている。何のためかと言えば、自らにとって都合の良いルールを作るため、即ち介入のためだ。

つまり引用記事における「個人の自立」とは、そういった介入によって成立しているシステムへの依存で成り立っている。「個人の自立」とは、そのシステムに上手く依存できていることを示す称号なのだ。即ち「個人の自立」の重視とは、より多くの者が上手く依存できるシステムを構築することに他ならない。


 ▼(3)「資本主義VS共産主義/社会主義」という偽の対立

要するに「サッチャーVSコービン」のような対立は「資本主義VS共産主義/社会主義)」という対立ではない。政府が市場に介入するか否かの問題でもない。資本主義における市場のルールや運営をどのように行うべきか、如何にして介入すべきか、という対立なのだ。

サッチャー的な主張を支持する側は現在の方向性を変える必要はないという考えを持っていて、コービン的な主張を支持する側はそれを変える必要がある、という考えを持っているというだけにすぎない。

しかし前者の主張に則って作られたルールや運営方法は、実際には成果を出せていないのにもかかわらず、その方向性を変えることは共産主義(社会主義)的であるからできない、という誤った理由で維持され続けてきたという経緯を持つ。それによって現在の資本主義が抱えるシステム上の欠陥はずっと温存され続けてきた。

いや、実際その欠陥を払拭することはできないのかもしれない。だがそれ以前に、それを改善しようとする動き自体が取られてこなかったのだ。資本主義の根幹であるはずの市場原理や競争原理が上手く働いていないのにもかかわらず。

そして恰もその硬直化、欠陥の放置こそが資本主義的であるかのように捉えられているのが現状だろう。

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さらに少し別の角度から見てみると、そもそも純然たる資本主義などというものは存在しないのではないか、という疑問がある。

例えば冒頭の記事が言う「新自由主義」の人達は政府が市場に介入することを社会主義的と言うが、既に述べた通り、もしそうであれば資本主義は社会主義という土台の上に成り立っていることになる。そしてそのシステムのお陰で格差の固定化と富の集中が起こっているとするなら、現在多くの資本主義国が「金持ちのための社会主義」になっているという指摘は、全く的を射たものであると言えるだろう。

そういう国において、軌道に乗り損ねた底辺の人間が幾ら身を粉にして働こうが金持ちになれる可能性は全くないし、地位や名誉や満足のいく人生を手に入れられるわけでもない。そういう資本主義的インセンティブがゼロな環境に置かれた無職に対して共産主義的インセンティブ(働かざるものは食うべからず)でもって迫る「資本主義応援団」は多いが、この時その者達の中身は紛れも無く共産主義者になっている。

「金持ちが海外に逃げるぞ理論」もそうだ。トリクルダウン理論に則った運営で一掴みの金持ちを作ったはよいが、それが分配もされず階級化を生み、その者達のご機嫌を損ねると痛い目に遭うのでさらに機嫌を取り続けなければならない、という蟻地獄のような構図は、正に旧共産主義国のそれと同じではないか。

「海外に逃げるぞ理論」はグローバル化や租税免除という特権があってこそ。皮肉なことに、より資本主義的であるとされているグローバル化は、世界を一つに、と言いながら一部特権階級が優遇される共産主義と紙一重なのだ。

これらのことが示すように、純然たる資本主義などというものは存在し得ないというのが実際のところなのではないか。それは常に社会主義や共産主義と渾然一体となったものなのではないか。

そしてそうだとすれば資本主義であっても共産主義的/社会主義的発想がちょこちょこ顔を出すのも別におかしな話ではないということになる。「資本主義応援団」がしばしば共産主義的な主張を行うように。

だが実際は、恰も純然たる共産主義と純然たる資本主義しか存在しないかのような前提で議論がなされることが多い。世界がそんなに単純なはずもないのに。

そういった勘違いこそが冒頭に挙げた記事のような、資本主義か共産主義か、というような極端な二者択一論を生む原因となっているのではないか。

REAPER:Windowsの設定で表示問題を解決する

知っての通り、日本語環境でReaperを使用した場合、「ROUTE (I/O)」画面やReaPlugs、プリファレンス画面などにおいて表示の不具合が起こる。

R5_DLG_01.png

この問題に関しては、Ver.5で強化されたローカライズ機能を利用し、それらの一部を改善する方法を紹介した。

REAPER:センド画面の見切れ問題がVer5でついに解決

しかしこの方法ではReaPlugsの問題には対処できないし、プリファレンス画面で文字の欠けを直そうとした時、無駄な余白が出来てしまったりする。ということで、今回はWindows自体の設定を弄ってこれを解決する方法を紹介する。

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REAPER:M/S処理

M/S処理については以前にも書いたことがあるが、この方法の方が良いように思うので改めてそれについて書いてみる。

 ▼(1)FXチェイン

FXブラウザの「Filter list」で「side」と入力。すると以下のようなプラグインが表示される。

midsidetransfor_14.png

まずJS: Mid/Side EncoderとDecoderを読み込み、それらでM/S処理に使用したいプラグインを挟み込む。

midsidetransfor_05.png

今回はコンプ(ToneboostersのTB_BusCompressor)を二つ用い、一方をMid用、もう一方をSide用として使用する場合を例にとって説明してみる(TB_BusCompressorはM/Sモードを持っているが個別に設定することはできない)。

尚、EncoderとDecoderの位置を入れ替えても同じように働く模様。また最初の画像でTB_MidSideTransformerというプラグインが表示されていたが、こちらもJS: Mid/Side Encoder、Decoderと同じ働きをする。

↓TB_MidSideTransformer
midsidetransfor_04.png

これを使用する場合も同じようにそれでプラグインを挟み込む。

midsidetransfor_06.png


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REAPER:帯域分割(マルチバンド化)

※【追記】FFTとそうでないスプリッターの切れ味の違いに関する画像を追加【了】

Reaperでの帯域分割の方法。

FXブラウザの下の方にある「Filter list」に“Splitter”と入力する 。すると以下のようなJSプラグインが表示される。

splitter_02.png

FFT Splitterは2バンド用。遅延が起こる――再生時は補正される――代わりに切れ味は鋭くなる。鋭い切れ味を必要とする時はこちらを使用すればよい。

3-Band Splitter
splitter_12.png

FFT Splitter
splitter_13a.png


スプリッターの概要は以下のようになっている。つまり用意された複数のフェーダー・ノブ間、もしくはフェーダーの下限/上限とフェーダー・ノブ間で帯域が分割され、それが其々のチャンネルに振り分けられ出力される仕組みになっている。

splitter_01.png

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REAPERがついにWAVESの公式サポート対象に?

ReaperはこれまでWavesの動作保証対象に含まれていなかったため、Waves関連のトラブルでWaves側に連絡をとっても、Reaperはサポート対象じゃないから、と突っぱねられるというのは有名な話だった。
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Waves to Support Reaper ASAP - Cockos Confederated Forums

Waves to Support Reaper ASAP - Cockos Confederated Forums(別スレ)

しかし上記スレによると、フォーラムのメンバーがこのほどWavesのGilad Keren氏とAmir Vinci氏から、Reaperの公式サポート化に向けて動き出している、というような趣旨のメールを受け取ったという(余程嬉しかったのか同じ話題のスレを二つも投稿している)。

正式な発表はされていないのでまだ事実かどうかは分からないが、事実であれば多くの人にとって朗報ということになるのではないか。Wavesがらみのでのトラブルはわりと多いようだし。

実際自分の環境ではEkramer GTが中々認識されず、32bit版Dllの拡張子を変更してそれを読み込ませないようにすることで漸く(64bit版を)認識させることができた。公式サポート化すればいちいちこういった対処法を探す必要もなくなるかもしれない。

因みにReaperをサポート対象としていないデベロッパーとしては他に(Melodyneでお馴染みの)Celemonyが有名。

正論を口にしないことと正論の内容を否定することは全く別

杭工事偽装、ベテラン技術者「私もやった」 その理由は

「マンションを売る日は決まっているのに、杭打ちをやり直せば完成が遅れる。元請けにやり直しを求めると『やかましいことを言うな』と言われる」


ディレクターが黒いものを白と言ったら「ハイ、真っ白です!」って返します。(中略)だぁ~れも、そんな正論なんか聞いてませんし、言ったとしても、会社も世の中も変わりませんから。(中略)めんどくせぇヤツだな、と思われたら次の仕事がもらえませんから。素直に従った方が「じゃあ次も」って気になってくれるでしょ
https://twitter.com/tokukichi1/status/657195951187095552


「いじめはよくない」「人の者を盗んではいけない」「人を殺してはいけない」――
こういったことを幾ら言ってみたところで、それらの問題が改善するわけではないだろう。正論とはそういった効果のないスローガンのことを意味する。よってそれが主張として下らないのは確かだ。そんなことは分かりきったことであり、その上で其々がこの現状についてどう考えるか、ということを述べてこそ主張と言えるからだ。
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だが議論の上で正論を唱えるのと、正論で唱えられている内容自体を否定するのは全く別のことである。この二つを一緒くたにして何かを語るなら、それは余りにも乱暴すぎる。正論を唱えないことは、いじめや強盗や人殺しを許容することではないのだから。

ここでもそういった乱暴な形での語りが行われている。実際ここで鈴木氏が述べているような振る舞いを建設業で行ったら、杭工事偽装やむなし、ということになるだろう。

そしてこの社会が、そうした振る舞いをする人や企業ほど競争に勝ち残りやすい構造になっているとすれば、それはまさに大規模な市場の失敗が起きていることを意味する。

もちろん「市場の失敗を起こすべきでない」という正論を唱えることに意味は無い。だが今実際に市場の失敗が起こっているということを認識し、その問題に対処しようとすることは重要だろう。

しかし昨今はどうも正論の下らなさを根拠にしてその「対処」までもを否定するという、正論以上に下らない主張が幅を利かせているように思えてならない。

それからこのツイートでは鈴木氏の発言を「「お笑い芸人だけどこんなに政治に関心持ってますよアピール」が一切なく」と評価しているが、目上の者や趨勢を批判するのが政治なら、目上の者や趨勢の肩を持つのも政治である。よってむしろこれは極めて政治的な発言と見るのが妥当だろう。

 ***

この記事を見る限り、恐らくこの芸人はある種のヒールのような存在として活躍しているのではないかと推測する。ヒールが憎まれ口を叩くのは当然である。しかしながら、その単なる憎まれ口に何か深みがあるかと言えば、そうではないだろう。

何も考えず上の者の言うことにホイホイ従っていたらそれだけで大金が手に入るような状況が手に入れば、大抵の者は彼と同じことをしてしまう。だがそれは体裁上余り表立って肯定することができない振る舞いでもある。それを体裁を気にする必要がないヒールが堂々と肯定してみせたことが、同じくそういった状況でそういった振る舞いをしている者達の自己肯定感を刺激し、ウケているに過ぎない。

もちろん鈴木氏個人の中では、ヒールとして生きることへの強い葛藤を乗り越えた末の、それなりに重みがある発言なのかもしれない。だが主張の内容としては全く深みのないものである。そこら辺は理解しておく必要があるだろう。

そしてこれは逆に言えば、そういう状況にない人が、つまり十分な見返りを期待できない人達が上の者や社会に文句を言うのは当然である、ということをも意味する。全ての者が鈴木氏のように経済的に恵まれた状況を手に入れられるようにすべきだ、という正論が通じないのと同じように、「社会に文句を言わず前向きに生きろ」などという正論もまた通じないのである。

あとこの人は「世の中のほとんどの人に異論を述べる資格なんてないんです」とも言っているが、主張を行うのに資格を設けない、というのは民主主義の大前提なので、これは民主主義を否定する発言に他ならない。近代国家において、まともな人間として見られようとすれば決して口にすることができない様な主張をこうも事もなげに言ってしまう辺り、さすがヒールである。

余分な支払いと余分なシバキ

店員「302円になります」俺「507円で」 - Togetterまとめ

気持ちは分かる。要するに支払いついでに1円玉5枚を5円玉に両替してもらいたかったということなのだろう。自分も1円玉がダブついてくると支払い時についこういうことを考えてしまったりする。

しかしおつりが5円玉で返って来るとは限らないわけで。その場合、一端1円玉5枚を渡しまたそれを受け取るという何とも奇妙なことになる。
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一つの常識を全ての人間が共有することなどない。そうである以上、「常識知らず」と非難したことで逆に周りから常識知らずとして糾弾されるというパターンに嵌りこむ危険性は誰にでもある。なので人間が出来ている人はそれがおかしいと思った場合でも、それとなく嗜めるに留めるだろう。

しかしここでは多くがお互い痛い目に合わせる(バカにする)ことで学ばせるというシバキ主義に陥っているように見える。

だがそのシバキはこのケースにおける5円と同じで本来は必要ないものなのではないか。

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結局何故人がシバキ主義に陥ってしまうかと言えば、その方が楽だからだろう。

それを尊重しようがしまいが、そこに存在して決して払拭できないのが多様性。それがある以上、意図のすれ違いは何時起こってもおかしくない。その中で他人を理解したり他人に理解してもらうのはわりと困難なことであり、それをするにはそれなりの能力が必要になる。ただの小銭のやり取り程度であっても。

店員が「500円で足りる」と言ったのにしても、「いやあの」ではなく、「いや、5円玉が欲しいので」と言えばそれで意図は伝わったはず。そしてその意図が伝わればそれで問題はないだろう。だがそれが中々できない。

つまり(そもそも不可能な)常識の画一化ではなく、むしろそういったすり合わせ能力こそ「日本の将来」に必要とされているのではないか(――まあ高級店でもないレジの店員なら一々確認なんかせず、足りていさえいればそのまま507円を受け取り200円と1円玉5枚を返すだけでも十分だと思うが)。

一方、バカにしたり恫喝したりという手段は既に誰もが平等に手に入れているものである。手元に銃やナイフがあればついつい使ってしまうものだろう。それと同じで、ついついそういった手段に頼ってしまいがちだ。特に相手がそういった手段で折衝を試みてきた場合は尚更。

攻撃されたから攻撃で返すという本能もあるかもしれないが、何にせよその方が容易なのだ。しかしその容易な方の選択をしたが故に争いが大きく発展し、後に大きな困難を招くということもある。

シバキ主義は一見「厳しく」見えるかもしれないが、実は余り深く考えず、単に容易な方に流された結果でしかないのである。

君はゴキブリに自分が何者かを説明しようとするか?

「異星人が地球に上陸すれば人類を大虐殺する」 ホーキング博士の“警告”に科学者騒然 (1/3) - ITmedia ニュース

これに対し、人間なら大虐殺するから他の知的生命体もそうするだろう、という考えはその知的生命体が人類と価値観を共にしていることが前提となっているので間違いだ、とか、そんなに優れた存在なら人類のような愚かなことをしないだろう、という反論があるようだ。

だがその知的生命体と人類との間にそれ程かけ離れた差があるとしたら、その場合――「そんなに優れた存在なら何故我々に自らのことを説明しないんです?」「君はゴキブリより優れているかもしれないが、ゴキブリに自分が何者かを説明しようとするか?」(映画『プロフェシー』より)――というような断絶を生むだけだろう。

何にせよ、もし地球に知的生命体がやってくるとしたら、それは力の差から言って人間からすれば神のような存在ということになる(元来日本人は人知の及ばない力を「神」と呼んでいた)。

しかしギリシャ神話の神がそうであるように、人格神とは結局のところ「絶大な力を持った人間」に他ならない。そして人格を持たない神の場合、それは単に「自然の驚異」になる。そのどちらであっても人間からすれば危険なことに変わりはないだろう。

まあしかしそれ故に来て欲しい気もするが(人間社会に対する復讐心)。

2015-10-10



  • 自称「ホワイトプロパガンダ漫画家」のファイスブックを見たら、敵を表すキャラクターに言ってもいないことを言わせまくる絵で一面埋め尽くされてた。

  • 寓話はブラックプロパガンダ

  • はすみとしこ氏には、例の件で仕事を干され生活保護の庇護を受けながらもっと争いのない温和な日々を送ってもらいたい。

  • https://twitter.com/iwakamiyasumi/status/652575527358730240
    まあ政治家は他人の金で生活する人だわな。しかしそのこと自体を悪であるとするなら、はすみ氏のあれと同じことを主張していることになるが、これを拡散している人達はちゃんとそのことは理解してるのかな。「他人の金/自分の金」という姿はあくまでかりそめのものでしかない。「金は天下の回り物」とはよくいったもので、財政にせよ経済にせよ、先ずはそれを理解した上でものを考えないと、その議論はどんどん現実離れしたものになっていってしまう。

  • https://twitter.com/yuuraku/status/649739551066292224

    dada@yuuraku
    ゴミ収集を公務員が月給20万も貰ってやってるのはけしからん、民間に委託すれば15万でもやるやつはいる、って自分の町の雇用切り下げたっていいことなんかないのにね。

    欧米のドキュメンタリーなどを見ていると、腹の中の思惑はともかく、最低限の体裁を保つことが出来る人達は主に、移民が増えればその人達が低価格で仕事を請け負うため、それによって自分達の仕事が無くなったり給与が低くなったりする、という理由を移民排斥の根拠として挙げるのが一般的なわけだが、それと同じような状況を自ら作り出そうとするこの現象は一体何なのだろう。それにもし本当にそう思うなら、日本は欧米以上に移民をバンバン受け入れてよいはずなのだが、実際は世界最低レベルであるという。

  • 移民「こんにちはー、「厳しい現実」が参りましたー。受け入れの方お願いします!」

  • そういえば一年前まで移民の人らと一緒に働いてたわ。

  • https://twitter.com/no1hasgone/status/649878944666136576

    no1hasgone@no1hasgone
    .。oO(「年収300万円以下は返還猶予」をやめて、300万円以下でも(返還額を調整するものの)返還させる制度に切り替える、何故なら大学卒業者の三割が年収が300万円未満…と。何重にも絶望的としか)

    地獄やな。

  • 一億総活躍社会とかお上の鶴の一声で携帯料金の引き下げとかL型大学(計画経済の成立が前提として必要)とか、発想がいちいち旧社会主義国的なんだよなあ。


  • モルダーの、ボコられながら敵の油断や温情に助けられる率高すぎだろう。殆ど毎回そのパターンで生き残ってる。そもそも結局モルダーに関する「奴を甘く見るな」という評価や「利用価値」とは一体なんだったんだ。たまにしか本筋に結びつく話をしないから全容をつかみにくい。

  • 『コールドケース』では何十年も迷宮入りだった事件を毎回解決していくわけだが、それは幾らなんでも無理がないか。

  • 『サスペリア』とか『ファンハウス』とか『フェノミナ』とか、昔はよくテレビでやっていたのにいつの頃からか全く放送されなくなったのは、もしかして差別問題とかが絡んでいたりするのだろうか。

  • 驚愕!陸上で捕食するウツボ - YouTube
    ウツボはわざわざ陸に上がってまで捕食したりするのか。知らなかった。岩肌をするする移動してまるで蛇のよう。後はこれで羽さえ付いていたら…。

  • カラス - Wikipedia - ウィキペディア

    モビングによって豪胆さを見せたカラスは序列を高め、伴侶を見つけやすくなる可能性が指摘されている。

    アオサギに嫌がらせ(モビング)しているのを何度か見かけたが、人間社会でよく見られる、虐めっ子ほどモテたり社会的に成功したりするあの現象はカラスの社会にもあるということか。

ある文化圏の常識が他の文化圏でも受け入れられるとは限らない

伊藤剛氏の「自分の知らないマンガは(どれだけ部数が出ていても)マイナーと断じる」ひとがよくいるという問題 - Togetterまとめ


メジャー/マイナーは必ずしも売り上げ部数の多寡によって決定されるというわけではないだろう。何故ならある層においてメジャーなものが、他の層でもメジャーであるとは限らないからだ。むしろこれは文化圏の問題。

もし売り上げ実績を重視する企画部署なら、単にその実績を示せば納得させることができるはずなので、むしろやり易いはずだろう。だがそれで納得させられないということは、そこで「企画を阻む」者は自身が所属する文化圏、或いは潜在的顧客層として想定している文化圏でそれが受け入れられるのは難しいと判断しているからだろう(――何故俺達を潜在的顧客層として見てくれないんだよ、という思いもあるかもしれないが、大手メディアが広告で成り立っている以上、それに合致すると看做される層にターゲットが絞られるのは現在の構造上やむを得ない)。

なので立案側は、その文化圏においてもそれが十分受け入れられる可能性があることをプレゼンしなければならない。その際、自身が所属する文化圏でそれが如何にメジャーであるかを挙げたところで、相手側にとってそれが重要な要件になるとは限らない。何故なら特定の文化圏でウケたものが他の文化圏でもウケるとは限らないからだ。

今でこそ有名になった『まどか☆マギカ』だって放送当初はあの絵柄故に回避した人は多いはず。そういった懸念を抱くことはおかしなことでもなんでもない。

また、海外では有名だが日本では殆ど知る者がいない、というようなものだって幾らでもあるだろう。海外で人気を博したからといって日本でも人気を博すとは限らないわけだ。逆もまたしかり。だから企画を通すか否かを判断する際は、そのマーケットに合うか、ということを考慮せざるを得ない。


もちろん提案を受けた側が単に世間的に知られているか否かだけで企画を通すか否かを判断しているとすれば、その人はフィルターとしてまともに機能していないということになるわけで、それを問題視するならば分かる。

だがこの議論は元々、自身の所属する文化圏において「みんながすでに知ってる」ものが他の文化圏で取り扱われないことへの不満から端を発しているものであり、多くの人々もその部分に食いついている以上、このコメントも取って付けたものにしか見えない。

実際、本当に「みんながすでに知ってる」ものだけしか扱われないことを問題視するなら、売り上げ実績があるのに扱われないことを批判する必要などないはずだ。何故ならそれは「みんながすでに知ってる」ものを扱おうという姿勢であり、まだ知られていないものが扱われる確率を下げる可能性を孕んだものでもあるからだ。


 ▼自身の文化圏での常識で外部と折衝するということ

さらにここにはもう一つ大きな問題が潜んでいる。

「ハガレン、ブラクラ、よつばと!」を全く知らない人なんて幾らでもいるはずだ(むしろ多数派だろう)。多くの人々にとってそれらは必ずしも知る必要がないし、実際それらがマイナーである文化圏は存在するだろう(そもそも漫画やアニメという娯楽がメジャーなものとして認知されるようになったのは最近になってからなわけで)。

にもかかわらず、ここではそれらが知られていて当然という前提で話が進められている。そしてそれらを知らないこと、それらをマイナーと判断することが断罪されている。

奥山犛牛 @bogyu
マイナーと言い張るのは、世間で有名な作品を自分が知らないという認知的不協和を解消しようとする試みだね。人はたいてい「私がそれを知らないのは無知だからではなく、知る価値のない情報だからだ」と考えるものだ。


最初に言った通り、メジャー/マイナーは文化圏の問題だ。日本と海外の常識が異なるように、アニメ・漫画ファン内の世間的常識とそれ以外の世間的常識は異なる(もっと言えばアニメ・漫画ファン内でもメジャー/マイナーの認識は其々で異なるはずだ)。つまり「世間で有名」か否かもまた環境によって異なるわけだ。

そもそも「世間」とは概念的なものであり、何らかの妥当性を担保してくれる絶対的存在ではない。その捉え方もまた様々だ。そして今世界中で起こっている紛争を見れば分かるように、そういった様々な世間的常識が一つに統一されることは決してなく、それらは常に衝突し続けるものなのだ。

そういう普遍的事実があるにもかかわらず、自身の所属する文化圏の常識が外でも通用して当たり前であるかのような姿勢で外部との折衝に臨み、それが通用しない状況に出くわした時、その事実を相手の無知のせいと認知するなら、それこそ認知的不協和解消のための修正そのものではないか。

もし仮に奥山氏の説を採るにしても、世界中の、いや日本中に限定するにしても、そのあらゆる文化圏での常識を知った上でマイナーか否かの判断を下している者などいないため、「マイナー」という言葉を使ったことがある人は全てその修正を行っていることになる。

つまり奥山氏の説による認知的不協和解消とは全ての者に当てはまるものなのだ。よってもしその事柄を他者を批判するための論拠として用いるなら、それは奥山氏の仮説を採るにしてもやはり明確に誤りである。何故ならそれを是とするということは、自身は超越者である、と言っているのと同じことになるからだ。

結局のところ、自身が所属する文化圏での常識を他の文化圏の人達が知らないことを「無知」と断罪することが問題なのだ。

例えばDTMをやっている人間でDAWやKontakt、VSTを知らない人間はまずいないだろう。だからといって、その外の文化圏の人にそれらを知っていて当然という前提で話をするとおかしなことになるだろう。だから外の文化圏の人達と折衝する際には、自身が所属する文化圏の常識が通用しないという前提でもって臨まなければならない。

逆に自分達が所属する文化圏での常識を絶対視してしまい、その常識でもって外部と折衝しようとすれば、齟齬が生じるのは避けられないだろう。

そういった振る舞いはオタクにありがちな負の特徴の一つとして世間から疎まれてきたものでもある(――実際はオタクに限らず他の文化圏の人間も普通にそのような振る舞いを行っているのだが)。もしそういった態度を取るなら、それは周りからウザがられても仕方がないだろう。そしてそのような状況は決して相手側の無知から生じているわけではない。

というか、普通に考えて蒼樹うめや「ハガレン、ブラクラ、よつばと!」をマイナーと言っただけで無知だのなんだのと糾弾してくるような人とは関わりたくないだろう。

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ざるを得なかった一人として
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